高槻鈍牛

月芝

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第六十九話 破眸の娘

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 はるか昔に海を渡り、大陸より日ノ本へと独りやってきた娘。
 各地を彷徨ううちにたどり着いたのは、国産み神話の舞台となった淡路島。
 が、その頃のこの地は長年の干害に苦しんでおり、限られた水源をめぐって激しい対立が続いているような状況であった。
 衣食住足りて、人ははじめて人足り得る。飢えや渇きは人の体だけでなく心を殺し、倫理を壊し、獣へと堕とす。
 人心は荒廃し、信心も薄れ、その余波は伊弉諾神宮にも及んでいた。
 当時の宮司や巫女、神職に従事する者らは、なんとかこれに抗おうと奮闘するも、天の采配に地を這うばかりの人の身に何ができるものか。
 ついには追い詰められて、いよいよ駄目かと観念しかけたときに、その娘はふらりと彼らの前にあらわれたという。
 ふしぎな瞳を持つ娘であった。
 大陸渡りとのことで、日ノ本が知らぬ知識をたくさん持ち合わせており、これによって井戸を掘り、水の流れを整え、田畑に工夫を施し作物を実らせ、ついには干害を退治してみせる。
 おかげで淡路の地は救われた。
 だが度し難いのが人の性。満ちれば満ちるで、またぞろちがう諍いが起こる。
 今度は島を救った娘の身と、その英知を欲する輩らがあらわれ出す。
 これに巻き込まれることになったのが、彼女が身を寄せていた伊弉諾神宮。
 ここにも娘の身はもとより、彼女によってもたらされ蓄えられた諸々をよこせと、時の権力者などからの横暴がふるわれる。困っているときには何ら手を差し伸べなかったくせに、実ったとたんにむしり取る。これを当然の権利だと言わんばかりの態度に、みな憤慨する。
 しかし権力と数を揃えた暴力を前にしては、いかな高潔なる信仰も志も無力。無残に蹂躙されるばかり。
 これを救ったのもまた、かの娘であった。

「守りたい大切なものがあるのならば、譲れないものがあるのならば、己が手を穢すことを厭うな」

 娘はそう言って伊弉諾神宮を預かる者らに、いくつかの戦う術を授けたのである。
 その一つが獣たちを使役する術。
 これが伊弉諾神宮の姫守と巫女忍の由来となる。

 自分たちのことを、かいつまんで説明してくれた姫守の老女。

「その娘、万(よろず)さまと呼ばれていたそうですが、これは真名ではないそうです。なんでも故郷に捨てられたときに、自ら名前を捨てたのだとか。おそらくは彼女なりの決別であったのでしょう。そしてこの万さまこそが芝生一族の初代にあらせられるのです」

 謎の娘と姫守の歴史秘話。
 感心しつつも、すっかり他人事だとおもい聞き流していたところに、いきなりそんなことを言われたものだから、鈍牛、心の底からおどろく!

「いやいやいやいや、それって絶対に何かのまちがいじゃあ……。だって、うちって、その、あの、自分で言うのもアレだけど、けっこう、いや、かなりかも? ものすごーくへっぽこだし」

 だから「何かの勘違いでは?」と鈍牛が言うも、老女は黙って首をふる。
 高槻の片隅に住む、なんちゃって忍び集団、芝生一族。芝生と書いて「しぼ」と読むのが、ちとややこしい。
 いちおう家系的に忍びとはなっているものの、里で忍び働きをちゃんとした者なんぞ、ただの一人もいやしない。ここうん十年どころか百年ぐらい遡っても、頭領の命で動いたのなんて、それこそ鈍牛こと芝生仁胡だけかもしれない。
 クノイチのお良のように見事な小太刀剣舞の遣い手も、加藤段蔵のように脅威の身体能力や隠形術を誇る者も、何やら凄い田所甚内のような曲者もいない。紀伊の鬼女とまで呼ばれた白巴蛇なんてもってのほか。
 それどころか焙烙玉を持たせたら、きっと元安土城の下働きであった七菜にすらも負けそう。
 秘伝の忍術なんぞ欠片も伝わってはおらず、古文書の類はあらかた鼠にかじられた。
 それが芝生一族。
 我がことながら、自分で言っておいてちょっと悲しくなってきたけれども、これが事実なのだからしようがない。
 このへんの事情も鈍牛は説明したのだが、それでも姫守の老女は首をふるばかりであった。
 老女の真剣な表情といい、確信めいた態度といい、どうやら紛れもない真実であるらしい。

「初代さまはその名の通り、万もの多彩な術を使いこなしたとも伝わっております。そしてそれを可能としていたのが破眸の瞳……。ところで仁胡殿はご自身の眼については?」
「えーと、甚内さんが何やら変わってるとか言ってたけど、あまり詳しくは」
「そうですか、ではまずはそこからですね」

 姫守の老女が語る破眸の瞳の話は、仁胡の理解をはるかに超える代物であった。
 いわく、いかなる忍びの技をも封殺する。
 いわく、いかなる忍びの身をも滅ぼせる。
 いわく、いかなる忍びの術をも、ひと目にて自分のものとして、使いこなせる。
 いわく、運命の道筋をも見極める。
 いわく、世の森羅万象すべてを見通せる。
 いわく、あらゆる邪悪を払いのける。
 などなど、とにかくとんでもないことばかり、つらつらと並べられて鈍牛は困惑させられっぱなし。
 これでは忍びの天敵どころか、神か仏か、はたまた本物の怪物ではないか。
 言われてみれば、少しは心当たりもあるけれども、ここまで無茶苦茶ではない。運命ったって、せいぜい「そろそろ雨があがるかな」ぐらいしか見通せない。でも飛んでくる手裏剣とかは、わりとうまく避けられたかも。
 とはいえ初代と同じ瞳を持つと言われたところで、とても信じられない。
 自分を数字で一としたら、それこそ初代は万をはるかに超えている。
 猫と虎がなんとなく似ているからって、同じにしてしまうのは、さすがにどうかと。
 愕然としている鈍牛のまえに差し出されたのは、一本の巻物。

「これは初代さまより我らがお預かりしていた秘伝の書。ここにその神秘の瞳の扱い方などが記されておるそうです。どうぞお納めください」

 破眸の瞳の謎になみなみならぬ興味を示していた田所甚内こと果心居士が知れば、小躍りしそうな巻物。
 ではどうしてそのような大事な品が、子孫の住まう高槻より遠く離れた、この淡路島にあったのか? その疑問にもまた老女が答えてくれた。


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