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第八十三話 猫、いち抜け
しおりを挟むけちょんけちょんにされた鬼童丸とその仲間たち。
今夜はいささか人死にが過ぎたので、命ばかりは許されたものの、それでもかなりぼこぼこに殴られ蹴られた。
体のあちこちが酷いことになって白目をむいたままの首領を担いで、這う這うの体にて逃げていく。
それを笑って見送る鈍牛一行。
が、腐っても相手は忍びの集団であるということを、彼らはうっかり忘れていた。
気がついたときには信長の首が入った壺の風呂敷包みが消えていたのである。
どうやらどさくさに紛れて奪われたようだ。
「おのれっ! 情けを仇で返すか」
怒った段蔵が駆けだそうとしたところで、鈍牛がこれを止める。
「いいよ。どうせ中身は猿の首だから」
鈍牛の口より淡路島にて中身を入れ替えた話を聞いた一同、ケラケラと大笑い。
なにせまんまと出し抜いたつもりが、真っ赤な偽物を掴まされたのだから。
玄人が素人にしてやられる。これほど間抜けなことはない。
「にしても、信長公の首の糠漬けにそっくりな猿の首か……。それはそれで、ちょっと拝んでみたかったかも」とはお良。
「猿といえば羽柴さまのお株なのに、確かにちょっと気になるねぇ」と七菜。
「私は遠慮しとく。あんな糠漬け、二度とごめんよ」心底嫌そうな顔を見せたのは小夜。それから彼女は続けてこうも言った。「それよりも、仁胡。あんたには色々と説明して欲しいことがあるんだけど。白巴蛇さんのこととか、輝さんのこととか。あとまさかとは思うけど、他にもいやしないでしょうね?」
いきなり話の矛先が自分へと向かって、幼馴染みに睨まれ鈍牛たじたじ。
とたんに女どもに囲まれての詰問責めに晒される。
もみくちゃにされる青年の姿を、にやにやと眺めていたのは加藤段蔵と田所甚内。
「それにしても、どうして破眸の娘は自分の子孫に力の使い方を伝えなかったのだろうなぁ」
ずっと気になっていた疑問を口にしたのは段蔵。
もしも伝承通りであれば、それこそ千でも万でも秘術が使い放題。今回の首騒動においても逃げ回る必要もなく、それどころか下手をすると、芝生一族がいまごろ日ノ本の忍びの頂点に君臨していたやもしれん。
もちろんあの瞳の発現は気まぐれにて、そうそう都合よくことは運ばないのであろうが、さりとてすべての可能性を捨てるには、ちと惜しい能力ともおもわれる。
会得していた術を書き記して残すだけでも、とんでもない遺産となるというのに、その形跡も一切なし。
そもそも可能性だけの話としても、瞳の力のことを知れば、おそらくすべての忍びの一族がこぞってその血を求めて、婚姻関係を持ちかけてきたことであろう。その縁だけでもとんでもない人脈、力、財産となるはず。
その一切合切から目を背け、無視し、なかったことにする。
どうにも解せぬと段蔵は首をひねる。
「ワシもそこはずっとふしぎに感じておった。だがいまではなんとなく、その気持ちがわからぬでもない」
「ほう、してその心は?」
「たぶん破眸の娘は、いずれあらわれるやもしれぬ子孫に、自分のようなさみしい想いをさせたくはなかったのであろう」
「故郷を追われ、海を渡り、異境の地にて独り。その強すぎるチカラはよくもわるくも人を惹きつけ、惑わせ、ときには恐れを抱かせる、か」
「持つ者には持つ者の悩みが尽きぬということ。だが娘の選択があながち間違っていたとはおもえぬ。あの姿をみるかぎりは、な」
甚内と段蔵の視線の先には、小夜、七菜、お良、白巴蛇、輝、五人の女どもに囲まれて、しどろもどろな鈍牛青年の姿が。
なにせ出かけた先々にて新たに女を作るのだから、そりゃあひと揉めもふた揉めもあろうというもの。
当人に悪気がなかろうとも、これもまた星の巡り合わせにて。
たしかに破眸の瞳というものがなければ紡がれなかった縁もあろうが、その大半は芝生仁胡という人間の選択、若者の人柄が結んだもの。
どのみちあのお人好しの青年のことだから、きっと押し切られて、全員まとめて嫁にもらうハメになりそうだと、男たちはおもわずにはいられない。
「鈍牛の奴もすごいな。大年増から若いのまで。これであと幼いのが加わればひと揃えの完全制覇じゃないのか? いやはや豪気豪気、男の夢だねえ」
段蔵、うらやましいというよりも、完全に面白がっている。
なにせ他人の色恋話と不幸は蜜の味にて。そこには幾分、やっかみもしっかり込められてある。
だがこれを受けて甚内「うーむ、あながち夢幻でもないかもしれんな。ほれ、おぬしは覚えておるか? 大和路で会った伊賀の子のことを」
「あー、オレの脛を蹴飛ばしたチビか。そういえばアレもずいぶんと鈍牛のことを気に入っていた様子だし、じきに実家を飛び出して高槻に押しかけてくるやもしれんな。くくく、こいつはいい、天下の破眸さまも、恋女の情術だけは、はね返せぬとみえる」
「恋女の情術とは、うまいことをいう。あはははは」
夜のしじまを乱すは、女たちの騒がしい声と男たちの笑い声。
鈍牛を囲む女たちの勢いは止まらず、結局、彼らはそろってここで朝日を拝むこととなった。
眠い目をこすりながら、二頭仕立ての馬橇の手綱を握るは小夜。
隣には徹夜明けにて、妙に気が高ぶって空元気な七菜が座っている。
後ろの荷台にて雑魚寝同然の格好にてのびているのは、残りの面々。
戦いの後のへんな高揚感に身を任せて、一晩中、調子に乗って騒いだせいで、すっかりみな疲れ果てていた。
そのときである。
急に「あぁっ!」と声をあげたのは小夜。
これにはすぐ隣にいた七菜だけでなく、荷台にてウトウトしていたみなもびっくり。
何事かと思えば、小夜はこんなことを口走った。
「仁胡が他人様に怒って手をあげたのって、ひょっとしてあれが初めてなんじゃないの!」
あれとは昨夜の鬼童丸との一件。
小さな頃からよくよく見知っている幼馴染み。
気がやさしくて力持ち、周囲からいくら揶揄われても平然としている、六尺越えのざんばら髪の青年。
小夜ばかりか高槻は芝生の庄のみんなですらも、きっと誰も見たことがなかった怒れる雷牛の勇姿。
信長の首を巡る一連の騒動の渦中にあっても、けっして見せることのなかった、その激情を唯一引き出した存在のことに、ようやく気がつき、小夜はおもわず素っ頓狂な声をあげてしまったのである。
女たちの視線は、自然と鈍牛の膝の上にてまったりしていた茶トラの猫へと集まる。
みなの想い人に唯一、そんな行動をとらせた雌猫。
女どもに見つめられて、小梅がにへらと笑った。
この後、鈍牛を巡る女たちの顛末は、おおよそ甚内らが予想した通りの形にて、とりあえず丸く納まる。
信長亡き後の世の混乱ぶりとは無縁にて、高槻は芝生の庄は平穏そのもの。相も変わらず素通りされるばかりの土地ゆえに。
ただし、一つだけ奇妙なことがあった。
淡路島の岩神さまのところに隠した信長の首が、忽然と消えたのだ。
巫女忍の輝から連絡を受け、伊弉諾の姫守の手の者が回収に向かうも、白猿の遺体もろともどこにも見当たらなかったという。
―― 高槻鈍牛(完) ――
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飛び加藤も、果心居士も大好きな人物。
特に果心居士は大抵、非道な敵役だったりするので、化け物レベルの実力を持ちながらも義理がたく、鈍牛を見守り、軽口を叩く人間臭い姿はとても新鮮で楽しかったです。
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