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008 炎風の神ユラ

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 空の果てと地の果てがくっついている。
 なだらかな平原がどこまでも続く。
 膝下ぐらいの丈のやわらかい草がいっせいに波打ち、やさしい風が駆け抜けた。
 遠くにウマだか騎竜だかの群れがいるのを見つけたけれども、すぐにどこかへと消えた。
 国境のユンコワン橋にてひと悶着あったものの、ようやくクンルン国の地へと足を踏み入れたわたしたちの馬車。
 自国領内を出たところで、さしものサボリ魔であるケイテンも手放し走法をやめて、御者席へと移った。
 もっともうしろから見る限りでは、あいかわらずうつらうつらしているけれども。

  ◇

 夕方近くまで馬車を走らせ、空と大地が茜色に染まる頃に到着したのは、キョンの街。
 そこそこ大きいけれども壁も堀もない、無用心なむき出し様式。
 ただしこれは、はなからこの場所を守るつもりがないから。
 クンルン国の戦士は騎馬や騎竜にて、平原を縦横無尽に駆ける戦いこそを信条としている。
 つまり巣にこもっていては、かえって持ち味を活かせない。
 だから街はあくまで生活の場という位置づけで、大事だけれども固執して守るという考えはない。いざともなれば、あっさり捨てる。
 もちろん守るべき重要拠点はべつに設けられてある。

 キョンの街の入り口には大きな神像が飾られており、これが街の目印にて門の役割をかねている。
 なにせ見渡すかぎりが平原にて、どこを向いても似たような景色が続くから、うっかりすると自分の位置を見失って迷うからね。
 神像の足下にて衛士から簡単な審査を受けて許可が下りれば、街への入場となる。
 わたしはケイテンが入場の手続きをしてくれている間に、馬車から下りて神像を見物することにした。
 神聖ユモ国で信仰されている二柱神教では、神像はとっても重要視されており、教会が許可した工房や彫刻師しか作れない。そして設置するのにもけっこうなお金がかかるから、辺境のきわきわのポポの里では、とても手が出なかった。
 剣の母であるわたしを輩出した功績によって、今度うちの里の教会にもようやく設置されることが決まったけれども、制作やら運搬やらに手間取りそうだから、もう少し先になりそうなんだよねえ。

 燃えるたてがみを持つ獅子頭のむきむき腰布男が、厚い胸板の前で腕を組んでの仁王立ち。
 これがクンルンの民が崇めている、炎風の神ユラ。
 遠目にも立派であったが、近づくといっそうの迫力と威容。

「さすがは武神として祀られているだけあって、強そうだなぁ」

 などと感心しつつ、テクテクと近づいたわたしは、神像の足下までいったところで、「ぎゃあ」とカエルが踏みつぶされたような悲鳴をあげた。
 だって、やたらと造詣がしっかりしている神像ってば、腰布の中まで忠実に再現しているんだもの。
 年端もいかぬ乙女に、なんちゅうもんを見せやがる!
 この神像を彫ったやつ、ぜったいに馬鹿だろう?
 そういう部分は製造段階でうまくにごして誤魔化せよ!
 ぷんぷん怒りながらわたしが馬車へと戻ったら、ケイテンがにへらといやらしい笑みを浮かべて「見た? 見た?」ととっても楽しそう。
 こんにゃろう、知っててわざと黙ってやがったな。
 してやったりとよろこんでいる三十路女を前にして、わたしは密かに誓った。
 自分は大きくなっても、こんな風に下ネタでよろこぶ女だけには、けっしてなるまいと。

  ◇

 その夜のこと。キョンの街の宿屋にて。
 就寝したわたしはものの見事にうなされた。
 そして夢の中に出てきた炎風の神ユラが北西の方角を指差す。

「禍獣たちに氾濫の兆しがある。試練の迷宮へ行け、剣の母チヨコよ」

 わたしはジト目にて「イヤだ。めんどうくさい」と拒否する。
 すると炎風の神ユラは胸筋をびくんびくんさせ、こともあろうか「言うことを聞かないと、毎晩夢枕に立ち、裸踊りをするぞ」といって腰布を脱いだ。

「ぎゃーっ!」

 乙女の悲鳴をあげたところで、わたしは目が覚めた。
 爽やかな朝だけれども、気分はもちろん最悪である。
 あまりの気分の悪さにて、つい朝食の席でグチったら、ケイテンがいつになく真面目な顔をして「夢の中でユラ神は北西を指差したのよね?」とたずねてくる。
 わたしがうなづくと、ケイテンは「うーん」としばらく考え込んでから「行きましょう。いえ、行くべきよ」と言った。
 なんでもキョンの街の北西に四日ほど進んだところには、確かに「試練の迷宮」なる場所があるという。
 この国の土地勘がまるでないわたしが知らない情報。それを夢で見たということは、その夢がけっしてただの夢ではないということ。おそらくは神のお告げ。
 っぽい、というのがケイテンの主張。
 わたしとしては面倒ごとはなるべく遠慮したいのだが、毎晩、アレを見せられるのはさすがにキツイ。たぶん早々に精神を病む。
 なのでしぶしぶ向かうことになった。
 なお現地には腕っぷし自慢が多数ひしめいているというので、あわよくば天剣(アマノツルギ)の担い手にふさわしい人物との出会いを、ちょっぴり期待しつつ。
 目指せ試練の迷宮!


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