上 下
9 / 50

009 蒼き狼と白い兎

しおりを挟む
 
 キョンの街から試練の迷宮へと向かう途中。
 最後に立ち寄ったのがトナカの街。
 この先には補給できる場所がないというので、ここで一泊しつつ準備を整える。
 準備はケイテンにまかせて、わたしは街をぶらぶら。
 石材で組まれた土台と壁に、木の板で作られた屋根がのっている形式の家が多い。高い建物はあまり見られない。ほとんどが平屋。これもまた緊急時にはすぐさま飛び出せるようにとのことらしい。おかげで背が高いのは物見やぐらと鐘楼ぐらい。
 国ぐるみにて武芸が盛んというだけあって、大通りにはそれ関連の商品を扱う店が軒を連ねている一方で、看板をかかげている医師が多いのが目につく。
 まぁ、武芸なんてケガがつきもの。患者にはことかかないから繁盛しているのだろう。
 なんぞと考えながら、わたしが料金表をまえにおっかなびっくりしていたら、通りすがりの老婆が「お嬢ちゃん。そこは高いからやめときな。もう一本、奥の通りに入ったら『モグラ』の店があるから、そっちにしておきな」と親切にも教えてくれた。
 ちなみに「モグラ」ってのは、モグリの医師のこと。
 これは神聖ユモ国も同じなんだけれども、正式な医師の治療費はバカ高い。悪徳金貸しも真っ青なぼったくりっぷり。
 庶民の懐事情を考えると、とてもおいそれとは通えない。
 そんな庶民の強い味方となるのが「モグラ」たち。
 正式に医学舎を卒業しておらず、国の認可こそは得ていないが、ある程度は学んでおり実地の経験も豊富。神聖ユモ国でいうところの「呪い師」に近い存在。
 あまり褒められたことではないが、社会に貢献しているので国も黙認しているというわけ。

「どうして正式な医師はどこも高いんだろうねえ……」

 ウワサでは組合に支払う上納金が高いせいだなんて話もあるけれども、真偽のほどは不明。
 どろどろした大人の事情を妄想しつつ、わたしは露店で買った肉串をかじる。もぐもぐ。
 甘辛いタレにて味はいいけど、歯ごたえがなかなか。でも噛むほどに旨味がじゅわっと。
 クンルン国は広大な草原を活かした畜産業も盛んにて、ヘタな野菜よりも肉の方が安いなんていう冗談みたいな現象が起きている。
 おかげで宿の食事は肉、肉、肉と肉づくし。
 はじめのうちは、ちょっとげんなりしていたのだけれども、思いのほかに人間の順応力は高い。
 いまではわたしもすっかり肉女となりつつある。

 そんな肉女がついでに立ち寄ったのが、この街にある練武場。
 クンルン国内の人里ならば大なり小なり必ずあるという場所。
 ひょっとしたら先輩が後輩をいちびっている光景が拝めるかもと、ちょっとドキドキしながらのぞいてみたのだけれども、そこにあったのは年上の者たちが年下の者たちに、丁寧かつ熱心に指導している、和気あいあいとした鍛錬風景であった。

「武芸が生活にすっかり根づいているって話だったけど、なるほどねえ」

 上から下へ、先輩から後輩へ、人から人へ。ゆるやかに裾野を広げるようにして浸透している武。
 師から弟子へと真っ直ぐにのびた線のように受け継がれることもあれば、一族という円の中で成熟されることもある。
 ひと口に武門、武芸といってもいろんな形があるものだと感心しつつ、わたしは宿へと戻った。

  ◇

 その日の夜のこと。
 珍しくケイテンがひとりで酒場にくり出すこともなく、わたしを誘いにくる。
 で、連れ出された先は街のはずれにある野外演芸場。
 半月状の石舞台。背後にはちょっとした小山ぐらいもある石段。数を数えたら段が十五もある。
 舞台の両端には石柱が立っており、そこから天幕が張られて舞台の裏の方が見えないように隠されてある。
 この舞台の形状をなぞるかのようにして、客席が設置されており、けっこうな盛況ぶりであった。
 今宵、ここで演じられるのは「蒼き狼と白い兎」というお芝居。
 蒼き狼と呼ばれた伝説の戦士と幼なじみの乙女との悲恋を題材にしたもので、非常に人気が高く、これを目当てにトナカの街にやってきている訪問客も多いんだとか。

「それはわかったけど、どうしてわたしを誘ったの」
「いや、ほら。いい歳をした女がひとりで観劇するには内容が内容だし。お姉さん、ちょーっとつらいかなぁって」

 言いながらもじもじするケイテン。
 夜ごと酒場にひとりでくり出しては、ぐでんぐでんに酔っぱらっているというのに。なにをいまさらとわたしは心底あきれ顔。
 そんなわたしにケイテンが果実水の入ったカップを差し出す。

「まぁまぁ、そんな顔しないでよ、チヨコちゃん。ほら、これでも飲んで機嫌をなおして。お菓子もいっぱいあるよー」

 そうこうしているうちには芝居の幕があがる。
 で、舞台上の偉丈夫と美姫が見つめ合いながら、開口一番。

「おぉ、どうしてもいってしまうというのね、ロウ。このわたしをひとり残して」
「すまない。だがわかって欲しい。私には極めるべき道があるのだ」

 ロウという名前を聞いたとたん、わたしはブーッと口に含んだ果実水を盛大に噴き出す。
 いや、急に自分が知っている人の名前が飛び出せば、誰だってギョッとするって。
 芝居のさなかにそんな粗相を働いたわたしは、周囲の客たちからむちゃくちゃにらまれてしまい、とっても気まずい思いをするハメに。
 お芝居の筋としては、幼なじみの二人は将来を誓いあっていたものの、紆余曲折を経て愛よりも武の道を選んだ男。ついに二人は破局する。
 が、泣かせるのがこのあとの展開。
 数年を経て、片や最強の戦士と呼ばれるようになり、片やさる商家の妻として過ごしていた二人が運命の再会を果たす。
 禍獣の氾濫が起きて、女が住む都がその渦中に呑み込まれようとしたとき、男が駆けつけて……。
 獅子奮迅の働きにて見事に街を救い、英雄と称えられる男。
 だが周囲からの賛辞に応えつつも、男の視線が見つめるのは、遠く人混みの中から自分を見つめている、かつての想い人だけ。
 しかし声はかけない。お互いに近寄ることもない。
 確かに愛はあるというのに、けっして交わることが許されない男と女の切ない想い。

 これを見事に演じきった舞台がついに終幕。
 観客たちはみな立ちあがって拍手喝采を送る。
 隣のケイテンなんて男優さんに「きゃーっ、結婚してー」と叫んでいる。三十路女はわりと本気だ。
 それを尻目にわたしはひとり「うーん」と首をひねる。

「名前と幼なじみってところは、ポポの里にいるロウさんの失恋話と同じだけど、あとはぜんぜんちがうよね。
 あっちは惚れた相手から『わたし、強い男が好きなの』と言われたことをまに受けて、ガンガン修行しているうちに、相手がちゃっかり金持ちの後妻に収まっていたって話だったもの。
 白い兎というよりも白いイタチって感じだし」

 はてさて、真相やいかに?


しおりを挟む

処理中です...