幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢

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三 土方歳三之章:Rush

母成峠の戦い(三)

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 八月二十二日早朝、豪雨。
 磐《ばん》梯《だい》山《さん》から吹き下ろす風に殴り付けられながら、猪苗代湖の北岸沿いを行くこと約二里半。猪苗代湖に流れ込む日橋川の畔《ほとり》に俺たちが到着したとき、若松方面から十六橋を渡って会津軍がやって来た。
 会津軍を率いるのは鬼佐川こと佐川官兵衛。京都の鬼に環の力を授けられた、会津きっての猛将だ。鬼の張り手を受けたという右の頬には、赤い環が爛々《らんらん》と輝いている。
 佐川さんは、角張っていかつい顔にしわを寄せ、風雨を透かして猪苗代の方角を睨んだ。
「連中が来ねぇうちに橋を落とす。見張りを除いて残りの兵士は全員、作業に回すべ。新撰組も伝習隊も力を貸せ」
 すでに会津軍は川に入り、つるはしや鍬《くわ》を振るって橋桁の石柱を打ち壊しに掛かっている。水の深さは、腰まで届くかどうかといったところ。しかし、風雨に波立つ川面は濁り、増水の兆《きざ》しを見せている。
「佐川さん、橋の長さはいかほどですか?」
「三十六間だ。橋桁の数は二十三。八十年ほど前に架けられた、頑丈が取り柄の十六橋だ。落とすのは容易ではねぇが、ここで防ぐしかなかんべ」
「雨が我々の敵となるか味方となるか。この雨脚の強さなら、足下も視界も悪い。大砲の到着は遅れるでしょう。敵が銃をどの程度撃ってくるか」
「ああ。刀と槍の戦なら、わしらにも分《ぶ》があるけんじょ」
 新撰組と伝習隊、合わせて三百人が早速、川に入った。俺のそばには、新撰組の旗を背負った島田さんと、剣の腕に覚えのある隊士が数人残る。
 増援だろうか、会津藩士の一群が橋を渡って駆けてくる。その中に思いも寄らない人物を見出した。
「竹子どの」
 いつだったか東山の湯治場で出会った江戸育ちの男勝り、中野竹子だ。陣笠をかぶった男に交じって薙刀《なぎなた》を担《かつ》いでいる。足下には、黒い毛並みをびっしょりと濡らした狐のシジマが、従者よろしく付き添っていた。
 竹子の参陣には佐川さんも驚いた。
「何をしている! 戦場は女《おな》子《ご》が来る場所ではねえ! さっさと家さ戻って籠《ろう》城《じょう》の支《し》度《たく》をしろ!」
 鬼佐川の気迫に打たれても、竹子は引かない。鉢巻を締め、襷《たすき》を掛けた袴《はかま》姿で、髪は肩に届かないくらいに短く断たれている。竹子は紅唇を開いた。
「お言葉でございますが、佐川さま、敵はまだ城下に攻め入ってもおりませぬ。籠城の支度だなどと気弱なお言葉、佐川さまらしくないのではございませんこと?」
「万一の備えだ。わしもここを突破されるつもりはねえ。けんじょも、とにかく、主《にし》ゃ下がっておれ!」
「なぜです? わたくしの薙刀は男に引けを取りませぬ。滝沢本陣で殿をお守りする白虎隊、あんな子どもたちが戦働きを許されるのなら、わたくしにもできることはございますわ」
「薙刀の腕前や年のことを言っているのではねえ! 女子が前線にいる、それだけで舐められるべ。わかんねぇか? 会津にはもう戦える男がいねえ、女子まで引っ張り出さねばなんねんだと、敵は笑うに違ぇねえ」
「笑う者はわたくしが斬り捨てて差し上げます」
「生け捕りにでもされたら何《な》如《じょ》すんだ? 何されっか、わかんねぇぞ。敵が来る前に、橋の向こうさ戻れ。参戦は許さねえ!」
「さようですか。わかりました。戦わせていただけぬのなら、ここで自害いたします。土方さま、介《かい》錯《しゃく》を務めていただけませぬか?」
 竹子は言い放ち、腰に差した短刀を鞘から抜いて切っ先を喉に突き付けた。さすがの佐川さんも会津藩士も慌てて、竹子の短刀を取り上げようとする。竹子は喉元に刃を据えたまま周囲を睨んだ。
 俺はため息をついて竹子に近付いた。
「前に話したときも大した跳ねっ返りだとは思ったが、これほどとはな。覚悟があるのは理解する。ただ、今ここで自害だ何だと騒ぐのはよしてくれ。士気が萎《な》える」
 短刀をつかんだ竹子の手に、俺は自分の手を添える。奪われまいとして竹子が腕に力を入れたが、所詮は女の力だ。つぼを押さえて手首をつかむと、短刀は呆気なく落ちた。
 竹子が苛烈なまなざしを俺に突き立てた。俺は短刀を拾い、泥を払って竹子の腰の鞘に戻してやった。
 佐川さんが、ぽかんとしている。
「土方どの、中野竹子と知り合いがよ?」
「一度だけですが、竹子どのの裸を堪能したことがあります。ほどよいぬくもりが心地よい一時でしたね」
 無論、心地良かったのは湯治のことだ。竹子には指一本、触れちゃいない。が、含みを持たせた言い回しに、竹子は悲鳴を上げた。
「土方さまっ、何をおっしゃるのです!」
「嘘などついちゃいねぇが」
「誤解を招くではありませぬか!」
「ほう、どんな誤解を招くって? そう親の仇を睨むような目で見るな。おまえさんだって、俺の背中や尻を誉めてくれたじゃねぇか」
「わたくしはお背中のことしか申しておりませぬ!」
 佐川さんたち会津藩士は唖然としている。島田さんは苦笑した。冷たい風雨の中でも竹子が真っ赤になっているのがわかる。
 茶番はそこまでだった。雨音に交じって、大勢が走る足音が聞こえてきた。敵の先鋒の到着らしい。
 佐川さんの頬の環が、ぎらりと輝いた。その全身から闘志がほとばしって風を為す。佐川さんは声を張り上げた。
「しめた、大砲はねぇぞ! 乱戦になれば鉄砲も使えねえ! 迎え撃て、突撃!」
 先陣を切って走り出した佐川さんの体が、ぶわりと膨れ上がる。鉢《はち》金《がね》も鎧も、抜き放った太刀も、赤々と輝いた。頭に二本の角が生える。
 鬼だ。
 会津勢は佐川さんの背を追い、鉄砲を担《かつ》いで走り出した。俺も続く。刀を抜く。
 雨の向こうに翻《ひるがえ》る旗は、丸に十字、薩摩藩だ。鉄砲を構える兵士の数は二百か三百か。しかし、驚愕が見て取れる。会津の鬼佐川を初めて目にしたのだろう。
 鬼が咆《ほう》哮《こう》する。間近に雷が落ちたように空気が震える。会津勢は呼応して吠えた。敵陣では、怯《ひる》んだ薩摩藩士が相次いで鉄砲を取り落とす。
「撃てぇっ!」
 佐川さんの号令に、会津勢が一斉に鉄砲を構え、撃つ。そして再び走り出す。敵がまばらに撃ち返す。会津勢は刀を抜いて距離を詰め、乱戦に突入する。
 竹子が単身で敵中に飛び込もうとした。危うい。シジマが、後ろから竹子に斬り掛かってきた敵兵に飛び付いてその体をよじ登り、顔を噛み裂いた。
 俺は竹子の腕をつかんで引き寄せた。
「背中をがら空きにしてんじゃねえ! 俺の後ろにいろ」
「女だからといって、情けは無用にございます!」
「違う、俺の背中を預けるって言ってんだ。互いに互いの死角を潰して戦う。勝ちたけりゃ無謀な真似をするな」
「……かしこまりました」
 真紅の段だら模様の旗が雨中にも鮮やかに映える。新撰組だ、やっちまえ、と喚《わめ》く声が聞こえた。口ばかりは威勢がいいが、敵兵の顔はひどく引き攣《つ》っている。
 俺は鼻で笑った。
「掛かってこいよ。新撰組はおまえさんたちの天敵だろうが」
「その口、塞いじゃる! 一番首、もらい受けるど!」
 低い体勢で突っ込んでくる敵に、俺は泥を蹴り上げた。目潰しを食らって呻《うめ》くところへ、上段からの斬撃。当て身で吹っ飛ばして、後続の敵を巻き添えにする。倒れ込んだ体に刀を突き入れる。
 刀で人を殺すのはいつ以来だ? 最早、鉄砲や大砲で戦う時代だ。刀なんぞ時代遅れ。わかってはいても、なぜだろう、こうして天然理心流の真剣を振るって初めて、己が何者かを痛烈に理解する。
 俺は新撰組の土方歳三。
 敵の剣を受ける。受け流し、返す刀で斬り付ける。肉を断つ手応え。血しぶきがたちまち雨に洗われる。
 剣先を下げ、挑発して待つ。叩き込まれる斬撃は、しかし遅い。軽くいなして刺突。軽装の腹を刀がやすやすと貫く。
「京都や大坂での乱闘より簡単じゃねぇか」
 ほんの一年前にはまだ、鎖《くさり》帷子《かたびら》を付けて市中警備に回っていた。斬り合う敵も防具を着込み、さくりと倒せることなどそうそうなかった。
 鎖帷子は銃弾を防がない。和装を捨てたとき、鎖帷子もお払い箱にした。敵も同じらしい。その軽装なら、斬り合いに持ち込めば単なる雑《ぞう》兵《ひょう》の束。俺が後れを取るはずもない。
 鬼と化した佐川さんを筆頭に、少数の会津勢が多数の薩摩軍を蹴散らしていく。このまま押し切って追い払うことができれば。
 突如、怖《おぞ》気《け》を覚えた。身構える。
 次の瞬間、炎の塊が一団の兵士を吹き飛ばした。敵も味方も、もろともだ。
 赤く燃え立つ髪の騎乗の男が、腕を頭上に掲げた。その手のひらから炎が噴き上がる。男が鬼を見据え、にたりと笑った。
 男が腕を振り下ろす。炎が走る。鬼が腰をため、張り手を繰り出す。裂《れっ》帛《ぱく》の気がほとばしる。炎と気がぶつかり合って四散する。
 男が俺を見た。いや、新撰組の旗を見た。
「おはん達《どん》、新撰組か! 今度こそ仕留めんばいかん!」
 吠えるように笑う男は、左目が爛々《らんらん》と赤い。顔に覚えがある。
 薩摩の軍略家、伊地知正治。火砲の扱いに長けた、精鋭速攻の戦術の使い手。眼帯を外さない左目は病後のためと聞いていた。居合の腕は確かなものだが、左脚が悪い。
 伊地知の手のひらに炎が生じる。薩摩藩士が、さっと左右に退いた。伊地知は味方の巻き添えも厭《いと》わないのだ。佐川さんが俺たちのほうへ駆け付けようとする。
「させるか!」
 凛と響いた声に、伊地知が気を逸《そ》らした。長身、袴《はかま》姿、左利き。妖刀で雑兵を斬り伏せ、走る。
「斎藤!」
 伊地知は手綱を引いた。蒼い剣光が閃《ひらめ》いた。馬の頭が刎《は》ね飛ぶ。落馬する伊地知を斎藤の刀が追う。炎が上がる。斎藤が跳びすさる。
「しぶとか男じゃ。まだ生きちょったか!」
「そう簡単に死ぬかよ」
「よかど、気に入った! 斎藤一、やはり、おはんはおもしろか!」
「黙れ」
 斬り掛かる斎藤の刀を、伊地知の炎の手がつかんだ。斎藤は振り回され、弾き飛ばされる。転がった斎藤を業《ごう》火《か》が襲う。間一髪で飛び込んだ佐川さんが、気迫の陣を張って炎を打ち払う。
 常人がどうこうできる戦いではない。
 我に返った顔の薩摩藩士が橋を指差した。
「今じゃ、橋ば奪え!」
 俺も我に返る。真っ先に橋へ突撃しようとする背中に追いすがり、斬る。俺は声高に命じた。
「新撰組、会津藩、突出しすぎだ! 戻れ、橋を背に戦え!」
 命じながら下がり、下がりながら敵を屠《ほふ》る。島田さんも竹子も遅れずに付いてくる。会津藩士も呼応する。
 しかし、多勢に無勢。じりじりと追い詰められる。会津勢は一人、二人と脱落する。川に入る敵兵がいる。橋桁を破壊する背後から襲われ、会津藩士が死んでいく。
 ごうっ、と空気が唸《うな》った。流れ弾か狙ったものか、火球が橋をかすめて川に突っ込んだ。
 逃げろ、と誰かが叫んだ。そいつはまともな言葉を発しただけましだ。意味を成さない悲鳴を上げて、会津勢の戦意が霧散した。


 悪夢でも見ているかのような光景だった。
 火炎と銃撃に追われ、蒼い刀を携《たずさ》えた剣客と赤い巨躯の鬼が橋へと逃げてくる。落雷めいた轟音で鬼が吠え、石橋を殴り付ける。蒼い刀が同じ場所を打つ。
 橋が振動する。だが落ちない。炎が二人を襲う。鬼が立ちはだかり、刀はただただ石橋めがけて振るわれる。橋は落ちない。
 俺は焦燥を抱えるばかりで立ち尽くしている。
 業《ごう》を煮やしたように、火炎をまとった伊地知が薩摩軍の前陣に進み出た。力を溜めるのが遠目にも見て取れる。豪雨の中にもまばゆい炎が伊地知の頭上に集まっていく。
 突然、脇腹に軽い体当たりを食らった。濡れそぼったシジマが下《げ》手《しゅ》人《にん》だった。シジマの主が俺を呼んだ。
「土方さま、教えてくださいまし。鉄砲は、ここを引けば弾が出るのですか?」
 竹子はヤーゲル銃を構えているが、危なっかしい。脇が開いて銃身が安定せず、銃口の向きも低すぎる。
「よせ。撃ったこともねぇくせに」
「味方が苦戦しているのです。見過ごしてはおけませぬ」
「貸せ、俺が撃つ」
「いいえ、わたくしに教えてくださいまし」
 頑固者め。俺は竹子の背後から両腕を回し、竹子の手ももろともに鉄砲を支えた。竹子が小さな声を上げるのを無視して問う。
「弾は入ってるんだろうな?」
「う、撃てる状態だと聞きました」
「丹《たん》田《でん》に力を込めろ。気を抜いてると、反動で腰を抜かすぞ」
 二段になった引き金を引く。銃声。腕の中で竹子が体をこわばらせる。
 伊地知には命中しなかった。すぐ傍らで旗を持った兵士がくずおれた。伊地知は気にする様子もなく、炎を放った。
 橋の上で炎を受け止めた佐川さんが勢いに呑まれ、斎藤を巻き添えにして吹っ飛んだ。川面に落ちる。鬼から人の姿に戻った佐川さんは起き上がらない。
 斎藤が佐川さんを担《かつ》いで橋の下へ逃げ込んだ。銃弾が降り注いで水を叩く。伊地知が脚を引きながらゆっくりと歩き、斎藤を攻撃できる場所を探している。
 俺は橋の袂《たもと》に立ち尽くす兵士を一喝した。
「銃を構えろ! 撃て、攻撃しろ! 連中をこっちに渡らせるんじゃねえ!」
 己への叱《しっ》咤《た》だと、叫んだ後で気付く。負傷兵が投げ出した銃を拾い、呻《うめ》くばかりで動けない体から銃弾入れを引っ剥《ぱ》がす。銃に弾を込め、撃つ。
 藩境突破の急報を受けて掻き集められた兵士と武器は、質がいいとは言えそうにない。だが、橋の長さは三十六間。火縄銃でも余裕で射撃できるどころか、俺程度の膂《りょ》力《りょく》があれば、石を投げても対岸に届く。
 何でもいい、何をしてもいい、無様でもいいからここは勝ちたい。打つ手はないか? できることはないか? 照準の狂った旧式銃を撃つしかないのか?
 敵は激しく撃ってくる。伊地知は後衛に下がったが、前陣の砲兵の背後から炎の塊が時折、大砲の弾のような山なりの軌道で飛んでくる。
 斎藤たちは川の中に取り残されている。雨脚は弱まらない。上流で鉄砲水でも起こったらどうなる?
 炎の塊がまた放たれた。シジマが鋭く鳴く。炎はこちらに飛んでくる。
 まずい。やられる。直感しながら動けない。
 突如、光の板が眼前に生じた。炎が板にぶつかる。炎が弾け飛ぶ。
「危ういところであったな、土方歳三」
 涼やかな声に、俺は息を呑んだ。反射的にひざまずく。即座に、立て、と肩に手を置かれた。
 前会津藩主、松平かた保《もり》公が錦の陣羽織姿も凛々しく、敵陣を屹《きっ》と見据えた。烏帽子《えぼし》の下の額には赤い環が光る。その背に三対の翅《はね》を有する姿をこれほど近くで目にしたことは、いまだかつてない。
 容保公の年のころは俺と同じ。超然とした風格が誰をも圧倒するというのに、並んで立てば見下ろすほどに小さくて驚いた。容保公は線が細く、まるで少年のようだ。
 竹子が悲鳴を上げた。
「殿! 滝沢の本陣にいらっしゃったのではないのですかっ?」
「藩境を破られたと聞き、気が気ではなかった。じっと知らせを待つばかりではいられぬ」
「ですが、藩主おん自《みずか》ら前線においでになるなんて」
「間違うてくれるな。わしはもう藩主ではない。伏見で負け、大坂から逃げた責で隠居した身。藩主は養子の喜《のぶ》徳《のり》じゃ」
「そうはおっしゃいますけれど、会津の要は若殿おひとりではなく、殿と照姫さまもです!」
「なればこそ、わしが戦陣に参じたことは意味を成そう。川の中に取り残された者を救いに行く」
 制止の声が四方八方から上がり、俺も島田さんも無礼を承知で容保公を取り押さえようとした。
 容保公はすでに飛び上がっていた。翅が風を打って唸《うな》る。容保公が手を合わせ印を結ぶと、光が壁を為し、球を作って容保公を包んだ。
 光景に目を奪われて銃撃を止めた薩摩軍の前衛に、伊地知が再び姿を見せる。躊《ちゅう》躇《ちょ》もなく、火球を一投。会津勢の悲鳴をよそに、容保公を包む光の障壁は難なく火球を掻き消した。
 容保公が右手を挙げ、振り下ろす。
「会津勢よ、銃撃を続行せよ! わしはあらゆる攻撃から身を守ることができる。流れ弾など気にせずともよい。だから撃て! 会津を守れ!」
 伊地知の炎が再び容保公を襲うが、障壁は破られない。光をまとい、三対の翅で宙に浮く容保公の姿は異形だ。あまりにも神々しい異形だった。
 双方の銃声の轟《とどろ》く中、容保公は川面に降り立つ。兵士ひとりひとりに声を掛け、光の障壁で庇《かば》いながら、こちらの岸辺に向かって歩かせる。銃弾も炎もしつこく容保公を狙った。容保公はすべての攻撃を障壁に受けて持ち応える。
 いつの間にか白虎隊の少年たちが前線で銃を撃っている。逃げ腰だった者も戻ってきた。散り散りだった新撰組と伝習隊も、それぞれの旗の下に集う。
 俺は唸《うな》った。
「容保公が会津勢の士気を段違いに上げた。こんな仕事は容保公にしかできねえ」
 人の上に立つ者が敢《あ》えて自ら前線に出る。危険に身を晒《さら》し、ともに戦っているのだと兵士に示す。古来、連綿と使われてきた戦術だ。
 日新館で出会った秀才、白虎隊士中二番隊の副長を務める篠田儀三郎が、そろいの黒い洋式軍服をまとった二十人ほどの仲間を率い、馬上銃を担《かつ》いで新撰組に合流した。
「土方さま、私たちに戦闘の教練をお願ぇします」
「生きるか死ぬかの前線で教練もへったくれもねぇだろう。指示に従え。それだけだ」
「はい!」
 川に取り残されていた兵士が続々と岸に上がってくる。冷えた体を震わせながらも銃を取り、薩摩軍に向き直る。
 岸に降り立った容保公は障壁を消し、全軍に通る声で檄《げき》を飛ばした。全軍、気迫の掛け声で応える。
 斎藤が佐川さんを支えて、俺のもとへ戻ってきた。遠目にはわからなかったが、二人ともずいぶん傷だらけだ。
「昨日は心配したぞ、斎藤。無事でよかった」
「追手を振り切るのに手間取った」
「怪我はなかったか?」
「深手はない」
 炎の塊が飛来する。容保公が障壁を広げて受け止める。炎の消えた宙を睨む容保公は、白い顔に疲労をにじませている。異形の力を手にし、銃弾や砲弾から身を守れるといっても、万能ではないのだ。頼り切りにしてはならない。
 俺は白虎隊を振り向いた。
「儀三郎、士中二番隊は会津公の護衛と言ったな?」
「はい。本隊の私たちは二班に分かれ、殿の前後をお守りしてまいりました。幼少組は滝沢で待機させています」
「ここの銃撃は激しい。公の御身の安全を確保するのが第一だ。俺が撤退を命じたら、素直に応じてここから引け。いいな?」
「撤退? 戦わねぇのですか?」
「戦略上、それが必要な場合もある」
「戦わずに逃げる? 守り通せず逃げる? 逃げることが必要?」
 儀三郎のつぶらな目の奥に赤い光がちらついた。成しかけの環が少年の体に妖気を巣食わせている。
 俺は、ぞっとした。忌まわしげに「逃げる」と繰り返す儀三郎から薄気味悪さを感じた。その胸中を隠すため、敢《あ》えて厳しい言葉をぶつける。
「儀三郎、指示に従えと命じたはずだ。返事は?」
「……はい。わかりました。従います」
 儀三郎は目を伏せ、什《じゅう》の掟《おきて》と、か細い声でつぶやいた。一つ、年長者《としうえのひと》の言うことに背いてはなりませぬ。
 再び上げられた儀三郎の目は黒く澄んで、きまじめだった。俺はほっとして、儀三郎の肩を叩いてやった。
「日新館で学んだ砲術の腕を見せてくれ。流れ弾を食らわないよう、できるだけ体を低くしていろ」
 戦いたい、役に立ちたいと逸《はや》る気持ちはわかる。だが、心意気だけでは戦はできない。どれほど教練を積んだところで、実戦で生き延びられるかどうかはまた別の話。
「犬死するなよ」
 俺のつぶやきは戦の大《だい》音《おん》声《じょう》にまぎれた。俺はかぶりを振り、声を張り上げて銃の狙いを指示する。白虎隊が従う。
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