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六 斎藤一之章:Survival

敗残兵(四)

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 陸奥国、下《しも》北《きた》半島の斗《と》南《なみ》藩は極寒の地だった。森がある。ただそれだけの場所だ。畑を作ろうと耕しても、ぱさぱさして白っぽい土には種が根付かない。土が水を蓄えないせいらしい。折悪く、やませという名の風が吹いて冷害が起こった。
 この斗南で、会津から移住した一万七千人余りが最初の冬を迎えている。
 食糧はなかった。他藩からの米の買い付けに奔走して、どうにか必要なぶんをそろえた。借金だらけだ。今のままでは返す当てもない。雪が解けたら出稼ぎをするしかない。
 前も横も上も下も、どこを向いても真っ白だった中に、ぽつりと明かりが見えた。オレと時を同じくして、隣を歩く佐川さんも明かりに気付いたらしい。
「生きて戻れたな!」
 笠《かさ》の下、襟巻の内側から、佐川さんは大声で笑ってみせた。体じゅうが痛むくらい寒いのに、どうやったら大声など出せるのか。オレはうなずくだけで精一杯だ。
 無理を押しての雪中行軍だった。佐川さんを隊長とする二十人ほどの男手で、あるかなきかの道をたどって海へ出て、八《はちの》戸《へ》まで食糧を買い付けに行った。
 片道、七里ほど。それだけの距離を歩き切るために毎度、死にそうな目に遭う。何者かに襲われるわけじゃない。ただただ寒い。雪に呑まれそうになる。
 雪国の冬がこれほど恐ろしいとは、予想を超えていた。荷を橇《そり》に載せた帰りの行程は殊《こと》更《さら》、怖い。このまま凍り付いて死んでしまうのではないかという恐怖と、オレが死んだら村で帰りを待つ者も死ぬのだという恐怖。
 今よりさらに雪が深くなったら、きっと村から出ることも叶わない。米と稗《ひえ》、鰊《にしん》や鮭《さけ》の乾物と、わずかな青菜の漬物。蓄えは雪解けまで持つだろうか。
 飢えと死と隣り合わせだ。雪の冷たさとはまた別の、体の芯から蝕《むしば》む冷たさがいつもある。
「佐川さん」
「何《な》如《じょ》した? あと少しだ、頑張っべ!」
 佐川さんの言葉に、皆、手を挙げたり声を出したりして応えた。
 オレが斗南の五《ごの》戸《へ》に移り住んだのは、会津での戦が終結して二年後の夏だった。今から半年ほど前だ。時を同じくして、東京や越後で謹慎を命じられていた男たち、奥羽諸藩の伝《つ》手《て》を頼って暮らしをつないでいた女たちが、続々と斗南に移り住んだ。
 斗南藩主となったのは、容《かた》保《もり》公のご子息、わずか三歳の松平かた大《はる》公だ。お家復興は叶った。飛び地だらけの藩領のうち、田名部の円通寺が藩城代わりだ。オレの住む五戸からは二十五里も離れている。
 家も畑も一から造らなければならなかった。雪が降る前に、冬に耐えられるだけの備えをしなければならないと、誰もが必死で働いた。
 けれども結局、この有り様だ。
 オレたちは這《ほ》う這うの体《てい》で、買い付けた荷を延命寺に運び入れた。寺は藩士の寄り合いの場として供されて、今日も講堂は炉に火を入れて暖めてあった。
 炉端で火の番をしていたのは、容保公だった。容保公の膝の上では、容大公が手に赤べこの張子人形を持ったまま眠っている。遊び疲れたんだろうか。
 容保公は、そっと、いつもの笑みを浮かべた。
「存外に早い帰還だったな。安心したぞ」
 斗南で暮らし始めてからますます、容保公はオレたちにとって特別な人になった。こうして藩内の飛び地を巡っては粗末な中で寝泊まりし、まるで藩士の一人のように振る舞う。藩士の輪に溶け入れば溶け入るほど、容保公は特別になる。
 手短に挨拶を済ませて荷をほどいていると、容保公から直々に呼ばれた。
「斎藤、倅《せがれ》がおぬしの帰りを待っておった。また折を見て構ってやってくれ」
「かしこまりました。光栄です」
 幼い容大公に遊び相手として望まれて、馬の代わりに四つん這いになったことがある。オレは子どものあやし方などまったくわからないのに、背中の上の容大公はご機嫌だった。不思議なお人だ。
 等しく分配された荷を背負ったり橇《そり》に載せてたりして、それぞれの家へ帰る。オレは、五戸の差配を預かる倉沢平治右衛門の家に寄宿している。住人は増えたり減ったりするが、つねに十数人が共に暮らす大所帯だ。
 村の家々を結ぶ道は、毎日の当番を定めて雪を踏み締めて、歩けるようにしてある。
 雪の上を歩くためのかんじきも、除雪のための箆《へら》や鋤《すき》も、使うのはもちろん見たこともなかった。身の丈を超えるほど雪が積もるなど、江戸や京都ではあり得ない。
 倉沢さんの家の前では、時尾と盛之輔が、せっせと雪を片付けていた。盛之輔が飛んできて、オレが引きずる橇《そり》を後ろから押す。
「お帰りなんしょ。呼びに来てくれれば、おらも手伝いに行ったのに」
「雪の中を往復する苦労を考えたら、うんざりしたんだ」
「山口さまは相変わらず雪が苦手がよ?」
 盛之輔はおかしそうに笑う。もう十七歳だ。ずいぶん背が伸びて大人びた。力も強くなった。雪を片付ける仕事では、こつのつかめないオレよりよほど役に立っている。
 時尾は、体の雪を払って居住まいを正して、ぺこりと頭を下げた。
「お帰りなんしょ。お体、冷えっつまったべし。どうぞ早く中へ」
「いや、雪かたし、オレが代わろう」
「もう終わります。それに、仕事は慣れた者がやるのがよかんべし。雪かたしはわたしにお任せくなんしょ」
「力仕事は男がやるべきだ」
「斎藤さまは十分、働いておられます。夏には畑仕事や建物の普《ふ》請《しん》を皆に教えてくださったではねぇかし。お金の勘定だって、わたしたちより得意だなし」
「江戸や京都ではそれなりに貧乏暮らしだったからな。一応、自力で遣り繰りできるくらいの知恵はある」
 土方さんの故郷の多摩では、よく畑仕事を手伝っていた。近藤さんの道場、試衛館やその近所の長屋の雨漏りの普請だとか壁の修理だとか、大工の真似事をした試しもある。京都でも壬《み》生《ぶ》は畑だらけだったし、屯所の建て付けの不具合は適当に直していた。
 とはいえ、江戸や京都の貧乏と斗南の暮らしぶりは、丸っきり違う。貧しいってのはどういうことなのかを思い知らされた。斗南は何もない。本当に何もない。刀を質屋に入れて糊《こ》口《こう》を凌《しの》ぐなんて話じゃない。刀を入れるべき質屋すらないんだ。
 盛之輔の手を借りて、荷を土間に運び入れる。音を聞き付けて、奥で手仕事をしていた家人が出てきて、荷ほどきを始める。わいわいと声を掛け合って仕事をするのは嫌いじゃない。
 ひときわ顔を輝かせて、腹の膨んできた弥《や》曽《そ》が、オレに飛び付いた。
「お帰りなんしょ、旦那さま。弥曽はいい子にして待っていただよ」
 かすれる癖のある声はひどく甲高く張り上げられて、舌っ足らずな言葉遣いだ。だらしないほどに開けっ広げな笑顔。両目には邪気がなく、色気も知性もない。
 ただいま、と一言つぶやくだけのオレの代わりに、時尾が弥曽の肩を抱いた。
「ほら、弥曽さん、土間に足袋《たび》で降りてきたら、体が冷えっつま。暖かい部屋にいなくては、おなかの子《やや》が風邪ひくべ」
「だって、時尾あねつぁ、旦那さまがやっと帰ってきたんだ。弥曽、嬉しいんだもの」
「んだなし。後でゆっくり、お話を聞いてもらえばよかんべ。今は、弥曽さんの旦那さまはお忙しいから、邪魔しらんにべ。わたしと一緒にあっつぁ行って、お茶の支《し》度《たく》すっべ」
「はぁい」
 弥曽は時尾に促されるまま、素直に奥へ引っ込んでいった。去り際、時尾がちらりとオレに目配せをした。オレは唇を噛むだけだ。
 秋、塩川に留まっていた時尾たち女衆が斗南に越してきた中に、弥曽もいた。そのときにはもう、弥曽はあんなふうだった。腹に赤子を宿して、年齢も生い立ちも忘れて、幼子に帰ったような言葉を使う。オレのことを夫だと思い込んで聞かない。
 弥曽のままごとに付き合わされるたび、逃げ出したくなる。男と女が何をすれば赤子ができるのか、今の弥曽はわかっていない。女として扱ってはならない、立派な女の体をした、赤子を孕《はら》んだ幼子。どうすればいいというんだ。
 これが一生続くのかと思うと、胃の腑が冷える。
「正気に戻ればいいのに」
 そうこぼしたことがある。時尾は表情を失って、目に涙をためた。
「弥曽さんは正気では生きていられねぇのだと思います」
「塩川で何があったんだ?」
「わたしも詳しくは知りません。けんじょ、力仕事も畑仕事もできず、身寄りもなく、家財も失った女《おな》子《ご》が生きるために売れるものは……」
「体を売るしかなかったのか」
「売るのは体だけで魂は売らねぇと思い切っつまえば、暮らしは楽になる。わたしも声が掛かって、祖母も母も食べさせねばなんねぇから、売っつまおうかと悩んで……けんじょも、わたしには、できねかった」
「多いのか? 体を売った女」
「それなりに。んだげっちょ、そっだこと誰にも訊けねぇべし。弥曽さんが誰のせいであっだふうになっつまったのか、どっだ目に遭わされたのか、わたしにはわからねえ。弥曽さんが忘れることを選んだからには、記憶を掘り起こしてはなんねぇと思います」
 だから夫婦を演じてやってほしいと、時尾はオレに頭を下げた。弥曽の赤子は年明けの二月ごろに生まれる見込みだという。弥曽はオレの子だと信じているから話を合わせてほしい、と。
 どうして?
 二年近くの謹慎の間、オレが会いたいと思い描いていたのは弥曽じゃなかった。それなのにどうして、時尾の口から、弥曽の夫になれと言い聞かされなければならない?
 言葉を呑み込む。想いを呑み込む。
 土間から続きの、薪《まき》を積み上げた蔵の隅に座り込んで、頭を抱える。蔵に放った白い鳩《はと》が、桃色の脚で地面を走って、オレのほうへ寄ってきた。
 オレは、首から提げて懐《ふところ》に入れた守り袋を取り出した。中に入っているのは、あの袖章だ。オレの手元に唯一残った新撰組の旗印。
 呼び掛けてみる。
「土方さん、ここは寒くて苦しい。土方さんのところは、もっと寒かったかな」
 答える声などあるわけがない。
 新撰組局長、土方歳三が箱館の地で討ち死にしたのは、一年前の夏だ。享年三十五。
 生きて再び会うことはない気がしていた。どちらが先に死ぬかはわからなかった。オレはまた仲間に先立たれて、自分だけ生き延びてしまった。
「なあ、土方さん」
 汚れた赤い段だら模様は答えない。
 弥曽がオレを呼ぶ声がする。甘えた声で旦那さまと呼ばれるたびに、胸を掻きむしりたくなる。違う、と叫びたくても叫べない。


 弥曽が儚《はかな》くなったのは、年が明けてすぐだった。
 まだ産み月でもないのに腹が痛いと訴えた。痛い痛いと泣き叫んで、泣き疲れて朦《もう》朧《ろう》としながら、ひどく小さな赤子を産んだ。男児だったらしい。赤子は、取り上げた時尾が撫でてもさすっても叩いても、一度も息をしなかった。
 どんなに火を焚こうが寒い部屋の中で、弥曽は、オレの手を握ったまま死んでいった。最期までオレを旦那さまと呼んでいた。
 弥曽の心は会津にいるようだった。お宮参りは蚕養國《こがい》さまに行きたいと言ったり、赤べこを買ってあげてとオレに頼んだり、什《じゅう》の掟《おきて》を口ずさんだりしていた。ふっと静かになったと思うと、微笑むような顔で事切れていた。
 肩の荷が下りたと感じた。同時に、何かを背負い込んだと感じた。時尾は、次第に冷たくなっていく弥曽と赤子を掻き抱いて泣き続けた。
 暦の上では春を迎えていても、雪解けは遠かった。弥曽と赤子の亡骸《なきがら》はすぐに埋葬してやることができず、ほかの死者とともに寺に安置された。
 五戸の戸籍を預かる倉沢さんが、唐突に言った。
「弥曽さんをあなたの籍に入れてやってはどうだろうか」
 鬼籍に入ってしまった女との、紙の上での婚姻。それが何になるというのか。戦で散り散りになって以来、会津に関わる者の戸籍も記録も、もうめちゃくちゃだ。オレは倉沢さんの提案に承諾した。
「オレの名を貸すことが篠田弥曽の供養になるのなら」
 弥曽の墓を守り続けることが務めだろうか。でも、オレには耐えられない。墓の世話は倉沢さんに任せた。
 長い長い冬がようやく終わろうとする今、オレは斗南を離れようとしている。
 斗南にいても、できることは高が知れている。出稼ぎをして、上りを斗南に送るほうが人の役に立つ。
「いや、ただの言い訳だな」
 つぶやいたオレに、時尾は顔を上げた。何のことかと問いたそうなまなざしから、オレは目を逸《そ》らす。
 皆が働いている間に出立する。見送りはいらないと言ったのに、時尾だけは聞き分けなかった。雪の残る道を村の外れまで、黙って付いてきた。
 オレと時尾は向かい合うでも語り合うでもなく、ただ立ち尽くしていた。冷たく強い風が時折、吹き抜けた。
 何度目かの白いため息をついて、オレはようやく口を開いた。
「最初に箱館に行く。知りたいことがいくつもある。土方さんは本当に死んだのか、どんなふうにして死んだのか、誰が看取ったのか、介《かい》錯《しゃく》をしたのか、墓があるのか、新撰組の生き残りはいないのか。自分で見て聞いて確かめたい」
 箱館の戦の終息から、この夏で二年になる。土方さんとともに戦った人々、例えば総大将だった榎本武揚などは東京に送られて収監されたらしい。戦を知る者がどれくらい箱館に残っているだろうか。
 蝦夷地は北海道と名付けられて、開拓に腰が入りつつある。稼ぎを上げられるなら、いずれ北海道で働いてもいい。ただ、まずは別の役目がある。
 時尾がオレの横顔を見つめている。
「米沢には八重さんの家族や、ほかにも会津藩の人たちが住んでいるはずです。何《な》如《じょ》しているか、様子を見てきてくなんしょ」
「ああ。できる限り多くの者の消息を追ってみる」
「もし若松に立ち入ることができたら、お墓に手を合わせてもらいてぇなし。みんなまとめて葬った大きなお墓が、阿弥陀寺や長命寺にあるから」
「必ず行く。埋葬は、あんたも手伝ったんだろう?」
「力仕事ができるわけでも、お経を読めるわけでもねぇから、あまり役には立てなかったけんじょ。残酷な有り様でした。雪が降る前に埋葬できねかった亡骸は、冬の間は野《の》晒《ざら》しで、春になって雪の下から出てきたときは、誰《だっちぇ》が誰だかわかんねぇ格好になっていました」
 傷みの進んだ死体は膨れ上がって、見るに堪えないものだという。オレはさんざん死体を作り出してはきたが、腐りかけたひどい状態というのは知らない。
 時尾は、会津の墓の話をするときはいつも目を伏せるのに、今日は違う。オレは思い切って、時尾の目を見つめ返した。
「江戸街道から宇都宮、日光街道を通って、東京に出て働く。伝《つ》手《て》はいくらでもある。あの板垣退助が、会津藩の名誉回復だ何だと運動を起こしているしな。用心棒でも間者でもやって稼げるだけ稼いで、入《いり》用《よう》なものを斗南に送る」
「ありがとうごぜぇます。だけんじょ、薩長土肥の政治家に利用されに行くなんて、やっぱり危険だべし。くれぐれも無茶なさらねぇでくなんしょ」
 時尾の目に涙が浮かんだ。
 本当は心配じゃなくて反対したいんだと、オレだってわかっている。時尾は、オレにすがり付いて引き留めたりなどしない。
「暖かくなったら、鳩《はと》に手紙を持たせて飛ばしてくれ。オレも返事を出す」
「はい。ご無事を祈っています。またお会いできる日を信じています」
「必ず戻る」
 時尾は、ぎゅっと唇を引き結んだ。いくつもまばたきをして、それでも、涙が落ちるのを抑えられない。
 胸が締め付けられた。離れたくない。泣かせたくない。
 うつむこうとする時尾の頬に指を添えて涙を拭った。時尾は驚いた顔をして、微笑んだ。
「行ってくなんしょ。わたしは、さすけねえ。斎藤さま、どうそお気を付けて」
 気の利いた言葉の一つも吐けたらいいのに。
 オレはただ、袖章の守り袋をしまい込んだ懐《ふところ》を押さえた。誠の一文字と段だら模様に意味がある。時尾が縫ってくれたことにも意味がある。オレ自身の誇りとオレの命より大切な何かが、擦り切れた袖章に詰まっている。
「それじゃあ。達者で」
 ささやく声は息と一緒に白く漂《ただよ》った。それが消えないうちに、オレは時尾に背を向けた。振り返ることはできなかった。自分がどんな顔をしているか、わからなかった。
 旅路に足を踏み出して、やっと、胸の想いが言葉になる。立ち止まって引き返したい衝動を押し殺す。告げるべきときは、今ではない。次に時尾に会うときにこそ、必ず告げよう。
 オレと一緒に生きてほしい。命が尽きる最後のときまで。
 だから、オレはまだ終わるわけにはいかない。生きたい。
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