機械の国の異邦人

星兎

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少年

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 外へ出る前に、茜が持っていたハンカチで僕の手を結んでくれた。ハンカチはすぐに僕の血で真っ赤に染まってしまった。茜は気にしていない風に見えたけれど、僕はこのハンカチが彼女の大のお気に入りと知っていたから、とても申し訳なく思った。

 僕が茜のハンカチが結ばれた自分の掌をじっと見つめていると、窓の方から少年、ガイルが怒ったような口調で言ってきた。

「おい、いつまでそうしているつもりだ? さっさと行くぞ。それとも、今になって心変わりでもしたか? 今からでも警察か軍に突き出すつもりか?」

 僕はかぶりを振って答えた。

「そんなことはありませんよ。ただ少し、考え事をしていただけで。じゃあ、行きましょう」

「おう。慎重にな」

 慎重に……それはそうだ。窓に手をかけると、布越しでも鋭い痛みが走った。先程までは少しも痛みは感じなかったのに、今になって。

 何かが僕の中で起こって、僕の感覚を麻痺させていたんだ。あの時の行動はそうとしか思えないものだった。

 とにかく僕は窓の縁を掴み、外に出て、軒に足を下ろした。ガイルと茜がその様子をじっと見てきていて、僕は指を非常階段の方へと向ける。

「帰りはあそこのパイプを伝って、二階の窓まで降りる。それから柵を利用しながら何とか降りてみよう。二階まで降りれれば高さはそれ程じゃないし、多分行けるはず」

 僕が先を指し示しながらそう言うと、二人は黙って頷いた。何故か息がピッタリだ。

 僕は先に排水パイプのところまで行き、それを掴んで二階の窓まで降り、その軒の足を下ろして柵を掴む。僕が来るように合図する前に、ガイルは音もなくスルスルとパイプを降りてくると、僕の側で止まった。信じられない程滑らかな動きだった。

「君は何か、特殊な訓練でも受けてきたの?」

 ガイルは何も言わず、僕の傍に立つと、そのまま下を見下ろして他人事のような口調で言った。

「この世界で一人で旅をするってことは、それなりの覚悟と素養が必要な訳さ。俺は旅を続ける中で、色々な経験をした。これぐらいどうってことないってだけさ」

「そう」

 見上げると、茜が恐る恐る二番目の窓に向かい、漸くパイプを掴んだ所だった。僕が見守っていると、彼が「先に行くぞ」と言い、そのまま柵と室外機を踏みながら、それでも全く音を立てず、地面に着地した。振り返って彼は鞄を掛け直しながら言った。

「お茶の子さいさいだ」

「どういう意味?」

 苦労しながら降りて僕が言っても、彼は答えようとしなかった。そっぽを向いて、既に沈んでしまった太陽のあった空の辺りを見ているようだ。

 僕も無事地上に降り、見上げると、茜が最後の柵を掴もうとしている所だった。僕は小声でがんばれ、と言い、茜は無事に柵を掴んで二階の窓から一階の窓へと降り、それから室外機を踏んで降りてきた。

 僕は密かに胸を撫で下ろして、二人とも無事なのを確認した後、ここへ来た時の薮へと向かった。二人は何も言わずに後ろに付いてきた。

 薮を通り抜け、あちこち擦りむきながらも、結局誰にも見つからずに帰ってくることが出来た。奇跡と言っていい。正直、こんなに上手くいくとは思ってもみなかった。窓に鍵が掛かってたり、手を怪我したことは別にして。

「で、これからどうするんだ? 俺には行く当てがないぞ」

「とりあえず、僕の家に来たら? 学校の友達ってことで」

「学校の友達……」

「ちょっと、そんなの家の人にすぐにバレるでしょう? チクられたら終わりよ?」

 僕は手を振りながら言った。

「大丈夫だよ。もし親が通報したとしても、匿ってたことに変わりはないんだから、皆捕まる。その事が分からない父さんじゃないから。だから、疑いはしても通報はしないと思うんだ」

 茜が溜息をついた。

「あんた、親を信用してるのかしてないのか……いや、この場合は信用してないってことか。……まあいいわ。私はここで別れる。早く帰って宿題しなきゃだし。家の人もうるさいし」

 茜は手を腰に当てて、最後に言った。

「いい。明日、この人から聞いた話は全部、聞かせてもらうわよ。あそこまで手を貸してあげて、何も聞かされないなんて考えられないもの。好奇心には誰も敵わない、でしたっけ? 私もあんたと同じ病気よ。いい? 約束して。絶対私に話すって。まあ、あなたが話してくれるんでも私はいいんだけど……」

「二度手間は御免だ」

 ガイルは腕を組みながらそれだけを言い、またそっぽを向いてしまった。
茜が再び溜息を吐き、

「あっそ。あんたらいいコンビになりそう。じゃあ、私は帰るわ」

 茜は来た道を通り、帰っていった。公園の時計を見ると、もうすぐ十八時半になりそうだった。

 僕は彼の方を向いて言った。

「じゃあ、僕らは僕の家に行くということで。大丈夫。皆、良い人達だよ。妹は可愛いしね」

 彼は黙って、既に日の沈んだ山脈の見える遠くの空を眺めていた。彼の呟くような声が聞こえてきた。

「そうだといいがね」


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