語り部は王の腕の中

深森ゆうか

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幼き王3

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 その日から語り部の時間のみでなくダンスやピアノ、歌にバイオリン等――芸術関係もアレシュと一緒に行うようになり、アレンカと貴賓室にいる時間が増えていった。
  ダリナ夫人はご満悦らしくずっと機嫌が良いのは救いだが、アレシュが疲れないかとエステルは心配だった。
  もう少し時間を減らそうかと彼に尋ねると「僕も楽しんでるよ。大丈夫」と微笑みを返してくれるのは、エステルにとって救いであった。


◆◆◆
 エステルの奏でるピアノの曲に合わせて踊る、アレシュとアレンカ。
  踊る二人の姿は、幼いながらも立派な紳士に淑女に見える。
  今までアレンカのダンスの相手は、エステルか、たまに寄宿制の学校から帰ってきたアレンカの兄がしていた。
  だが、自分と同じ年代のパートナーと踊るようになってから、アレンカはメキメキとダンスが上達した。
  短い間で上達したのも、アレシュのダンスの誘導が優れているからだろうとエステルは感じていた。
  十二でありながら彼はダンスだけでなく、ピアノや歌もこちらが目を見張るほどうまい。
  非凡な才能は、やはり王たるゆえの血筋からなのだろうか?
  ピアノの音が終わり、それに合わせアレシュとアレンカも繋いでいた手を片方離し、横一列に並ぶと、見ていたブレイハ夫妻に優雅にお辞儀をした。
  パチパチと夫妻から、満足したと大きな拍手が鳴る。フィリプもダリナも満面の笑みで、抱き付いてきた娘の頬に口付けをした。
 「素晴らしいご教授です、アレシュ様。私よりもずっと素晴らしい先生ですよ」
  ブレイハ家族を見守るアレシュの後ろ姿に寂しさを感じ取ったエステルは、そう彼に微笑む。
 「ううん、アレンカのダンスの勘が良いんだよ。それにピアノの曲も踊りやすかった」
 「お褒めいただいて恐縮ですわ」
 「素晴らしいダンスでした。アレシュ様」
  どうぞこちらへ、とフィリプに促されアレシュは夫妻達とテーブルにつく。
  エステルはアレンカと茶の用意をする。ほとんどはアレンカに任せて、自分は介添えのみだが、それでも最後まできちんと作法を間違えずに茶をいれることができ、ダリナはますます鼻高々のようだ。
  チラチラとアレシュに視線を送る。
 『どう? うちの娘は。王宮でもやっていけてよ』
と、売り込んでいるのは、エステルからはよく分かった。
  アレシュは知ってか知らないか、紅茶と菓子を摘まんでは屈託なく夫婦やアレンカ、そしてエステルとも話し込んでいた。
 「急に淑女らしくなって本当に驚いたよ、アレンカ」
 「アレシュ様の、ご指導が良かったのですね」
  フィリプとダリナが、二人を褒め称えるのは止まらない。
  上機嫌な両親を見て、アレンカは今なら我儘が通るかもと思ったのだろう。
 「――なら、ご褒美に明日、先生とアレシュの三人でピクニックに行っても良いかしら? 今、花が沢山咲いていて素敵な時期なのよ!」
 「そうだね……アレシュ様はアレンカの案をどう思います?」
 「久し振りに外の空気も吸いたいなあ……馬にも乗りたい!」
  フィリプの促しにアレシュは、あっさりと承諾した。
 「アレシュは馬にも乗れるの?」
 「うん」
 「良いなあ。わたし、まだ小さいから乗っては駄目なの」
  ショボンと頭を垂らしたアレンカにアレシュは、
 「なら、僕と乗る?」
と尋ねられ、アレンカの表情が太陽のように明るくなった。
 「お父様、お母様、良いでしょう?」
  アレンカの喜びように、二人は顔を見合わせ苦笑する。
 「その代わり、従者も付き添いに連れていきなさい。くれぐれもアレシュ様に無茶をさせないように」
 「わたくしも同行させてもらおうかしら? 久し振りにお日様の下にいたいわ」
 「お母様も! 嬉しいわ!」
  アレンカのはしゃぎように、エステルは窘め笑いが起きる。
  それからダリナは、笑みを浮かべながらエステルに告げた。
 「明日は従者を連れて行くし、わたくしも行くから、貴女はお休みになってはいかが? もう、だいぶ休暇を取ってもらっていないし」
  確かにアレシュの語り部をするようになって一ヶ月。まともな休暇をとっていない。
  珍しく笑みを自分に向けて穏やかな空気を作るダリナから、後ろめたさもなく休暇を取れることは滅多にないことだ。
 「婚約者のオルクにも、随分と会っていないのでしょう?  ゆっくりしていらっしゃいな。城に戻るのは明後日になっても構いませんから」
  婚約者の名前を出され、エステルはうっすらと頬を染めた。
 「……で、では、お言葉に甘えてよろしいでしょうか?」
  フィリプも「いっといで」と頷いてくれたので、お言葉に従うことにした。

 「……エステルに婚約者……?」

  アレシュから吐き出された言葉に、そこにいた皆が一斉に彼に注目する。
  蒼白に変化していた彼の顔は、注目を浴びたことによって通常に戻った。
 「そうですのよ。エステルは来年、ブレイハ領の役場で働いているオルク・ダンヘルという青年と式を挙げる予定ですの」
 「そうだったんだ……。結婚してもアレンカの家庭教師は続けるんですか?」
  笑顔を向けてきたアレシュにエステルは、
 「いいえ、家庭に入ろうかと考えています」
と、なるだけ周囲に気付かれないよう平静に答えた。
  だが、エステルはアレシュの変化に気付き、心の中で酷く動揺していた。
  ――いつもの笑顔ではない。
  顔にベットリと紙でも張り付いたような笑顔。
  アレシュの母恋しの心情を知ってから、エステルは彼に母親のように接していた。
  アレシュも、アレンカがいない隙を見てはエステルに甘えてきていた。
  それがアレシュにとって、癒しになるだろうと考えてのことだ。それにこの関係は、アレシュがこの城に滞在している間だけ。
 『そう長く滞在はしないだろう。長くても夏が終わるまで』とのフィリプの言葉をエステルは信じていた。
 (だけど……)
  アレシュの取り繕った笑顔を見るのが辛い。無邪気を装い、自分の婚約者のことを色々と聞いてくる彼にエステルは、罪悪感から包み隠さずに話した。


◆◆◆
 次の日、ピクニックに出かけるアレシュにアレンカ。それにブレイハ夫妻に挨拶をすると、先にエステルは城から出た。
  婚約者のオレクが勤めている役場は町中にあり、ルフェルト城からは離れている。エステルの実家も、その町中に隣接した地区にある小城であった。
  昔からの小領主ではあるが、時がたった今は領主としての仕事だけでは生活が成り立たないので、家族は働いていた。
  とはいえ、ブレイハ領主と血筋は繋がっているし曲がりなりにも貴族だ。
  父の方針できちんとした教育を受けているので、エステルのように教師や、秘書などの仕事に従事している。
  オルクと会ったのも、その繋がりでだ。
  エステルを乗せた馬車は昼近くに町中に到着し、乗降地点の宿場に降りた。
 (今行けば丁度、昼に役場に着くわね)
  オルクの人の良さが表れている穏やかな笑顔を思い出すと、エステルも自然、顔がほころぶ。
  平凡な容姿の彼ではあるが、エステルは一緒にいると肩の力が抜け、ホッと出来るところが気に入ってプロポーズを受けたのだ。
  エステルは、もうすぐオルクに会えるという目の前の事実に、アレシュのことはすっかり頭から抜けていた。

  オルクの働いている役場に顔を出すと、オルクは驚きながらも喜び勇んでエステルを抱き締めた。
  人目を憚らずに、頬や鼻にキスを降り注ぐものだから、周囲から冷やかされる始末だった。
 「どうしたの? 手紙には夏までは会えないかも、と書いてあったのに」
 「夫人から特別に休暇をいただいたのよ」
 「何時までこちらに?」
 「明日の夕方までには戻らないと。今夜は実家に帰るから、夕食は私の実家でいかが?」
 「良いのかい?」
 「貴方は私の将来の旦那様だわ」
  エステルはそう彼にウインクを見せて、口づけを交わした。


◆◆◆
 久し振りに再会した家族と、婚約者のオルクと共に住み慣れた我が家での食事は終日和やかだった。
  長く城に働いている婆やの料理を懐かしく食し、葡萄酒を飲む。そして家族との会話。
  既に、家族同然として迎え入れられているオルクが隣にいる。
  エステルは、己の今の幸せを噛み締めた。

 「――さて、僕はもうお暇するよ」
  夕食が終わり、団欒の一時。オルクはクッションのきいた椅子から立ち上がり、エステルの両親に挨拶を交わす。
 「あら、今夜は泊まるのかと思って部屋を用意させてあるのよ。泊まっていきなさいな」
 「夜は物騒だ。明日、日が上る頃に出た方が良いだろう」
  人の良いエステルの両親は、揃ってオルクを引き止める。
 「……しかし、折角の親子団欒に、これ以上お邪魔するわけにはいきませんよ」
 「良いのよ、もう貴方は家族同然なのですから。エステル貴女もお止めしなさい」
  エステルは肩を竦め、オルクに、
 「今日は観念して、二人のいうことを聞き入れた方が良いわ。ますます帰宅が遅くなってよ?」
と、諦めるよう促せば、彼は困ったように自分の頭に手をあて笑った。



 「だけど、困ったなあ……」
 「何が?」
  オルクのために用意された部屋に案内するエステルが、後ろから付いてくる彼の言葉に振り返る。見れば、彼は「困った」と口にしたものの、そんな様子はない。何故か気恥ずかしいように照れた表情を見せた。
 「その……結婚前なのに婚約者の家に泊まるとか、同僚達に冷やかされそうだ」
  そういうことか、とエステルも手にしていたランプを両手で支え俯いてしまう。
 「……恐らく両親は、貴方をとても信頼しているからだと思うの」
  まだまだ世の中は保守的だ。独身の女性が婚前交渉などしたら、蔑まれた視線を送られる。例え婚約をしたとしても、良家の令嬢なら婚姻の時まで待つのが良識というもの。
  ――勿論、秘め事は密やかに。周囲に悟られなければ良い――みたいなものであろうし、周囲も承知で黙認している世情でもある。
 (でも……今夜は確かにオルクからみたら、あからさまに見えたのかも……)
  両親はそこまで奥いった意味で『泊まっていきなさい』と彼に言ったのではない。純粋に遅くなって暗い夜道を帰らせるのが忍びないだけだろう。
  しかし、若い、今時のオルクに自分はどうしても違う意味に取ってしまう。
 「うん、分かってる。――ただ……エステル。君はどうなの?」
 「私……?」
  顔を上げ、オルクを見つめると、そこに熱を称えた眼差しの彼がいる。
  もう、来年の春には夫婦になる。
  許しても良いのだろう。彼なら自分を裏切り、他の女性に走るということはないとエステルは思っていた。
 (――だけど……)
 「ごめんなさい……。婚姻のその時まで待って欲しいの……」
  彼を信頼してる、彼を愛してる――だけど、先に進む勇気がでない。
  エステルが、そう答えるだろうと思っていたのだろう。オルクは大して失望も見せず苦笑いをした。
 「君なら、そう答えると思っていた。君は曲がりなりにも貴族だし、そのように教育されている」
 「ごめんなさい……」
 「気にしないで。身持ちの固い、そんなところも僕は好きになったのだし」
  再び俯こうとするエステルの頬を、オルクは両手で優しく包む。
 「お休み、エステル」
 「おやすみなさい、オルク」
  ようやく笑ったエステルの唇に、オルクの唇が重なった。



  部屋に入るオルクを見送ると、エステルは彼の唇の感触が残っている気がして、自分の唇にそっと触れる。
  熱っぽく見つめられて、クラリとそのまま彼の胸に飛び込みたくなった。
  その時、どうしてかアレシュ王のあの、切なく自分を見る表情が重なって思わず俯いてしまったのだ。

 (どうして……?)
  エステル自身さえ、分からないことだった。




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