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貴女にお手紙です
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クラスの女の子たちが言うイケメンとやらは、私にはちょっと早いらしい。だって人の顔の美醜なんてちっとも判断つかない。
だけど、そんな私でも、素直にカッコいいと思える人がいる。
濃紺の制服に肩掛け鞄、目深に被った帽子に白が眩しい手袋の似合うその人は――赤いポスト頭の彼だ。
その人は紺碧の夜空の中、跨るバイクから星屑の排気音を吹かし、コツコツと窓を叩く音で現れる。
「こんばんは」
「こんばんは。お手紙が届いてますよ」
カラカラと開けたアルミサッシの隙間から、白い手袋に覆われた手が差し出された。
私よりずっと大きいその手から、今晩も封筒を受け取る。ふわりと潮騒の香りがした。
逞しい手から受け取るには可愛らしく、何気ない手紙に使うには艶やかなアザミ色の封筒に、今回も宛名も差出人も書かれていない。
それでも胸が高揚するのは、手紙の内容ゆえか。あるいは、手紙を届けに来る人ゆえか。
「……今日も暑いですね」
夏の湿った熱気は堪えるのか、一分の隙なく濃紺の制服を着込む彼が思わずといった感想を呟いた。深海を泳ぐ鯨のような優しく物悲しい低音の声は、男性にしか出せない低さだ。
目を閉じて聞き入りたくなるのを我慢して、彼に尋ねる。
「そうですねえ。麦茶、飲みますか?」
「いえ、就業中ですので。お気持ちだけ頂きます」
自分で聞いておきながら、果たして彼は飲み物を飲めるのだろうかと疑問に思う。
だって彼の頭は――郵便ポストなのだから。
もしも頭がポストなだけだったら、愉快な仮装と思えただろう。けれど、郵便配達のバイクに跨る彼が顔を覗かせるのは、海だけご見える戸建ての二階。
つまり、バイクごと宙に浮いているのだ。
きっと彼は、人間じゃない。妖怪変化、悪鬼羅剎、魑魅魍魎。名前は分からないが、人間とは違う理に生きるモノだと思う。
けれどそんなの些細なことだ。
初めて彼と出会った日に見た流星群だって、人間とは異なる世界を見ながら地球で命を終えるから。物理学者が聞いたらナンセンスだと笑うだろうが、私にとっては変わらない。
科学が何を証明してたとしても、彼も流星群も一緒だ。
私とは違う時、違う理、違う命を生きてるなら、それはただそういうもの。
人間ではないという、ただそれだけの事だ。
けれど、近頃思うのだ。
彼のことを恐ろしいとか、不愉快だと感じないのは違う理由もあるんじゃないかと。
蜘蛛や蛇に恐怖するのは遺伝子に刻まれた本能らしい。それは蜘蛛も蛇も人間を脅かす天敵だったから。ならば天敵でなかったら恐怖しないのかといえば、そんな事はない。
未知のものに対する恐怖は、天敵のいない環境で進化した動物でない限り付き纏うものだ。現に人間は、原理の分からない自然現象を畏れ敬ってきた。
ならば何故、彼に恐れを抱かないのか。
頭以外は人間と同じだから?
対話可能だから?
私が危機感のないお人好しなだけ?
それとも、もしかして――
「では、確かにお届けしました」
彼の声に、思考に沈んでいた意識をハッと取り戻した。
帽子の鍔を直し帰ろうとする彼を急いで引き留める。
「あ、あの⋯⋯!」
「はい、なんですか?」
机の引出しから蒲公英色の封筒を取り出して、彼に差し出す。
やっぱり封筒に宛名はない。けれど宛名は、私の名前は、インクが滲まぬようかすれぬよう、初めに読んで心動かされてくれるよう、丁寧に丁寧に書いた。
「これを、お返事を書いたので届けて頂けませんか?」
彼の動きがピタリと止まった。
何か困らせてしまったかと内心焦っていたら、いつもよりも少しだけ深く鍔を下げて彼が封筒を受け取ってくれた。
「勿論ですよ。それが私の仕事ですから」
そして、彼は肩からかけている郵便鞄に封筒を仕舞った。
白い手袋に覆われた長い指が、大切に丁寧に私の手紙に触れている。その事がどうしてだろう、特別嬉しいと思う。
「それでは、ごきげんよう」
「はい。さようなら。お手紙よろしくお願いします」
シャラシャラと星屑の尾を引いて、ピンと背筋の伸びた広い背中がさざめく水平線へと見えなくなるまで見送った。窓枠に肘をついて夜空を見上げる。
今夜も星は瞬き、雲は流れている。
それは当たり前で在り来りなこと。人間が産まれる前からそうだったように、人間が死んでからもそうなのだろう。
もしかしたら、不可思議な彼に対する私の感情も、そんな当たり前で在り来りな何かかも知れない。
もしもそうだったら、きっと喜ばしい。そんな確信を、形も名前もまだ見えない感情に抱くのだった。
シワがつかないよう胸元にそっと持っていた手紙を開く。中に入っていたのは薄桃色の便箋と、どこか物悲しい潮騒の香り。
きっちりと角を揃えて折られた便箋には、生真面目に整ったやや筆圧の強い文字が並んでいる。
手紙の始まりはいつも同じ、「親愛なる貴女へ」。
綴られる内容は、ここではない何処か遠くの景色。木漏れ日の踊り、虫の羽ばたき、鯨のあくび、星の囁き。
世界の美しさを、美しい言葉で教えてくれる。
音も匂いも温度も知らない景色のはずなのに、手紙を読むと情景の中に佇んでいる。輝くように瞬くように美しい光景を伝えたくて、振り返った先にいる人は――――。
やっぱり女の子たちがはしゃぐ、イケメンとやらのカッコ良さは分からない。
けれど生真面目に職務を務めるあの人を、世界の美しさを認めてくれる彼の人を想い、弾む気持ちを知っている。
もし、女の子たちの視線の先にいる誰かも彼女たちにこんな気持ちを与えるというのなら、私の思うイケメンは彼だ。声と形しか知らない彼だけだ。
生真面目でちょっとシャイな、手紙と同じ潮騒の香りをまとった彼に会いたいと願いながら、普通の女の子な私の夜は更けていく。
だけど、そんな私でも、素直にカッコいいと思える人がいる。
濃紺の制服に肩掛け鞄、目深に被った帽子に白が眩しい手袋の似合うその人は――赤いポスト頭の彼だ。
その人は紺碧の夜空の中、跨るバイクから星屑の排気音を吹かし、コツコツと窓を叩く音で現れる。
「こんばんは」
「こんばんは。お手紙が届いてますよ」
カラカラと開けたアルミサッシの隙間から、白い手袋に覆われた手が差し出された。
私よりずっと大きいその手から、今晩も封筒を受け取る。ふわりと潮騒の香りがした。
逞しい手から受け取るには可愛らしく、何気ない手紙に使うには艶やかなアザミ色の封筒に、今回も宛名も差出人も書かれていない。
それでも胸が高揚するのは、手紙の内容ゆえか。あるいは、手紙を届けに来る人ゆえか。
「……今日も暑いですね」
夏の湿った熱気は堪えるのか、一分の隙なく濃紺の制服を着込む彼が思わずといった感想を呟いた。深海を泳ぐ鯨のような優しく物悲しい低音の声は、男性にしか出せない低さだ。
目を閉じて聞き入りたくなるのを我慢して、彼に尋ねる。
「そうですねえ。麦茶、飲みますか?」
「いえ、就業中ですので。お気持ちだけ頂きます」
自分で聞いておきながら、果たして彼は飲み物を飲めるのだろうかと疑問に思う。
だって彼の頭は――郵便ポストなのだから。
もしも頭がポストなだけだったら、愉快な仮装と思えただろう。けれど、郵便配達のバイクに跨る彼が顔を覗かせるのは、海だけご見える戸建ての二階。
つまり、バイクごと宙に浮いているのだ。
きっと彼は、人間じゃない。妖怪変化、悪鬼羅剎、魑魅魍魎。名前は分からないが、人間とは違う理に生きるモノだと思う。
けれどそんなの些細なことだ。
初めて彼と出会った日に見た流星群だって、人間とは異なる世界を見ながら地球で命を終えるから。物理学者が聞いたらナンセンスだと笑うだろうが、私にとっては変わらない。
科学が何を証明してたとしても、彼も流星群も一緒だ。
私とは違う時、違う理、違う命を生きてるなら、それはただそういうもの。
人間ではないという、ただそれだけの事だ。
けれど、近頃思うのだ。
彼のことを恐ろしいとか、不愉快だと感じないのは違う理由もあるんじゃないかと。
蜘蛛や蛇に恐怖するのは遺伝子に刻まれた本能らしい。それは蜘蛛も蛇も人間を脅かす天敵だったから。ならば天敵でなかったら恐怖しないのかといえば、そんな事はない。
未知のものに対する恐怖は、天敵のいない環境で進化した動物でない限り付き纏うものだ。現に人間は、原理の分からない自然現象を畏れ敬ってきた。
ならば何故、彼に恐れを抱かないのか。
頭以外は人間と同じだから?
対話可能だから?
私が危機感のないお人好しなだけ?
それとも、もしかして――
「では、確かにお届けしました」
彼の声に、思考に沈んでいた意識をハッと取り戻した。
帽子の鍔を直し帰ろうとする彼を急いで引き留める。
「あ、あの⋯⋯!」
「はい、なんですか?」
机の引出しから蒲公英色の封筒を取り出して、彼に差し出す。
やっぱり封筒に宛名はない。けれど宛名は、私の名前は、インクが滲まぬようかすれぬよう、初めに読んで心動かされてくれるよう、丁寧に丁寧に書いた。
「これを、お返事を書いたので届けて頂けませんか?」
彼の動きがピタリと止まった。
何か困らせてしまったかと内心焦っていたら、いつもよりも少しだけ深く鍔を下げて彼が封筒を受け取ってくれた。
「勿論ですよ。それが私の仕事ですから」
そして、彼は肩からかけている郵便鞄に封筒を仕舞った。
白い手袋に覆われた長い指が、大切に丁寧に私の手紙に触れている。その事がどうしてだろう、特別嬉しいと思う。
「それでは、ごきげんよう」
「はい。さようなら。お手紙よろしくお願いします」
シャラシャラと星屑の尾を引いて、ピンと背筋の伸びた広い背中がさざめく水平線へと見えなくなるまで見送った。窓枠に肘をついて夜空を見上げる。
今夜も星は瞬き、雲は流れている。
それは当たり前で在り来りなこと。人間が産まれる前からそうだったように、人間が死んでからもそうなのだろう。
もしかしたら、不可思議な彼に対する私の感情も、そんな当たり前で在り来りな何かかも知れない。
もしもそうだったら、きっと喜ばしい。そんな確信を、形も名前もまだ見えない感情に抱くのだった。
シワがつかないよう胸元にそっと持っていた手紙を開く。中に入っていたのは薄桃色の便箋と、どこか物悲しい潮騒の香り。
きっちりと角を揃えて折られた便箋には、生真面目に整ったやや筆圧の強い文字が並んでいる。
手紙の始まりはいつも同じ、「親愛なる貴女へ」。
綴られる内容は、ここではない何処か遠くの景色。木漏れ日の踊り、虫の羽ばたき、鯨のあくび、星の囁き。
世界の美しさを、美しい言葉で教えてくれる。
音も匂いも温度も知らない景色のはずなのに、手紙を読むと情景の中に佇んでいる。輝くように瞬くように美しい光景を伝えたくて、振り返った先にいる人は――――。
やっぱり女の子たちがはしゃぐ、イケメンとやらのカッコ良さは分からない。
けれど生真面目に職務を務めるあの人を、世界の美しさを認めてくれる彼の人を想い、弾む気持ちを知っている。
もし、女の子たちの視線の先にいる誰かも彼女たちにこんな気持ちを与えるというのなら、私の思うイケメンは彼だ。声と形しか知らない彼だけだ。
生真面目でちょっとシャイな、手紙と同じ潮騒の香りをまとった彼に会いたいと願いながら、普通の女の子な私の夜は更けていく。
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