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第五話

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「悠久の時を生きる冥き地の支配者、大精霊ネロディアスよ。儚き人の子に力を与えたまえ。術者マルクはここに契約する……これでいいの、ネロ?」

 僕はネロより教わった、精霊契約の文言を口にする。

『うむ。大事なのは名前で……後は保険のようなものだがな』

 僕は頷くと、手を伸ばす。
 ネロが宙に展開していた魔法陣に手を触れると、くすんだ光が、綺麗な赤色を帯びた。
 手の甲に赤い、獣の姿を模したような紋章が刻まれた。

『お……おお、精霊紋が灯った! 無事に成功したぞ! よくやった、マルクよ! これでそなたと、我の身体と……そして精霊界に、我とそなたが契約者となったことが刻まれたのだ! これで我も、立派な契約精霊である!』

 ネロが興奮気味に、激しく尾を振るう。

『と……もうこんな時間なのか! そろそろこの場所を出ねばならんぞ!』

 ネロが宙を見上げ、慌てた様子でそう口にする。
 赤紫の空が、青黒く変わりつつあった。

『万が一にでも出遅れれば、そなたはここから出られなくなり、領域に蝕まれていずれ命を落とすことになる!』

「わ、わかった!」

 僕は最初に立っていたところへと戻る。
 地面には魔法陣が刻まれていた。
 マナを流し込むと、魔法陣が光を取り戻す。


 気が付くと僕は、山奥の洞窟……祭壇に立っていた。
 ネロが現界と呼んでいた、元の世界へと帰ってきたのだ。

 洞窟の入り口を、朝焼けの光が照らしているのが見えた。
 あまりに穏やかで静かな当たり前の光景に、これまでのことが虚構だったのではないかと頭を過ぎる。

「そうだ、精霊紋……!」

 僕は自分の手の甲を確認する。
 ちゃんとネロの精霊紋が刻まれていた。

「よかった……あった……」

 夢ではなかったことを確認して安堵するが……この精霊紋で何ができるのかまでは、しっかりとは聞いていなかった。
 確かネロは『星辰の代わりに、我が領域と現界を近づけることができる』といったことを口にしていたが、それ以上のことは何も聞いていない。

『無事に戻ってこれたようだな』

 突然頭に声が響いた。

「ネ、ネロ?」

『うむ、そうである。精霊紋さえあれば、手間の掛かる儀式なしに、いつでも完全な形で精霊交信を行えるのだ』

「なるほど……。精霊紋って、ネロをこっちに呼び出したりもできるの?」

『通常の精霊契約は精霊召喚がメインなのだが……我が強大過ぎる故に、さすがにマルクのマナだけでは厳しいであろうな。だが、他にも色々な手段で、そなたに力を貸すことができる』

「召喚はできないんだ……」

 少しがっかりだった。
 ネロと直接顔を合わせて遊ぶことはできないらしい。

『してマルクよ。これからどうするつもりなのだ?』

「これから……? えっと、とにかく長老様に報告するために、村に戻らないと……」

 ネロのことを話さなければならない。
 命を落とさずに済んだことと……それから、ネロが大精霊であって、多くの伝承が間違っていることを。

『……それは、止めておいた方がよいぞ』

「えっ……」

『ニンゲンはか弱い。連中は生贄という悪習の罪から逃れるため……そなたを忌み子として、悪に仕立て上げたのだ。多くの者はその罪を受け入れられはせん。そなたが生贄から逃げた法螺吹きだと、そう断じる者も現れるであろう。よい結果にはならん』

「でも、それだと、長老様が……」

 あの人は、最後に僕を庇おうとしてくれたのだ。
 きっと気に病んでいる。僕の無事を伝えておきたかった。
 それに村の風習にしたって、誤った伝承をそのままにはしておけない。

『しばし時を置くのだ、マルク。良くも悪くも、時間が罪を忘れさせてくれる。その間に、村の魔術師共に交信で真実を伝え……そなたが疑いの目を向けられぬ土壌を作っておこう。いたずらに戻って騒ぎを起こせば、村の安寧のために涙を呑んだ、その長老の覚悟をむしろ蔑ろにするものとなろう』

「そっか……」

 確かに、それはそういうものなのかもしれない。
 彼は僕のことを……十四年間村ぐるみで、忌み子として遠ざけてきていた。
 僕は仕方のなかったことだと思っている。
 でも、相手がその事実を受け止められるかどうかは、また別の話なんだ。

「でも……これからどうしたらいいんだろう。行く当てがないよ。村から出たことなんて、なかったのに……」

『なに、マルクには自身の身を守るだけのマナと力がある。なにせ、この大精霊ネロディアスがついておるのだからな。自由に外を旅すればよい』

「自由に外を……」

 僕は息を呑んだ。

『不安か、マルク?』

 今まで小さな小屋と、長老様の用意してくれた書物だけが僕の世界だった。
 見張りの人が居眠りしているときに、周囲の庭先を出歩くのがせいぜいだった。
 ずっと自由に外の世界を歩けることに憧れていた。

「いや……すっごく楽しみだよ! 行こう、ネロ! 僕は色んな場所を見て、色んな人達と知り合ってみたい!」

『うむ! うむ! そうであろう! 実は我も……交信と遣いの者より現界の話は聞いておったが、実際に見聞きができるのは初めてである!』

 そのとき、洞窟の入り口の方から、大きな足音が聞こえてきた。
 村の人が来た……?
 いや、これは違う……。

「オオ……オオオオオオッ!」

 悪鬼のような顔の大熊が、咆哮を上げる。
 その姿は書物で目にしたことがあった。

 デモンベア……青い毛皮を持つ、大熊の魔物だ。
 危険度はC級……村近くで発見した際には、街へ討伐依頼を出さなければならないレベルだ。
 一般人に対処できる範疇の魔物ではない。
 
「う、嘘……こんな危険な魔物が、なんで……」

『ふむ……儀式で我が領域から漏れた、マナの香りを嗅ぎ取ったか』

「入り口が塞がれている。逃げ場がない……どうしたら……!」

『案ずるでない。この程度の魔物……そなたの〈炎球〉で追い払える。ついでに、精霊紋の力も説明できそうであるな』

 〈炎球〉で追い払える……?
 炎をぶつけるだけの最下級魔法だ。
 いや、でも、ネロの修行のお陰で、岩を砕けるくらいの威力は出せるようになったんだ。
 全力でやれば、デモンベア相手にも通用するかもしれない。

 僕はルーン文字を宙に浮かべ、全身のマナを絞り出すように放つ。

『よいか、マルク、精霊紋は精霊交信や、精霊召喚を行うだけのものではない。魔法の行使に、精霊の力の一部を借り……お、おい、マルク、力を込め過ぎではないか?』

 溜めていたマナに黒い光が混ざり……炎の球が一気に膨れ上がった。

「〈炎球〉!」

 僕の背丈よりも一回りは大きいであろう、豪炎の球が手から放たれた。
 床を削りながらデモンベアへと向かっていく。

「オオッ!?」

 それがデモンベアの最期の鳴き声となった。
 炸裂した〈炎球〉が、洞窟の周囲の壁ごとデモンベアを爆風によって消し飛ばした。
 轟音が響き、洞窟内に大きな窪みが生じ、亀裂が走っていく。

「な、なんで……?」

 思っていたより十倍は大きい〈炎球〉となった。

『い、いかん、崩れるぞマルク!』

 洞窟内が振動し、落石が落ちてきた。

「なんでぇえええええっ!?」

 僕は情けない声を上げながら、必死に洞窟の外を目指した。


 ……無事に外に逃げてから、崩れ落ちた洞窟へと目を向ける。

『我の祭壇……』

「ごめん、ネロ……」

『……いや、よい。そもそも、まぁ……我の説明不足であったしな。そなたのマナを用いて、我のマナを召喚する……簡単にいえば、魔法の行使の際に、契約精霊のマナを引き出して、魔法の威力を高めることができるのだ』

 洞窟から黒い煙が上がっている。
 これではすぐに、何事かと、村の人達が駆けつけてくるだろう。

『……すぐにこの場を離れた方がよいな』

「ちょっと待って、ネロ」

 僕は石を拾い、それを使って地面に妖精の絵を描いた。

「よし、これで……」

 この妖精の絵は、僕が幼少の頃に、話し相手になってくれた相手――妖精の振りをした長老様――へと、贈り物として描いたのと同じものだ。
 きっと長老様ならば、これを見て、僕が生きていることを知ってくれるだろう。

 ネロの言う通り、今は何も言わずに立ち去り、時間が解決してくれるのを待つべきなのだろうけれど……長老様だけには、僕の無事を伝えておきたかった。

『……甘いな、マルクよ。その男は、村のためにそなたを犠牲にした張本人であるというのに』

「甘い……。それって、ダメなこと、なのかな」

 僕が不安げに問うと、ネロの笑い声が聞こえてきた。

『いや、そなたの想うように生きるがよい。悪いとは言わんが、弱さとはなるかもしれん。だが、我は、ニンゲンの弱さを愛しておる』


 ちょっとばかり、幸先の悪い旅立ちにはなったけれど……。
 こうして僕とネロの、不思議な旅路が始まった。
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