人気俳優と恋に落ちたら

山吹レイ

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【番外編】人気俳優が恋に落ちたら(後編)

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 翌日の朝は失敗した玉子焼きが二人の皿に並んだ。文句も言わずに食べる。というか、行理の作ったものに文句はない。
「今日は何しよっか……二人でだらだらするのもいいし、どっか出かけてもいいし」
 トースターでカリカリに焼いた厚切りのフランスパンを綺麗な歯で噛みちぎって、行理が訊いてきた。
「そういえば実家に帰らなくてもいいのか?」
 ふと気になって何気なく尋ねる。
「あー……毎年帰ってたけど、今年は為純と過ごしたいし、いいかなって」
「いいのか?」
 念のために訊くと、行理は言葉を濁らせた。きっと帰って来いとか言われているに違いない。
「別に行ってもいいんだぞ」
「為純も来る?」
 てっきり行理一人が行くものと思っていたら、まさか誘われるとは考えてもみなかった。
 驚きすぎて反応が遅れる。行理が作った玉子焼きを飲み込んでから箸を置いた。
「行ってもいいのか?」
「前から母さんに言われてたじゃん。一度連れて来いって。正月だし、いいんじゃない」
「菓子折りでも買っていかないとな。好きなものはなんだ?」
「いいよ、そんな気をつかわなくて。畏まったもんじゃないし」
 そう言われても、手ぶらで恋人の家に行けるほど無知じゃない。
 ゆったりと朝食を終えると、さっそく出かけることにする。
 行理の母親が甘いものが好きらしいので、有名菓子店で和菓子の詰め合わせを買ってから向かった。
「ここ、俺んち」
 行理に案内されて普通の一戸建てを見上げる。玄関前には狭いスペースではあるが、車一台分は入りそうな場所もある。今度来るときは、車で来てもいいかもしれない。
「ただいま」
 行理は玄関を開けて、声を張り上げた。驚いたように行理の母親が出てきたが、彼女は俺を見るなり悲鳴をあげた。
「行理! 来るなら来るって言ってちょうだい!」
「自分ちに帰って来るのにわざわざ?」
「柏原さんも一緒でしょ!」
「母さんが連れて来いって言ったんじゃん」
「事前に連絡しなさいって言ってるの! 知ってたらちゃんとお化粧したのに」
「化粧してんじゃん」
「もっと綺麗にして……おほほ、ごめんなさいね」
 一連の流れは玄関で行われたことである。靴も脱いでないうちから、二人が言い争ったので、もしかして俺がいることでややこしい話になっているのではないかと不安になる。
「あがってちょうだい。来てくれて嬉しいわ」
 行理の母親は急に愛想よく笑いかけて俺を促した。「お邪魔します」と靴を脱いであがると、彼女に「これ少しですが」と菓子折りを差し出した。
「あら、わざわざありがとうございます」
 先に靴を脱いであがった行理の後について行きながら、家の中の雰囲気が行理の部屋と似ていることに気づく。もう縁を切った俺の実家とはまるで違う。豪華で広く、綺麗に磨かれた家の中は冷めきっていて、そこにいるだけで息が詰まりそうだった。対して、この場所は広くも豪華でもなかったが、手入れがきちんとされていて清潔で人の温もりがある。
「お昼はお寿司でもとったほうがいいのかしら」
「いいよ。そんなに長くいないから」
「ゆっくりしていきなさい。ちゃんと食べてるの?」
「食べてるよ」
 行理と母親は目の前でひそひそと会話しているが、俺にまで聞こえている。
 口うるさく言う母親に対して、行理は面倒くさそうに答えている。こういう気安さで母親と話ができる行理はとても愛されているのだろう。手短に話しながらも、母親が心配しないように言葉を選んでいる様子だ。
「お父さんは出かけていて、お兄ちゃんは仕事」
「今日はもう四日だもんな」
 そこでやっと俺は事情を察して謝る。
「急にお邪魔して申し訳ないです」
「いいのよ。ゆっくりしていって。急に来たことはびっくりしたけど、本当はね、いつ連れてくるのか楽しみに待ってたの。座ってて。今お茶を淹れてくるから」
 行理の母親は親しみを込めるように、俺の腕にポンポンと軽く触れてキッチンに立つ。
「ごめんな。なんか忙しい母親で」
「いや……いいお母さんだな」
「なんか、前もそう言ってたよな」
 突如、行理の母親が「あら、玉露切らしてたわ。なんてこと……」という絶望の声を漏らして頭を抱えた。
「母さん、いらないから」
 そう言って行理が母親のもとに行く。
「そういうわけにもいかないでしょ」
「じゃあ、コーヒーでいいよ」
「インスタントしかないの」
「いいよ、それで」
「柏原さんに、インスタントなんて……」
「気にしないから。そうだろ、為純」
「なんでも平気です」
 俺はコートを脱ぎテーブルの前に所在なさげに座る。
「おもたせでごめんなさいね」
 目の前に温かいコーヒーと買ってきた和菓子が並ぶ。
「今日はお仕事お休み?」
「はい。二人で休みをもらいました」
 俺が答えたのに、彼女は行理に向けて文句を言う。
「行理、そういうことは早く知らせなさい。昨夜のうちから、こっちに帰って来れたんでしょ」
「あー……ほら、俺たちは忙しいから」
 昨日も休みだったとは言えずに、行理は目を泳がせてしどろもどろになる。
「すみません。久しぶりの休みで二人きりで過ごしたかったのもあったんです」
 俺は助け舟を出す。すると途端に母親は「まあ……」と口を開き、顔を赤らめた。
 彼女は咳払いして「そういうことなら……」とさらに顔を赤くさせて「仲がよくて安心したわ」と付け加える。
「そういえば、昨夜の時代劇、柏原さん、格好良かったわ……思わず涙したもの。撮影大変だったでしょ」
 頬に手を当ててうっとりと夢みる表情でいる彼女に、なんと答えたらいいのか一瞬思案する。当たり障りのないように「そうでもなかったですよ」と答えることもできたが、上辺だけでなく正直に話したい気になった。
「殺陣がはじめてだったもので苦労したんですよ。練習はしても付け焼き刃でどれほど通用するのか……立ち姿一つにも気を配りました」
「まあ、そうだったのね。でもさまになって本当に美しかったわ」
 行理は口を挟まない。黙ってコーヒーを飲んでいる。実は一緒に観る予定だった時代劇だが、はじめのほうは注目していたが、普段は飲まない酒が入ったこともあり次第に乱れて、気が付いたら唇を貪り合って体を繋げていた。テレビどころの話ではなかった。
「髪も黒くして……きりっとした男前で素敵ね。また元の色に戻すの?」
「当分はこの色のままでいようかなと思ってます」
「そっか……」
 行理が少し残念な声で呟く。どちらかというと行理は髪の長さを気にしていたと思っていたが、やはり色も気に入らないのかもしれない。
 元の色がよかったか訊きたかったが、この場では親密すぎるような気がして口を閉ざした。
「時代劇もよかったけど、夏に入ったあのドラマもよかったわ」
 行理の母親との会話は途切れることはない。ドラマのことや俳優、ひいては日本の景気や政治のことまで多岐にわたる。
 結局、昼食までいただいて長居することになった。
 お暇する際、行理がトイレに行ったときに、母親がそっと俺の側に寄って言った。
「柏原さん、前ね、私、行理のこと頼みます、なんて言ったけど、そんなに背負わなくてもいいからね。オメガであることも必要以上に深刻に受け止めなくていいっていうか……自然体であの子の側にいてほしいの」
「……はい」
 俺は彼女の目を見てしっかりと頷いた。
 滲むような笑顔を見せた彼女は、行理を見る目と同じような親しみと慈しみを宿して、俺の腕にそっと触れた。
「これから色々なことがあるでしょうけど、私たちはいつでもあなたたちの味方だから。それだけは覚えておいてね」
 胸の奥から温かさが広がってくる。優しくも勇気づけられる言葉に、俺は深く頭を下げて感謝した。
「はい、ありがとうございます」
「もちろん、息子が一人増えることになっても問題ないから」
 茶目っ気たっぷりに付け足した言葉には、柄にもなく狼狽えそうになったが、少し笑って答えた。
「そうなるように努力します」
「あら。じゃあ、行理が問題なのね」
「え? 俺が何?」
 戻ってきた行理は、自分のことを言われているのだと思い、不審そうな顔つきで俺と母親を交互に見る。
「なんでもない」
 首を横に振ると、行理は納得できないように唇を尖らせた。
「なんでもないって顔じゃないじゃん。絶対悪口だろ」
「悪口じゃない。ちょっとした……約束だ」
 母親はふふふと笑って、俺たちを見ている。
「それじゃあ、帰るよ、母さん」
「ええ、またいつでもいらっしゃい。柏原さんも気を使わなくていいから」
「はい。お父様やお兄様にもよろしくお伝えください」
 行理の家を後にすると、少し歩きたくなって、手を繋いで歩道をゆったりと歩く。
「行理」
「ん?」
「このまま半同棲の状態を続けてもいいが、俺は毎日一緒にいたいと思っている」
 行理は足を止める。手を繋いだ状態なので俺も足を止めた。
 今までは待ってもいいと考えていたが、今急に言いたくなった。何事も言わなければ伝わらない。もし同じ気持ちなら、はっきりと口に出せば、この先の二人の行方も明確に共有できる。
「……うん」
 伏し目がちな行理の顔から読み取れる感情は、驚きと迷い、それから照れだ。
 感情の揺れを感じつつ、どういった結論を導き出すのか黙って待つ。
 ややあって、躊躇いがちに口を開いた。
「なんかもう一緒に暮らしているような状態だもんな。為純がいつも俺のマンションにくるのも、申し訳ないと思ってた。家賃だってもったいないし……うん、いいか、一緒に暮らすか」
 行理は独り言のように呟きつつ、俺を見上げてきっぱりと口にする。
「わかった。一緒に暮らそう」
 不安があるようにも見えたが、決断は早かった。
「知り合いに不動産会社を経営している奴がいる」
 その場で携帯電話を取り出すと、行理が俺の手を止めた。
「為純のところに俺が引っ越すのは?」
「あそこは……」
 嫌な顔をしたつもりはないが、なんとなく行理は察してくれた。
「じゃあ、俺のマンション……っていっても狭いしな。どっか新しいとこ探すしかないのか。セキュリティは最優先だけど、なるべくなら……あんま家賃が高くないとこなら……」
 セキュリティの問題は賛成だがその他の要望は却下だ。
「それと、今決めなくていいから……追々考えていこう。引っ越すのも大変だし」
 行理の言葉尻から面倒くさい感情が溢れている。
 この分では、行理が言う追々を待っていれば、引っ越しも遅々として進まない気がしてくる。早急に不動産屋に電話して……と思っていると、携帯電話を持つ手を急に引っ張られる。
「今日はもうゆっくりしよ」
 行理はのんびりした声で俺の手を引いて歩きはじめる。つられて足が縺れながらもついていく。
「今日は天気がいいなあ」
 空を見上げながら真っ直ぐ歩く。足取りは軽やかだ。
 この手を離さなければ、こうして二人迷うことなく歩いて行ける。
 たとえ、この先どんなことが待ち受けようとも、繋いでさえいれば離れることはないのだ。

 終わり
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みんなの感想(2件)

依桃ぴの
2022.12.01 依桃ぴの

とても素敵な小説で読み終わったのが残念なぐらいでした。

山吹レイ
2022.12.03 山吹レイ

依桃ぴの様、ご感想ありがとうございます。
私としては約一か月間最後まで書ききるつもりで頑張りました。
二人を導くことができてほっとしている状態です。
また、番外編も楽しく執筆できて……といいますか、番外編こそ本編以上にわくわくしながらの執筆でした。
二人を書きたい気持ちもあるのですが、とりあえずは一旦完結ということで終わらせていただきます。
残念、と思って下さること、本当に嬉しく思います。
これからも新しい作品を楽しみに待って下さると幸いです。

解除
リオ
2022.11.11 リオ

最近この作品を見つけて、一気読みしました!
2人の距離感に勝手にじれじれしています( *^艸^)
今後も楽しみにしています。応援しています!

山吹レイ
2022.11.13 山吹レイ

リオ様、ご感想ありがとうございます。
芸能界ものは初めてで、楽しんでくれるかな?と不安に思いながら執筆していました。
こうしてご感想をくださり、とても嬉しく思います。
じれったくも、二人の関係の行く末をあたたかく見守って下さると幸いです。

解除
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