愛おしい君 溺愛のアルファたち

山吹レイ

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君との日々

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 後ろからどんと背中を押され、倫は前のめりに転んだ。
「ハズレオメガ!」
 そう言って子供たちは笑って指をさす。
 子供のしたことだからと倫は怒る気にもなれずに、立ち上がり廊下を歩く。
 その後ろを子供たちはついてきて「ハズレなのに、なんでここにいんの?」「帰ったら?」と意地が悪いことばかりを言ってきた。
 十歳になる子がここまで悪意のある言葉ばかり使うのは、閉鎖されたこんな場所に閉じこめられているせいなのか、本来の性なのか。両親から引き離され、人里離れた辺鄙な場所で不安やストレスを抱えながら集団生活を送っていれば、性格も歪む。執拗に絡む姿が、そうでもしなければやってられない、とでもいっているかのように見える。
 幼ければ許されると思っている。オメガである自分は貴いから誰に対しても暴言を吐いてもいいと思っている。可哀想な子供たちだ。
 倫はそんな子供たちから逃げるように、自室に入ってドアをきつく閉めた。
 ここから逃げたい、そう思っているのは自分だけじゃない。オメガである限りこの場所からも自分からも逃げることはできない。閉じこめられて、秘匿されて一生を終える。
 ぼんやりと見上げたその先に、窓から差す光が煌めき、その中から三人の男性がこちらに手を差し伸べている。逆光で顔は見えないが、とても安心できる存在のような気がした。
 倫は右手を伸ばしかけて……はっとし、目を覚ました。
 ここはどこなのかぼんやりと視線を巡らせて、裸のまま眠る大河の姿を捉え、施設ではないことに気づきほっと息を吐く。あんな夢を見るのは久しぶりだった。
 首元にびっしょりと汗を掻いていて、気持ち悪さに起き上がる。汗で濡れた首元を拭い、額に貼りついた髪をかきあげると、膝を抱えて顔を伏せたまま目を瞑った。思い出したくもない過去が次々と頭の中に浮かび、気分まで落ちこむ。
 隣で寝ていた大河が、甘えるように倫の体に腕を回してきた。起きたのかと思ったが、目を閉じたまま、安らかな寝息を立てて倫の尻のあたりに額を押しつけている。
 平穏な寝顔を見ていると、自然にふっと唇が緩み、笑みがこぼれる。
 ずっと誰からも必要とされずに生きていくのだと思っていたときに、側にいて欲しいと言ってくれた特別な人。もっとも、モデルであり俳優もこなす人気芸能人の彼の場合、自分だけが特別だと思っている人が世界中に何万といるだろう。
 無造作にはねている綺麗に染められた茶色い髪に、そっと触れて指を絡ませる。
 モデルや俳優の仕事をしている大河は、時間が不規則で、ドラマや映画の撮影で泊まりの仕事などもあり、このマンションにいる時間はとても短い。それでも、できるだけ帰って一緒に過ごそうとしてくれている。
 一度見たら目が離せないと言われる鋭く射貫くような眼差しは、怖くもあり粗野な雰囲気を醸し出しているが、美しい鼻立ちや弧を描く薄い唇が上品で、そのアンバランスさが例えないほどの魅力なのだと誰もが言う。
 眠っているときは幼子のように無垢に見えるのだから、この男はどんな姿でも人を惹きつける達人なのだと思う。
 時計を見ると午前五時半。いつも倫が起きる時間だ。
 大河の眠りを妨げないようにそっと腕を解いてベッドから出る。
 自室に行って服を着て、それから歯を磨き、顔を洗う。タオルで水滴を拭い、顔を上げると、鏡には慎重な性格がそのまま現れたような不安そうな表情が映っていた。
 十八歳になるのに、大きな目と小さな輪郭のせいで子供じみた顔をしている自分があまり好きじゃない。もう一人で生きていける年齢なのに、オメガというだけでアルファの庇護の元で生きていかなければならない自分が嫌いだった。
 鏡から目を逸らし、リビングに行くと、カーテンを開けて日の光を取り込んだ。
 眩しさに目を細め、窓から階下を見下した。足がすくむほど高いここは、三十階建てのタワーマンションの最上階の角部屋。晴れて空気も澄んでいる今日は気持ちがいいほど空が青い。
 最初、ここに連れてこられたときは本当に驚いたものだ。ガラス張りの広く明るいリビング、お洒落なインテリアや最新のシステムキッチン。普通の家庭で育った倫には一生縁のない場所だと思っていた。今でも自分がここに暮らしていることが信じられない。
 眠気を吹き飛ばすように大きく背伸びをしてエプロンを身に着ける。キッチンに立つと、ご飯がちょうど炊きあがっていた。味噌汁を作り、鮭を焼き、玉子焼きを作る。あとは小松菜のおひたしと蓮根のきんぴら、キャベツの浅漬けとキウイフルーツにヨーグルトをかければ朝食の完成だ。
 六時半に将之が起きてきた。いつもの時間だ。
「おはよう」
 そう言って倫の元に来たので「おはようございます」と返事をすると、軽いキスが唇に落ちてくる。
「昨夜はよく眠れたか?」
 頬を撫でる将之の大きな手は武骨ながら優しさに満ちている。
「はい。ぐっすり眠れました」
 見上げる将之の身長は、百八十センチを超す大河よりも高く、体格もがっちりしているので、ものすごく大きく感じる。威圧感さえ感じる巨体とあまり話さない物静かな様子が最初はとても怖かったが、一か月も経つと、穏やかな人となりや口数が少ないのは話すことが苦手なのだとわかり、恐怖心は薄れた。
 将之が洗面所で顔を洗っている間に、クリーニングに持って行く服と自宅で洗えるものをわけて、クリーニングに持って行く服は畳んで袋に入れて、下着やTシャツ、タオル、シーツなどは洗濯機に入れてスイッチを押した。
 そこでひげを剃ってすっきりした将之が現れたので、向き合って椅子に座り、一緒に朝食をとる。
 あまり話さない将之との時間は静かなものだが、倫はこの朝のひと時を楽しみにしていた。一人で食べる食事は虚しいものだ。かつては、両親や姉、兄とテーブルを囲って今日はテストがあるとか、部活で遅くなるとか言いながら、時間を見つつ慌ただしく朝食を食べて登校していた。
 今はもうその頃には戻れないが、こうして食卓を一緒に囲ってくれる人がいることは本当にありがたい。
 大盛のご飯も綺麗に平らげた将之が席を立つと、倫は弁当作りに取りかかる。冷凍食品は使わずなるべく手作りのものを入れるようにしているために、朝ごはんの残りや新たに簡単なものを作って、彩がいいように隙間なく詰める。ご飯の量はたっぷりと盛る。時々おにぎりにしたり、鶏五目にしたり、混ぜご飯を詰めたりしているが、嫌な顔をされたことは一度もない。
 ハンカチで丁寧に包んでいると、鞄を手に持ちスーツ姿の将之が現れた。時間は八時少し前。サラリーマンである将之の出勤の時間だ。そのまま玄関に向かったので弁当を持って後を追う。
 革靴を履き、振り向いた将之は弁当を受け取り、そのまま倫を引き寄せて唇を重ねる。
 たっぷり一分以上は唇を貪られて「行ってくる」と将之から言われるまで、頭がぼうっとなるのは毎回だ。
 律儀に起きてからのキスと出勤前のディープキスを欠かさずする将之は、起床時間や出勤時間を決めて行動するように、決まったルーティンを好む。これもその一環なのだが、これをされると恥ずかしいのと頭を切り替えが上手くできないので正直困る。
 赤くなった顔を冷やすように頬に手を当て、トイレに向かった。
 トイレ掃除は毎朝する。それとバスルームも。水回りは毎日丁寧に掃除をすることを心がけている。
 そうしているうちに、大河が起きてきた。
「はよ」
 時間は九時過ぎ。夜帰って来るのも遅かったが、今日もこれから仕事だろう。
「おはようございます。朝食はトーストですか? ご飯ですか?」
 将之の朝食は和食で、何を出しても全部平らげてくれるが、大河は日によって違う。
「うーん……パンで」
「フレンチトーストにしましょうか?」
「それがいい」
 倫の髪をくしゃりと撫でてトイレに向かう大河に、乱れた髪をささっと直して玉子と牛乳を冷蔵庫から取り出した。
 本当はパンを卵液に浸して置く時間は欲しい所だが、そうも言っていられない。大河はあまり朝、時間をかけない。
 温めたフライパンにバターを入れて、溶けたところで卵液に浸したパンを入れて焼いていく。その間に、コーヒーメーカーにコーヒー豆と水をセットしてスイッチを入れる。
 焼いたパンをひっくり返して、もう片面もじっくりと焼く。甘い匂いとコーヒーの香りがキッチンに漂う。
 フレンチトーストだけだと栄養が偏るので、キャベツの千切りと水菜、人参を細切りにしたものを手作りのドレッシングであえて、チーズと生ハムを散らす。その脇にトマトも切って皿につける。本当はブロッコリーも茹でてつけたいところだが時間がない。
 案の定、フレンチトーストとコーヒーをテーブルに並べたところで、大河が椅子に座り、恐ろしいスピードで食べていく。
「ごちそうさん。うまかった」
 数分もしないうちに皿は空になり、コーヒーも飲み干して立ち上がる。
 着替えるとすぐに「行ってくる。今日も遅くなる」と言い軽いキスをして出て行った。起きてから三十分しか経っていない。
 一息つく間もなく、今度は亮が起きてきた。この時間に起きてくるのは珍しい。
 プログラマーを職業にしている亮は、在宅勤務で自分の部屋で時間に縛られることがなく自由に仕事をしている。そうなれば規則正しい生活をしてもいいと思うが、夜も遅くまで起きていたり、徹夜をしたりと、誰よりも不規則な生活を送っている。目の下にはくっきりとクマができていて、寝不足の様子が窺える。調子が悪そうだ。昨夜あの後、もしかしたら仕事をしていたのかもしれない。
「おはようございます」
 倫が声をかけると、亮は目を擦り、抱きついてきた。三人の中で一番年長の三十五歳だと言っていたが、日常生活では彼は誰より甘えたがりだ。その体がくたりとずれ下がりそうになったので、慌てて脇の下に手を入れて体を支える。不健康そうな生活ではあるが、体は意外としっかりしていて、身長も倫より頭一つ分高い。
「亮さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫。コーヒーちょうだい」
 亮を椅子に座らせると、コーヒーをセットする。コーヒーが出来上がるまでの間、食パンにバターとマスタードを塗り、レタスやハムを挟んでサンドイッチを作る。
 偏食の亮は野菜嫌いなこともあって、放っておくとクッキーのような栄養補助食品やゼリーしか食べない。サンドイッチも本当は玉子サンドが好きなのを知っているが、あえてレタスを挟んだ。文句を言いつつ出された食事は渋々食べてくれるので、この方法で徐々に野菜を食べさせようと考えている。
 目の前に出されたサンドイッチをじっと睨んで、先に出来上がったコーヒーを口に運んだ亮は、欠伸をしつつ、とろんとした目で倫を見た。
「昨夜はあの後、大河と一緒に寝たの?」
 三人と一緒に暮らしていることに不自由さも大変さも感じたことはなかったが、こういう関係だけはどう接すればいいのか頭を悩ませている。
「はい……一緒に眠りました」
 嘘はいけないと思うので正直に答えるが、気分を害したらどうしようとそわそわする。だが、亮はそれ以上訊かずに大人しくコーヒーを飲んでいる。機嫌が悪い感じでもないようだ。
 突っ立っているわけにもいかずに、コーヒーを自分のマグカップに入れて、砂糖とたっぷりの牛乳を入れて椅子に座る。甘いカフェオレは朝から動いていた体に、ほっとしたひとときを与えてくれる。
「こういう食事とか家のことは適当でいいよ」
 気乗りしないながらも、サンドイッチを手に取った亮は、小さく口を開けて齧るように食べ始めた。
 食にこだわらない亮にとって、こうやって世話をされるのは煩わしいのだろうか。
「俺……誰かに食事を作ったりするのが好きなんです。……嫌だったらやめますけど……」
「嫌じゃないよ。料理を作ってくれるのも、俺のためにしてくれたものなら本当に嬉しいよ。ただ倫の負担になるんじゃないかと思って……」
「負担じゃないです。ただでさえ……」
 役立たずなのに、その言葉はあまりにも卑屈すぎて言葉に出せなかった。
 オメガなのに子供ができない倫は、ここにいる存在理由がない。三人は甘やかして何もしなくていいと言うが、家事しかすることができない倫にそれすら取り上げられたら、生きている理由すらなくなる。
「うん、負担じゃないならいいんだ。好きにしていい。ごめんね。そんな顔をさせたいわけじゃないんだ」
 手を伸ばし倫の手を握り締めた亮は優しく微笑む。少し泣きそうになって、倫は俯きながらコーヒーを啜った。
「あ、レタスもこうやって食べると美味しいね」
 つけて取ったような台詞で、亮は大きな口を開けてサンドイッチを頬張る。苦手なのにわざと美味しそうに食べてはコーヒーで無理やり流しこんでいる。
 亮とは一番一緒にいる時間が長い。在宅勤務ということもあるが、基本出不精で外出も滅多にしないため、部屋から出ることができない倫と二十四時間どころか三日四日一緒というのもざらだ。
「美味しかったよ。ごちそうさまでした」
 全部平らげた亮は「仕事するか」と席を立つ。食器を洗い、気分を切り替えるように掃除機を取りだした。まずは掃除だ。
 広いリビングはソファの下や、テレビ台の隙間など、丁寧に掃除機をかけていく。亮の部屋を除いた寝室や廊下も隅々まで埃を吸い取ると、ちょうど洗濯物が終わった。
 きっちりと畳んで決められた場所へ収納し、今日はワックスでもかけようかと部屋を見回す。
 食事の準備、洗濯、掃除、それがこの部屋で過ごす倫の仕事だった。
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