4 / 13
転落のアポリア 後編
しおりを挟む
倫が施設の外に出て、他のオメガに会ったことは、これまで一度もない。オメガは施設でアルファの番を得た後、そのアルファの元で暮らすのだが、当然のことながら、圧倒的に数が少ないオメガは貴重で、まず外の世界で会うことはない。また、倫のようにほぼ部屋の中で生活をしているだろうから、こうして会うことはほぼ不可能に近い。
車から飛び出してきた少年……確か名前は観月聡(みづき さとし)だったような気がする。彼が、倫の腕を離さなかったので、とりあえずどこか静かな場所で話そうと大河が提案し、付き人らしき人たちと一緒に近くの喫茶店に入った。
聡はふてぶてしい様子でクリームソーダを飲み、時折倫と隣に座る大河にちらちら目を向けるだけで、話そうとはしない。
三人いた体格のいい付き人の男性は、一人は聡の隣に座り、もう一人は入り口付近に陣取り、三人目は喫茶店の外で目を光らせている。重要人物を警護しているかのように厳重な態勢だ。
ここは倫から何か話したほうがいいだろうかと考えたが、聡とは施設にいた頃もろくに会話をしたことがなかったので、話が思いつかない。それに、聡は率先して倫を「ハズレオメガ」と言って蔑んでいたから、できれば今も会いたくない相手ではあった。
「元気だった?」
口から出た言葉は当たり障りのない問いかけではあったが、聡は何が気に入らないのか睨みつけてきた。
「見てわかるだろ?」
先にアルファの番を得て施設からいなくなったのが聡で、会わなくなって一年半が経っている。当時十一歳だった聡は今、十三歳ぐらいだろうか。
きつい眦が特徴的な美しい少年だった聡は、その成長過程にあっても目を惹く容姿は衰えていない。だが、病的なまでに体が細かった。掴まれた際も感じたが、腕が棒のように細く、顎も痩せて尖っていて、言葉に覇気も感じなかった。
倫はコーヒーを一口飲んだ。その途端に噎せてせきこむ。苦い。
慌てて大河が倫の背中を摩り「大丈夫か?」と訊いてくる。頷いてコーヒーを見れば、砂糖もミルクもそのまま残っている。思った以上に気が動転していたようで、ブラックでコーヒーを飲んでいた。
角砂糖を二つ、ミルクは全部流しこんで、スプーンで何度もかき混ぜる。
「俺のもいるか?」
コーヒーに口をつけてない大河はミルクと砂糖をそっと倫に押しやった。
「いえ、大丈夫です」
二人のやり取りを見ていた聡は、わざとストローの音を立ててクリームソーダを飲み干した。そして、ずいっと体を前に乗り出して、大河を凝視する。
「渋川大河ってアルファなんだな。しかも相手があんたなんて」
声はそれほど大きくなかったが、誰かが聞いているかもしれない場所で大河のことを話す聡に、倫はさりげに周囲を見回す。テーブルの周りの席には誰も座っていなかったが、たまに人が側を通り過ぎるので気が気ではない。
「俺が誰を選ぼうと勝手だ」
大河は乱暴に膝を組んで、苛々しているかのようにため息をついた。
「じゃあ、お前がハズレオメガってことも……」
聡が馬鹿にしたように言いかけて、射るように睨みつけた大河を見て、口をもごもごと濁らせる。
倫が俯くと、大河は手を握りしめた。倫は大丈夫というように微笑んだ。
ハズレオメガと言われた瞬間、胸は少し痛んだが、あの頃よりずっと楽に呼吸ができる。大河も他の二人も、倫の事情を知って側にいてくれるから何も心配してない。
「俺は今、二人目を妊娠しているんだ」
聡は自慢げに言って腹を撫でる。一瞬息が止まりそうになったが、いくら羨んだところで不可能が可能に変わるはずがなかった。三人はそれでもいいと言って倫を選んでくれたのだから、羨むことはしたくない。
「……そう、よかったね」
気の抜けたような声が出たが、全ての感情を押し殺して上手く笑うことができた。聡は鼻白んだ顔をして倫を見ていたが、気を取り直して得意げに笑った。
「お前が絶対にできないことなんだぞ」
ふんぞり返った聡は、まるで自分が偉いとでも言っているかのような、幼さとうぬぼれが見え隠れする。
その様子は以前とまるで変わっていなかった。意地悪なところも幼稚なところもまるで成長してない。まだ十三歳といえば甘えたり我儘になったりすることもあるだろうが、外の世界に出れば多少は世間に揉まれて考えが変わってもいいはずなのに、あの頃以上に性根が悪くなっている。
聡に腕を掴まれたとき、何かから逃れようとする必死さと、縋るような表情に、彼も変わったのだと、何か伝えたいことがあるのだと期待したのに、これでは前と全く変わらない。
「そうだね。幸せそうで何より……」
倫が言いかけた言葉を遮って、聡が立ち上がった。
「本気でそう思ってんのかよ!」
驚いて聡を見るが、彼が何を言いたいのか倫にはまるでわからなかった。
再び乱暴に椅子に座った聡は、苛々したように爪を噛む。それが癖なのか、両方の親指は深爪でギザギザになっている。妊娠しているのに痩せ細った体はまるで健康的には見えない。よく見ると目の下にクマもできていて顔色も悪かった。
確か、聡と番ったアルファは、若くして大臣まで上り詰めた将来有望な男性政治家だと言っていた。こういう情報は通常は秘匿されるものだが、本人がしたり顔でベラベラと喋っていたから覚えている。
ただ、倫の記憶だとそのアルファは既婚者で子供もいたはずだ。
結婚していてもオメガの番を求めるアルファは多い。なぜなら、アルファとベータとの間に産まれる子供はほぼベータのみで、アルファとアルファの間ですらアルファが産まれる確率は恐ろしいことに三割に満たない。ところがアルファとオメガの間には六割から七割の確率でアルファが産まれる。
故に地位の高い金持ちたちは、自分の血を引くアルファの子供を求めて伴侶の他にオメガを囲う。何千万という高い金を払って施設から希少なオメガを『買う』のだ。
そう、倫もここにいる大河と将之と亮に買われた。アルファがオメガと番うには高い金を払って施設から買うしかない。
幸いなことに、倫と番った三人は独身で、一緒に生活し、絶えず愛情を注いでくれている。ただ、倫は子供が産めない。十六歳でベータからオメガに転換した稀な倫は、発情期はあるものの、子宮が未発達で子供が産めないと医師から宣告されていた。だから、十歳のバース検査でオメガだと判断され施設に連れてこられた幼いオメガたちから「ハズレオメガ」と言われていたのだ。
十一歳から十三歳頃、発情期がきたオメガは、連日違うアルファたちと小さな部屋の中で対面させられる。
そこで、オメガは自分の番うアルファを見定めるのだ。金で買われることを知っているオメガは故意に値段を釣りあげて焦らしたりする。出された金額の半分は施設に、半分は自分の懐に入る。
子供の産めない倫はずっとアルファと会う機会はなかった。まず、子供が産めない時点で、資料を見たアルファから首を振られる。施設の中にいるオメガは遅くても、十五歳までに番を得て出て行く。十六歳で施設に入った倫ははなから規格外だったこともある。
だから、三人のアルファから対面を求められたとき、信じられなかった。
しかも、ありえないことに事故で三人から同時に噛まれ、番を三人も得てしまった。歪ではあるが今は幸せに暮らしている。
なかなか番ができなかった倫と違い、多数のアルファから番になりたいと求められ、当時、史上最高値の五千万で買われたと言われ、地位も容姿も申し分ないアルファの番を得て、子供もいて二人目も授かって、聡は何が不満なのだろうか?
外の世界に出て行ったオメガたちがその後、どうなったか知る術はない。
得意げに妊娠を語っていた顔も、優越感の他に、どこか憂いげで焦りがあったような気がする。もしかして、望んで妊娠したわけではないのかもしれない。それとも他に不安要素があるのだろうか?
「お前見てると、ほんとイライラする」
聡は忌々しそうに吐き捨てて膝を揺する。嫌われているのは知っていたが、こうして今もなお責められるいわれはなかった。
「倫、出よう」
我慢に耐えかねた大河が、立ち上がって倫の腕を引く。倫は内心同じように感じていたが、言葉と裏腹に何かを訴えかけるように一心に見つめる聡から目が離せなかった。
今別れたら、多分一生会うことはないだろう。
大河と一緒に店を出るか、もう少しここにいるか逡巡していると、聡は不意にテーブルに視線を落とし、暗い目をして呟くように話しだした。
「オメガなんて産む道具でしかない。発情期のときだけセックスしに来て、それ以外ほったらかし。妊娠したら喜んでくれるかと思ったけど……大事なのは子供だけで、オメガのことなんて気にもかけない」
いきなり吐露された聡の実情に息を呑む。
「一緒に暮らしてないの?」
「うんともすんとも言わないこんな男たちに四六時中見張られて、マンションに一人暮らしだよ。あいつには奥さんも子供もいるから、そっちで暮らしてる」
顔を歪め、自分の番をあいつと呼ぶ聡は、未熟な子供ではなく、達観した大人びた表情で他人事のように話した。
「一人暮らしって……子供は?」
「産まれてすぐ、あいつに取られた」
倫は言葉に出ないほど驚き、自分のことのように悲しくなった。あまりにも酷い話だ。
「こんなことなら番にならなきゃよかった」
聡から泣きそうな声が零れる。
「……でも」
「そうだよ。番にならなきゃ、あそこを出られない。なんにもない、つまんない場所から出れると思って俺は……」
言葉を詰まらせて、聡はぐっと拳を握る。
「家族には会ってる?」
「知らねえよ。俺から金をせびりに来る奴らなんか……」
聡の薄情な家族の事情まで知らされて切なくなった。
倫は施設から出たその日に、三人に連れられて実家に行った。両親や兄弟は元気な姿の倫を見るなり涙を流して強く抱きしめてくれた。両親からは愛されて育った記憶しかない。誰かを恨むことも憎むことなく、こうしてすくすく育ったのはひとえに両親のおかげだった。
「他に知り合いとか……」
「いねえよ」
聡は握り締めた拳を震わせ、強く噛みしめた唇から苦しげな声を出した。
「檻だよ。出られない檻の中だ。いくら金をもらって贅沢を尽くしたって、部屋の中でずっと閉じ込められていたらなんにもできない。頭がおかしくなる」
「今日はどうして外に?」
「妊娠したから病院に行ってたんだよ。唯一マンションから出れる機会だ」
聡は虚ろな眼差しで、恐ろしい言葉を吐き出した
「妊娠なんてしたくないのに子供ができて……このせいで外に出れるなんて……。あいつは産めるだけ俺に子供を産ませようとしてる。はじめの子だって最初の発情期でできた。今腹にいる子だって、子供が産まれて次の発情期が来てすぐできた。たった年に一回来るだけの男に妊娠させられて……俺はこの先ずっと……」
倫は思わず身を乗り出し、手を伸ばして聡の手を強く握りしめる。これ以上言わせたくなかった。聞きたくなかった。
すると今まで置物のように何も言わなかった付き人の男性が、急に口を挟んできた。
「聡様、もうお時間です。早く戻られませんと」
聡は眦を釣りあげて、テーブルを強く叩いた。
「時間って……戻って誰がいるんだよ。何があるってんだよ。誰もない部屋でまた一人ぼっちなのに」
気丈な聡が目に涙を浮かべ、項垂れている。倫はどうしたらいいのか必死で頭を働かせた。
「誰かに言って保護してもらうとか……でも、どこに言ったらいいんだろう」
考えているうちに口から言葉が出ていたようで、大河が心配そうに「倫」と名前を呼んでいる。
「聡様、もう出ましょう」
付き人の男性はレシートを手に持ち立ち上がった。聡の腕を強引に引いて立ち上がらせる。倫は思わず付き人の男性を引き留めるように立ち塞がった。
「待ってください」
付き人の男性は非情なまでの冷たさで、倫を見下した。
「構わないでください。オメガをどうこうできるのは番のアルファだけなのですから」
「でも、彼は苦しんでる。このままじゃきっと……」
放っておくことはできずに、倫は聡を庇うように間に割りこんだ。
「倫、俺たちは介入できない」
大河までも静かな声で冷たいことを言う。
倫はままならない思いを込めて大河に縋った。
「彼は俺かもしれないんです。もしあなたたちに出会わなかったら、俺がこうなっていたかもしれない。助けてあげたいんです」
大河は痛ましそうな表情をしながらも、首を横に振る。
「番になった時点で、オメガのことはすべてアルファに一任されている。外部が口出しできる問題じゃないんだ」
ショックで立ちすくむ倫の前で、付き人の男性が頭を下げて「失礼します」と聡の背中を押した。
「こんなことなら、施設にいた頃のほうがまだましだった」
ぽつりと囁いた聡は、俯いたまま力ない足取りで付き人と一緒に行ってしまった。
気がつけば周囲の人たちが、こちらをちらちら見ては、声を潜め話している。注目を浴びてしまっているようだ。
大河が、帽子をぐっと前に下げ「俺たちも行こう」と倫の手を引き、足早に喫茶店を出る。
何もしてやれなかった、と悔やむ思いから、歩く足取りが重くなる。車に乗ってもしんとした静寂が流れていて、倫は窓から流れる景色をぼんやりとした表情で眺めていた。
車から飛び出してきた少年……確か名前は観月聡(みづき さとし)だったような気がする。彼が、倫の腕を離さなかったので、とりあえずどこか静かな場所で話そうと大河が提案し、付き人らしき人たちと一緒に近くの喫茶店に入った。
聡はふてぶてしい様子でクリームソーダを飲み、時折倫と隣に座る大河にちらちら目を向けるだけで、話そうとはしない。
三人いた体格のいい付き人の男性は、一人は聡の隣に座り、もう一人は入り口付近に陣取り、三人目は喫茶店の外で目を光らせている。重要人物を警護しているかのように厳重な態勢だ。
ここは倫から何か話したほうがいいだろうかと考えたが、聡とは施設にいた頃もろくに会話をしたことがなかったので、話が思いつかない。それに、聡は率先して倫を「ハズレオメガ」と言って蔑んでいたから、できれば今も会いたくない相手ではあった。
「元気だった?」
口から出た言葉は当たり障りのない問いかけではあったが、聡は何が気に入らないのか睨みつけてきた。
「見てわかるだろ?」
先にアルファの番を得て施設からいなくなったのが聡で、会わなくなって一年半が経っている。当時十一歳だった聡は今、十三歳ぐらいだろうか。
きつい眦が特徴的な美しい少年だった聡は、その成長過程にあっても目を惹く容姿は衰えていない。だが、病的なまでに体が細かった。掴まれた際も感じたが、腕が棒のように細く、顎も痩せて尖っていて、言葉に覇気も感じなかった。
倫はコーヒーを一口飲んだ。その途端に噎せてせきこむ。苦い。
慌てて大河が倫の背中を摩り「大丈夫か?」と訊いてくる。頷いてコーヒーを見れば、砂糖もミルクもそのまま残っている。思った以上に気が動転していたようで、ブラックでコーヒーを飲んでいた。
角砂糖を二つ、ミルクは全部流しこんで、スプーンで何度もかき混ぜる。
「俺のもいるか?」
コーヒーに口をつけてない大河はミルクと砂糖をそっと倫に押しやった。
「いえ、大丈夫です」
二人のやり取りを見ていた聡は、わざとストローの音を立ててクリームソーダを飲み干した。そして、ずいっと体を前に乗り出して、大河を凝視する。
「渋川大河ってアルファなんだな。しかも相手があんたなんて」
声はそれほど大きくなかったが、誰かが聞いているかもしれない場所で大河のことを話す聡に、倫はさりげに周囲を見回す。テーブルの周りの席には誰も座っていなかったが、たまに人が側を通り過ぎるので気が気ではない。
「俺が誰を選ぼうと勝手だ」
大河は乱暴に膝を組んで、苛々しているかのようにため息をついた。
「じゃあ、お前がハズレオメガってことも……」
聡が馬鹿にしたように言いかけて、射るように睨みつけた大河を見て、口をもごもごと濁らせる。
倫が俯くと、大河は手を握りしめた。倫は大丈夫というように微笑んだ。
ハズレオメガと言われた瞬間、胸は少し痛んだが、あの頃よりずっと楽に呼吸ができる。大河も他の二人も、倫の事情を知って側にいてくれるから何も心配してない。
「俺は今、二人目を妊娠しているんだ」
聡は自慢げに言って腹を撫でる。一瞬息が止まりそうになったが、いくら羨んだところで不可能が可能に変わるはずがなかった。三人はそれでもいいと言って倫を選んでくれたのだから、羨むことはしたくない。
「……そう、よかったね」
気の抜けたような声が出たが、全ての感情を押し殺して上手く笑うことができた。聡は鼻白んだ顔をして倫を見ていたが、気を取り直して得意げに笑った。
「お前が絶対にできないことなんだぞ」
ふんぞり返った聡は、まるで自分が偉いとでも言っているかのような、幼さとうぬぼれが見え隠れする。
その様子は以前とまるで変わっていなかった。意地悪なところも幼稚なところもまるで成長してない。まだ十三歳といえば甘えたり我儘になったりすることもあるだろうが、外の世界に出れば多少は世間に揉まれて考えが変わってもいいはずなのに、あの頃以上に性根が悪くなっている。
聡に腕を掴まれたとき、何かから逃れようとする必死さと、縋るような表情に、彼も変わったのだと、何か伝えたいことがあるのだと期待したのに、これでは前と全く変わらない。
「そうだね。幸せそうで何より……」
倫が言いかけた言葉を遮って、聡が立ち上がった。
「本気でそう思ってんのかよ!」
驚いて聡を見るが、彼が何を言いたいのか倫にはまるでわからなかった。
再び乱暴に椅子に座った聡は、苛々したように爪を噛む。それが癖なのか、両方の親指は深爪でギザギザになっている。妊娠しているのに痩せ細った体はまるで健康的には見えない。よく見ると目の下にクマもできていて顔色も悪かった。
確か、聡と番ったアルファは、若くして大臣まで上り詰めた将来有望な男性政治家だと言っていた。こういう情報は通常は秘匿されるものだが、本人がしたり顔でベラベラと喋っていたから覚えている。
ただ、倫の記憶だとそのアルファは既婚者で子供もいたはずだ。
結婚していてもオメガの番を求めるアルファは多い。なぜなら、アルファとベータとの間に産まれる子供はほぼベータのみで、アルファとアルファの間ですらアルファが産まれる確率は恐ろしいことに三割に満たない。ところがアルファとオメガの間には六割から七割の確率でアルファが産まれる。
故に地位の高い金持ちたちは、自分の血を引くアルファの子供を求めて伴侶の他にオメガを囲う。何千万という高い金を払って施設から希少なオメガを『買う』のだ。
そう、倫もここにいる大河と将之と亮に買われた。アルファがオメガと番うには高い金を払って施設から買うしかない。
幸いなことに、倫と番った三人は独身で、一緒に生活し、絶えず愛情を注いでくれている。ただ、倫は子供が産めない。十六歳でベータからオメガに転換した稀な倫は、発情期はあるものの、子宮が未発達で子供が産めないと医師から宣告されていた。だから、十歳のバース検査でオメガだと判断され施設に連れてこられた幼いオメガたちから「ハズレオメガ」と言われていたのだ。
十一歳から十三歳頃、発情期がきたオメガは、連日違うアルファたちと小さな部屋の中で対面させられる。
そこで、オメガは自分の番うアルファを見定めるのだ。金で買われることを知っているオメガは故意に値段を釣りあげて焦らしたりする。出された金額の半分は施設に、半分は自分の懐に入る。
子供の産めない倫はずっとアルファと会う機会はなかった。まず、子供が産めない時点で、資料を見たアルファから首を振られる。施設の中にいるオメガは遅くても、十五歳までに番を得て出て行く。十六歳で施設に入った倫ははなから規格外だったこともある。
だから、三人のアルファから対面を求められたとき、信じられなかった。
しかも、ありえないことに事故で三人から同時に噛まれ、番を三人も得てしまった。歪ではあるが今は幸せに暮らしている。
なかなか番ができなかった倫と違い、多数のアルファから番になりたいと求められ、当時、史上最高値の五千万で買われたと言われ、地位も容姿も申し分ないアルファの番を得て、子供もいて二人目も授かって、聡は何が不満なのだろうか?
外の世界に出て行ったオメガたちがその後、どうなったか知る術はない。
得意げに妊娠を語っていた顔も、優越感の他に、どこか憂いげで焦りがあったような気がする。もしかして、望んで妊娠したわけではないのかもしれない。それとも他に不安要素があるのだろうか?
「お前見てると、ほんとイライラする」
聡は忌々しそうに吐き捨てて膝を揺する。嫌われているのは知っていたが、こうして今もなお責められるいわれはなかった。
「倫、出よう」
我慢に耐えかねた大河が、立ち上がって倫の腕を引く。倫は内心同じように感じていたが、言葉と裏腹に何かを訴えかけるように一心に見つめる聡から目が離せなかった。
今別れたら、多分一生会うことはないだろう。
大河と一緒に店を出るか、もう少しここにいるか逡巡していると、聡は不意にテーブルに視線を落とし、暗い目をして呟くように話しだした。
「オメガなんて産む道具でしかない。発情期のときだけセックスしに来て、それ以外ほったらかし。妊娠したら喜んでくれるかと思ったけど……大事なのは子供だけで、オメガのことなんて気にもかけない」
いきなり吐露された聡の実情に息を呑む。
「一緒に暮らしてないの?」
「うんともすんとも言わないこんな男たちに四六時中見張られて、マンションに一人暮らしだよ。あいつには奥さんも子供もいるから、そっちで暮らしてる」
顔を歪め、自分の番をあいつと呼ぶ聡は、未熟な子供ではなく、達観した大人びた表情で他人事のように話した。
「一人暮らしって……子供は?」
「産まれてすぐ、あいつに取られた」
倫は言葉に出ないほど驚き、自分のことのように悲しくなった。あまりにも酷い話だ。
「こんなことなら番にならなきゃよかった」
聡から泣きそうな声が零れる。
「……でも」
「そうだよ。番にならなきゃ、あそこを出られない。なんにもない、つまんない場所から出れると思って俺は……」
言葉を詰まらせて、聡はぐっと拳を握る。
「家族には会ってる?」
「知らねえよ。俺から金をせびりに来る奴らなんか……」
聡の薄情な家族の事情まで知らされて切なくなった。
倫は施設から出たその日に、三人に連れられて実家に行った。両親や兄弟は元気な姿の倫を見るなり涙を流して強く抱きしめてくれた。両親からは愛されて育った記憶しかない。誰かを恨むことも憎むことなく、こうしてすくすく育ったのはひとえに両親のおかげだった。
「他に知り合いとか……」
「いねえよ」
聡は握り締めた拳を震わせ、強く噛みしめた唇から苦しげな声を出した。
「檻だよ。出られない檻の中だ。いくら金をもらって贅沢を尽くしたって、部屋の中でずっと閉じ込められていたらなんにもできない。頭がおかしくなる」
「今日はどうして外に?」
「妊娠したから病院に行ってたんだよ。唯一マンションから出れる機会だ」
聡は虚ろな眼差しで、恐ろしい言葉を吐き出した
「妊娠なんてしたくないのに子供ができて……このせいで外に出れるなんて……。あいつは産めるだけ俺に子供を産ませようとしてる。はじめの子だって最初の発情期でできた。今腹にいる子だって、子供が産まれて次の発情期が来てすぐできた。たった年に一回来るだけの男に妊娠させられて……俺はこの先ずっと……」
倫は思わず身を乗り出し、手を伸ばして聡の手を強く握りしめる。これ以上言わせたくなかった。聞きたくなかった。
すると今まで置物のように何も言わなかった付き人の男性が、急に口を挟んできた。
「聡様、もうお時間です。早く戻られませんと」
聡は眦を釣りあげて、テーブルを強く叩いた。
「時間って……戻って誰がいるんだよ。何があるってんだよ。誰もない部屋でまた一人ぼっちなのに」
気丈な聡が目に涙を浮かべ、項垂れている。倫はどうしたらいいのか必死で頭を働かせた。
「誰かに言って保護してもらうとか……でも、どこに言ったらいいんだろう」
考えているうちに口から言葉が出ていたようで、大河が心配そうに「倫」と名前を呼んでいる。
「聡様、もう出ましょう」
付き人の男性はレシートを手に持ち立ち上がった。聡の腕を強引に引いて立ち上がらせる。倫は思わず付き人の男性を引き留めるように立ち塞がった。
「待ってください」
付き人の男性は非情なまでの冷たさで、倫を見下した。
「構わないでください。オメガをどうこうできるのは番のアルファだけなのですから」
「でも、彼は苦しんでる。このままじゃきっと……」
放っておくことはできずに、倫は聡を庇うように間に割りこんだ。
「倫、俺たちは介入できない」
大河までも静かな声で冷たいことを言う。
倫はままならない思いを込めて大河に縋った。
「彼は俺かもしれないんです。もしあなたたちに出会わなかったら、俺がこうなっていたかもしれない。助けてあげたいんです」
大河は痛ましそうな表情をしながらも、首を横に振る。
「番になった時点で、オメガのことはすべてアルファに一任されている。外部が口出しできる問題じゃないんだ」
ショックで立ちすくむ倫の前で、付き人の男性が頭を下げて「失礼します」と聡の背中を押した。
「こんなことなら、施設にいた頃のほうがまだましだった」
ぽつりと囁いた聡は、俯いたまま力ない足取りで付き人と一緒に行ってしまった。
気がつけば周囲の人たちが、こちらをちらちら見ては、声を潜め話している。注目を浴びてしまっているようだ。
大河が、帽子をぐっと前に下げ「俺たちも行こう」と倫の手を引き、足早に喫茶店を出る。
何もしてやれなかった、と悔やむ思いから、歩く足取りが重くなる。車に乗ってもしんとした静寂が流れていて、倫は窓から流れる景色をぼんやりとした表情で眺めていた。
1
あなたにおすすめの小説
ふたなり治験棟 企画12月31公開
ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。
男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!
上手に啼いて
紺色橙
BL
■聡は10歳の初めての発情期の際、大輝に噛まれ番となった。それ以来関係を継続しているが、愛ではなく都合と情で続いている現状はそろそろ終わりが見えていた。
■注意*独自オメガバース設定。■『それは愛か本能か』と同じ世界設定です。関係は一切なし。
こじらせΩのふつうの婚活
深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。
彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。
しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。
裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。
断られるのが確定してるのに、ずっと好きだった相手と見合いすることになったΩの話。
叶崎みお
BL
ΩらしくないΩは、Ωが苦手なハイスペックαに恋をした。初めて恋をした相手と見合いをすることになり浮かれるΩだったが、αは見合いを断りたい様子で──。
オメガバース設定の話ですが、作中ではヒートしてません。両片想いのハピエンです。
他サイト様にも投稿しております。
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる