愛おしい君 溺愛のアルファたち

山吹レイ

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抱けない男 前編

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 朝起きたときから、どこか体の不調を感じていた。
 だるくて頭がぼうっとする。風邪だろうか、と思ったが、体温を測っても熱もなく、咳や喉の痛みも鼻水の症状もない。だとすれば思い当たることは一つしかない。発情期だ。
 三人と一緒に暮らすようになってから二か月が過ぎ、マンションで暮らし始めてはじめての発情期になる。予定より一週間ほど早いが、オメガとして未熟で子供も産めない倫の発情期の周期は乱れがちで、三か月きっちりでくることはほとんどなかった。遅れることもあれば、今のように早まることもある。
 将之と大河を送り出したあとでよかった。朝から調子が悪かったら、二人に迷惑をかけることになる。亮は、いつも昼近くにならないと起きてこないので、動けるうちに掃除や洗濯をすませてしまえばなんとかなるだろう。
 番ができてからはじめての発情期とはいえ、倫の気持ちは重く沈む。性欲だけに支配される一週間は、ひたすらベッドで己を慰めるしかなく、オメガに転換するまでオナニーすらあまりする必要もないほど淡白な倫にとってひどく淫らで後味の悪いものだった。だから未だにセックスにも慣れない。もちろん、今まで付き合った相手もいないし、キスも初体験もあの三人だ。
 洗い物を終えて、いつもは丁寧にするトイレ掃除もさっと終えて、バスルームへと行く。
 早く掃除を終わらせて、部屋に閉じこもらなければならない。
「倫? りーん?」
 タイルをスポンジで擦っていると、もう起きてきたのか亮の呼ぶ声がする。
「はーい」
 返事をして立ち上がると、くらりと一瞬眩暈が襲った。貧血でもないのに、頭がグラグラして顔が熱い。目を閉じて、何度か深呼吸して気持ちを落ち着かせようとしたが、自分の心臓の音が聞こえるほど、体が緊張していた。
「コーヒー切れてたみたいだけど、買い置き……」
 亮が声を聞きつけてバスルームまで来たが、倫の様子を見るなり、はっとする。
「具合悪い? それになんか……甘い匂いがする」
 目ざとい亮は、一目見て倫の体調を言い当てて、匂いを嗅いでいる。三人には体調を含め、隣室から異音がするとかインターホンが鳴ったとか、少しでもおかしいところがあれば隠さずすぐに言ってほしいとお願いされている。倫は申し訳なく思いながらも躊躇いがちに告げた。
「実は発情期が来ているみたいで……これが終わったら、すぐ部屋に行きます」
「掃除なんていいから、後から俺がやっとく」
 亮は手からスポンジを取って、倫の体を抱き上げる。すぐさま寝室へと連れてこられ、ベッドに寝かされた。
「発情期は来週って聞いてたけど……早く来たんだね」
 発情期の日にちを三人には前もって話してある。それから、予定通りに来ることは滅多になく、早くも遅くもなったりすることも伝えてある。大河は休みをもらうように仕事を調整するとか言っていたし、将之も有給をどうこう話していた。
「すみません。ご迷惑をおかけして……」
「謝ることはないよ。悪いことじゃないんだから。でも……どうしようか」
 亮は、らしくなく悩んでそわそわしている。はじめて発情期を体験するのだから戸惑っているのだろう。
「あの……一人にしてもらえば、大丈夫ですから。食事とかは申し訳ないんですが、自分で作っていただくしか……」
 あまり発情した姿を見せたくなくて、毛布で肩まで覆い体をくの字に曲げる。
「俺たちの食事の世話とか気にしなくていい。今は自分の体を一番に考えて欲しい」
 熱はないのに亮は倫の額や頬に手を当てたり、ずれてもいない毛布を口元まで引き上げたりして落ち着きがない。
「ありがとうございます。一週間程度でおさまると思うので、それまでご迷惑をおかけします」
 倫は僅かに顎を引き目線で礼を述べる。
 亮は携帯電話を取り出して、忙しなく指を動かしている。多分二人に連絡しているのだろう。
「自分のことは自分でできるから安心していい。よし、二人にも連絡はしておいた。あとは今をどう乗り切るかだね……」
 そう言って笑顔を見せる亮はどこかぎこちない。
「あ、飲み物持ってこようか? あとは口につまめるものとか。ちょっと待って」
 色々と思いついた亮は、倫の返事を待つことはなく慌ただしく部屋を出て行く。
 いつもと様子が違うのは気が動転しているからかもしれない。
 倫も今は落ち着き払って対応できるが、はじめて発情期が来たとき、自分の体に何が起こったのかわからず、混乱して泣き叫んだ。変な病気に罹患し、このまま死ぬのではないかと思ったのだ。
 幸いにも、学校が休みの土曜日、家にいて、両親に助けを求め救急車を呼んだことで、病院に搬送された。そこで倫は医師にベータからオメガに転換し、発情期が起こったことを告げられたのだが、もし、授業を受けている最中とか、友達と街に出かけているときに発情期になったとしたら……そう考えるととても怖い。発情期のオメガのフェロモンに抗えるアルファはいないという。そこかしこにアルファがいる公共の場で発情すれば、襲われる可能性もあった。
「持ってきたよ。水とお茶。あとは俺がよく食べてるゼリーとか栄養補助食品。これならある程度の栄養が取れるから。それとも将之に帰りに何か買ってきてもらおうか? 何食べたい?」
 サイドテーブルには、大河から贈られた花が飾ってある。その花瓶を隅に置いて、亮はペットボトルやゼリーなどの食べ物を大量に上に乗せていく。積み木でも積み上げるように山盛りに盛って、それでもまだ欲しいものがあるか訊く亮に倫は苦笑した。
「これだけあれば大丈夫です」
「ほんとに? これとは他に、ご飯は俺が作って持ってきてあげるから心配しないで。おかゆとか食べやすいものがいいよね?」
 世話を焼こうとする亮に、病気でもないのにと思うが、いつも発情期のときは一人で部屋に篭るので、嬉しくもありくすぐったくもある。
「本当にありがとうございます」
「倫の番だからね。こういうときぐらい役に立たないと」
 不意に亮は身を屈めて、倫の首元の匂いを嗅ぐ。
「甘い匂いが漂ってるけど……まだそれほどじゃないね」
 三人には施設で一度発情期のときに会って匂いを嗅がれている。そのときはもっと濃いフェロモンが出ていたはずだ。
「これからだと思います」
 だから、もうそろそろ部屋から出て行ってほしいと思ったが、なぜか亮は「他にやることあるかなあ」と言いながら、うろうろと歩き回って倫の側を離れようとしない。
「大丈夫ですから……もし何かあったら呼びます」
 そう言うとやっと亮は倫の気持ちを汲んで「わかった」と頷いた。
「声が聞こえるようにリビングにいるからね」
 不安な様子で倫の顔をじっと見ていたが、しばらくして亮は出て行った。
 ほっとして毛布をずり下げると、体に熱が篭っているように首や脇の下がじっとりと汗ばんでいた。息も心なしか熱い。
 また嫌な一週間がはじまるのだ。
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