愛おしい君 溺愛のアルファたち

山吹レイ

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蝶番 後編

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「よし、長時間の運転になるが、気をつけていこう」
 午前五時。シートベルトを締めた将之が真剣な顔でハンドルを握り前方を見る。
「はい」
 エンジンをかける車の静かな振動を感じ、倫も緊張して頷いた。
 隣県の山の中にある施設まではかなり距離がある。三人と一緒に施設から来たとき、途中で寝てしまったが三時間は車に揺られたような気がする。
 午前九時の約束で、朝食はとらないで来てほしいと言われたので、倫は朝から何も食べていない。いつもの時間よりかなり早く起きて食事の準備や掃除をして動いていたので、お腹が空いているが食べられないのは辛い。
 将之はギアを動かし、ヘッドライトを点けるとゆっくりと車を発進させた。まだ、薄暗い中、人も車も少なく、スムーズに車は進んでいく。
「せっかくの休日なのに、朝早くから申しわけありません」
「気にしてない。倫とドライブだと思えば役得だ」
 俺も行くと言っていた亮は仕事が忙しいらしく、結局行けなくなり、二人での外出になった。
「眠かったら寝てていい」
「将之さんも眠いのに、俺一人だけ寝るなんて……」
「いいんだ」
 将之は片手でハンドルを握りながらブラックコーヒーを飲んでいる。
「ほら、寝ろ」
 赤信号の際、後部座席からひざ掛けを取って倫の膝にかける。
「寒くはないか?」
「大丈夫です」
 ひざ掛けのおかげで足がぽかぽかと温かい。温もりが眠気を誘い、思わず欠伸が出た。
 窓の外をぼんやりした目で眺めながらうとうとしているといつの間に眠っていたようで、次に目を開けた時には、車はもう人気のない山の中を走っていた。
「少し休憩するか?」
 ちょうど広い駐車場があり、トイレや寛げる場所もある。将之は車を停めて外に出たので、倫も車から出た。
 山の中ということもあり、周りは自然で囲まれている。建物や人が多い街とは違い、通る車もなく、静かで時折鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。
 木漏れ日を浴びながら、目を眇めて空を見上げ、大きく息を吸いこむ。
 肌寒い風は秋の気配を濃く帯びていて、針葉樹である松や杉や青々としていたが、広葉樹は赤や黄色に色づいていて紅葉している。オレンジ色の葉を拾い上げて翳していると、将之が隣に立ち、肩を回して大きく背伸びをした。
「あと一時間もかからないと思う」
「遠いですよね」
「でもいい気分転換だ」
「こんなに天気がいいと、ハイキングとかピクニックとかいいですよね」
 つい、口からぽろりと出てしまって、多分それは無理だろうなと思っていたら「考えておこう」と言って将之は優しく笑って頭を撫でた。
「車に戻ろう」
「はい」
 少しだけ憂鬱だった気分も晴れて、再び車に乗った。
 晴れた日に、車でドライブも気持ちがよくて楽しい。これが施設に行く道のりでなかったら、もっと心から楽しめただろうなと思わずにはいられない。
 ほどなくして、白い大きな建物が見えた。
 倫は久しぶりに戻ってきた感覚に、固唾を飲んで、その白い横長の箱のように見える施設をじっと見つめる。車は正面から右側へと回り側面にあった駐車場に停めた。
 こんなにも施設をまじまじと見たのは、ここに来たとき以来かもしれない。施設から出る際は、これからはじまる生活しか頭になかったから、振り返りもしなかった。
「大丈夫か?」
 緊張した面持ちの倫を案じるように将之が顔を覗き込んでくる。
 頷いた倫は車を降りて、将之と並んで施設のドアを開ける。正面からの出入りはしたことがあったが、この側面から入ったことはない。それに、職員が沢山いるこちら側には来たことはなかった気がする。
 入った瞬間の消毒薬の匂いは病院と似ているように思えたが、駆けつけてきた職員の看護師に似た薄い水色の服を見た瞬間、ここは間違いなく施設の中だと感じた。
 女性の職員が二人に気がついて、笑顔で駆けつけてくる。
「瀧本倫くん、こんにちは。よくいらっしゃいました」
「お久しぶりです」
 倫が頭を下げると、将之も小さく頭を下げた。
「番の西将之さんですね。お二人、こちらにどうぞ」
 案内されて廊下の一番奥の部屋へ入り、椅子に座るよう促された。
「少しお待ちください。今日の説明をいたします」
 暫くして一人の若い男性が現れた。この人も倫とは顔見知りの職員だ。
「瀧本くん、元気そうだね」
 倫がぺこりと頭を下げると、男性の目が将之に移る。はっと息を呑んだ男性はぎこちなく将之を見てから手元の資料に目を落とした。一瞬、知り合いなのかと思ったが、隣に座る将之の表情に変わりはない。
 男性が説明をはじめたので、倫は書類に目を落とした。
 これから倫が一人で検査を受けに行き、将之は別室で待機することになる。検査は一時間ほどで終わるらしい。
 最初に書く用紙の説明や検査内容の詳細などを詳しく聞いて、将之と別れ、倫は一人で検査室に向かった。
 検査内容は施設にいた頃と一緒だったし、部屋も一緒だった。施設で暮らしているオメガと出会ったらどうしようと思っていたが、職員以外誰も会うことはなかった。
 オメガが暮らす居住区と検査室とは、行き来も厳重に管理されている。職員といえども簡単に居住区に出入りできないし、逆も然りだ。
 あまり待たされることもなく検査はスムーズに終わり、最後は問診だと言われ一室に通された。
「こんにちは、久しぶり、倫くん」
 そこには白衣を着た医者が待ち構えていた。施設に来たときから体を診てくれていて、誰よりも倫の体を詳しく知っている男性だ。
「お久しぶりです、佐藤先生」
 椅子に座って頭を下げると、佐藤は倫を眺めて優しく微笑んだ。
「顔色がよくて、元気そうだ」
「おかげさまで、よくしてもらってます」
「安心した。ちょっと触れるよ」
 そう言うと佐藤は倫の首に触れて、聴診器で胸の音を聴く。
「最近寒くなったけど、風邪とかひいてない?」
「大丈夫です。週に何度か外を歩くようにもなったし、丈夫になった気がします」
 佐藤は驚いたように目を丸くする。
「外を? 随分健康的な生活を送ってるんだね。食事も三食きちんととってるし……煙草も酒もなし。未成年だし当たり前だけど……これ結構やっちゃうオメガが多い。特に施設から出たオメガはアルコール依存症になることが多いんだよ」
 佐藤は倫が書いた問診票を一つ一つチェックしていく。
「そうなんですか?」
「部屋に閉じ込められていることが多いから、ストレスでね」
 問診票を最後までチェックし終え、佐藤は「うん、問題なさそうだね」と頷く。
「ただ、詳しい検査結果は後日郵送で届くから」
 佐藤はあらためて倫をじっくりと眺め、嬉しそうににこにこと笑う。
「幸せそうでよかった。君は一般的なオメガとは違うから行く末を心配していた」
 心からの言葉に、倫は深く頭を下げる。
「お世話かけました。今はみんなと一緒に楽しく暮らしています」
 身近にいた職員以上に、佐藤には色々と相談に乗ってもらっていた。
「番が三人だといろいろ大変でしょ?」
「うーん、そうでもないです。皆生活習慣が違うから最初は戸惑ったけど、今はもう慣れました」
 この施設から出て、はじめてマンションへ行ったときの動揺は今でも覚えている。どうやって生活をしていけばいいのか、何をすればいいのか、何を食べるのかさえ、不安で三人に訊いた。
 一連の生活の流れがわかってしまえば、やるべきことやりたいことを日々の日課として組みこんでいったが、最初は料理さえしていいのかわからず、買ってきた弁当や総菜を食べていた。
「ちゃんと夜も愛されてるようだし。発情期も番が三人で心強かったね」
 顔から火が出そうなほど顔を赤く染めて、言葉に詰まる。オメガはこの手のことは避けて通れないが、奥手の倫は苦手だった。検査では子宮も調べられるため、倫の性生活もばれてしまっているだろう。
 簡単に同意もできなくて口ごもっていると、佐藤は声を立てて笑った。
「うんうん、本当にいい番に巡り合えたようだ」
 ひとしきり笑った後、佐藤は目を細めしみじみと呟いた。
「羨ましいくらいだ」
 恥ずかしさに俯くだけの倫に、佐藤は穏やかな表情で話しだした。
「これはもう過ぎた話だから言うけど、もし君が二十歳までアルファから望まれなかった場合、ここで働くという選択肢もあったんだよ」
「本当ですか?」
「実はここの職員は僕も含め、皆オメガだ」
 はじめて知った事実は衝撃的だった。てっきり皆ベータだと思っていた。
「え……でもオメガは番になってアルファの元で暮らすんじゃ?」
「そうだね。でもなんらの事情が生じた場合……例えば、アルファが亡くなったとか、オメガに明らかな虐待が認められて警察に保護されたとか、そういうときにオメガが生きていく場所が必要になる。そこで施設で働いて生活が成り立つようにしている」
「虐待……もしかして、そういうオメガたちの避難所みたいなものですか?」
「そうだ」
 そのとき、とある人物を思い浮かべて、倫は前のめりになる。
「なら、助けてほしい人がいるんです」
 佐藤も屈んで真剣な表情で声を潜めた。
「誰だい?」
「観月聡くんです。彼とは一度偶然外で会ったんですが、幸せな状況とは言えなくて……」
 佐藤の表情がみるみるうちに曇っていく。
「……残念だけど、彼は亡くなった」
 あまりにもショック過ぎて声が震えた。
「いつですか?」
「半年ぐらい前だったかな。飛び降り自殺だった」
「飛び降り自殺!? そんな……」
 聡の危機を感じてはいたが、あのときは何もしてやれなかった。番のアルファしか対処できないと言われれば、誰だって安易に手出しできない。
「オメガはね、本当につらい状況にある。僕もやっと逃げ出してここに来た。それから猛勉強して医師の免許をとったんだ」
「そうなんですね……でも、もっと早くにそういう道も残されていると知ったら……」
「実は、逃げ道は知らせないことになってる」
 厳しい口調で佐藤は続ける。
「僕たちは逃げられない。だから、アルファという番に未来を望むんだ。みんながみんな不幸なわけじゃない。君みたいに幸せになったオメガも少ないけどいる」
「はい……」
 噛みしめるように頷いた倫に、佐藤は身を寄せて、小さな声で話しだした。
「それから、君のこれからの未来のことについて、一つ助言を」
「なんでしょう?」
「オメガだからといって、何もかも諦めちゃいけない。勉強したいなら通信制の学校もある。仕事だって外に行くのは難しいかもしれないけど、在宅の仕事もある。最悪、アルファから見捨てられても、離れて生きていく術はあるんだ。発情期は辛いし、番がいるから他の人と結婚も恋愛もできないけど……そういう生き方をしているオメガも稀にいる」
「そう……なんですか?」
「もし困ったことがあったら、いつだって連絡していい。僕の番号を教えるよ。携帯電話は……持たされてないよね。固定電話ももしかしてない?」
 オメガの事情を知っている佐藤は、倫が暮らしている様子がまるで見えているかのように話す。
「ないです」
「携帯電話もないんじゃパソコンもないよね」
 佐藤は電話番号を書いた紙を倫に手渡した。倫は携帯電話の番号に目を通して大切に折りたたんでパンツのポケットに入れた。
「でも、前に携帯電話が欲しいかと訊かれて、そのときは必要なかったからいらないって言ってしまいました。もしかしたら持っていいかもしれません」
 佐藤は「へえ」と本当に驚いた声をあげた。
「珍しい。外も歩いてるって言ってたけど、かなり自由を許されているんだね」
「基本は部屋の中だけですけど、そればかりじゃストレスも溜まるだろうからって書店に行ったりスーパーに言ったりしてます。もちろん付き添いはありますけど」
「君のことをよく考えてるんだね。いい番だ。ただ、くれぐれも発情期が近くなったときの外出は気をつけてね」
「はい。結構不安定なので近くなると外出させてもらえないです。あ、でも番の相手にしかフェロモンって効かないんですよね」
「そうだけど……君の場合は本当に気をつけて」
 佐藤は怖い顔で何度も念を押すように言い聞かせる。
「わかりました」
「よし、じゃあ、番の人を呼んでもらおう」
 それから将之を呼んで、三人で生活環境のことや、倫の体のことについて話し合って終わった。
 検査自体は一時間ほどで終わったが、思った以上に佐藤と話をしていたようで、施設を出る頃には、十二時近くなっていた。どこかで昼食をとって帰ることになり、ほとんど外食をしたことがない倫は素直に喜んだ。
 帰る途中で見かけたお洒落なロッジ風のイタリアンレストランに入り、店に流れるジャズに耳を傾けながら、食を楽しんだ。
 聡のことは心から残念だったが、施設に来て本当によかったと思う。
 倫は佐藤から言われた言葉をずっと反芻して、これからのことを考えていた。
 今まであまり考えないようにしていた自分の未来が、ここにきてはっきりと見えたような気がする。
 倫はずっと高校を中退したことが心残りでならなかった。オメガに転換して急に施設に行くことになったことは仕方がないとしても、せめて高校は卒業したかった。施設内では学ぶカリキュラムがあったので、常に勉強は怠らなかったが、それでも高校卒業の証はもらえない。
 もし学ぶ機会を与えてくれたら、もし働けることが可能なら、この生活から自分の生きる意味が見出せるような気がした。
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