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【剛】と花束
しおりを挟む朝から機嫌の悪い勝色が、黙々と仕込みをしていた。
重苦しい雰囲気を醸し出す勝色の空気を敏感に感じ取ってか、花色が声をかけることはしなかった。
続々と食材がよろず屋に届き、勝色がただただひたすらに、気を静めるかのように仕込みをしていた。
そんな忙しいさなか。
「すみません。こちらに勝色さんおいでですか?」
開店前の店のほうから男の声がした。
花色が店に行くと、そこには立派な体躯の大男が色とりどりに咲く花を束にして持って立っていた。その、妙な取り合わせに、しばし花色が呆然と立ち尽くし、声を掛けることもしなかった。
「えっと、勝色は奥におりますが、失礼ですが…」
ハッと我に戻った花色が慌てて大男に問いかけた。
「お、俺、剛といいます。
あの、ほんの僅かで良いんです。
勝色さんと話をさせてもらえませんか」
剛と名乗る大男がが真剣な面持ちで花色に懇願した。
朝の仕込みの忙しい時間帯にも拘らず、何かを察した花色が「今、呼んで来ます」と言って奥に駆けて行った。
厨房に戻った花色が勝色に来客を告げると、勝色が拗ねた子供の様に駄々を捏ね始めた。
「俺は会いたくなんかない。
あいつはハナに用があるんだ」
「カツに会いたくて来たって、真剣そうだったよ」
「いやだね」
「少しだけでもいいだろ、会ってやる位」
「いやだって言ってるだろ」
埒が明かないと思ったのか花色が勝色の手首をむんずと掴み、強引に勝色を店に連れて行き椅子に座らせた。
「仕込みは俺がしておくから」
一見大人しそうに見られがちだが、実は気の強い花色がそれだけいうと、剛に軽く会釈をして厨房に戻って行った。
残された二人の間には冷たい嵐が吹き荒れた。
口火を切ったのは勝色だった。
「俺に何の用?さっきいたのが花色だけど?
あんた花色に会いに来たんだろ?
そんな花まで持ってわざわざ」
剛の前で腕を組み、掠れた笑いを湛えた勝色が一重の切れ長の瞳で花束を睨みつけ、棘のある言い方をした。
「誤解なんだ。俺は勝色さんに会いに来たんだ。
とにかく俺の話を聞いてくれないか」
剛が、あの夜の勝色に伝えられなかった勝色への思いを語り始めた。勝色と花色の名前を間違えてしまった経緯も含めて事細かく。そして勝色を美しい花に喩え、自分が美しいと思う花を摘んだのだと剛が付け加えた。
すべて吐き出してすっきりしたのか、剛の口調も重苦しさが無くなっていた。話の途中、勝色の目からは怒りと哀しみが消え、喜びと期待の表情へと変化していたが俯いて話す剛が気づく事は無かった。
剛の告白を聞き終えた勝色が、口を開きかけたその時だった。
「勝色さんに俺は心底惚れている。でも、傷つけたことは謝っても済む事じゃない。せめて誤解だけは解いて、傷つけた事を詫びたかった。
もう会うことはないと思うが、俺は死ぬまで勝色さんを忘れない。
昨晩は本当にすまなかった」
覚悟を決めたとばかりに俯いたまま席を立ち、迷うことなく店を出て行こうとする剛に勝色が叫んだ。
「なんだよそれ。
そうやって一人でケリつけて、俺の気持ちなんてお構いなしかよ。ふざけるな!」
勝色が思い切り両のこぶしで卓を叩いた。勝色の目には今までにない怒気が宿っていた。
「俺が先にあんたを見つけたんだ。
俺があんたを見つけて、俺が先にあんたを好きになったんだ。
俺が、どんなにあんたに会いたくてこの五年、店に通ってたか判るか?
あんたに飲みに行こうって誘われて、舞い上がった俺の気持ち判るか?
そんだけ惚れてるあんたに名前間違えられた時の俺の気持ち、どんなだったか判るか?
おまけにあれは誤解でした、俺を傷つけたから身を引きますって?
きれいごと言って、全部一人で決めやがって。
俺の気持ちも聞かないで、はい終わりかよ。
なあ、何とか言えよ」
勝色は悲痛な叫び声を剛の背中にぶつけた。
「それでも…それでも花色が好きだとあんたに言われても、それでも諦められなかった俺の気持ちはどうでもいいのかよ」
勝色が堪え切れずに泣き出した。
(もう、これで終わりなのか?)
泣きながら胸中を吐露しながらも、その先にある『終わり』が、ますます勝色に絶望を思わせた。
勝色に背を向けたまま、身を切られる思いで聞いていた剛が、ただならぬ殺気を感じて振り返った。
「色恋に口を挟むのも無粋とは思ったが見かねて出てきてしまった。
剛さんと言ったな。
俺はここの店主の【萬屋 紅】(よろずや こう)と申すもの。
俺からお主にいいたい事がある。
一時の男のプライドで今、この勝色を諦めて、お主は一生後悔はせぬか?
男なら、好いた者を手に入れるために、時にはかっこ悪くともしがみ付かねばならぬ時が必ずあると思うぞ。今がまさにその時ではないのか?
この店を出る前に今一度、冷静になって考えてはくれぬか。
一歩でも店を出れば、お主がどんなに後悔したとて勝色との縁が交わる事は一生許されぬのだから」
それだけを告げると紅は、店の奥へと静かに姿を消した。
紅の殺気と言葉の重みで冷静さを取り戻した剛が、勝色の元へと歩み寄り「俺は、また間違いを繰り返すところでだったのか。すまない」と勝色に深々と頭を下げた。
今度は花色が奥から現れた。
「今日は勝色を一日休みにするので、落ち着くまでついていて欲しいと、紅さまからの伝言です」
そういって花色が心細い足取りの勝色を支えながら、剛を勝色の部屋へと案内した。
「お花花瓶に活けてきますね」
花色が剛の持っていた花束を受け取り部屋を出ると、気まずい空気が部屋を充満し始めた。
程なくして花色が「失礼します」といって花瓶に生けた花を持って再び勝色の部屋を訪れ、文机の上にそっと置いて出て行った。
シンと静まり返った部屋に、剛と勝色が再び二人きりになると、今度は勝色の怒気が部屋を満たし始めた。
「なんでさっき、俺を諦めるようなこと言ったのさ」
勝色が切れ長の瞳で剛を刺すように見た。
勝色が怒っているのは明白だった。
ギロリと睨まれた剛が、本来大人しい性格もあり、しどろもどろで慌てふためき、説明にならない説明を、言い訳の様にし始めた。
「えっと、その…オコンがな、オコンを知っておろう?
初恋は実らないものだからさっさと諦めろと何度も申して…。
俺はその…こんななりだから色恋の話は子供のときから誰ともした事がなくて、その……」
「--誰かにいわれて諦められる程度の気持ちだったってこと?」
勝色が剛を力いっぱい睨みつける。
途端に剛が竦みあがった。
「ち、違う。
俺だって断腸の思いだったんだ。
勝色さんへの気持ちは本物で、ずっと見ているだけでも幸せだったんだ。
でも、昨晩はあまりに嬉しくて舞い上がっちまって。
俺なんか勝色さんに相応しくないのに、欲張ったから罰が当たったんだと思って。
だからすっぱり諦めた方が良いと思ったんだ。
男の美学というか、自尊心というかというか…。
俺の気持ちを押し付けて、勝色さんにまで罰が当たったら大変…」
剛の言葉を遮って勝色が剛の胸に飛び込むと、剛がそのまま硬直した。
「そんなの傲慢と虚栄心でしょ。
俺が剛さんを見初めたんだ。
俺は剛さんしか欲しくない」
勝色にしがみ付かれた剛が「本当にすまない」としょんぼりと口にした。
「今回だけは特別許すけど、次は許さないからな」
勝色が口を尖らせて甘えたように剛に宣言した。
その日の夕刻、女郎屋に戻った剛が仕事に出かける柔と出くわした。
「そのだらしない顔だと、上手いこといったな」
「ああ、そうだ。
お前のお陰だ、柔」
「良かったな、剛にもやっと遅い春か」
「悪いな、お前を差し置いて」
剛が相貌を崩した。
「ったく、だらしねえ面だな。さっさと仕事に行けや。
それと俺も…会わせたい奴がいるから、そのうち四人で会おうぜ」
すれ違いざまに早口でそれだけを言うと、柔が小走りで巴屋のほうに走って行った。
柔の耳が少し赤みを帯びて、照れているのに気づいた剛が「もしかしてお前も」と振り返ったが、柔の姿は既になかった。
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