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1巻
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本の虫である店主は茶を淹れる時間すら勿体ないと活字に向かうものだから、いつも茶は煮出しすぎて渋くなっている。
苦さにぎゅむっと目を瞑りながら、最近入った本などについて聞く。
「え、東域から流れてきた木簡、入手できたの!? 経路が限られていてものすごく入手困難だって聞いたけれど」
「等価交換。こちらは『義獣忌憚』を手放すことになった」
渋い茶以上に渋い顔を見る限り、手放したのは写本ではなく原本だろう。けれども、それだけの価値があるから店主は手放したのだ。
「ねぇ、折り入ってお願いがあるのだけれど、瑞獣……特に白沢について載っている写本はないかしら。どんな小さな記事でもいいわ。図鑑の一部でも構わない。郷土信仰や正確性のないお伽草子でも構わないから」
店主はちらりと私を見て対価を要求する。
「極小経典の写本作成」
うげ、豆粒ほどの大きさの経典の写本は骨が折れる。
「それと新しく入った本の目録作成で手を打とう」
本がどっさり入った木の箱をぽんぽんと叩いた。
ひえっ、木箱三段くらい積み重なってない?
「うぐぐ、条件を呑むわ。ただし、該当箇所の複写許可。これは譲らないわよ」
店主がニヤリと笑い、交渉成立だと言わんばかりに渋い茶のおかわりを差し出してきたけれど、私はそっと遠慮した。
◇◆◇
「いや、やっぱり白沢って架空の生物だよね!?」
あれから数刻。まずはじめに新しい本の山を種類ごとに分けて整理し、目録の作成。
それからちょっとだけ休憩したあと、写本を一刻ほど。いやぁ、持つべきは速記術! なんて思いつつも目をしょぼしょぼさせて写本を作成した。
その後は、店主が書棚の中から出してきた伝承や伝記などの書物の山から、瑞獣や妖怪などの記述をとにかく探しては書き記し、他にも載っていそうな文献がないかと目星をつけていく。
白沢は牛のような外見をしていて、額に第三の目がある。そして人の言葉を理解し発するという稀なる神獣……とされている。
地域信仰の一種かと思って各地方の文献を紐解いても、お伽噺以上の記載はない。書いてあるのは、白沢が現れるのは、安定した治世がなされる吉兆の印とだけ。
突然変異の種から転じた寓話かと思い、似たような獣の目撃例などの文献を漁ったが、日の光に弱い白い獣の話はあっても、人の言葉を理解する特徴は持ち合わせていないことがほとんどで……
白い毛並みの動物は神の御使いとして保護する地方の話も出てきたけれど、検証するには情報が足りない。
「なんじゃ、紅。お主、まだそんなお伽噺を信じておったのか?」
「ぐぬぬ……こういった伝承の大本にはなにか由来となる事象が隠されていることが多いから、それを期待していただけよ」
ぽふりと後ろに倒れ込む。うすうす予想はしていたが、神獣のような存在が実際にいることなんてそうそうあることじゃない。
ずっと細かな字を追って目が疲れたので、目頭をぐにぐにと揉む。
一旦、情報を整理しよう。
ひとつ、黄妃はハクタクを愛玩動物として飼いたいと言っている。その際には金は惜しまないという破格の条件を出している。
ふたつ、「妾によく懐き、妾のことを深く理解するハクタク」という指定が入っている。人によく懐くのではなく、黄妃に懐く瑞獣という指定。
三つ、他の妃の話から、調達人はなんでも調達できるという情報を得ていた。黄妃も調達人ならば入手できると思った……?
「そうだ、黄妃はそんなにも珍しい条件のハクタクなのに、入手できないとは微塵も思っていなかった」
四つ、その条件を課してきた黄妃は、冗談を言ったり困らせてやろうなんて声色はしていなかった。むしろその眼差しはすがるようで……
そのハクタクは瑞獣で間違いないですか? の問いに「うむ」と答えた黄妃。
「是とも取れるけど、ただの相づちなのだとしたら、前提が崩れるな……」
もしかして「瑞獣のハクタク」という言葉に私は必要以上に踊らされていた?
もっと簡単なことなのでは……?
倒れた身体を起こそうとしてじたばたと不器用に動き、なんとか机に向き合って複写した紙をまとめる。
下調べした文献は幾つもある。それが役立たなかったのは悔しいが、調べたこと自体は無駄にはならない。
物事は関連性があることを証明するより、関連性がないことを証明するほうが難しいのだ。
名前に踊らされ、難しく考えすぎてしまった。
もっと単純なことだったのだ。
複写した紙を用紙入れに仕舞い、店主に声をかける。
「紅、用事は済んだのか?」
「ええ、すべきことがわかったわ」
「ほう?」
ぐぬぬっと大きく伸びをして、黄妃に渡す予定の指南書をぱらぱらとめくる。
そこには、入内の際に後宮へ持ち込めるものの規定が細かく記されていた。
生家に仕えていた女官、衣や宝石などの装飾品、嗜好品も毒性がないかを確認したあとなら持ち込みは可。
その他の愛玩動物は猫や鳥などの小動物はよくて、犬は不可。噛み殺すための道具として調教ができるからという理由で、狩猟犬だけでなく小型の犬も基本的には許されないらしい。
大型の動物では、特例で馬だけは許可が出ている。生家から馬車を牽いてきた馬も入内時なら可。
何代か前の妃に馬を育てる趣味があり、後宮内に馬の宿舎を作ったって話だものね。
逆に言えば、それ以外の動物は入内の際に持ち込みは許可されない。
だからもし……入内後、なんらかの動物を後宮内で飼うというのなら、一度調達人に届けてもらう必要がある。つまり調達品という形でなら許されるのだ。
「黄妃の生家は、酪農などが盛んな地域の豪商だったわね。自然と動物と触れ合う機会が他よりも多いのかも。ええと、確か黄妃の生家は甲州よね。そこなら馬車を使えば遠くないはずだわ」
私がしなければならなかったのは、黄妃の生家におもむき、ハクタクという名の黄妃の愛玩動物を探すこと。
ハクタクというのは生きものの種別じゃなくて、名前だったのだ。
黄妃は最初から瑞獣なんて伝説上の生物なんて探していなかった。
遠回りをしてしまって恥ずかしい。
ぺちんと頬を叩く。いや、瑞獣ではなかったと判断する必要はあった。だから先に文献を当たるのは定石だ。
やっと調達人としてすべきことが見えてきた。
◇◆◇
本屋から出ると、日はすっかり落ちていた。
夜に女性が一人で出歩くのは危険だ。近くの店で夕食を食べたあと、その店で籠を呼んでもらい、家に帰った。
翌日、遠出の支度をして町の外へ出るための馬車乗り場へ向かう。
黄妃の生家がある地域は、距離的にはそこまで離れていない。今乗り込んだ馬車で一刻(二時間)ほどといったところだろう。
できれば日帰りで帰りたいなと思いながら馬車に揺られ、昨日調べあげたことを整理する。
ハクタクが元々黄妃の飼っていた愛玩動物だと仮定するなら、その特徴を推測できる。
第一条件として黄妃にとても懐いていて、賢い動物だろう。
さらに入内時の受け入れが許可されていない動物ということを加味すれば、ある程度狭められる。
まずは私が後宮に出入りする商人ということを生家に信じてもらうのが先だな。
ガコンッとたまに石に車輪が乗り上げる衝撃に身体を揺らしながらそんなことを考えた。
しばらくすると、麦畑が一面を覆う、のどかな風景が広がる。
皇族の住まう宮殿とその城下街は人の往来が盛んで、物流の中心でもあるので賑わいを見せているが、少し町から外れるだけでこんなにも牧歌的な景色に変わってしまう。
町の喧騒が私は好きだ。そこに人の営みがあるから、見ているだけでも楽しい。
……けれどもたまにはこういった風景も悪くない。
「まぁ、馬車に揺られると身体の節々が痛いけれど」
しばらくすると、甲州の都に入った。
黄妃の生家はひと目でわかるほどの豪邸だった。
私みたいな若い女の外見ではどれだけ衣を整えていても門前払いだろう。
屋敷の門番に後宮の管理者から渡された許可証を見せ、後宮と取引のある商人の奉公人として、主人に代わりお目通しを願いたいと託けを頼む。
女の私が調達人と言っても信じてもらえないか、軽んじられるだけだ。
なので虎の威を借る狐ではないのだが、使えるものはなんでも使う。
最初門番はその許可証を不審げに見ていたけれど、なんとか上の人に話をしてもらうことができた。家令に確認をとって、本物だと理解してもらえたようだ。
その家令の指示で客間に案内された。
出てきたのは質のいい茶に、牛の乳を発酵して作られた甘味。この地域で作られる乳製品は皇室に献上されるものも多い。
しかもこの甘味は長期保存に適していないため、ここでしか食べられない限定品。
うぐぐ、やるな家令。私を軽んじることなくもてなしてくれることに好感を持つ。
「よくぞ都からおいでくださいました。あなたの主は後宮へ品々を納品される商人とおっしゃいましたか」
客間に現れたのは、背筋がピシリと伸びた老齢の家令だった。
「はい、奉公人の紅姑娘と申します」
「後宮……ということは、妃様にもお目通しを……?」
「後宮への納品は、私が主人の代わりにおこなっております」
「おお、そうでしたか。後宮に直接……それでは、黄妃様にもお会いになられましたか? 黄妃様のご様子はいかがでしたでしょうか。入内して一月ほど経ちましたが、なにかご不便など……」
黄妃と面通りできる立場だと伝えると、相手の態度が軟化した。
入内してしまえば、いくら家族とはいえ会うことはできない。
黄妃は両親や使用人に愛されて育ったのだろう。黄妃の様子を伝えると、家令は嬉しそうに目尻の皺を深める。
しばらく後宮での話をしたあと、家令がおずおずと尋ねてくる。
「紅様に品々をお預けすれば、黄妃様にお渡しいただけるのでしょうか」
「こちらで一度検品をさせていただく必要がございますが、承りたいと思います。もちろん、手紙などもお渡しすることは可能でございます」
「ああ、それはすぐ当主に伝えなければ! 後宮へ品々をお送りしても関所などで時間がかかりますからね。本家の姫様……いえ、黄妃様に足りないものはないか、身体を壊してはいないかと皆で心配していたのです」
今ならハクタクのことを聞くことができるかもしれない。そう思い、家令に探りを入れることにした。
「入内してから黄妃様は少々寂しい思いをしているかもしれないと他の妃様が心配しておられました。生家から届けられたものがあれば、とても喜ばれるでしょう。なにか心の慰めとなるようなものはございますでしょうか。……たとえば、黄妃様が以前大切に育てていらっしゃった草花や愛玩動物など」
家令は少し思い出すように顎に手をかけた。
「そうですね、あの方は草木を愛でるよりも、牛や羊などの世話をするのがお好きな方でしたから……確かに入内の際に規定の動物以外は連れてはいけぬと知り、少々落ち込んでいらっしゃいましたね。なにか可愛がることができる動物がいれば慰めともなりましょうが……」
「もし可能でしたら、黄妃様が可愛がっていた動物を見せてもらうことはできますか? 入内の際に後宮に持ち込むことは難しくても、私どもを通して調達したものであれば、黄妃様にお届けできる可能性がございますので」
生家から届けるにしても生きた家畜類は許可が下りない可能性が高い。
だが、調達人を介してならば……彼女が可愛がっていた動物を後宮へ運ぶことができるかもしれない。
「ええ、もちろんでございます。是非黄妃様をお慰めする動物を連れていってください」
「あの、黄妃様が名前を付けていた動物はおりますか? たとえば、ハクタク……なんて名前を」
「ハクタク……ですか? その、正直に申しますと、大旦那様は黄妃様をそれはそれは大切に、皇帝の妃に相応しくあるようご教育しておりました。そのため黄妃様も、大旦那様には秘密で動物の世話をしていまして……」
家令たちは大旦那の手前、見ぬふりをしていたわけか。
「大旦那様の一族は酪農によって富を築いてきました。農地を大切にし、畜産動物にも情を注いできたという経緯がございます。それゆえ、この屋敷の一角でも珍しい家畜を飼っておいでです。黄妃様が餌付けしてらっしゃったのもそこで間違いないでしょう。詳しい者に案内させます」
家令は一礼すると部屋を出ていった。案内を呼ぶついでに大旦那に子細を説明しに行ったのだろう。
少し待っていると、部屋の外から声をかけられる。黄妃の世話係だったという女性だ。
黄妃の入内に付き添うには年嵩だから屋敷に残ったのだろう。穏和で優しそうなその女中が、家畜を飼っている厩舎に案内してくれるという。
大きな屋敷の広い庭を歩いていくと、やがて畜産を生業にしている家特有の臭いが微かにしてきた。
「貴族の屋敷なのに珍しいでしょう? 黄家では屋敷の一角で酪農の研究をしているのですよ。甲州の農場で何か異変があれば、すぐに黄家お抱えの家畜医が飛んでいって、事態の収拾に尽力するのです。ふふ、そうやって民の生活を守っているからこそ、飢饉や災害などが起きてもすぐに再建ができるのですよ」
確かに、どの地域でも天候や災害によって浮き沈みがあるけれど、この地域の記録ではそこまで大きな被害はない。
それも治める者の力量というわけか。
「うちの姫様もその血を継いでいるのか、本当に動物がお好きでしてね、大旦那様が注意してもすぐに舌を出して餌をやりに行ってしまわれてねぇ」
目を細めて黄妃のことを語る女中は優しげで、どれだけ彼女が愛されていたのかがわかる。
「あの、ハクタクと名付けていた動物に覚えはありますでしょうか?」
「ハクタク……? 姫様はハク、ハクと白い毛並みの動物に話しかけていたので、それかしら……」
「白い毛並み! それこそ黄妃様が望んでいらっしゃる愛玩動物かもしれません!」
確かこの地域の牛や羊は、茶毛か黒毛のものが多かったはずだ。
珍しい白い毛並みというのもハクタクの伝承に合っているので、そう名付けたのだろう。
あとはその動物を都に連れて帰れば依頼が終わるぞ、と喜んで女中の案内する厩舎に向かえば、そこには……
「白い動物が……いっぱい」
その厩舎には牛や羊、犬から少々物珍しい猪など様々な白い動物が寄せ集められていた。
「姫様がハクと呼んでいたのはこの中のどれかだと思うのですが、大旦那様に叱られないように、わたくしどももあまり見ないようにしておりましたので、どの子がそうかとは……」
「白い毛並み……よ、よくぞここまで集めたわね……」
牛や羊なども全て白色。中には目が赤いものもいる。しかも牛や馬、それぞれの動物が一頭や二頭ではなく複数頭存在している。ひえっ。
「それがその、この地域ですと、白色の動物は神の御使いとして殺してはならないことになっているのです。ですが、そうなると村の中では養いきれないと山に還してしまう者もいまして……そこで代々当主が白色の動物が生まれるとこうして保護しているわけなんです。そのうち数や種類が際限なく増えて……」
ぶもぅぅと白い牛が鳴き、羊がそれに対抗するようにめええと呼応し、わふわふっと白い犬がこちらに近寄ってきて撫でて撫でてと尻尾を振り目を輝かせる。
なるほど、なるほど。この中のどれかが……黄妃の言っていたハクタク。
「いや、もう少し詳しく教えてよ……」
べえべえと鳴く白色の動物たちに囲まれて、私は途方に暮れた。
◇◆◇
さて、どうにか黄妃の生家でハクタクを見つけることができた私は、都に戻るにあたってたくさんの手土産を持たされた。
ついでに帰りの馬車まで手配されて、至れり尽くせりだ。
用意されたのは家畜の運搬などもできる大きな木製の二頭牽きの馬車だったので、荷台で白い獣と一緒に過ごすことになったが、まぁ仕方あるまい。
他にも黄妃に届けてほしいと言われた絹織物や茶、嗜好品などが山ほど載せられている。
おまけにいつの間に書いたのだろうと思うほどに分厚い、両親からの手紙も手渡された。
一応念のために品々を検品したが、問題はないように思われた。
黄家の人たちに盛大に見送られ、甲州を出立する。
数刻馬車に揺られ、ハクタクと一緒に都にある自宅の前で降ろしてもらう。
御者は馬車に黄妃への贈り物を載せたまま、都の宿に泊まるらしい。御者はハクタクの世話もしようかと言ってくれたが、手入れをしたいので断った。
生きものを後宮へ届けるためには準備が必要だ。念入りに身体を清め、一晩丹精を込めて世話をする。
次の日の朝、迎えに来てくれた馬車と共に宮殿に向かったが、門番に呼び止められた。
「調達人のお嬢ちゃん、籠や馬車を中に入れる許可証は持っているか?」
「……持ってないでーす」
ぐぬぬ、これだけの荷を抱えているのに、やはりここで止められてしまうのか!
宮殿内に入れないので、乗ってきた馬車からハクタクや荷を下ろしてもらう。
黄妃宛の荷がほとんどだけれど、とにかく量が多い。門番に手伝ってもらって載せられるだけハクタクの背に荷をくくりつける。
少し抗議するような瞳を向けてきたものの、ハクタクはおとなしくしていた。
白い獣というだけでも目立つのに、その背の荷の多さよ。
呼び止められる度に出入りの許可証を見せ、説明する羽目になった。実に面倒くさい。
献上する動物の上に献上品を載せているので実質全部献上品なんだけど、そもそも宮廷内では見慣れない動物なので気になるのだろう。
手拭きに使っていた布でハクタクの蹄などを拭って、宮殿と後宮とを繋ぐ建物に入れる。
「なんだ、その獣は」
はぁぁ。会いたくないときに会ってしまうのが嫌みな上司。
管理者は服の袖で口元を覆っている。く、臭くないもん! ちゃんと昨日家で洗ったもの!
「こちら、黄妃がご所望のハクタクでございます」
「それが瑞獣だと?」
「一片の穢れさえない白い獣、間違いございません。神獣のハクタクでございます」
「……神獣と、言い張るのか?」
正気か? みたいな顔をされると、ちょっぴり心が折れそうになる。
「コホン、書物の一節には『白き獣、神の御使いなりて殺すことなかれ。敬い奉れば慶事となり、嘲り苛めば災事となる』とありますれば、黄妃様が皇帝陛下のために吉兆としてハクタクをご所望というのも得心でございます」
おや? その書物の一節、博識と名高い管理者が知らないと? なんて表情を作ってちらっと見ると、管理者は眉間に皺を寄せている。
「出典は」
「『甲州神事奉納図録』にございますれば」
ふっふっふ。本屋で確認した図録の名前を述べると、管理者はますます眉間の皺を深める。ごく一部地域の貴重書すぎて宮殿の書庫にもないのだろう。
「……それで、その白い獣を後宮で飼うのか」
「はい、大変貴重な神獣でございますから、黄妃宮の近くに厩舎と世話ができる者の配備をよろしくお願いしますね」
にこっと笑いかけると、管理者は苦虫を噛み潰したような顔になる。
双方ともにこの白い獣が瑞獣でないことはわかっている。
だが、「黄妃が皇帝のためにハクタクを所望した」――そう言い張るのであれば、後宮の管理者は否とは言えまい。
たとえ可愛がっていた愛玩動物にもう一度会いたいというささやかな黄妃の願いだったとしても、大義名分が整えば、まかり通る。
管理者は口元を押さえたまま側近に指示を出していた。
……ちゃんと洗ったから臭くないもの。
◇◆◇
後宮へ入る許可が下り、ハクタクを伴って黄妃宮に向かう。
通りすがる女官や宦官に振り向かれながら奥へ進むと、黄妃宮の女官がおやっという顔で出迎えてくれた。
「まぁ、その獣はハクではありませんか?」
どうやら黄妃の生家から付いてきた女官のようだ。
「瑞獣を黄妃様がご所望でしたので」
「あら、そうなのですか!? 背中の荷も姫様宛でしょうか。すぐ姫様にお伝えしてきますね」
他の女官も集まってきて、ハクタクの背に載せられていた荷を下ろして検品を始める。
普段は面会を求めても事前に文を飛ばしていなければ待たされることが多いというのに、今日はすぐに面通りが叶った。
苦さにぎゅむっと目を瞑りながら、最近入った本などについて聞く。
「え、東域から流れてきた木簡、入手できたの!? 経路が限られていてものすごく入手困難だって聞いたけれど」
「等価交換。こちらは『義獣忌憚』を手放すことになった」
渋い茶以上に渋い顔を見る限り、手放したのは写本ではなく原本だろう。けれども、それだけの価値があるから店主は手放したのだ。
「ねぇ、折り入ってお願いがあるのだけれど、瑞獣……特に白沢について載っている写本はないかしら。どんな小さな記事でもいいわ。図鑑の一部でも構わない。郷土信仰や正確性のないお伽草子でも構わないから」
店主はちらりと私を見て対価を要求する。
「極小経典の写本作成」
うげ、豆粒ほどの大きさの経典の写本は骨が折れる。
「それと新しく入った本の目録作成で手を打とう」
本がどっさり入った木の箱をぽんぽんと叩いた。
ひえっ、木箱三段くらい積み重なってない?
「うぐぐ、条件を呑むわ。ただし、該当箇所の複写許可。これは譲らないわよ」
店主がニヤリと笑い、交渉成立だと言わんばかりに渋い茶のおかわりを差し出してきたけれど、私はそっと遠慮した。
◇◆◇
「いや、やっぱり白沢って架空の生物だよね!?」
あれから数刻。まずはじめに新しい本の山を種類ごとに分けて整理し、目録の作成。
それからちょっとだけ休憩したあと、写本を一刻ほど。いやぁ、持つべきは速記術! なんて思いつつも目をしょぼしょぼさせて写本を作成した。
その後は、店主が書棚の中から出してきた伝承や伝記などの書物の山から、瑞獣や妖怪などの記述をとにかく探しては書き記し、他にも載っていそうな文献がないかと目星をつけていく。
白沢は牛のような外見をしていて、額に第三の目がある。そして人の言葉を理解し発するという稀なる神獣……とされている。
地域信仰の一種かと思って各地方の文献を紐解いても、お伽噺以上の記載はない。書いてあるのは、白沢が現れるのは、安定した治世がなされる吉兆の印とだけ。
突然変異の種から転じた寓話かと思い、似たような獣の目撃例などの文献を漁ったが、日の光に弱い白い獣の話はあっても、人の言葉を理解する特徴は持ち合わせていないことがほとんどで……
白い毛並みの動物は神の御使いとして保護する地方の話も出てきたけれど、検証するには情報が足りない。
「なんじゃ、紅。お主、まだそんなお伽噺を信じておったのか?」
「ぐぬぬ……こういった伝承の大本にはなにか由来となる事象が隠されていることが多いから、それを期待していただけよ」
ぽふりと後ろに倒れ込む。うすうす予想はしていたが、神獣のような存在が実際にいることなんてそうそうあることじゃない。
ずっと細かな字を追って目が疲れたので、目頭をぐにぐにと揉む。
一旦、情報を整理しよう。
ひとつ、黄妃はハクタクを愛玩動物として飼いたいと言っている。その際には金は惜しまないという破格の条件を出している。
ふたつ、「妾によく懐き、妾のことを深く理解するハクタク」という指定が入っている。人によく懐くのではなく、黄妃に懐く瑞獣という指定。
三つ、他の妃の話から、調達人はなんでも調達できるという情報を得ていた。黄妃も調達人ならば入手できると思った……?
「そうだ、黄妃はそんなにも珍しい条件のハクタクなのに、入手できないとは微塵も思っていなかった」
四つ、その条件を課してきた黄妃は、冗談を言ったり困らせてやろうなんて声色はしていなかった。むしろその眼差しはすがるようで……
そのハクタクは瑞獣で間違いないですか? の問いに「うむ」と答えた黄妃。
「是とも取れるけど、ただの相づちなのだとしたら、前提が崩れるな……」
もしかして「瑞獣のハクタク」という言葉に私は必要以上に踊らされていた?
もっと簡単なことなのでは……?
倒れた身体を起こそうとしてじたばたと不器用に動き、なんとか机に向き合って複写した紙をまとめる。
下調べした文献は幾つもある。それが役立たなかったのは悔しいが、調べたこと自体は無駄にはならない。
物事は関連性があることを証明するより、関連性がないことを証明するほうが難しいのだ。
名前に踊らされ、難しく考えすぎてしまった。
もっと単純なことだったのだ。
複写した紙を用紙入れに仕舞い、店主に声をかける。
「紅、用事は済んだのか?」
「ええ、すべきことがわかったわ」
「ほう?」
ぐぬぬっと大きく伸びをして、黄妃に渡す予定の指南書をぱらぱらとめくる。
そこには、入内の際に後宮へ持ち込めるものの規定が細かく記されていた。
生家に仕えていた女官、衣や宝石などの装飾品、嗜好品も毒性がないかを確認したあとなら持ち込みは可。
その他の愛玩動物は猫や鳥などの小動物はよくて、犬は不可。噛み殺すための道具として調教ができるからという理由で、狩猟犬だけでなく小型の犬も基本的には許されないらしい。
大型の動物では、特例で馬だけは許可が出ている。生家から馬車を牽いてきた馬も入内時なら可。
何代か前の妃に馬を育てる趣味があり、後宮内に馬の宿舎を作ったって話だものね。
逆に言えば、それ以外の動物は入内の際に持ち込みは許可されない。
だからもし……入内後、なんらかの動物を後宮内で飼うというのなら、一度調達人に届けてもらう必要がある。つまり調達品という形でなら許されるのだ。
「黄妃の生家は、酪農などが盛んな地域の豪商だったわね。自然と動物と触れ合う機会が他よりも多いのかも。ええと、確か黄妃の生家は甲州よね。そこなら馬車を使えば遠くないはずだわ」
私がしなければならなかったのは、黄妃の生家におもむき、ハクタクという名の黄妃の愛玩動物を探すこと。
ハクタクというのは生きものの種別じゃなくて、名前だったのだ。
黄妃は最初から瑞獣なんて伝説上の生物なんて探していなかった。
遠回りをしてしまって恥ずかしい。
ぺちんと頬を叩く。いや、瑞獣ではなかったと判断する必要はあった。だから先に文献を当たるのは定石だ。
やっと調達人としてすべきことが見えてきた。
◇◆◇
本屋から出ると、日はすっかり落ちていた。
夜に女性が一人で出歩くのは危険だ。近くの店で夕食を食べたあと、その店で籠を呼んでもらい、家に帰った。
翌日、遠出の支度をして町の外へ出るための馬車乗り場へ向かう。
黄妃の生家がある地域は、距離的にはそこまで離れていない。今乗り込んだ馬車で一刻(二時間)ほどといったところだろう。
できれば日帰りで帰りたいなと思いながら馬車に揺られ、昨日調べあげたことを整理する。
ハクタクが元々黄妃の飼っていた愛玩動物だと仮定するなら、その特徴を推測できる。
第一条件として黄妃にとても懐いていて、賢い動物だろう。
さらに入内時の受け入れが許可されていない動物ということを加味すれば、ある程度狭められる。
まずは私が後宮に出入りする商人ということを生家に信じてもらうのが先だな。
ガコンッとたまに石に車輪が乗り上げる衝撃に身体を揺らしながらそんなことを考えた。
しばらくすると、麦畑が一面を覆う、のどかな風景が広がる。
皇族の住まう宮殿とその城下街は人の往来が盛んで、物流の中心でもあるので賑わいを見せているが、少し町から外れるだけでこんなにも牧歌的な景色に変わってしまう。
町の喧騒が私は好きだ。そこに人の営みがあるから、見ているだけでも楽しい。
……けれどもたまにはこういった風景も悪くない。
「まぁ、馬車に揺られると身体の節々が痛いけれど」
しばらくすると、甲州の都に入った。
黄妃の生家はひと目でわかるほどの豪邸だった。
私みたいな若い女の外見ではどれだけ衣を整えていても門前払いだろう。
屋敷の門番に後宮の管理者から渡された許可証を見せ、後宮と取引のある商人の奉公人として、主人に代わりお目通しを願いたいと託けを頼む。
女の私が調達人と言っても信じてもらえないか、軽んじられるだけだ。
なので虎の威を借る狐ではないのだが、使えるものはなんでも使う。
最初門番はその許可証を不審げに見ていたけれど、なんとか上の人に話をしてもらうことができた。家令に確認をとって、本物だと理解してもらえたようだ。
その家令の指示で客間に案内された。
出てきたのは質のいい茶に、牛の乳を発酵して作られた甘味。この地域で作られる乳製品は皇室に献上されるものも多い。
しかもこの甘味は長期保存に適していないため、ここでしか食べられない限定品。
うぐぐ、やるな家令。私を軽んじることなくもてなしてくれることに好感を持つ。
「よくぞ都からおいでくださいました。あなたの主は後宮へ品々を納品される商人とおっしゃいましたか」
客間に現れたのは、背筋がピシリと伸びた老齢の家令だった。
「はい、奉公人の紅姑娘と申します」
「後宮……ということは、妃様にもお目通しを……?」
「後宮への納品は、私が主人の代わりにおこなっております」
「おお、そうでしたか。後宮に直接……それでは、黄妃様にもお会いになられましたか? 黄妃様のご様子はいかがでしたでしょうか。入内して一月ほど経ちましたが、なにかご不便など……」
黄妃と面通りできる立場だと伝えると、相手の態度が軟化した。
入内してしまえば、いくら家族とはいえ会うことはできない。
黄妃は両親や使用人に愛されて育ったのだろう。黄妃の様子を伝えると、家令は嬉しそうに目尻の皺を深める。
しばらく後宮での話をしたあと、家令がおずおずと尋ねてくる。
「紅様に品々をお預けすれば、黄妃様にお渡しいただけるのでしょうか」
「こちらで一度検品をさせていただく必要がございますが、承りたいと思います。もちろん、手紙などもお渡しすることは可能でございます」
「ああ、それはすぐ当主に伝えなければ! 後宮へ品々をお送りしても関所などで時間がかかりますからね。本家の姫様……いえ、黄妃様に足りないものはないか、身体を壊してはいないかと皆で心配していたのです」
今ならハクタクのことを聞くことができるかもしれない。そう思い、家令に探りを入れることにした。
「入内してから黄妃様は少々寂しい思いをしているかもしれないと他の妃様が心配しておられました。生家から届けられたものがあれば、とても喜ばれるでしょう。なにか心の慰めとなるようなものはございますでしょうか。……たとえば、黄妃様が以前大切に育てていらっしゃった草花や愛玩動物など」
家令は少し思い出すように顎に手をかけた。
「そうですね、あの方は草木を愛でるよりも、牛や羊などの世話をするのがお好きな方でしたから……確かに入内の際に規定の動物以外は連れてはいけぬと知り、少々落ち込んでいらっしゃいましたね。なにか可愛がることができる動物がいれば慰めともなりましょうが……」
「もし可能でしたら、黄妃様が可愛がっていた動物を見せてもらうことはできますか? 入内の際に後宮に持ち込むことは難しくても、私どもを通して調達したものであれば、黄妃様にお届けできる可能性がございますので」
生家から届けるにしても生きた家畜類は許可が下りない可能性が高い。
だが、調達人を介してならば……彼女が可愛がっていた動物を後宮へ運ぶことができるかもしれない。
「ええ、もちろんでございます。是非黄妃様をお慰めする動物を連れていってください」
「あの、黄妃様が名前を付けていた動物はおりますか? たとえば、ハクタク……なんて名前を」
「ハクタク……ですか? その、正直に申しますと、大旦那様は黄妃様をそれはそれは大切に、皇帝の妃に相応しくあるようご教育しておりました。そのため黄妃様も、大旦那様には秘密で動物の世話をしていまして……」
家令たちは大旦那の手前、見ぬふりをしていたわけか。
「大旦那様の一族は酪農によって富を築いてきました。農地を大切にし、畜産動物にも情を注いできたという経緯がございます。それゆえ、この屋敷の一角でも珍しい家畜を飼っておいでです。黄妃様が餌付けしてらっしゃったのもそこで間違いないでしょう。詳しい者に案内させます」
家令は一礼すると部屋を出ていった。案内を呼ぶついでに大旦那に子細を説明しに行ったのだろう。
少し待っていると、部屋の外から声をかけられる。黄妃の世話係だったという女性だ。
黄妃の入内に付き添うには年嵩だから屋敷に残ったのだろう。穏和で優しそうなその女中が、家畜を飼っている厩舎に案内してくれるという。
大きな屋敷の広い庭を歩いていくと、やがて畜産を生業にしている家特有の臭いが微かにしてきた。
「貴族の屋敷なのに珍しいでしょう? 黄家では屋敷の一角で酪農の研究をしているのですよ。甲州の農場で何か異変があれば、すぐに黄家お抱えの家畜医が飛んでいって、事態の収拾に尽力するのです。ふふ、そうやって民の生活を守っているからこそ、飢饉や災害などが起きてもすぐに再建ができるのですよ」
確かに、どの地域でも天候や災害によって浮き沈みがあるけれど、この地域の記録ではそこまで大きな被害はない。
それも治める者の力量というわけか。
「うちの姫様もその血を継いでいるのか、本当に動物がお好きでしてね、大旦那様が注意してもすぐに舌を出して餌をやりに行ってしまわれてねぇ」
目を細めて黄妃のことを語る女中は優しげで、どれだけ彼女が愛されていたのかがわかる。
「あの、ハクタクと名付けていた動物に覚えはありますでしょうか?」
「ハクタク……? 姫様はハク、ハクと白い毛並みの動物に話しかけていたので、それかしら……」
「白い毛並み! それこそ黄妃様が望んでいらっしゃる愛玩動物かもしれません!」
確かこの地域の牛や羊は、茶毛か黒毛のものが多かったはずだ。
珍しい白い毛並みというのもハクタクの伝承に合っているので、そう名付けたのだろう。
あとはその動物を都に連れて帰れば依頼が終わるぞ、と喜んで女中の案内する厩舎に向かえば、そこには……
「白い動物が……いっぱい」
その厩舎には牛や羊、犬から少々物珍しい猪など様々な白い動物が寄せ集められていた。
「姫様がハクと呼んでいたのはこの中のどれかだと思うのですが、大旦那様に叱られないように、わたくしどももあまり見ないようにしておりましたので、どの子がそうかとは……」
「白い毛並み……よ、よくぞここまで集めたわね……」
牛や羊なども全て白色。中には目が赤いものもいる。しかも牛や馬、それぞれの動物が一頭や二頭ではなく複数頭存在している。ひえっ。
「それがその、この地域ですと、白色の動物は神の御使いとして殺してはならないことになっているのです。ですが、そうなると村の中では養いきれないと山に還してしまう者もいまして……そこで代々当主が白色の動物が生まれるとこうして保護しているわけなんです。そのうち数や種類が際限なく増えて……」
ぶもぅぅと白い牛が鳴き、羊がそれに対抗するようにめええと呼応し、わふわふっと白い犬がこちらに近寄ってきて撫でて撫でてと尻尾を振り目を輝かせる。
なるほど、なるほど。この中のどれかが……黄妃の言っていたハクタク。
「いや、もう少し詳しく教えてよ……」
べえべえと鳴く白色の動物たちに囲まれて、私は途方に暮れた。
◇◆◇
さて、どうにか黄妃の生家でハクタクを見つけることができた私は、都に戻るにあたってたくさんの手土産を持たされた。
ついでに帰りの馬車まで手配されて、至れり尽くせりだ。
用意されたのは家畜の運搬などもできる大きな木製の二頭牽きの馬車だったので、荷台で白い獣と一緒に過ごすことになったが、まぁ仕方あるまい。
他にも黄妃に届けてほしいと言われた絹織物や茶、嗜好品などが山ほど載せられている。
おまけにいつの間に書いたのだろうと思うほどに分厚い、両親からの手紙も手渡された。
一応念のために品々を検品したが、問題はないように思われた。
黄家の人たちに盛大に見送られ、甲州を出立する。
数刻馬車に揺られ、ハクタクと一緒に都にある自宅の前で降ろしてもらう。
御者は馬車に黄妃への贈り物を載せたまま、都の宿に泊まるらしい。御者はハクタクの世話もしようかと言ってくれたが、手入れをしたいので断った。
生きものを後宮へ届けるためには準備が必要だ。念入りに身体を清め、一晩丹精を込めて世話をする。
次の日の朝、迎えに来てくれた馬車と共に宮殿に向かったが、門番に呼び止められた。
「調達人のお嬢ちゃん、籠や馬車を中に入れる許可証は持っているか?」
「……持ってないでーす」
ぐぬぬ、これだけの荷を抱えているのに、やはりここで止められてしまうのか!
宮殿内に入れないので、乗ってきた馬車からハクタクや荷を下ろしてもらう。
黄妃宛の荷がほとんどだけれど、とにかく量が多い。門番に手伝ってもらって載せられるだけハクタクの背に荷をくくりつける。
少し抗議するような瞳を向けてきたものの、ハクタクはおとなしくしていた。
白い獣というだけでも目立つのに、その背の荷の多さよ。
呼び止められる度に出入りの許可証を見せ、説明する羽目になった。実に面倒くさい。
献上する動物の上に献上品を載せているので実質全部献上品なんだけど、そもそも宮廷内では見慣れない動物なので気になるのだろう。
手拭きに使っていた布でハクタクの蹄などを拭って、宮殿と後宮とを繋ぐ建物に入れる。
「なんだ、その獣は」
はぁぁ。会いたくないときに会ってしまうのが嫌みな上司。
管理者は服の袖で口元を覆っている。く、臭くないもん! ちゃんと昨日家で洗ったもの!
「こちら、黄妃がご所望のハクタクでございます」
「それが瑞獣だと?」
「一片の穢れさえない白い獣、間違いございません。神獣のハクタクでございます」
「……神獣と、言い張るのか?」
正気か? みたいな顔をされると、ちょっぴり心が折れそうになる。
「コホン、書物の一節には『白き獣、神の御使いなりて殺すことなかれ。敬い奉れば慶事となり、嘲り苛めば災事となる』とありますれば、黄妃様が皇帝陛下のために吉兆としてハクタクをご所望というのも得心でございます」
おや? その書物の一節、博識と名高い管理者が知らないと? なんて表情を作ってちらっと見ると、管理者は眉間に皺を寄せている。
「出典は」
「『甲州神事奉納図録』にございますれば」
ふっふっふ。本屋で確認した図録の名前を述べると、管理者はますます眉間の皺を深める。ごく一部地域の貴重書すぎて宮殿の書庫にもないのだろう。
「……それで、その白い獣を後宮で飼うのか」
「はい、大変貴重な神獣でございますから、黄妃宮の近くに厩舎と世話ができる者の配備をよろしくお願いしますね」
にこっと笑いかけると、管理者は苦虫を噛み潰したような顔になる。
双方ともにこの白い獣が瑞獣でないことはわかっている。
だが、「黄妃が皇帝のためにハクタクを所望した」――そう言い張るのであれば、後宮の管理者は否とは言えまい。
たとえ可愛がっていた愛玩動物にもう一度会いたいというささやかな黄妃の願いだったとしても、大義名分が整えば、まかり通る。
管理者は口元を押さえたまま側近に指示を出していた。
……ちゃんと洗ったから臭くないもの。
◇◆◇
後宮へ入る許可が下り、ハクタクを伴って黄妃宮に向かう。
通りすがる女官や宦官に振り向かれながら奥へ進むと、黄妃宮の女官がおやっという顔で出迎えてくれた。
「まぁ、その獣はハクではありませんか?」
どうやら黄妃の生家から付いてきた女官のようだ。
「瑞獣を黄妃様がご所望でしたので」
「あら、そうなのですか!? 背中の荷も姫様宛でしょうか。すぐ姫様にお伝えしてきますね」
他の女官も集まってきて、ハクタクの背に載せられていた荷を下ろして検品を始める。
普段は面会を求めても事前に文を飛ばしていなければ待たされることが多いというのに、今日はすぐに面通りが叶った。
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