光と闇

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第一章 誕生

幸せだった夫婦

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 辺りは悲惨な状態だった。

「あ、あ、あ」

 黒いたもやがだいぶ晴れたにしろ、一人の女がすすりり泣く声は、静寂を保つ辺りにむなしく響き渡っていた

「オギャア  オギャア」

 腹を空かせた赤ん坊は夜通し泣き続ける。

 部屋には誰もおらず、家の外には数人の男たちと女が一人でしゃがみこんでいた。それと、女を囲むように立っている男たち。男たちの一人、ヤンもまた、只管ひたすら下を見続け、明るくなった空にも目を向ける事はなかった。

「なんで……なんで……」

 地面に座り込み、涙を浮かべる女は、下を向いて声を上げ続けていた。

 もうどれほど彼らはそうしていたのだろうか。睡眠も取る事もなく、何かを食べる事もなく、ただ非現実な悲惨な光景を目の前に、ずっと立ち尽くしていたのだろうか。

 遠くから馬が駆けて来る音が聞こえると、ヤンはようやく顔を上げ、音のする方を向いた。

「あ、ぁああ」

 誰かが馬に乗り、近付いて来るのにもかかわらず、女は顔を上げようともせず、声だけを発し続ける。その女は、倒れた男を膝枕している格好で、自分の膝の上に横たわる男の顔を見ながら泣き続けていた。

 馬が彼らの元に辿たどり着くのはあっという間だった。

「ヤン!」

 声を上げたカイムは、急いで馬を降りると、立ち尽くしているヤンの下へ駆け寄った。

「ヤン! 大丈夫か?何があったんだ」

 虚ろな目をしているヤンの肩をつかんだが、彼の様子を見たカイムは「おまえあれからずっとここにいるのか?寝てないのか?」と、彼を気遣うように肩をつかむ手を緩めた。

「ラリーさん…」

 ようやく口を開いたヤンは、男を抱き泣きじゃくる女に虚ろな目を向けた。

「どうなってる」

 サタラーたちも困惑しているようで、目の前の光景を見て目を丸くしていた。

「彼らは闇の子の親だ」

 静かに低い声を出したヤンの言葉に、辺りは一瞬の静寂が保たれたが、サタラーはすぐに泣き崩れる女性の元へ歩いて行った。

「ハミットさんですね」

 サタラーは優しく声をかける。

 背中に手を置くと、彼女はようやく顔を上げ「夫が…」と振り絞るような声を出した。

「ヤン…大丈夫か。一回座れ」

 彼女の言葉を聞いたカイムは、放心状態のヤンを支えながらゆっくりと地面に座らせる。

「俺が駆けつけた時…彼女は…死んでた」

 下を向いて低い声を出すヤンは、辺りが見守るなか、ゆっくりと話し始めた。

「真っ黒な子供がいて…旦那さんがいた。旦那さんは子供を刺したと…言っていたけど、子供の傷は……治ってたんだ」

 カイムは目を見開いて側で聞いてる男たちと視線を合わせる。

「炎の神竜様の力だ」

 カイムの肩の横に浮く竜が口にする。

「神竜……?」

 辺りの男たちはつぶやくように言った。

「闇の子に宿った炎の力の事です」

 カイムが静かに答えると「うわさの不老不死の力か……」と、誰かがつぶやいていた。

「俺は……ハミットさんを部屋から出した。動揺してたからな。彼を外に一人で残して、亡くなってた奥さんを…見に行った。そしたら赤ん坊のように奥さんにも…神の力で傷が治って来てた…」

「なんと……」

 辺りはガヤガヤとし始めたが、悲鳴のように叫び出したハミットの妻の声に、再び皆、静寂を取り戻す。

「私、目が覚めて外に出たんです!  そしたら!」

 目は見開き、涙で髪が顔に張り付いた彼女の姿は、とても悲惨なものだった。

「夫は……自殺していました」

 彼女の膝に倒れる男は、首元が真っ赤になっており、そこを中心として血の円が出来ていた。

 ヤンは目を伏せて彼を見ないようにしているようだった。カイムも眉を顰(ひそ)めて目をつむっている。だが唯一”彼”は、男の遺体を直視していた。

「一足、遅かったみたいだな」

 この中で唯一、遺体の傷口に目を向ける黄金の竜は、幼くも低い声を響かせた。

 辺りが竜に注目する。竜は「神竜様の力の跡がある」と続けた。

 カイムはゆっくりと遺体に目を向けるが、あまりにも痛々しい姿に、再び目をらしていた。

「傷口に薄い膜みたいなのがあるだろ。それが傷を治すんだ」

 竜は険しい顔をして言った。

「い、生き返るの!?  私の夫は!!」

 竜の言葉に反応し、かすれた声を懸命に響かせて妻は叫んだ。

「いいや。神竜様の力でも、死んだ人をよみがえらせる事は出来ない」

 妻に言った竜の言葉を聞き「私は……?」と再び下を向いた。

「あんたは死んでなかったんだ。そいつは、神竜様の力に覆われる前に息を引き取っちまったんだな」

 辺りは絶望的な空気が漂い、赤ん坊の泣き声だけが響いていた。

「昨日まで」

 彼女は言う。

「昨日までは」

 子を産んだ後、命を失いかけ

「幸せだったのに」

 目覚めて最初に見たのは真っ黒の赤ん坊と。

「あの人も笑顔でおなかを撫(な)でて」

 焼けただれた部屋と知らない男たちが顔を青ざめて自分を見ている光景。

「外でたくさん食材を頑張って取って来てくれてた」

 真っ黒な赤ん坊に動揺した彼女は

「昨日までそんな毎日だったの」

 夫は外にいると聞いて、外に出て見ると、夫は首を切って死んでいた。

「赤ちゃんを産んでる時も、夫は頑張れ頑張れって!  なのになんで…」

 彼女はもはや、誰に言葉をかけているのかわからなかった。

「なんで目覚めたら…」

 彼女の声と体は大幅に震え出した。

「オギャア  オギャア」

「あの子が産まれてから」

 妻は自分の黒焦げになった家を見つめた。

「闇が産まれてからおかしくなった」

 サタラーは彼女をなだめようと「落ち着いて」と口にしたが

「だってあの子が産まれる瞬間まで、私たちは普通の夫婦だったの!」

 彼女の泣き過ぎてかすれる声に、辺りは口を閉ざした。

そして言うのだ。

彼女は夫と全く同じ言葉を。

「あの子は産むべきじゃなかった」

 その言葉を口にした瞬間、彼女の部屋からは真っ黒なもやが現れた。まるで、彼女の言葉を祝福するかのような、あざ笑うかのような、そんな靄(もや)が。家を覆ったもやは、一瞬鬼のような形相を現し、消えて行った。

「な……」

 辺りにいた者たちは皆、驚いて後退りをする。見た事もない強大な黒い影に、皆、漠然ばくぜんとした表情を浮かべた。

「…………」

「オギャア  オギャア」

 辺りが静まり返る中でも、赤ん坊は元気に泣き続ける。

 叫んでいた母親や周囲も口を閉ざし、彼らは、日に不気味に照らされる焼けただれた家を、目を丸くして見ていた。

「あれは」

 誰の顔を見る事もなく、闇の子が産まれた家をただ直視しながら、ゆっくりと口を開いたサタラー。

「あれは、外に出してはならぬ存在だ」

 つぶやくように言ったサタラーの言葉に、誰も返事を返す者はいなかった。闇の子の母親であるハミットも、自分の家を直視しながら、反論する事もなく無言。

 一組の夫婦が一夜にして、狂気と混乱の世界へと突き落とされた。夫は自殺し、妻は目覚めてから泣き続けた。

 辺りを沈黙させるほどの正体の知れない黒いもや

 闇が産まれてからわずか一日で、こんなにも状況は変わってしまうのだろうか。

「闇の子を”闇”に返そう」

 再び響くサタラーの言葉。彼の言う”闇”とは、ギンフォン国の地下に位置する場所の事だった。そこは、狭く、トイレもない。とても不衛生な環境は、入った者全てに不快な感情を抱かせる。

 光も届かない真っ暗な狭い空間を、人々は闇の空間と呼んでいる。そこは主に大罪を犯した者が閉じ込められる場所だ。数日すると囚人は出されるのだが、闇の空間に閉じ込められ、外に出された者たちは決まって、半狂乱状態になっているなど、本当に恐ろしい場所だった。

 もともと闇の力を持った者は短命であるため、半狂乱になった者のほとんどは自ら命を絶ってしまう。

 辺りを包む静寂は、選択できるはずの道を奪って行った。突如、現れた鬼のような形相の闇に恐怖を感じたのだろう。皆、サタラーの言葉に賛同の沈黙をささげていた。

 その中で唯一、カイムだけは、切なげな視線を闇の子に向けていた。この中で彼だけが、同じ年の赤ん坊を持つのだ。母に抱かれ、両親に笑いかけられた赤ん坊が、どんな顔をして笑うのか。つい昨日までそれを見ていたカイムは、周りの人たちの表情とは違う顔をしていた。

「オギャア、オギャア」

 カイムは、闇の赤ん坊の枯れ果てた声を聞きながら、静かに目を閉じ、下を向いた。彼の姿を黙って見ている竜もまた、何も言わずに目を伏せる。

 反論を受け付けることはないとでも言うような空気の中で、意義を唱えられる者は誰一人としておらず、サタラーが言った方法がより決定的なものとなった。

 闇の子が焼けただれた家から連れ出されたのは、それからほどなくしての事だった。

 沈黙を守る彼らの中心にいるのは、大きな声をあげて泣き腫らす赤ん坊だった。

 闇の子の母親は、ヤンたちが別の街へと連れ出した。賛同しているとは言えど、闇の空間に我が子を閉じ込める様子を見せるのは、さすがにつらいだろうと、サタラーが気遣っての事だろう。

 赤ん坊が泣き声を響かせる中で、唯一賛成しきれないでいるカイムは「他に方法はないのでしょうか」とサタラーたちに口を開いた。

「自分の子と、重ねているのか」

 サタラーは、カイムを責める事もなく、静かに返事を返し「灰の子とは違うんだよ」と、続けた。

「まだ赤ん坊だろ? 母親だって、助けたのは闇の子だ」

 堪らずサタラーたちに声をあげたのは、カイムの頭上に漂う金色の竜だ。

 竜に視線を向ける彼ら。だが、カイムと竜の言葉はあまりにも小さく、正体の知れない恐怖の前には何の意味も持たなかった。

「ラリー、ここは私たちに任せて、灰の子の下へ帰りなさい」

 闇の子を見ながら切ない表情を浮かべるカイムと竜に、サタラーは馬を連れながら言った。

「…………」

 何一つ通らない自分の声。無言で馬に手をかけたカイムは、闇の子に背を向けて馬にまたがった。

「幸運を」

 暫しの沈黙を守り、一言、サタラーに言ったカイムは、馬を走らせた。竜はカイムの背中に張り付き、走り出す馬の振動に揺れながら、闇の子を視界に入れ続けている。

 サタラーたちとの距離が、広がって行く中で、竜は幼い声を響かせた。

「間違った選択だぞ、ありゃ」

「…………」

 竜の言葉を聞いたカイムは、返事を返す事はなく無言だった。

「恐ろしい力だからこそ、ちゃんと育てなきゃ大変な事になる。そうだよなぁ? カイム」

 納得が行かない竜は声を荒らげてカイムに言った。





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