6 / 12
6
しおりを挟む部屋に入り、一人になると、張り詰めていた糸が切れそうになった。
ドッと疲れが押し寄せる。
けれど、ベッドに横になる気にもなれず、私はふらつく足で窓辺へと向かった。
私は窓枠に寄りかかり、ポケットからハンカチを取り出した。
兄上が誕生日にくれた、大切な手作りの刺繍入りのハンカチだ。
これだけが、今の私の心の拠り所だった。
私はハンカチを指で弄びながら、ぼんやりと外を眺めていた。
ヒュッ。
不意に、窓から強い風が吹いた。
ふわり、と私の手からハンカチがさらわれ、窓のすぐ横に伸びた大木の枝に引っかかった。
「あ……」
大切なものが、遠ざかる。
まるで今の自分の境遇のようで、私は咄嗟に窓枠に足をかけた。
ここは二階だ。木までは近い。手を伸ばせば届く距離だ。
私は身を乗り出し、枝へと手を伸ばした。
ふと、下を見た。
地面が遠い。硬い石畳が見える。
(……もしも)
思考が、不吉な方へと滑り落ちる。
(……このまま落ちて死んでしまえば、この悪夢のような現実から抜け出せるんじゃないか?)
魔が差した。
死にたいわけじゃない。ただ、楽になりたかった。
その一瞬の迷いが、足元を狂わせた。
「――エル!!」
背後から、血相を変えたクラウスの声がした。
いつの間に入室していたのだろう。
ビクリと肩が跳ねる。
振り返り、彼と目が合った瞬間――私はバランスを崩した。
「あっ、」
体が宙に投げ出される。
本当に落ちるつもりなんてなかったのに、まるで誰かに捕まれるように何故か私の体は外へ引っ張られた。
落ちる。
「だめだッ!!」
クラウスが叫び、窓から飛び出してきた。
彼は空中で私の体を抱きとめる。
彼の背中が地面に向かう。
彼ほどの魔力があれば、浮遊魔法で着地することなど造作もないはずだ。もちろん、そうすると思っていた。
だが、彼は魔法を使わなかった。
受け身すら取ろうとしなかった。
ただひたすらに、私の頭を庇い、その腕の中に閉じ込めるように強く、強く抱きしめただけだった。
ドォンッ!!
鈍く、重い衝撃音が響いた。
私の体には痛み一つない。
私の下で、クラウスが体重と落下の衝撃をすべて受け止めていたからだ。
「……ぐ、ぅッ……!」
「ク、クラウス!?」
私は慌てて体を起こした。
クラウスは苦悶の表情で息を詰まらせていたが、すぐに私の頬に手を伸ばし、狂ったように体中を触って確認し始めた。
「怪我は、痛いところは!? 頭は打たなかったか!?」
「わ、私は平気だ! それよりお前こそ、なんで魔法を使わなかったんだ!」
私が叫ぶと、クラウスは顔面蒼白のまま、ガタガタと震え出した。
「……よかった、よかった……」
「クラウス?」
「ちがう、まだだ、まだ時間じゃないはずだ……こんなところで、死なせるわけには……」
彼はうわ言のようにブツブツと呟きながら、とてつもない力で私を抱きしめた。
肩に顔を埋め、子供のように泣いている。
「あぁ……よかった、生きてる……エル、エル……」
その姿は、演技には見えなかった。
普段の何を考えてるかわからない管理者でもない。
ただ、私を失うことを極端に恐れる、弱々しい一人の男がそこにいた。
(……本当に兄上のためだけに?……それとも本当に私のことを?)
私の胸の奥で、頑なに強張っていた部分が緩んだ。
気がつけば、私は彼に抱きしめられながら、その温もりに抗えなかった。
私は毒を煽(あお)るような心地で、震える唇だけで彼に微笑みかけた
「……大丈夫だ、クラウス。私は生きているよ」
「エル……?」
「心配をかけてすまなかった。……ありがとう、助けてくれて」
私が優しく背中を撫でると、クラウスはハッとして顔を上げた。
私の微笑みを見て、彼は一瞬呆然とし――それから、またくしゃりと顔を歪めて、一筋の涙を流した。
***
その後、私は無言のクラウスに抱き上げられ、部屋へと連れ戻された。
彼は私をベッドに座らせると、まだ震える手で私の手足を確認しようとする。
「侍医を呼びましょう。どこか打っているかもしれない」
「私は本当に何ともない。クッションがあったからな」
私は苦笑して、彼の腕を掴んだ。
「それよりお前だ。背中から落ちただろう。見せてくれ」
「……大したことありません。これくらい、あとで自分で治しますから」
「嘘をつけ! あの音が聞こえなかったとでも思うのか。……命令だ、脱げ」
私が強く言うと、クラウスは渋々といった様子でシャツのボタンを外した。
彼が背を向ける。
シャツが滑り落ち、鍛え上げられた美しい背中が露わになった。
「……っ」
私は息を呑んだ。
綺麗な筋肉がついたその背中の真ん中に、赤黒く、痛々しい痣(あざ)が浮かび上がっていたのだ。
――ズキン。
その痣を見た瞬間、私の頭の中で、強烈なフラッシュバックが起きた。
知っている。この傷を。
今、私の目の前にあるこの傷は、落下によるものだ。
けれど、私の記憶の中にある傷は違う。
あれは、まだ私たちが幸せだった頃。
クーデターの前日。
父上に蹴り上げられる私を庇って、彼が負った傷と――同じような痣ができていたのだ。
(……ああ、あの日と同じだ)
彼は前回と違うのに、根本は変わらないのか?
それはまた私を裏切るからなのか?
それとも……私の記憶の彼との瞬間も、演技ではなかったのか?
私の思考は、その背中の傷に引きずり込まれるように、過去へと飛ばされた。
私たちがまだ、誰よりも愛し合っていると信じていた――あの、クーデター前日の記憶へ。
***
あれは、クーデターが起きる前日のことだ。
私たちはすでに学園を卒業し、クラウスは私の「婚約者」として、周知されていた。
その日の午後、私は第一王子である兄、ユーリス兄上の部屋に呼び出された。
兄上は私と違って優秀で、病弱だが聡明で、誰にでも優しい人だった。
私はそんな兄上を心から尊敬し、慕っていた。
「エル。……クラウスとは、距離を置きなさい」
兄上の部屋に入るなり、告げられた言葉に私は耳を疑った。
「……どうしてですか、兄上! 彼と私の婚約は、父上も認めていることでしょう?」
「父上は無関心なだけだ。だが私は違う。お前が心配なんだ」
兄上は深刻な顔で、机の上に広げられた資料を示した。
「調べさせたんだ。クラウスの養父であるラドー伯爵……あれは危険だ。裏で過激な思想を持つ者たちと繋がっている可能性がある」
「ラドー伯爵が? まさか、彼はただの変わり者ですよ」
「それだけじゃない。クラウス自身の出自も怪しい」
兄上の瞳が、鋭く私を射抜いた。
「彼の容姿、立ち振る舞い……そしてラドー伯爵の異常な行動。もしかすると彼は、国王暗殺未遂で断罪された、あの『ベルンシュタイン公爵家』のご子息かもしれないんだ」
心臓が跳ねた。
兄上の慧眼(けいがん)は、恐ろしいほど真実に迫っていた。
だが、当時の私は盲目だった。
真実を暴かれることよりも、クラウスを引き離されることへの恐怖が勝ったのだ。
「……考えすぎです、兄上! たかが名前が同じだけで、なぜそこまで疑うのです!」
「エル、お前は……」
「『クラウス』なんて名前は、石を投げれば当たるほどありふれています! 王都に何百人のクラウスがいると思っているのですか?」
私は必死だった。兄上の言葉を否定するために、もっともらしい理屈を並べ立てた。
「もし彼が本当に大罪人の息子なら、もっと必死に素性を隠すはずでしょう? 堂々と本名を名乗っていることこそが、彼が『無関係な別人』である何よりの証明じゃないですか!」
私の剣幕に、兄上は悲しげに口を噤んだ。
ああ、なんと愚かな。
私はこの時、自分自身の言葉で、真実から目を背けたのだ。
「……それに、それが仮に真実だとしてもなんだと言うんです」
「エル?」
「罪人の子は人を愛してはいけないのですか? 愛されてはいけないのか! 彼が誰の子であろうと関係ない! 彼は私を愛してくれている。私を選んでくれたんだ!」
私は叫んだ。
今まで一度も兄上に逆らったことなどなかったのに。
「目を覚ませ、エルリード! もし彼が復讐のために近づいているとしたら、お前は利用されているだけなんだ!」
「違う! 彼を侮辱しないでくれ!」
「エル!」
兄上が私の肩を掴もうと手を伸ばした。
私はそれを拒絶しようとして――力任せに、兄上を突き飛ばしてしまった。
「――っ、あ」
鈍い音がした。
線の細い兄上は、もつれるように倒れ、飾り棚の角に頭を強く打ち付けた。
「……あ、あに、うえ……?」
兄上は動かない。床に、じわりと赤い血が広がっていく。
血の気が引いた。何をしているんだ私は。一番大切にしてくれていた兄上を、この手で。
「なにごとだ!!」
バン! と扉が開け放たれ、怒鳴り声が響いた。
父上だ。騒ぎを聞きつけて近衛兵と共に駆けつけたのだ。
父上は血を流して倒れている兄上を見ると、形相を変えて私に向き直った。
「貴様……ユーリスになんということを!」
「ち、ちがうんです、父上、私は……」
バチンッ!!
言い訳は、強烈な平手打ちによって遮られた。
私は弾き飛ばされ、床に無様に転がった。口の中が切れて鉄の味がする。
「この、出来損ないが!!」
父上は倒れた私に歩み寄り、さらにその足を振り上げた。
蹴られる。
私は反射的に身を縮め、目を閉じた。
――ドスッ。
鈍い音が響いた。けれど、痛みは来なかった。
恐る恐る目を開けると、私の上に覆いかぶさる人物がいた。
「……クラウス?」
彼は私の盾となり、父上の蹴りをその背中で受け止めていたのだ。
父上の靴が、容赦なく彼の背中や肩を打ち据える。
「どけ! どこぞの馬の骨とも知れぬ分際で、私の邪魔をするか!」
「……申し訳ございません、陛下。ですが、殿下への暴力はおやめください」
クラウスは呻き声ひとつ上げず、静かな声で懇願した。
その態度は毅然としていて、暴力に屈しない気高さがあった。
「黙れ! 誰の子かもわからん、卑しい血の男が!」
父上はさらに激昂し、クラウスを何度も蹴りつけた。
卑しい血。 なんたる皮肉だろう。
ここにいる誰よりも高貴な――もしも本当にベルンシュタイン公爵家の血を引くのなら、その歴史は王家より長いというのに。
クラウスは何も言い返さなかった。ただ歯を食いしばり、私の体を守るように抱きしめ続けていた。
「もういい! 二度とその顔を見せるな!」
父上は息を切らし、私とクラウスを指差した。
「ユーリスに逆らい、傷つけた罪は重いぞ。その傷を魔法で癒すことは許さん。……消えろ。今すぐ私の視界から消え失せろ!」
私たちは、ゴミのように部屋から追い出された。
私は傷ついたクラウスに肩を貸し、自分の部屋へと戻った。
その夜。 私たちは、傷を舐め合うように体を重ねた。
「ごめん、ごめんねクラウス……痛かっただろう……」
彼の背中には、赤黒い痣がいくつも残っていた。
私は泣きながらその痣に口づけを落とし、彼に縋り付いた。
「私のせいで、こんな……」
「大丈夫だ。エルが無事でよかった」
クラウスは痛む体で私を抱きしめ、優しく髪を撫でてくれた。
兄上も傷つけ、父上からも見放された。 私にはもう、世界でこの男しかいなかった。
そして彼もまた、あんな酷い扱いを受けてまで、私を守ってくれたのだ。
「愛している……愛しているよ、クラウス……」
私は彼を受け入れ、何度も何度も愛を囁いた。
私たちの愛は本物だ。 地位も名誉もいらない。ただ、彼がいればそれでいい。
事後のベッドで、私は彼の腕の中に包まれながら、心からの安らぎを感じていた。
私は彼を見上げ、泣くのを我慢して無防備に微笑んだ。
『クラウス、ありがとう。お前がいれば、私はもう……ひとりぼっちじゃないんだな』
彼は一瞬、息を呑んだように目を見開いた。
そして、酷く切なげな、困った顔で私を強く抱きしめ返したのだ。
『……あぁ。俺もだよ、エル』
――そう、あの日。
あんなにも強く、私たちは愛し合っていたはずだった。
なのに。
どうして、その翌日に、お前は私の腹に剣を突きたてられたのを、ただ見ているだけだったのだろう。
***
「……ぅ、ぁ……」
回想から戻った瞬間、激しい目眩(めまい)が私を襲った。
嫌だ。 辻褄が合わない。
あんなに身を挺して守ってくれた男と、無表情で私を殺した男が、同一人物だなんて。
あれは演技だったのか?
それとも、あの日の愛が嘘で、最後の日の殺意が真実なのか?
あるいは……。今がいつで、何をしているのかわからなくなる。
(わからない、わからない……ッ!)
脳が悲鳴を上げた。 愛したい気持ちと、憎まなければならない事実が、頭の中でぐちゃぐちゃだ。
極度の緊張と混乱。そして昨晩からの疲労。
限界だった。
「……あ」
視界が暗転する。
私の体は、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「――殿下ッ!!」
遠くで、クラウスの叫び声が聞こえた気がした。
***
その夜、私は自室のベッドで荒い息を吐いていた。
視界が歪む。天井が回る。体中が鉛のように重く、指一本動かせない。
「はぁ、はぁ……ッ、う……」
「――随分と熱い」
額に冷たい手が触れた。
クラウスだ。
彼は私のベッドの縁に腰掛け、心配そうに私を見下ろしていた。
「顔が真っ赤ですよ、殿下。可哀想に……」
「……み、ず……」
「水ですか? いいえ、まずは薬を飲みましょう」
彼はサイドテーブルから、ドロリとした色の液体が入った小瓶を取り出した。
強烈な苦い匂いがする。
「嫌だ……苦いのは……」
「駄目です。今日は散々無茶をしましたから……無理がたたったんですよ。これを飲まないと治りません」
「うっ、ぐ……!」
私は首を振って拒絶した。ただでさえ吐き気がするのに、あんなものを飲んだら戻してしまう。
だが、クラウスは、小瓶の蓋を開け――それを自分の口に含んだ。
「ん……ッ!?」
次の瞬間、私の顎が掴まれ、唇が塞がれた。
苦い。
彼の舌が強引にねじ込まれ、口内の液体が私の喉へと流し込まれる。
「んぐッ、んーッ!!」
飲み込みたくない。吐き出したい。
けれど、彼の舌が私の舌を絡め取り、逃げ場を塞ぐ。
コクン、と喉が鳴った。
苦い薬液が、彼の唾液と共に胃の腑へと落ちていく。
――それと同時に、身体中に熱いクラウスの魔力が広がった。
(……薬だけじゃない。魔力もだ!)
粘りつくような彼の魔力が、薬液と一緒に溶けて、内側から私の血管を侵食していく。
拒絶しようにも、熱で弱った私の体は、乾いた砂のように彼の魔力を貪欲に受け入れていく。
「ぷはッ……! はぁ、はぁ……!」
ようやく唇が離れると、銀色の糸がとろりと二人の間を繋いだ。
私は咳き込みながら、涙目で彼を睨んだ。
「な、何をするんだ……!」
「口移しですよ。貴方が飲まないから」
彼は親指で私の唇に残った雫を拭うと、それを愛おしげに舐め取った。
「よくできました。全部飲めましたね」
その瞳の奥にある色が、私をゾッとさせた。
「……あつい、くるしい……」
「大丈夫。私がついていますよ」
彼は濡れたタオルで私の顔を拭き、氷魔法で冷やした手を額に当てる。
その手つきは優しく、完璧な看護だ。
けれど、その言葉の端々に、歪んだ執着が見え隠れする。
「貴方は弱い。すぐに壊れてしまう」
「だから、私が守ってあげないと」
「もう二度と……腐らせたりなんてしない」
腐らせる? 何の話だ?
朦朧とする意識の中で、その奇妙な単語だけが引っかかった。
「……クラウス、こわい……」
「怖くありませんよ。さあ、眠ってください」
彼が私の目を手で覆う。
視界が闇に閉ざされる。
その暗闇の中で、私は錯覚した。
この温かい手は、私を守っているのか。それとも、私の息の根を止めようとしているのか。
***
熱い。苦しい。
泥のような眠りの中で、私の意識は時空を超えて漂っていた。
……体が軽い。痛みが消えている。
また夢か?もう以前の事など、思い出したくないのに。
ふと気づくと、私はふわふわと漂い、冷たい石床を見下ろしていた。
そこには、腹から血を流して死んでいる「私」がいた。
そして、その亡骸に縋り付く、男がいた。
クラウスだ。
「……う、あぁ……エル、エル……ッ」
彼は私の血に濡れるのも構わず、死体を抱きしめていた。
おかしいな。
お前は私を殺した時、あんなに冷たい目をしていたじゃないか。
なんで今さら、そんなに悲しそうに泣いているんだ?
(嘘泣きはやめろ。触るな。お前は私を殺したくせに)
私は叫んだ。けれど、音にはならなかった。
霊体になった私には、喉もなければ、時間の感覚さえ曖昧だったからだ。
思考が霧のように霞(かす)んで、ふわふわと頼りない。
ふと、頭上に温かな光が見えた気がした。あちらへ行けば、楽になれるのかもしれない。
けれど、なぜだか私はそちらへ行こうとは思わなかった。
この裏切り者を一人にしておくのが許せなかったからだ。
それからの日々は、地獄だった。
私は霊体となって、クラウスが狂っていく様を特等席で見せつけられた。
彼は私の死体を氷の棺に入れ、毎晩のように話しかけ、キスをした。
やめてくれ。気持ち悪い。
私はもう死んでいるんだ。そんな抜け殻を愛して何になる。
やがて、私の体は腐り始めた。
美しい金髪は抜け落ち、肌は黒ずみ、腐臭を放ち始めた。
それなのに、王冠を戴いただいたクラウスは、嬉しそうに私の腐肉を撫でるのだ。
「いい匂いだ、エル」
ふざけるな。臭いに決まっている。
私の指が壊死して取れた時、彼は短剣を持ち出した。
黒ずんだ肉を削ぎ落とす彼の目は、血走って狂気に満ちていた。
(痛い……やめろ、クラウス! 私の体を切り刻むな!)
死んでいるから痛みはないはずなのに、魂が痛んだ。
愛する男に殺され、死んでなお尊厳を凌辱される。
許せない。絶対に許さない。
私の憎悪が極まった時、強い思念となって「音」になった。
『……許さない』
クラウスがビクリと肩を震わせ、顔を上げた。
聞こえたのか?
『絶対許さないからな、クラウス』
『お前なんかもう愛さない。絶対に』
私は泣きながら、彼の耳元で呪いの言葉を吐き続けた。
怖がれ! 悔やめ! そして私のことなど忘れてしまえ。
そう願って叫んだのに。
「……ああ、エル」
彼は虚空を見つめ、恍惚とした表情で笑ったのだ。
「嬉しいよ。まだそばにいてくれるんだね」
……ああ、駄目だ。こいつは壊れている。
私の呪いすら、彼にとっては愛の言葉になってしまう。
私は絶望し、それでも彼から離れることができなかった。
器だったものが、腐り果てて骨になるまで、私はずっと、狂った彼を見つめていたのだ――。
***
「――ッ、いやだ!!」
自分の絶叫で、私は現実に引き戻された。
ガバッと上半身を起こす。
心臓が早鐘を打っている。全身が汗でぐっしょりと濡れていた。
「エル!?」
すぐ側で、驚いた声がした。
視界の端に、金色の髪と心配そうな緑の瞳が映る。
彼は私の額の汗を拭おうと、タオルを持って手を伸ばしてきた。
その瞬間、夢の記憶と現実がオーバーラップした。
その手は。私の死体を抱きしめ、腐った指を短剣で切り落とした、あの手だ。
「ひっ……! くるな、さわるな!!」
私はパニックになり、彼の手を力任せに振り払った。
バシッ、と乾いた音が響く。
タオルが床に落ちた。
「……殿下?」
「やめろ……もう切り刻まないでくれ……っ」
涙が溢れて止まらない。
熱で朦朧とする頭では、ここが過去なのか現在なのか区別がつかない。
目の前の美しい青年が、あの薄汚れた「狂王」に見える。
「ごめんなさい……私が悪かったから……」
私はベッドの隅に縮こまり、ガタガタと震えながら懇願した。
「もう死ぬから……大人しく死んでやるから……っ」
「……殿下!」
「だから、お願いだクラウス……」
私は彼を見上げ、あの日言えなかった、けれどずっと聞きたかった言葉を吐き出した。
「あんなに愛していたのに……なんで私を殺したの……?」
静寂が落ちた。
部屋の空気が、ピキリと凍りついたようだった。
33
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった
釦
BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。
にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました
水凪しおん
BL
BL小説『銀の瞳の聖者』の悪役令息ルシアンに転生してしまった俺。
原作通りなら、主人公ノエルをいじめ抜き、最後は断罪されて野垂れ死ぬ運命だ。
「そんなの絶対にお断りだ! 俺は平和に長生きしたい!」
破滅フラグを回避するため、俺は決意した。
主人公ノエルを徹底的に避け、関わらず、空気のように生きることを。
しかし、俺の「無視」や「無関心」は、なぜかノエルにポジティブに変換されていく。
「他の人のように欲望の目で見ないなんて、なんて高潔な方なんだ……!」
いじめっ子を視線だけで追い払えば「影から守ってくれた」、雨の日に「臭いから近寄るな」と上着を投げつければ「不器用な優しさ」!?
全力で嫌われようとすればするほど、主人公からの好感度が爆上がりして、聖人認定されてしまう勘違いラブコメディ!
小心者の悪役令息×健気なポジティブ主人公の、すれ違い溺愛ファンタジー、ここに開幕!
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
塩対応だった旦那様の溺愛
詩河とんぼ
BL
貧乏伯爵家の子息・ノアは家を救うことを条件に、援助をしてくれるレオンハート公爵家の当主・スターチスに嫁ぐこととなる。
塩対応で愛人がいるという噂のスターチスやノアを嫌う義母の前夫人を見て、ほとんどの使用人たちはノアに嫌がらせをしていた。
ある時、スターチスが階段から誰かに押されて落ち、スターチスは記憶を失ってしまう。するとーー
作品を書き直したものを投稿しました。
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる