殺したくせに、離さない ~死に戻った王子は、狂った婚約者に管理される~

逢 舞夏

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 クラウスに促され、私は部屋へと足を踏み入れた。
 石造りの殺風景な部屋。 床には、かつて彼が描いたのであろう魔法陣の跡が……

「……ん?」

 私は違和感を覚え、眉をひそめた。
 クラウスもまた、ハッとしたように足を止める。

「おい、クラウス」
「……あぁおかしい」
「お前、この『今の時間軸』では、まだ儀式を行っていないはずだよな?」
「当たり前だ。俺がおこなったのは最初の時だけ……」
「なら、あれは何だ?」

 私が指差した先。
 部屋の中央にある祭壇。
 そこには、真新しい燭台が置かれ、数本の蝋燭が立てられていた。

 そして。
 その蝋燭からは、まだうっすらと煙が上がっていた。

「……使いかけ?」

 クラウスが息を呑む。
 埃ひとつない祭壇。ついさっきまで誰かがここにいたような、気配があった。

「……ここは禁域だ。王族と、一部の許可された者しか入れないはずだ」
「ああ。長年使われていないはずの部屋に、誰かが出入りしている」

 私は祭壇に近づき、垂れた蝋(ロウ)を指で触った。
 まだ、温かい。

「……クラウス」

 私は確信を持って彼を振り返った。

「この部屋を使ったのは、お前だけじゃない。……他にも誰か、ここで『何か』をしている奴がいる」

 私たちの知らないところで、別の儀式が進行している。  
 その事実に気づいた瞬間、背筋がゾクリと凍りついた。

「……それにこれは、俺がやった儀式と違う魔法陣だ」

 私が祭壇の蝋燭に触れていると、背後で話していたクラウスがふいに言葉を止めた。
 コツ、と足音が近づき、私の腰が強い力で引き寄せられる。

「……っ、クラウス?」

 振り返ろうとした瞬間、視界が彼の顔で埋め尽くされた。
 唇に、熱いものが押し当てられる。

「んむっ!?」

 深い、突然の口付け。
 舌が強引に入り込み、私のものと無理やり絡ませてくる。

「な、何を突然……ッ!?」

 私は慌てて彼の胸を押し返そうとした。
 今はそんな雰囲気じゃないだろう。敵がいるかもしれないと言ったのはお前だぞ!

「……やっぱり、貴方といると我慢できません」

 クラウスは陶酔したように呟くと、再び私の唇を塞いだ。
 だが、その直後。耳元で、先ほどとは全く違う、普段のクラウスの声が囁かれた。

「(……しっ。静かに。……誰かいる)」
「(……ッ!?)」

「(さっき入ってきた扉の後ろだ。……殺気が漏れてる)」

 私は息を呑んだ。

「(……そのまま、俺に合わせてください)」

 クラウスが再び唇を重ねてくる。
 私は瞬時に理解し、彼の演技に乗った。
 抵抗する手を止め、彼の頬を両手で包み込む。

「ん……はぁ……」

 熱っぽい息を吐く、彼の首に腕を回して、さらに深く口付ける。
 外から見れば、禁断の密会に溺れる愚かな恋人同士に見えるはずだ。
 水音を響かせ、互いの視界を塞ぎ合う。

 ――今だ。

 敵の殺気が、一瞬膨れ上がったのを肌で感じた。

 ヒュッ!  風を切る音。

「――ッ!」

 クラウスがバッと私を抱き抱え、横へと跳ぶ。
 彼が剣で弾き飛ばした投げナイフが、石床に突き刺さった。

「誰だ! 姿を見せろ!」

 クラウスが一喝すると、闇の中から男が姿を現した。
 黒い装束の男は、私たちを見ると愕然として目を見開いた。

「……あ、あなたは……エルリード殿下!?」
「お前は……兄上の側仕えか?」

 顔にある古傷。見覚えがある。
 男はガクガクと震え、その場に平伏した。以前も、部屋の前で見たことがある。

「も、申し訳ございません! まさか殿下とは知らず……てっきり、ユーリス殿下を呪う不届き者が戻ってきたのかと……!」
「呪う? どういうことだ」

 私が問いただすと、男は悲痛な面持ちで顔を上げた。

「ユーリス殿下のお体が、限界なのです。……毎晩『地下から何かが命を吸っていく』と苦しまれている……」
「なんだと……?」

 私とクラウスは顔を見合わせた。
 クラウスが祭壇を睨みつける。

「最近は、エルリード殿下に負担をかけないようにと、無理をして笑顔を作っておられますが……先ほども、部屋で激しく吐血されて……」
「吐血!?」
「はい……。もう、立っているのが不思議なくらいで」

 男の悲痛な報告に、私は衝撃を受けた。兄上は、1度目の人生ではそんなに悪くなかったはずだ。
 少なくとも私が死ぬ20歳ごろまでは、私の魔力を定期的に渡していれば、十分元気に過ごしていた。

(やはり、何かがおかしい。このループだけ、死が早すぎる)

「……おい、お前! なぜここにいた?」

 クラウスが低い声で問い詰めると、男は怯えながらも答えた。

「ユーリス殿下は……ご自身の体調不良を、病気ではなく『何かが外意的なものだ』と疑っておられました。なので、私が極秘にお調べしていたんです」
「兄上が……?」
「いつもは地下の、この奥までは、結界があって入れないのですが、今日はなぜか鍵が開いていて……」
「私たちが来たから、ということか」

 私は男から視線を外し、部屋の奥にある書棚へと向かった。 散乱している古代書を片っ端から調べる。

「おい、お前. 味方ならば外を見張っていろ! もし敵が来たら知らせろ」
「は、はい! 必ず!」
「兄上に関係するのなら……私は許さないぞ」

 男が敬礼して扉の外へ出ると、私は一冊のどす黒い装丁の本を手に取った。
 ページを開くと、不気味な魔法陣が記されていた。

「……これは俺がした、術式」

 その本を持っているだけで、指先からドロドロとした甘い誘惑が流れ込んでくる。

(……すごい魔力だ)

 頭の中に、甘美な声が響く。
 『これを使えば願いが叶う』『思い通りになる』――そんな万能感が、麻薬のように思考を侵食してくる。

「……時戻し、やってみるか」
「は!?」

 私が呟くと、クラウスがギョッとして私を見た。

「何を言ってるんだ!? 危険だ!」
「わかってる。……だけど、クラウス。お前は今、儀式をしていないが『契約』自体は継続中なのだろう?何かわかるかもしれない」

 私は、落ちていたペンで直接床に、一回り小さい魔法陣を描く。
 懐から短剣を取り出し、躊躇なく切っ先を自分の手首に当てた。命は捧げられないが血ならば。

「やめてくれッ!!」

 クラウスが悲鳴のような声を上げ、私の手首を掴んだ。
 その手は酷く震えていた。

「もう……俺の前でエルが傷つくのは見たくないんだ。散々、見てきたんだ……血塗れの、冷たくなっていく姿を……ッ」
「クラウス……」
「やるなら、一緒にだ」

 彼は私の手から短剣を奪い取ると、自らの掌に刃を当てた。

「俺の血も使え」

 クラウスが自身の掌を切り裂き、その血を私の手首に垂らした。
 私の血と、彼の血が混ざり合い、魔法陣へと滴り落ちる。

「……おい、ひとときだけでいい、時間をもどせ! 大魔法とやらを見せてみろ!」

 ドクンッ!!
 持っていた本が脈打ち、部屋の空気が凍りついた。

『――愚かなる子孫よ』

 脳髄に直接響く、重く、古い声。
 本から黒い霧が立ち上り、人の形を成そうとして――霧散した。

『……できぬ』

「なに?」

『この血は、すでに時を戻している。これ以上、上書きはできぬ』

 悪魔はつまらなそうに言い放った。

「なら、私の血だけなら、できるのか? それか私の命を代償にすれば……」

『無理だ』

「なぜ?代償を与えれば戻すことができるのだろう?」

『器の問題だ』

 黒い霧が、私とクラウスの周りをまとわりつくように漂う。

『お前らの魂は、何度も何度も時を戻りすぎて……混ざりすぎている』

「……魂が、混ざる?」

 私は呆然と呟いた。
 声は、嘲笑うように続けた。

『本来、個であるはずの魂の境界が摩耗し、溶け合っているのだ。もはやお前たちは二人で一つのようなもの。……これ以上時を戻せば、自我すら保てず融合し、消滅する』

「…………」

 その言葉を聞いた瞬間、私の中で疑問が繋がった。

(……つまり、だから)

 私はハッとして自分の胸を押さえた。

(だから、本来ならクラウスしか覚えていなかったはずの記憶が……私にも残り始めていたのか)

 混ざり合った魂のパイプを通って、彼の膨大な「記憶」と「絶望」が、私の中へと流れ込んでいたのだ。

 私は背筋が寒くなった。
 私たちは、とっくに限界を超えているのかもしれない。

「……融合、ですか」

 私が呆然としていると、横でクラウスがうっとりと呟いた。
 見ると、なぜか彼は花が咲いたような、恍惚とした表情を浮かべていた。

「……最高ですね、貴方と魂レベルで同化しているなんて。……これまでの苦労がすべて報われた気がします」
 「……お前」

 こいつの思考回路はどうなっているんだ。私は顔を引きつらせつつも、どこか嬉しそうに見つめてくるその視線に、つられて心音が高まった。

「……もう一つ聞きたい。お前は、契約違反をしている」

 私はドス黒く脈打つ本を睨みつけた。

「クラウスは言っていた。決められた日に私は死ぬはずだと。なのになぜ今、私に死が迫っている? 」

『ここは閉じられた世界だ』

 本のページがパラパラとめくれ、無数の呻き声が重なったような声が響く。

『愚かな子孫は、時を戻すために多くの民を犠牲にした。その犠牲にされた数万の魂の集合体は、今、怒りに満ちている』

「……お前は、正体は……被害者たちなのか?」

『そうであり、そうではない。我々は術者の願いを叶えるが、同じく絶望という罰を与え続けてきた。……だが、予定外の事態が起きている』

 黒い霧が揺らぎ、苛立ちを露わにするように激しく渦巻いた。
 クラウスが息を呑む気配がした。
 この大魔法の正体は、1度目の世界で彼が魔力に変えた、罪なき国民たちの怨念の集合体でもあるのだ。

『償いは終わりつつある。長い時間、術者(クラウス)は十分な絶望と苦しみを味わっている。だが、足りない……あとはこの歪んだ世界を正常に戻すため、核である「お前」を殺して終わるだけだ』

 感情のない声は、けれど絶対的な宣告をする。

「……私が死なねば、終わらないのか?」

『終わる』 『終わらない』

 声が二重になり、不協和音のように響き始めた。
 黒い霧が、部屋いっぱいに広がっていく。まるで私とクラウスの二人を飲み込もうとするように。

『もしくは……この土地で続く「愚かな子孫の儀式」を終わらせなければ、犠牲になった者たちの怒りは収まらない』

『許さない。許さない、苦しい、苦しい』

「儀式……? クラウスのことか」

 霧が揺らぎ、軽蔑と殺意を含んだ声が響く。

『ころせええ』
『全てを許すな!』

『もう一人、いる』

「……ッ」

 その言葉で、私はすべてを悟った。
 もう一人。王の血を引き、禁術に手を染めている愚かな子孫。思い当たるのは1人しかいない。

「……父上か?」

 私は呻くように呟いた。

『そうだ。あの男もまた、我々の同胞(民)を贄として喰らい続けている』

 声に、激しい怒りが混じる。

『あの男が新たな魂を弄び、穢れた儀式を続けているせいで、この地の「怨念」は増え続けている。……お前への死の制裁が早まったのも、その余波に過ぎん』

『殺せええええええええッ!!』

 ぶわあっと、私の中に色々な思念が入り込んでくる。痛み、寒さ、絶望。
 だが、その奥底に――微かな、けれど確かな「願い」があるのを、私は感じ取った。

(……聞こえる。こいつらの本当の声が)

 彼らのノイズ交じりの悲鳴を理解できた。私は歯を食いしばり、思考の嵐の中で叫び返した。

「殺してどうなる! 復讐して、その後はどうするんだ!!」

『……ッ』

「お前たちが本当に欲しいのは、誰かの死か? それとも――『安らぎ』か!!」

 その言葉に、嵐が一瞬凪いだ。
 そして、数万の声が一つになり、轟いた。

『――燃やせッ!!』

「……燃やす?」

『灰にしてくれ。愚かな魔法を二度と誰にも使われないように。……それが、我ら犠牲になった全ての魂の望みだ』

 なんて、悲痛で、シンプルな願いだろう。
 彼らは復讐すら望んでいなかった。ただ、この負の連鎖を断ち切り、静かに眠りたいだけなのだ。

「……わかった」

 私は短剣を収め、本を閉じた。
 そして、隣で蒼白になっているクラウスの手を握った。

「クラウス、聞いたな?」
「……ああ」
「悔やむのは後だ。今は、彼らの願いを叶えるぞ」

 私は本を脇に抱え、立ち上がった。

「……この本は必ず燃やす。だがその前に、この本の儀式の継続を、止めなければならない」

 クラウスが顔を上げ、私の目を見る。
 その瞳に、迷いはもうなかった。

 私たちは決意を固め、地下書庫の重い扉を押し開けた。



「……ッ」

 部屋を出た瞬間、鼻を突く鉄錆の匂いに、私は顔をしかめた。

 廊下の冷たい石床に、先ほどの男――ユーリス兄上の側仕えが、ぐったりと倒れ伏していたのだ。
 ピクリとも動かない。頭から血を流しているが、微かに胸は上下している。まだ息はあるようだ。

「……貴様ら」

 クラウスが低く唸り、瞬時に剣の柄に手をかけた。
 倒れた護衛を取り囲むように、数人の武装した兵士たちが待ち構えていたからだ。
 彼らが纏っているのは、王直属の近衛兵の紋章。父上の手駒たちだ。

 兵士の一人が、無機質な声で告げた。

「エルリード殿下。……大人しくついてきてください」

 剣呑な空気が張り詰める。
 兵士たちは剣を抜いてはいないが、その手はいつでも抜刀できるよう柄にかかっている。拒否すれば、力ずくでも連れて行くという構えだ。

「……随分と手荒な真似をするんだな。兄上の側近にまで手を上げるとは」

 私が冷ややかに見下ろすと、兵士は眉一つ動かさずに答えた。

「陛下からの勅命です。『邪魔をする者は、誰であろうと切り捨てろ』と。……急を要するとのことです」

「……はっ」

 私は乾いた笑いを漏らした。
 なりふり構わなくなってきたな、父上。
 兄上を救うためと言いながら、兄上が大切にしている部下すら傷つける。矛盾していることにも気づかないほど、狂気に蝕まれているわけだ。

「クラウス、剣を収めろ」
「だが……」
「構わない。どうせ行き先は同じだ」

 私は脇に抱えた「禁忌の書」を強く抱きしめ、兵士たちを睨みつけた。

「案内しろ。……私も父上に、話したいことが山ほどあるんだ」

 私が顎でしゃくると、兵士たちは無言で道を開けた。
 前後に兵士、中央に私とクラウス。
 まるで罪人の護送だが、今の私に恐怖はなかった。
 私の背中には、数万の怨念と、魂まで絡み合った男がいる。

 私たちは長い廊下を歩き、王城の最上階――全ての元凶が待つ「王の間」へと足を踏み入れた。



 王城の「王の間」。そこはいつもの威厳ある姿とは異なり、まるで地下の儀式場のような禍々しい魔法陣が描かれていた。
 そしてそこには、病床に伏せった兄上ユーリスと、狂乱する父上がいた。

「来たか、エルリード!」

 父上は私を見るなり、救世主を見るような目で叫んだ。

「ユーリスを救うには、もう時間がない! お前の魂を捧げ、その命をユーリスに移すのだ!」
「捧げる……?」
「光栄に思え! お前が、正当な王子の礎となれるのだぞ!」

 父上が唾を吐くようにして叫ぶ。私は唇を噛み、一歩後ずさる。
 その時、病床の兄上が、掠れた声で父上を制した。

「……やめてください、父上」
「ユーリス!?」
「エルに手を出すな……くるな、エル……」

 兄上は起き上がりながら苦しげに息を吐き、天井を仰いだ。

「これは『呪い』なんです」
「なにを言っている!」
「我が王家が犯してきた罪が、全て呪いとなって私に襲いかかっている……。父上が20年前に叔父上を毒殺し、王位を簒奪したこと。多くの忠臣を無実の罪で葬ったこと……」
「何を! 呪いなど存在しない!」
「これ以上、何も捧げることは許されない。私の命で、この負の連鎖を断ち切るのです……」

 兄上の告白に、私は戦慄した。父上の玉座は、最初から血で汚れていたのだ。

「黙れ! 私は王だ! 誰のおかげで国が回っていると思っている!」

 父上は聞く耳を持たず、祭壇の短剣を掴んだ。
 その目は私を捉えている。

「儀式を始める! エルリード、そこへ直れ!」

 殺気立つ父上。
 私はここで、ふと背後のクラウスの気配を感じた。
 彼の手が剣に伸びている。殺気が膨れ上がっている。

(……私が逃げたら、クラウスはまた父上を殺す)

 かつて彼が起こしたクーデター。あの時の、悲しい復讐者の顔。
 それも全て、クラウスが時を戻すより前の、全ては私たち王家が始めたことが原因だ。
 だからこそ、二度とあんな顔をさせたくない。

(父上の暴走を止めること。それが、私がクラウスに返せる愛だ)

 私は覚悟を決め、父上の前に進み出た。

「父上、話を聞いてください! もうその王座を守ることはやめてください。私は兄上を信頼し、尊敬しています。王座を狙うつもりなどありません!」
「うるさい! 信用などできるものか」
「私の魔力ならいくらでも兄上に差し上げます! だから、こんな狂った儀式は……」
「生贄にしなければならないのだ!」

 父上は私の言葉など聞いていなかった。
 彼は獣のような咆哮と共に短剣を振り上げ、私に襲いかかった。
 私は咄嗟にそれを受け止めたが、どこからそんな力が出るのか、王は私を押し倒し、剣先を首元まで迫らせた。
 涎を垂らし、目を血走らせて。父上はまるで化け物のような顔だった。

 これが父か。なぜ父はこれほどまでに私に冷たくするのか。
 なぜ、父上はこれほどまでに私を信用してくれないのだろう。
 なぜ儀式などしてまで王座に固執するのだろう。
 なぜ兄でなければいけないのか。

「私の王座を奪うのは許さない」
「エルは貴方ではない!!」

 ユーリスが叫ぶ。

 父は狂っている。あの古書と同じような黒い霧が全身を包んでいた。
 もう王座以外の何も見えていない。
 もっと早く気がついていれば。私がもっと早くそうしたら、父上を人として終わらせることができたのに。
 
(……ここで終わりにしましょう、一緒に)

 父の剣が私の首に刺さりかけた、その時だった。

「――エルッ!!」

 私の体が強く弾き飛ばされた。
 視界が回転する。

 ドスッ。
 鈍く、重い、肉を貫く音が響いた。

「……あ、」

 顔を上げると、そこには私の代わりに短剣を受けた、クラウスの姿があった。
 胸から大量の血を流し、彼はゆっくりと膝をつく。

「あ……あ、あ……?」

 父上の視線が、自分の手元――真っ赤に染まった短剣と、飛び散った返り血に釘付けになる。

「血……? 私が、刺した……?」

 カラン、と乾いた音が響く。
 震える手から短剣が滑り落ちたのだ。
 儀式で何人もの命を奪わせておきながら、自らの手で肉を裂く感触には耐えられなかったのか。
父上は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、腰を抜かして無様に後ずさった。

「く、来るな……! 私の手を、汚させるな……ッ!」

 私はそんな父を一瞥もせず、悲鳴を上げてクラウスに駆け寄った。

「クラウス! しっかりしろ! なんで……なんで庇ったんだ!」

 彼は私の腕の中で、口から血を溢れさせながら、ふわりと微笑んだ。
 まるで、重荷を下ろしたような穏やかな顔で。

「……やっと、守れた」
「クラウス……?」
「貴方が生きていてくれれば……それだけで、よかったんです」

 彼は血塗れの手で、私の頬に触れた。

「やっとわかりました。何度もループする中で、条件は『私とエルが生きたいと願うこと』だと思っていました。……でも、違う」

 彼の瞳から涙がこぼれ落ちる。

「これからエルが生きる世界に、私は要らない。魂が同じならエルの代わりに私が死ぬ」
「な、なにを言って……」
「今の私の魂は、貴方と深く混ざり合っている。……だから、私でもいいはずだ。最初に貴方の気持ちを踏み躙り、近づいて、死なせたのは私だ。だから、何度繰り返しても、貴方は心の底から『この世界で生きたい』と思えなかった」
「ちがう、私は……!」
「エルは優しいから……きっとまた私のために犠牲になる結末を選んでしまう。私のような、貴方を殺した男と幸せになることなんて、許されない……」

 だから、私が死ねばいい。
 そう言いたげに、彼の瞳の光が揺らぐ。

 私は心の底の底にあった、最後の憎しみが消える。
 お前は。クラウスは管理者でも復讐者でもない。

(……ただの、不器用で愛することが下手な男なんだ)

 かつて彼が、私を「愛すことが下手くそだ」と評したように。
 彼もまた、どうしようもなく不器用な愛しか持てなかった、私の鏡合わせの半身。

「……ふざけるな」

 私は叫んだ。

「許さない……こんな結末、絶対に許さないぞ!!」
「私が『生きたい』と思う、だと? ……私の願いを勝手に決めるな!」

 私は彼の胸ぐらを掴み、ありったけの声で絶叫した。

「私は、お前と生きたいんだ!!」
「お前がいない世界でなんか、生きてやるものか! 許さない、許さない、許さない!!」

 その瞬間、世界を縛っていた鎖が砕け散る音がした。
 クラウスの傷口から黒い霧が噴き出し、世界の色が反転した。
 時が、止まったのだ。

『――契約、完了だ』

 どこからともなく、冷徹な声が響いた。
 天井に現れた巨大な「黒い穴」から無数の腕が伸び、クラウスの魂を吸い上げようとしている。

『これにて時間は正常に動き出す』

「待てッ!!」

 私は止まった時の中で立ち上がり、黒い腕を振り払ってクラウスの魂を掴んだ。

『抵抗は無意味だ。これは、彼が望んだ結末だ』

「勝手なことを言うな! クラウスがいない世界で生きていても意味などない!」

 私は黒い穴に向かって吠えた。
 だが、闇の腕は容赦なくクラウスを引きずり込もうとする。代償が必要なのだ。世界をねじ曲げた対価が。
  クラウス一人を連れて行くか、私一人を連れて行くか。……いや、違う。

(魂が混ざっているなら……今の私たちは『二人で一つ』の存在なはずだ)

 ならば、代償も分け合えるはずだ!

「取引だ、 怨念たちよ!」

 私はクラウスの腕を掴んだまま、ありったけの声で提案した。

「一人だけ連れて行くことは許さない! 生きるのも死ぬのも、私たちは一緒だと決めたんだ!」

『……対価が足りぬ』

「なら、私たちの『未来』を食らえ!」

 私は自らの胸を叩いた。

「私たちの残りの寿命……その『半分』をくれてやる!!」

 時が止まった空間で、クラウスが目を見開いたのが分かった。黒い穴の動きがピタリと止まる。

「長い時間は生きられなくていい。爺さんになるまで生きられなくても構わない! その代わり、残った時間は二人で生きる! ……私の命と、クラウスの命。半分ずつ合わせれば、一人分だ。それで手を打て!!」

『…………』

 黒い霧が渦巻く。怨念たちがざわめき、そして――納得したように唸った。

『……よかろう』
 『その痛み、その覚悟……しかと受け取った』

  私の体から、そしてクラウスの体から、何かがごっそりと抜き取られる感覚がした。
 体が重くなる。命の灯火が半分削れ、短くなったのが本能で分かった。
 だが、恐怖はない。隣を見れば、クラウスも同じ痛みを感じ、私を見つめ返していたからだ。

 これでいい。
 長く孤独に生きるより、短くとも二人で燃え尽きる方が、ずっといい。

『契約は更新された。……だが』

 黒い穴はまだ消えない。
 寿命半分だけでは、彼らの数万の怒りを鎮めるには、まだ「燃料」が足りないのだ。
 貪欲な腕が、まだ何かを求めて蠢いている。

「……分かっている。足りない分は、あいつから取れ」

 私は指を差した。
 時が止まった空間で、間抜けな顔をして固まっている父上を。

「あの男こそが、罪を償わず、いまだにお前たちを私欲のために使い潰している元凶だ!」

 黒い穴が、ギロリと父上の方へと向き直る。

「私たちが払ったのは『過去の精算』だ! だが現在進行形でお前たちを縛り付けているのは誰だ! ……そいつはまだ、何の代償も払っていないぞ!」

『……そうだ。あの男』
『我々をゴミのように扱った男……』
『許さぬ……許さぬぞ……ッ!』

 怒りの矛先が変わった。  クラウスに向けられていた黒い腕が、一斉に父上へと殺到する。

『公平であるべきだ』
『返せ……我々の命を……その身をもって返せぇぇぇッ!!』

 ズズズズズ……!
 黒い霧が父上を包み込み、引きずり込もうとする。
 その瞬間、止まっていた時が動き出した。

「な、なんだこれは!? やめろ、離せえええッ!!」

 父上が絶叫し、のた打ち回る。
 目に見えない無数の腕が、王の四肢を掴み、魂ごと闇の中へ引きずり込もうとしているのだ。
 王冠が転がり落ち、豪奢なマントが引き裂かれる。

「あ、あぁ……ユーリス! 助けてくれユーリス!!」

 父上は必死に手を伸ばし、病床の兄に縋り付こうとした。

「お前は私の息子だろう!? 私を愛していると言っただろう!! 早く何とかしろ、この化け物を払え!!」

 その醜悪な姿に、私は息を呑んだ。
 これが、私が恐れていた父の正体か。
 権力を失い、命の危機に瀕した男は、ただ喚き散らすだけの哀れな老人でしかなかった。

 伸ばされた王の手。
 それを、ユーリス兄上は冷ややかに見下ろしていた。

「……ええ、愛していましたよ。父上」

 兄上はふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、父上の目の前まで歩み寄った。
 そして、これまで見せたこともないような、女神のように慈悲深く、そして悪魔のように残酷な「満面の笑み」を浮かべた。

「貴方が私を『自分の代わり』として愛してくれたように、私も貴方を愛していました」

「な……?」

「ですから、どうぞ。――私のために、礎となってください」

 ドガッ!!

 兄上の細い足が、躊躇なく父上の顔面を蹴り抜いた。

「ぐべぇっ!?」

 父上が鼻血を噴き出し、仰け反る。
 その反動で、彼の体は完全に黒い穴の重力圏へと吸い込まれた。

「ユ、ユーリ……ス……ッ!?」
「さようなら、父上。貴方の国は、私が立派に継いでみせますから」

 兄上は優雅に手を振り、闇へと消えゆく父を見送った。

『ウオオオオオッ!!』

 怨念たちの歓喜の咆哮と共に、父上の魂は黒い穴の底へと飲み込まれ、消滅した。
 後には、静寂だけが残された。

 父上の断末魔が消えた後、そこに残ったのは荒い息を吐く私たちと、事態を飲み込めずに震える近衛兵たちだけだった。

「……終わりましたね、エル」

 兄上が、ふらりと崩れ落ちそうになるのを、駆け寄った、古傷のある側仕えが支えた。
 その顔色は、蒼白だが、憑き物が落ちたように晴れやかだった。

「ええ。……終わりました、兄上」

 私たちは視線を交わし、短く頷き合った。
 多くの言葉はいらない。
 地獄のような王家で生き延びた共犯者としての絆が、そこにはあった。

    ◇

 黒い霧が晴れ、朝日が王の間に差し込んでくる。
 私はへたり込み、腕の中のクラウスを見た。
 彼の胸の傷が、淡い光に包まれて塞がっていく。
 契約の完了。呪いの解除と共に、彼が受けた致命傷もまた、「過去の犠牲」として癒えていくようだ。

「……ん、ぅ……」

 クラウスの睫毛が震え、ゆっくりと瞳が開かれた。
 美しい緑色の瞳が、私を映す。

「……エル?」
「馬鹿野郎」

 私は泣き笑いの顔で、彼を強く抱きしめた。

「勝手に死ぬな。……お前がいれば、私はひとりぼっちじゃないんだろ?」

 クラウスは呆然とし、それからゆっくりと現状を理解したようだった。
 彼は私の背中に腕を回し、震える声で囁いた。

「……あぁ。エルが望むなら、どこまでも」

 長い、長い夜が明けた。

 後から判明したことだが、母上――王妃殿下もまた、私たち兄弟が幼い頃から、父上の儀式の代償の呪いによって「意思」を封じられていたらしい。
 父にとっては都合の良い、ただの人形として扱われていたのだ。

 呪いが解けた今でも、母上との距離感は劇的に変わったわけではない。
 急に抱きしめてくるわけでも、愛の言葉を囁くわけでもない。相変わらず静かで、どこか冷ややかなままだ。
 けれど、昔よりは確実に私と目が合う回数が増えた。
 その瞳の奥に、かつてのような虚無ではなく、微かな「意志」の光が宿っているのを見るだけで、私はそれで十分だった。

(……私も、そうだったのかもしれない)

 ふと、思うことがある。
 私がこれまで、異常なまでに父上の愛を求め、どんなに冷遇されても縋り付こうとしていたあの衝動。
 あれもまた、私を「都合の良い生贄」として繋ぎ止めるための、父上の魔法(呪い)の影響だったのではないか、と。

 1度目の人生でも、2度目でも、私は父から離れられなかった。
 けれど、クラウスに出会って、彼に愛され、彼と触れ合ううちに、その強固な呪縛は少しずつ解けつつあったのかもしれない。
 今となっては確かめる術もないが……隣にいる彼の手の温かさを感じるたび、そう信じられる気がした。

 そして――ユーリス兄上だ。

 兄上は、父上が消滅した後、貴族たちを招集し、父上が犯してきた数々の罪を全て白日の下に晒した。
 先代の簒奪、公爵など忠臣の粛清、そして禁忌の儀式。
 王家の権威は地に落ち、私たち兄弟も断罪されて然るべき状況だった。

 だが、結果は違った。

「全ての罪は、前王と共に闇へ葬られた。……これよりは、私がこの国を清浄なる地へと導こう」

 玉座の前に立った兄上は、呪いから解き放たれ、生命力に満ち溢れていた。
 その姿は、誰もが息を呑むほど神々しく、輝くような美しさを放っていた。
 それは恐怖による支配ではない。圧倒的な、真の王としての品格が、見る者を平伏させたのだ。

 貴族たちは誰一人として異を唱えることなく、その場に膝をつき、新たな王の誕生に頭を垂れた。
 兄上の時代が始まったのだ。

「……行こう、エル」

 隣で、クラウスが優しく私の手を取った。
 その手を疑うことはない。
 私もまた、彼の手をしっかりと握り返した。

 過去の呪縛は消えた。
 私たちの前には、どこまでも続く、眩い未来だけが広がっている。

 私たちの時間は再び動き出した。

(完)









次回の更新は糖分を!……二人のイチャイチャ回です。

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