箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 序章

0th Story Vol.99(日本/新潟/12/2015)

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 女の声が聞こえた。叫び声だ。いや、そんな生易しいものではない。

 若者は、だから、その場へ向かう。

「くっ……ホムラ……やはり、まだ無理みたいだね」

 吹き荒れる風。あの青年は勘違いしていたようだが、若者は、女こそ、『嵐雲らんうん』に適応する可能性が高いと踏んでいた。

『異本』への適性・適応は、その『異本』とのに関わる。確かに他にも要素はある。だが、多くの時間を過ごした、何度も読み耽った、そして、幾度となく。その因果に勝るものはない。

 ふ……と、風がやむ。おそらく発動限界だ。若者はここぞとばかりに駆け出す。どのような結末になっているかは、だいたい予想がついた。それでも――

「…………っ!!」

 汗。だと思った。だが、拭ってみるに、それは、よく似たべつの雫だった。

 女の『嵐雲』が止まったのは、きっと、そのせいだ。老人が、女の手を握っている。

「まだ、息があるみたいだね」

 その言葉に、女が一瞬、若者を振り向き、キッと睨んだ。だが、その表情を見て、静かに向き直る。自らの――自分たちの父親へと。

「こうなることが解っていたようなあっけなさだ。死ぬ気だったのかい?」

「あほ言え。ちょっと、足が滑っただけじゃ」

 若者の軽口に、息も絶え絶え、老人は、重苦しく言った。

 その重さがだと知り、子どもたちは息を飲む。

「ホムラ。シキ。ジン。ハク。儂の子どもたち。おまえらに継ぐ言葉がある」

 二つ目の名前に嫌悪を醸しながらも、その場に居合わせた二人は黙って聞いた。

 父親の、最期の言葉を。

        *

「ホムラ。おまえは、よう成長した。まさかそんなべっぴんになるとは思っておらなんだ。儂もあと十年若ければのう」

「大丈夫なのじゃ! 『パパ』はまだまだ若いのじゃ!」

「ホムラ。明らかに若くないじじいに若いと言うのも、それはそれで失礼だ」

「そうなのか? やっぱり『パパ』はおじいちゃんなのじゃ! 若くないのじゃ!」

 子どもたちがこんなときにもコントを披露するので、さすがに老人も笑った。

「てめえらおちょくっとるじゃろ」

 苦しそうに老人は言った。それは笑い過ぎで起きた現象だったが、また死を痛感するから、子どもたちは黙る。

「ジン。おまえには面倒をかけた。そのうえ、なにも教えてやらんで、悪かったのう」

「言葉はもっともだけれど、気にすることはない。あなたのは、ぼくには至極、心地よかった」

「は……っ」

 老人は若者のその言葉を鼻で笑った。

「くたばれ、クソガキが」

「くたばるのはあなただ」

 罵倒し合って、互いに笑った。

 老人は一度、息を吐く。

「シキは、……あれは、純粋なやつなんじゃ。もちろん、悪い意味でな。……そもそも、『純粋』にいい意味なんてない。じゃから、……許してやれ。いや、許さんでもいい。じゃが、恨むな。恨まれる、というのは、やつにとってはご褒美みたいなもんじゃ」

 その言葉には、子どもたちも首を傾げた。解るような、解らないような。

「あとは、……えーと、……ああ、ハクな」

 眉根を寄せて、老人は考え込む。

「ハクは……えーと、うん。……あれじゃ、あれ。……そうじゃのう」

 語尾を徐々に衰退させ、老人は瞼を閉じる。

「『パパ』!」

「! ……いや、寝とらんよ? 寝とらん……。……で、ハクは……うーん」

 老人は意識を失わないようになのか、何度も瞬きをして時間を稼いだ。

 その結果が――

「……いや、そもそもあいつ、儂の子じゃなくねえ?」

 だった。

「確かあいつだけは、儂が拾ってきた子じゃないじゃろ? なんか知らんうちにいつの間にかおって。……あれ、じゃあ、あいつ、なんなん?」

 老人の目に生気が戻った。
 くわ! と、目を見開く。

「まあ、いいか」

 だが、その輝きも一瞬だった。

「とにかく、おまえら。これからも、なんやかんや生きてください」

 軽く上体を起こして、老人は頭を傾けた。

「ジン。幸せにはなれそうか?」

 不意にそんなことを聞く。

「さてね。だが、ぼくはぼくらしく生きているさ。あなたのおかげだ」

「そんなおためごかしはええんじゃが。……まあ、まだ、そんなもんかのう」

 老人のくすんだ目は、若者を貫く。その、心よりもさらに、奥底を。

「ホムラ。ちゃんと生きられそうか?」

「……無理なのじゃ。……正直に言うと、『パパ』がいないと無理なのじゃ……」

 はっはっは。と、老人は豪快に笑った。

「おまえは本当に、よう成長した。……そうじゃ、

 老人は笑い終えると、疲れたように、大きな息を吐いた。

 痰が絡むような呼吸音。それからゆっくりと、口元から零れる、赤。

「ハクに、伝えてくれんか?」

 目を閉じて、うわ言のように、老人は言った。

「継いでくれ。と。繋げて、紡いで、綴ってくれ。と」

「……どういう意味だ?」

 若者が問いただす。

「知らんでいいし、解らんでいい」

 老人はかすれた声で、そう言った。

「おまえら、なんか勘違いしとりゃせんか? 長く生きてりゃ、いろんなやつが死ぬ。そりゃあもう、おまえらが思っとる百倍くらいの数が死ぬぞ」

「それは友達が多い『パパ』だけじゃ」

 女がつっこむ。

「普通に生きて、身内や知り合いが百人も死ぬわけないだろう。それを百倍とは、表現が大袈裟だよ」

 若者も追随する。

 だが老人は優しく目尻を落とした。まるでその、これまでに看取ってきた者たちを、すべて悼むかのように。

「とにかく、おまえら。幸せに、生きて、そして、継いでいってくれ。大切な者を見つけて、その誰かと分かち合ってくれ。この、ありふれた、平凡なを」

「「物語?」」

 女と若者は声を揃えて疑問符を打った。違和感がある。それは……その語彙は、老人らしくない。

 だが、そんな違和感を払拭するように、老人は笑い。最期に、瞼を少し持ち上げ、二人の子を見た。

「解らんでいい。解らんで……」

 ぶっちゃけ、儂もなに言っとるか解らん。

 そうやって老人は、言葉に幕を降ろす。

 二人の子どもの涙はもう乾いていた。

 体温が、ゆっくり、下がっていく。

        *

 織紙おりがみ四季しき。その青年は、あまりにあっけない『宝』の回収に、むしろ心を動揺させていた。

「なにか、……なにかを見落としている?」

 そんな馬鹿な、考え過ぎだ。そう思わなくもないが、青年は思考を巡らしていた。

「努力だ。努力し続けろ」

 言い聞かせる。これはもはやルーティーンだ。これまでに何度も、何千回と、何万回と、……おそらく何億回と繰り返してきた、戒め。

 手に入れたばかりの『太虚転記たいきょてんき』を撫でる。知っている。この本の装丁。感触。内容。汚れや折れ、焼け。『異本』としての、得られる感覚。

「……まさかな」

「そのまさかだ」

 青年の声に何者かが答える。
 目を凝らさなければ気付かないほどの霧。いや、霧がかったような視界。

「返してもらうよ」

 す、と、視覚と聴覚に気をとられた瞬間に、あっさりと

「おのれ……!」

 すぐに反応する。杖を持つには時間がかかる。だから、小回りの利く扇でもって、打ち付ける。

 ふぁああぁぁ、と、その若者は柔らかく、紙片と舞った。

「……扱えるのか、『太虚転記』を」

 消える直前、その若者は『異本』を後方へ投げた。それを、もう一人の若者がキャッチする。

「きみ程度に扱えるものなら、ぼくごときでもね」

 距離は取られた。だが、即逃げるというわけではないようだ。

 青年は慎重に対応する。

「返せ。それは身共みどものものだ。その『宝』は身共が使ってこそ価値がある。……それとも、今度こそあなたたちを殺して、奪えばいいのかな」

「できるものならやってみろ。またあの屋敷に、辿り着けると言うならね」

 その言葉に、青年は一考する。……まさか、『太虚転記』だけでなく、』も扱えるのか? いや、少なくとも老人は扱えたのだ。死の間際にそれを使った可能性はある。

 だとしたら、確かに、当分の間は戻れないかもしれない。

 つまり、ここで逃せば、面倒なことになる。

 青年は扇を開き、口元を隠した。それは余裕を保つ態度。それと同時に、攻勢へ転じる構え。

「鳴れ。『鳴弧月めいこづき』」

 ピン……! と、音が広がる。それを感じ、若者は『異本』を上空へ投げた。

 紙片へと散る、若者。その陰から、もう一人の若者が、投げ上げられた『異本』へと手を伸ばす。

「させるか!」

 言って、青年も手を伸ばした。
 空中で開かれる『異本』。その表紙のそれぞれを、二人は同時に掴んだ。

「……ここまでか」

 若者が言うと、不意に、青年の視界が。その現象が収まると、音も立てずに、『太虚転記』の半分が消えた。若者の姿は変わらない。なにが起きた?

「やはり、誰かに触られていると無理か。準備に時間がかかりすぎた」

「なにをした。……身共の、『太虚転記』が」

「きみが知る必要はない。どうせ、きみにはできない芸当だ」

「ふざけるな……!」

 言うが早いか、青年は杖を持ち、若者に突き立てた。当然と、その姿は紙片となり、どこかへ飛んで行く。

「やれやれ、無駄だって解っているのにね」

 消える直前、若者は語る。

「今度こそ本当に、それはくれてやる。いや、貸し、というべきか。せいぜい使いこなせるように、努力してみるといい」

 それだけ言い残し、紙片は消えた。その一片一片が意思を持つ、若者自身かのような振る舞いで。

        *

「……くそっ」

 戻ってきた若者は、さして悔しくもなさそうに、そう言った。

「まさか取り戻せなんだか?」

「馬鹿を言え。……だが、確かにやる。半分しか取り戻せなかった」

「って、破れとるではないか!」

 何度も『嵐雲』を危機にさらしておいて、なにを言ってるんだ。若者は思った。

「問題ないよ。そもそもちょっと破れたくらいで『異本』は効力を失わない。とはいえ、こうまで見事に半分になったら……」

 言いながら、若者は念じる。わずかに『太虚転記』が発光した。

「ああ、やっぱりね」

「どうした?」

「性能も二分されたみたいだ。式神五体分、持っていかれてる」

 女は首を傾げる。

「妾にはよく解らんが」

「まあ、気にするほどでもない。ぼくの掴んだ、『前篇』の方に、より多くの式神が綴られている。それを解ったうえで半分はくれてやっただけだしね」

 こともなげに、若者は言った。だが。

「じゃが、結局は取られたということか」

「仕方ないだろう? 。だが、その式神の能力を使う・・・・・には、『太虚転記』に触れ、力を蓄える時間が必要だった。……ブラフは張ってみたけれど、なかなかどうして、敵もやるものだ」

 若者はやりきったと言わんばかりに、清々しく笑う。

 だが、女はどうにも納得していないふうな顔だ。

「半分とはいえ、取られた。『太虚転記』も含め、のじゃぞ」

「どういう意味?」

「じゃから、『パパ』のために『異本』を全部、揃えるんじゃ。……それが妾たちでできる、供養じゃろう」

「……なんだい、それは。初耳だけれど」

「『パパ』は『異本』が好きじゃった。だから――」

「だからって、蒐集していたわけでもないだろう。そもそも、『異本』は776冊もある。ものによってはとても手が付けられない、厳重な管理下にあるものもあるしね」

「知ったことか!」

 女は言った。

 徐々に実感していくのだ。失われた重さを。なにがなくともよかった。ただ、そばにいて、生きてさえいてくれたら。

 だから、生き方を見失う。生き方を求めてしまう。あるいは、それは死に場所か。

「……好きにしなよ。どちらにしても、数日中にはここを出た方がいい。あのシキとかいう青年がのも、時間の問題だ」

 それから、その屋敷に響く言葉は減った。必要最小限に。

 四人が三人になった、という程度じゃない。

 それは、一人と、独りと、ひとりになった瞬間だった。


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