箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 序章

39th Memory Vol.2(日本/新潟/9/2020)

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 五年弱だ。特別な感慨はない。だが――

「ぞっとしねえな」

 男は言う。

「お互い様だ。……まあ、座りなよ」

 若者が言った。現在の屋敷の主人らしく、すでに優雅に、なぜかワイングラスに入ったグレープジュースを飲んでいる。傍らにはメイドを従える演出付きだ。

「早く入るのじゃ、ハク。……ああ、久しぶりなのじゃ! 変わってないのじゃ!」

 男を後ろから押し、入ってきた女は、当然といえば当然だが、無遠慮に部屋を駆けまわった。それは女の顔面と同様、少女のような幼さをとどめた行動である。

「で、なれはなんでここにおるのじゃ? わらわは姉弟で話がしたいと、この場を設けたはずなんじゃがのう」

 顔を近付け、メイドに言い寄る女。

「どうぞお気になさらず。わたくしは、みなさまのおもてなしを仰せつかっているだけでございます」

 涼しい顔でメイドは言った。いつぞや、成り行きとはいえ、対立していたことなど意にも介していないふうに。

「ふうん。じゃあ、マルゴーの'90年か'85年を。二時間以内に持って来い」

 女は言いながら、手ごろな椅子に腰を降ろす。その所作は、果てしなくさり気ない一コマだったが、確かに、そこに長年の腰を落ち着けた風格を感じさせた。

「かしこまりました。ハク様は?」

「俺は日本茶でいい。……簡単なものでいいからな」

 男は念を押す。ワインにはさほど詳しくないが、女の出す要求が相当に無理難題であることには察しがつく。だからせめて、自分のものについては手を抜かせてやろうという心づもりだった。

「かしこまりました」

 どこか含みのある笑みを向け、メイドは退出した。
 使用人である彼女が立場を確保するには、行動で示すほかない。少なくともそのことについて一番理解しているのは、メイドだった。

 そうしてメイドが部屋を出て、ようやっと場は整う。

「じゃあ、話を聞こう」

 最後に、男が席につき、切り出した。

        *

『シャンバラ・ダルマ』。

 あらゆる『異本』に順位付けをしたとき、その上位19冊が現在、総合性能Aという最高ランクの格付けを与えられている。これを『啓筆けいひつ』と呼ぶ者もいる。

 この『異本』はその『啓筆』に含まれる、序列18位。『啓筆』に含まれるぎりぎりの順位だが、それでも総合性能Aとされる強力な『異本』であることには変わりない。

『シャンバラ・ダルマ』の性能は――もちろんすべて解明されているわけではないが――端的には、『世界を制御する』能力だ。と、言っても、限定的である。その効力はこの世のすべての世界に広がることはない。この『異本』が効力を及ぼす範囲は、のみである。

 地球内部について人類は、宇宙のことほどなにも解っていない。だからこそ、荒唐無稽な空想も多数存在する。
 その一つが、地球空洞説。地球内部には空洞があり、そこに知的生命体の生活圏が築かれていたり、その文明と、我々地表人との交流や、抗争が起きていたりする、……などという、荒唐無稽で、SF小説のような説だ。

 だが、そんな荒唐無稽も、物語の中なら存在しうる。『シャンバラ・ダルマ』はその空想を綴った物語だ。

 そして、その空想は、現実世界にも作用した。が、本当に地球内部に存在するのか、それに関しては未確認だ。だが、『シャンバラ・ダルマ』は、その地下世界に安置され、その地下世界の形を構成し続けている。……と、されている。

        *

「問題は、その未確認の地下世界とやらに、どうやって行くかだね」

 若者はグラスを傾け、言った。

「方法は二つある」

 男が言う。

「一つ目。本当に地下にあるかどうかも解らない世界を夢見て、とにかく穴でも掘ってみる」

「たわけか、汝は」

 女が呆れたように言った。しかし、言っていることは至極まっとうだ。

「方法はただ一つ。『鍵本かぎぼん』を使って転移する。それしかないじゃろ」

 女が言う。小さなため息と沈黙。「まあ、そうだろうね」。と、若者が大きな間を空けてから、言った。

「特定の座標で、特定のタイミング。『鍵本』を発動し、をクリアする」

 男は確認するように言った。

「問題はその試練じゃな。少なくとも、現存する『鍵本』の試練をクリアした者は、いまだかつて、一人もおらん」

「当然だろう。クリアすれば『鍵本』は消滅するのだから」

「これ、妾が神妙な雰囲気を出しておるのに、腰を折るな」

「ふざけてないで真面目にやったらどうなんだい? まあ、ぼくにとってはどうでもいいことだけれど」

 若者は肩をすくめた。

「で、『シャンバラ』の『鍵本』は何冊ある? 俺は、二冊だ」

「妾が一冊」

「ぼくは持ってないよ。興味ないからね」

「そうか、じゃあ、ちょうどいいの」

 女が言う。

「一冊につき転移できる者は一人。ここに三冊あるなら、数は足りる」

 言って、女は懐から一冊の本を取り出し、机に置いた。そのまま腰を上げ、二人の弟を見る。

「ちょっと待ってくれ」

 金髪の若者と目が合う。すると若者は手を上げ、口を開いた。

「言っておくけれど、ぼくは行かないよ」

        *

 女は若者と目を合わせたまま、再度静かに、腰を降ろした。

「話の腰を折るな、愚弟」

 呆れたようにため息をつき、女は言った。

「鼎談の場を貸し、話に加わってやってるだけでもありがたいと思ってほしいものだけれどね。どうして好きこのんで、そんな『異本』集めに、ぼくが手を貸さなければならないんだ」

「おい、話が違うぞ、ホムラ」

 男も口をはさむ。

「てめえらが『シャンバラ』蒐集に協力する。だから俺はわざわざ日本に帰ってきたんだぜ」

「もちろんじゃ、問題ない、末弟」

「勝手に問題をなくすな。……そもそも、こんな虚弱な若者一人連れて行って、どんなメリットがある? いないほうがいいくらいだろう」

「解っておるじゃろう? 地下世界に行けたとして、帰ってくるには、『シャンバラ・ダルマ』を発動するほかない。妾もハクも、『異本』への親和性が低すぎる。総合性能Aの『異本』など扱える可能性はゼロに近い」

「きみこそ解っているだろう? その程度なら『百貨店』に入れて使えば済む話だ。わざわざぼくが出張る必要はない」

「そんなこと言って、『シャンバラ』を扱う自信がないんじゃろ?」

「そうだね。ああ、無理だ。ぼくごときでは、総合性能Aの『異本』など、とてもとても」

 押しても駄目だ。挑発すら、暖簾のれんに腕押すようなもの。若者は飄々と、言葉を躱す。

「いいから来い、愚弟」

 だから女は、さらなる力で押す。具体的には笑顔と、握りこぶしだ。

 その姿を、弟たちは知っている。それは、最後通告だ。その言葉に、女の納得する答えを返せなければ、その拳は、痛みを伴う本当の力として行使される。

 だが、それは子どものころの話。三人はすでに大人だ。若者も、涼しい顔でその拳を見つめた。ゆっくりと間を空け、口を開く。

「し、しししし、仕方なないなない……そこまで言うなら、つ、つつ、つつきあおう……」

 極めて冷静な態度で、若者は承諾した。その手にあるグラスから、グレープジュースが零れそうなほど、震える。

「よし。これで決定じゃな」

 女は拳を降ろす。だが、その笑顔はさきほどと同じ満面だから、弟たちは恐怖する。

「すまぬな。今回だけじゃ」

 女は最後に小さく、言う。

 だから弟たちは、体の震えを止めた。

        *

 鼎談がひと段落したタイミングを見計らってか、静かに、それでいて確かな存在感とともに、メイドが現れた。

 その手に乗せた盆には、ワインが一本と、グラスが三つ乗っている。ちなみに、まだあれから、三十分も経っていない。

「お待たせ致しました、お客様」

 言って、各人の前にグラスを置き、まず、女へワインのラベルを見せた。

「……妾の注文とは違うようじゃが?」

 本心であるのか、あえてそうしているのか、女は顕著に不機嫌そうな顔と声でそう言った。

「申し訳ございません、お客様。ご要望のものをお持ちするには、いささか時間を要しますので、私の独断で、別のものをご用意致しました」

「オーパス・ワンの……'98年か」

 女が言うと、メイドは小さく頷くだけで答えた。その顔つきを見て、女はその意図を、なんとなく理解した。

「まあよい。どうせはなから期待しとらんからの」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、メイドは慣れた動作でコルクを抜いた。そして、軽くテイスティング。それから女のグラスへと注ぐ。

「ハク様も、よろしければジン様も、お飲みください」

 言いながら男へ、次いで若者へ、その眼前に置かれたグラスへと注ぐ。

 女は先にグラスに顔を近付けていた。小さく液面を揺らし、沸き立つ香りを楽しんでいるようである。

「俺は、まあ、ワインでもなんでもいいんだけどな……」

 男はグラスを持ち、隣をうかがうように言った。

 若者は、酒を飲まない。いや、飲めないと言った方が正しいだろう。その虚弱な肉体に入れられる飲食物はそう多くない。幼いころはまだマシだった。だが、成長するにつれ、その虚弱さは際立ってきた。ともに育ち、なおかつ食事当番だった男にとってそのことは、憂鬱になるほどよく理解していることだった。

「変な気を回すなよ、気持ち悪い」

 だが、男のそんな心配をよそに、若者はグラスを持つ。

「一口……舐める程度なら大丈夫だろう。どうせもう、最後だ」

「どういう意味だ?」

「さてね」

 若者も女に遅れて、ワインの香りを楽しみに入った。仕方なく、男もそうする。いろんな匂いが織り混ざった、複雑な香りだ。

「それでは、再会を祝して」

 女が言い、グラスを掲げる。「乾杯」の声は上がらなかった。ただ黙って、弟たちもグラスを掲げる。

 小さく小さく、それぞれのグラスの縁が、触れた。

        *

 三人が一口を飲んでから、さらに綿密な予定が練られる。

「それで、誰がどこへ行く? そして戦力だ。きみたちはどうか知らないけれど、ぼくは一人で出歩けるほど頑丈ではないよ」

「解っておる。愚弟はここから一番近いところへ行くのがよかろう。それと戦力ならば、……そこの使用人。汝がジンに同行すれば問題あるまい」

 指名されたメイドは、驚きこそしなかったものの、主人たちの顔色を窺った。「いいんじゃないか」。と、男は言う。だが、若者は言葉を発さず、ただ苦い顔をした。

「ジン様?」

 見かねてメイドが声をかける。

「いや、いい。きみがそれでいいなら、そうするしかないだろうね」

「私はご主人様方の仰せのままに」

 言ってメイドは深々と頭を下げた。

「妾は一人でよい。行先も妾の持っている『鍵本』の場所に行こう。距離的にも、かなり遠いしの」

「じゃあてめえはこれだな」

 言って、男は若者に一冊の本を差し出す。若者が持つべき『鍵本』だ。

「ハクはノラを連れて行くのか? 少なくともノラがいれば、戦力的にも問題ないじゃろうし」

 その言葉に、男は頭を掻いて息を吐いた。

「いや、俺も一人でいいんだが……あいつらがおとなしく、ここで留守番できるかだな」

 思案顔の男を見、続く言葉を待つ。だが、考えれば考えるだに、そんな聞き分けのいい子どもじゃねえ、と、男の経験が告げていた。

「……この際、みなさまをお連れしてはいかがでしょう?」

 沈黙を破り、控えめにメイドが言った。

「お子様方だけでお留守番をさせておくのも気が引けます。ならばいっそ、みなさまをお連れしては?」

「あほ言え。『鍵本』で地下世界に行けるのは一冊につき一人だ。そのうえ、いつ帰ってこられるかも定かじゃねえ。それなのに、……まあ、おまえはともかく、他のガキどもを連れて行けるか」

「みなさまがお戻りになられないならなおさら。あの子たちにも、外へ出る経験を積ませるべきです。なにより、この場所が安全だとも限りませんし」

 メイドは言うと、をさり気なく見た。

「ご安心ください。あの子たちはもう、独り立ちできるだけの能力をお持ちです。それに、もしものときは私が、あの子たちの助けになります」

 うやうやしく一礼するメイド。その堅苦しさは、普段の流麗な礼とは違い、どこか力強さを感じさせた。

 だから、男は折れる。

「……もしものときは、頼む。万が一そうなったら、全員連れてじいさんのところにでも戻ってくれ」

「どうせそのような事態にはなりませんが、億が一そうなったら、そのように」

「そうじゃのう。どうせすぐ戻るんじゃ。みなで行くのも悪くなかろう。そうすれば、うへへ、妾にまた、弟や妹が……」

 女はよだれを垂らしながら言った。

 そして、最後の一人へ、全員の視線が向く。

 だから若者はゆっくりと間を空け、足を組み替え、ため息をつき、諸手を上げて、言った。

「ああ、もう好きにしてくれ」

        *

 そして改めて、子どもたちの戦力、性格、人間関係を踏まえ、配分する。それに関しては、当の子どもたちを抜きで語っても仕方がないので、屋敷にいる全員を集め、これまでの話を伝え、当人たちの理解を得、全員で決めていった。

 わいわいがやがやと、まるで親戚の集まりのような喧噪だった。きっとそれは、その屋敷に、数十年ぶりに訪れた温もりであったろう。

「なんじゃ、ハク。汝、ノラ以外にもこんな可愛くぅわいい娘も連れとるのか。ずるいぞ」

「ひい! ハク! なんやねん、このお姉ちゃん!」

「あ」

「ああ」

「あーあ」

「言っちゃったわね」

「え、なに、ノラ――」

「そう! 妾はみんなのお姉ちゃんなのじゃぁぁ!!」

「「あははー」」

「ピョンちゃんはー」「ピョンピョンでー」「「可愛いのねー」」

「ふ、双子なのじゃ。シンクロなのじゃ。……あ、やば……、鼻血が……」

(本当は三つ子だって黙っておこう)

「「こっち来たあ!? シュウ、助け――」」

「捕まえたのじゃあ! やば……抱き心地も匂いも、そっくりなのじゃ……!」

「ハク! 後ろ隠れさせてや!」

「やめろ、こっちくるだろ」

「隠れたって無駄なのじゃあ!」

「ヤフユはジンのところに行くの?」

「いや、どうだろう。……メイさんがいるなら、わたしが着く必要もないような」

「それより『アニキ』。ここ、空にして大丈夫かな」

「どうせ盗られるようなものもないからね。……シュウは残りたいんだろう?」

「俺は決定に従うよ」

「あらあら、メイドでもないのに、なんでも他人任せではいけませんよ、シュウ様」

「ふぉおおぉぉう! アホ毛なのじゃ! ぴょこんとしとるのじゃ!」

「なにゆうてるか解らへん! ノラ! 助けてえや!」

「お姉ちゃん。パラちゃんはロシア語しか話せないから」

「そうなのか? アホ毛が可愛いのじゃああぁ!」

「わざわざ解るように言い直さんでええねん! はーなーせー!」

「お客様。いい加減に、おやめください」

「はじめまして、ハクさん。お会いできて光栄です」

「んなわけねえだろ。いったい誰と勘違いしてんだ」

「ハク! ヤフユはわたしの恩人なの! 噛みつかないでよ」

「『父様』のー」「『父上』のー」「「弟だから、おじさんなのねー」」

「……失礼なガキしかいねえな」

「すみません、ハクさん。うちの姉どもが」

「姉!? いまどっかからお姉ちゃんを呼ぶ声が!?」

「お黙りください、お客様。締め落としますよ」

「汝、妾が弟や妹に気をとられ、なにも聞こえとらんと思っとるじゃろ」

「むしろ恩人はノラの方です。ですから、その父であるハクさんにお会いできたのは、本当に光栄なんです」

「俺は父親でもおじさんでもねえ。お兄さんだ」

「ハク。それは無理があるじゃろ」

「ハク様。さすがに無理があります」

「なんでだよ!!」

 そうして、みながひとつになり、笑いが起きた。

 その笑いに唯一乗り遅れた若者が、男を視線だけで招く。

「なんだよ?」

 笑いから逃れるように喧噪に背を向け、男は若者のもとへ。窓際に並び、壁に腰を預けた。

「もう機会がないだろうと思っていたけれど、せっかくだ。を話しておこうと思ってね」

 その言葉に、男は眉を上げた。

 喧噪が、遠のく。


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