箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 序章

39th Memory Vol.3(日本/新潟/9/2020)

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「これがあの日の続き。きみが知っていたのは、の襲撃を受け、あいつが殺されたところまで。その後、ぼくの活躍により、『太虚転記たいきょてんき』は半分奪い返した。そして、きみが固執している『異本』集めとやらも、そもそもはホムラが言い出したことだ」

「確かに、『先生』が『異本』を集めていたってことはなかったな。だが、あの日、ホムラは俺に、さも『先生』の意志だと言わんばかりに、『異本』集めを勧めてきたぞ」

「あれは、ホムラなりに考えてのことさ」

 若者は肩をすくめて間を溜める。まだ一杯目が入ったままのワイングラスに口をつけ、液体を舐める。

「『織紙おりがみ四季しきを恨むな』。それが遺言の一つでもある。そして、それも、やはりぼくたちには必要だった。ありていな言葉だけれど、『恨みからはなにも生まれない』。恨んだって仕方のないことなんだ。だが、そうなら、他に生きる意味が必要になる。その点、『異本』集めとは秀逸だ。人生を懸ければ達成し得なくもない。それでいて、十二分に不可能だ。……まあ、ホムラは本気だったみたいだから、ハクが集めた『異本』をいずれ奪おうという、小賢しい考えもあったかもしれないけれどね」

 話は終わりだ。若者は言う。言って、また、ワインを舐める。

 男は黙る。黙って、一度、ワインを飲み干した。男としては二杯目だったワインを。

 すると、常に目を光らせていたかのように、即座にメイドがやってきて、ワインを注いだ。この日、三本目になるワインを。

「どうされますか? ハク様」

 メイドは小さく問う。問うておいて答えも待たず、すぐに一礼し、その場を離れた。

 男には解っていた。その問いへの答えを出すべき場面だと。だが、まだ、それを導き出せるほど、男は大人ではない。

 きっと本当に、父親でもなければ、おじさんでもない。……お兄さんというには、おこがましいとしても。

「俺は……」

        *

 男はなにかを決意して、口を開く。

「俺は、『先生』にとって、いらない子だったのかもな」

「だろうね。その日の言葉を素直に受け止めるなら」

 若者は即、そう返した。

「……否定しろよ」

「なんだい? ぼくに慰めを期待したのかい? だとしたらお門違いも甚だしい。恥を知れ」

「そこまで言われるようなことか?」

「考えてもみろ。仮にぼくが、『大丈夫だ。ハク。きみはあの人にとって、大切な息子の一人だったさ』とか慰めたら、どう思う?」

「ずいぶん会わねえうちに、病気が脳にもいっちまったんだろうな、と、思うだろうな」

「だろう?」

 それみたことか。と、若者は言いたげに肩をすくめたが、自らに対する微妙な悪口は意にも介していないふうであった。

 そして一度、息を吐く。間を持ってから、若者は、またワインを舐めた。いつの間にかその容量は、最初注がれた分の半分ほどまで減っている。

「きみがどうするかは知らないし、興味もない。好きにすればいいけれど。一つ、その決断に関与するかもしれない、ぼくの仮説を述べておこう」

 その言葉に、俯いていた男は顔を上げる。

「あいつは、たぶん、まだ

 その言葉を理解するのに、男はだいぶ長い時間を要した。ずっと聞こえなくなっていた周囲の喧騒が耳に戻る。夢の中のように、ふわふわとした心地だ。

「……なんだって? ……あいつってのは、『先生』のことか?」

 それだけをようやく呟く。喉が渇いている。だが、ワインを飲む気にはなれなかった。

「そうだ。憂月うづき。本名、『理紫谷りしたに久弧きゅうこ。あいつはきっと、生きている」

 男は言葉を失う。生きている、と、聞いても実感がない。喜べばいいのか、驚けばいいのか。そんなことあるはずないと、若者を疑えばいいのかも、解らない。

「……てめえがたまに『先生』を『理紫谷』と呼んでいたのは、そういうことか。……おまえ、いったい何者だ? どうして、俺もホムラも知らない、『先生』の本名を知っている?」

 そう男が問うと、若者は意味ありげに笑って、ワインを舐めた。

 やや目を細めて、窓の桟に肘を預ける。そうやってもたれて、雰囲気を演出した。

「さてね」

 そして、そう、小さく答える。

        *

 生きている。とはいえ、いまどこでどうしているか、なぜ姿をくらましたのか、そこまでは解らない。そもそも、『生きているかもしれない』というだけで、それが正しいかも、確実には解らない。また、そう思う根拠も、語る気はない。

 そのように、若者は言った。そうなると頑固だ。仮に女の握りこぶしをもってしても、聞き出せるとは限らない。し、いくら重要なことだとはいえ、若者がそう、自分自身に誓って決めた事柄なら、男も無理に聞き出そうという気にはなれなかった。

 生きているなら、それでいい。それが若者の勘違いだったとしても、なにかが変わるわけじゃない。

 それに、もし本当に生きているなら、きっとまた会える。そう思った。逆に言うなら、生きているのに自分たちの前に姿を現さないのは、『先生』の思惑があるからだ。とも、男は思った。

 だから、いまはそれだけでいい。生きているかもしれない。そんな荒唐無稽な希望だけで。

 そして、そんな荒唐無稽がまかり通るのが、『異本』の力だ。だから、俺はきっとこのまま、『異本』を集めていけばいい。そう、決意を新たにする。

 人知の及ばぬ荒唐無稽には、同じく、人知の及ばぬ荒唐無稽が関わっているものである。たとえば、『異本』のような。

「さて、とりあえずは目先の『シャンバラ・ダルマ』だな。いい加減、本腰入れてチームを決めるか」

 男は言って、ため息を吐く。喧噪は止むことなく、むしろ肥大化していた。騒ぐなとは言わないが、少しは真面目にしてほしいものである。

「仕方がないから、今回は手を貸そう。だが、こんなことは二度と御免だ。覚えておくことだね」

 若者も壁から背を離す。

 その二人の背後から、急に肩を抱き締める者が一人。

「話は終わったか、弟たち」

 加減の足りない無遠慮で、長姉が弟たちを包んだ。

「仲直りは済んだかのう? えらいぞ、二人とも」

 言って、子どもをあやすように、髪型を乱す勢いで頭を撫でた。もう、お兄さんを名乗れないほどの歳になっても、姉には勝てない。

「やめろホムラ、暑苦しい。そもそも喧嘩なんかしてねえし」

「もとより仲良しですらないからね。強いて言うなら無関心かな」

「そうかそうか。まあ、なんでもよいわ」

 いやに嬉しそうに、女は言う。見ると、わずかに瞳に、雫を溜めていた。

「じゃあ、妾たち、姉弟の力を、しかと世界に知らしめようぞ」

 きっと、女は、それが目的だった。『異本』集め。父親の復讐。もちろんそれもあった。けれど、きっと今回のことは、姉弟を揃えること。みんなで揃って、なにかを成し遂げること。それが本当の、女の目的だったのだ。

「いや、べつに、世界には知らしめねえ」

「そもそも、ぼくらが揃ったところで、たいしたことはできないよ」

 女が嬉しそうにすればするほど、なんだか損した気分で、弟たちは冷たくなっていった。

「……話の腰を折るな」

 真顔に戻り、頭に乗せた腕に、力が入る。

 話の腰はともかく、少なくとも、弟たちの腰は折られた。

        *

 こうして、各々が行く場所、チームの構成が決定した。



 氷守こおりもりはく。ノラ・ヴィートエントゥーセン。パララ・ナパラライト。稲荷日いなりび秋雨しゅう
 目的地は、エジプト、アスワン。アブ・シンベル神殿。



 灼葉しゃくようほむら白雷はくらい夜冬やふゆ。稲荷日夏名多かなた
 目的地は、メキシコ、ユカタン半島。チチェン・イッツァ。ククルカン神殿。



 稲雷いならいじん。アルゴ・バルトロメイ。稲荷日春火はるか
 目的地は、日本、奈良。箸墓はしはか古墳。



 日程は、2020年、九月二十二日。秋分だ。




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