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『シャンバラ・ダルマ』編 序章
World’s Swell(????/????/9/2020)
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報告を受けて、その、ハゲというにはスキンヘッドの、長身で、黒いローブを纏った、つまりは、僧侶は、頭を抱えた。
確かに内容はそこそこ重要だ。しかし、重要であろうとなかろうと、とりあえず頭を抱えてみるのがこの僧侶の癖である。
「んんぅ~~? どったの、ぴかりん。またハゲるよぉ?」
「これ以上ハゲるってどうなるんですか!? いや、そもそもハゲじゃないですしね? スキンヘーッド!」
言って、僧侶はその頭をギャルに向けた。どうやら持ちネタのようである。
ともあれ、気を取り直して、僧侶は受けたばかりの報告を、その場にいるメンバーに伝えた。
「組織としては、関与すべきか、無視してもいいか、微妙なところなんです。我々の求める『異本』でもないですし。しかし、強力なものではある。誰かが所有するというのは、好ましくないかと」
その発言は、相談じゃない。立候補を待つための要素だ。
そう。その組織の体面上。なにかを強制することは、あまり向かない。
「あたしが行こっかぁ? ぴかりん」
元気よく手を上げたのはギャルだった。
それを見て、その場がざわめく。
「アリスが? ……いえ、あなたが行ってくれるなら安心ですけど。……珍しいですね」
「ちょーっちね☆ 気になるやつもいるからさぁ」
「昔の相棒ですか? ハゲさん。アリスを行かせるのは反対です。ミイラ取りがミイラに……ってことも、なくもない」
と、手を上げたのは、毛並みの良い金髪の、優男。
「私が行きましょう。いつぞやのお礼もまだですから」
優男は気障にその美しい髪を払い、言った。
「ゼノでもいいんですけどね。……あなたはいま、相方がいませんから。……あとハゲじゃない、スキンヘーッド!」
僧侶はやはり、優男に頭部を向けた。
「エルファ――」
「わちきは行かないよ。疲れるもん」
手元にて、なにかをいじくる娘子に優男は声をかけるが、すぐに断られた。
ちっ、と、舌打ちをする。相方がいないと許可を得るのは難しいと悟ったのだろう。
「困りましたね。我々は基本、二人組での行動を主としますから。アリスなら……まあ、いいとしても」
僧侶は頬を掻く。だが、彼の目的はすでに達していた。場はすでに、行くか行かないか、ではなく、誰が行くかの議論に発展した。
「では、某らが行こう。主教」
ボケもせず、一人の屈強な大男が名乗りを上げた。
「よかろう!? ラオロン?」
暗闇に向けて、大男は叫ぶ。すると、闇の奥から、小柄な――というより、いまにも朽ち果てそうな老輩――いやむしろ、仙人のようないでたちの者が現れた。
「まったく……嫌だと言っても行くのじゃろう。カイラギ。なんぞ気になることでもあったのか?」
「いんや!」
大男は元気よく否定した。
「なにも気にならん! ゆえに気になる! まったく見知らぬ、興味のかけらもないものほど、体感しておくに越したことはなかろう!」
ふう……。老輩は息を吐く。それは聞くだけで洗練された、極めた者の呼吸法と解る……気がする、複雑ななにかを感じさせた。
「主教よ。少なくともこいつなら、なんの裏表もないじゃろう。そんで、俺も、べつに行くのにやぶさかではない」
隣の馬鹿は放っておいて、といったふうに、老輩はスキンヘッドの僧侶に告げた。
「まあ、お二人なら」
僧侶が言って、場も納得する。
こうして、一組二名が参戦した。
*
また別の地、別の者のもとにも、同じ報告は届いていた。それを受けて、ある者に、ある指令が下される。
とある国、とある町の、とある高層ビルディング。
外側から見れば、それはそのように見えるだろう。しかし、内側はもっと複雑で、単純だ。
世界最高規模の図書館。いや、正確には、書庫。地上三〇階建てのほとんどの部屋に、所狭しと、世界中のありとあらゆる本が収められている。ビルディングの中央には、一〇階までの高さに至るまで、巨大な大木がそそり立っている。もちろん、その大木自体も、あらゆる――特に重要な本が収められている、書庫である。
(あのー――)
その大木の受付、階層的には一階に属する、一つの根本に一人の若い学者が訪れていた。
(すみませーん)
声を上げる。とはいえ、彼の見た目通り、その声は控えめだ。むしろ控えすぎて発声すらしていないほどである。
学者は忙しそうに駆け回る司書たちを眺めて、「出直そうかな」、と考え始める。
「いやいや、今回ばかりは、緊急を要する事態だ。思い切って声を張らないと」
学者は思う。考え事に集中すると声が出てしまう。その癖を知らないのは本人だけだ。
すううぅぅ。意を決し、息を吸う。
(す――)
「はいはーい! はいはいはいはいっ! お、お待たせしておりますっ!」
結局声は出なかったが、受付にて待ち続ける学者を見かねて、あわただしい司書が一人、いまにも転びそうな勢いでやってきた。
女性だ。年齢は二十前後か。だが、背は低く、そこだけ取ってみれば中学生くらいにも見える。
オレンジのミディアムヘアは癖があり、さして手を尽くして整えてもいないのだろう、どこか犬耳が生えているふうな髪型だ。服装は特別な指定がないのだろう。膝を十分に覆い隠すロング丈のフレアスカートに、上半身はTシャツのみというラフさだ。その、Tシャツの前面には『お仕事中』と、でかでかとプリントされているが、内側に押し込んだ脂肪のせいで、その文字は見事に歪んでいた。
「やばい。可愛い。好みだ。結婚してえ」
学者は一瞬、仕事のことも忘れて心奪われた。
女司書は、その小ささゆえに相対的に重そうにも見える大きい丸メガネを盛大に傾げていた。それをあたふたと直しながら応対する。
「はい? すみません、もう一度よろしいですかっ? ああ、じゃなくてっ。こちらの書物はすべて、『貸出許可証』を必要としますのでっ! お持ちでしたらご提示をっ!」
にっこりと笑って言う。
学者はまたも心を打ち抜かれるが、それはもはや、言語化できなかった。ともあれ、言われて気を取り直す。バックから指定のものを取り出した。
(失礼しました。こちらです)
学者は言われた通りのものを渡した。
やはり声が出ていないからか、司書はワンテンポ遅れて、差し出された紙を覗き込む。背が低いからと、受付の机が高いからだろう。司書はやや背伸びし、さらに前屈みに覗いている。その一所懸命さが、やはり学者のツボにはまった。
「仕事いつ終わるんだろう。ああ、もしよかったら、お茶でもご一緒したい」
「お仕事は18時までですっ! お茶もいいですけど、お腹空いてきました」
学者は(彼にとっては)唐突な言葉に驚愕する。
(エスパーっ!?)
ややおびえた様子で一歩後ずさる学者を見て、司書は首を傾げた。
「お腹空いてないですかっ? 私もうぺこぺこで……」
言って、司書は自身の腹部をさすった。
「言われてみれば、腹減ったな」
「ですよねっ! もうこんな時間ですしっ! じゃあ、近くに美味しいイタリアンがあるので、そこ行きましょうっ!」
学者にとっては不思議な展開だったが、なぜだかとんとん拍子で食事がセッティングされていった。
……いや、待て。と、そこで学者は思い出す。
「そうだ! 忘れてた! 今日はこの後すぐ、飛行機に乗らなきゃならんのだ!」
そう、思い起こす。そして頭を抱える。
「どうすればいい! 仕事か! 彼女か! くそう、究極の選択!」
「いや、お仕事してくださいっ」
司書は書類に判子を押し、笑顔でそう言った。
「はいっ! 書類に問題はありませんっ! メイリオさん……ですよね? こちらが、お求めのものですっ」
そう言って、いつの間にか手にしていた一冊の本を、司書は机に置いた。
「お仕事が終わったら、お食事に連れてってくださいねっ!」
司書の笑顔に、学者は決意を新たにする。
少々危険で、面倒で大変な仕事だが、必ず生きて帰ろう、と。生きて帰ったら、彼女を食事に誘い、告白するのだ。
(もちろんです!!)
学者は力強く言った(つもりだった)。
「おっしゃあぁ!!」
内心でそう、ガッツポーズを決めながら叫ぶ。
こうして、一人の学者が参戦した。
死亡フラグを抱えながら。
*
また、別の国、地域。
とある青年が電話をかける。三度目のコール音の後、長い静寂。
「……依頼の電話ですが」
青年は先に口を開いた。
何度かは使ったことのある相手だ。職業柄、自分から口を開くことはない。それを解っていても、無言の相手に語りかけるというのは、どうにも落ち着かない。
どこか上の空で、青年は目標と目的地、日時を指定する。必要事項を話し終えても、まだしばらく返答がない。それもいつものことだ。しかし、こう長く黙られたままだと不安になる。
「引き受けていただけますね。ルガーシさん」
だから、やや語気強めに言う。必要な用心なのかもしれないが、クライアントをないがしろにするかのような態度は癇に障る。そもそも青年は気が長い方ではない。
『あー、おー、うー』
擬音のような呻きが鳴った。それは肯定のようで、少なくとも否定ではないが、なにか引っかかる擬音だ。
『ちょっと確認なんだけどよー。標的には連れがいるんだよな?』
ようやく言語を発した相手。気だるげ――というより、寝起きのような声だ。
『そいつらは標的に含めていいわけ? 知ってると思うが、俺は一人いくらの仕事人なんでね。人数、重要』
「構いませんよ。情報によると、連れを含めて三人です。ゆえに三人分の料金をご用意します。だが、殺すのは一人で構いません」
『おいおい、殺すとか物騒なこと言うなよー。それじゃ、まるで、俺が殺しの依頼を受けてるヒットマンみたいじゃねーの』
あくびを漏らして、緊張感もなく、相手は言った。もちろん、それはその通りなのだが。
「くれぐれも回収品だけは損ねないようにお願いしますよ。こちらにとって重要なのは、標的の命ではなく、その回収品ですから」
『オーケーオーケー。話は聞いてた。理解してる』
声の後ろから、衣擦れのような、家鳴りのような音。雰囲気から、体を起こしたのだと把握する。つまり、ここまで横になったまま、本当に特段の危機感もなく応答していたということか。……いや、まあそれはいい。
それだけ命のやり取りに慣れている相手だからこそ、信頼できる。
『ではいつも通り。依頼料は前金で振り込みを。回収品をこちらで回収した場合は、その引き渡しに、上乗せで一人分の金額を別途要求する』
「ええ、それで構いません」
言って、青年は通話を終えようとした。そのとき。
『最後に』
と、相手方から、これまでの気だるげなものとは違う、芯の通った強い重さで、声が投げられる。
『言うまでもないことだが、以前のように、仕事の邪魔はするなよ。この業界は、信用がすべて。解るね?』
どこか子どもをあやすような言い方だが、青年は怒りを飲み込んだ。いまこの場でこのようなやつと言い争っても意味がない。
「ええ、それではよろしくお願いします」
やや強引に、青年は通話を切る。舌打ちをし、そばの椅子に乱暴にもたれかかる。
やはり自分は気が短いようだ。と、再認識。悪いことだとは思わないが、いいことでもないだろう。このあいだの戦闘も、もっと冷静でいたのなら、違った対処もできたのかもしれない。そう思うと、自然と青年の口元がほころんだ。
そうだ、まだ、自分には成長の――努力の余地がある。それは、未来への可能性だ。自分自身を高められる伸びしろ。
「さて、身共もまた、次なる努力を続けましょう」
息を吐き。気持ちを切り替える。
かたわらに置いた本を一度、撫でた。
さらに、一人と一人が参戦。
*
そして。
最後に、とある国の、とある古城。
「機は熟したようね」
空間の無駄遣い。その、小さな体育館くらいありそうな大部屋の中ごろに、五メートル四方ほどのレッドカーペット。そしてその上に、一脚の絢爛豪華な玉座。それだけだ。強いて言うなら、天井にかかったシャンデリアには明かりが灯っておらず、数百本の蝋燭で、その部屋は照らされていた。それもまた、照明の無駄遣いといえよう。
だが、無駄を遣えるということは、それだけで、その者の身分の高さを物語っていた。
「ナイト」
その、部屋の広さから比べれば、極小すぎる声に、瞬時に対応し、一人の若い執事が玉座のかたわらに傅いた。
「準備はできてるわね。あたくしたちも向かうわよ」
椅子に腰かけた令嬢は、ペットにするように、執事の首元を撫でながら言った。
「……畏れながら、お嬢様。御身にもしものことがあれば大事です。ここは私にお任せいただけませんでしょうか?」
令嬢を見上げ、執事は懇願する。その、本当に彼女を傷付けまいとする、悲壮な目で、令嬢を見て。
「だったら、あなたがあたくしを守りなさい。その程度のこともできないで、あたくしの望みを叶えられると思わないことね」
首元を撫でていた手は、徐々に上がり、執事の頬を撫でていた。令嬢は自分を見つめるその相手を、愛おしそうに見つめ返す。
「はい。……この命に代えましても」
言って、執事は地につくほど深く、首を垂れる。
そんな執事を見て、令嬢は立ち上がり、その顔を蹴飛ばした。
呻き声もない。執事は床を転がり、それでもなお、すぐに姿勢を整え、再度傅く。
「いいこと? あなたの命はあたくしのもの。勝手に死ぬことは許さないわ」
そばに寄る。腰を落とし、令嬢は執事の顎を引いて、無理矢理顔を上げさせた。
「あたくしのためを思うなら、生きてあたくしを守りなさい。その程度のことは、やってもらうわよ」
言って、蹴られて腫れた部分を強く抓る。執事はわずかに顔を歪めたが、まっすぐ令嬢を見て、応える。
「はい。必ずや。……ミルフィリオお嬢様」
その言葉に満足したのか、令嬢は笑みを見せ、「いいこ」、と一言。そして、小さく、優しく、執事の唇に、自身のそれを合わせた。
こうして、参加者は出揃う。世界が、動き始める。
確かに内容はそこそこ重要だ。しかし、重要であろうとなかろうと、とりあえず頭を抱えてみるのがこの僧侶の癖である。
「んんぅ~~? どったの、ぴかりん。またハゲるよぉ?」
「これ以上ハゲるってどうなるんですか!? いや、そもそもハゲじゃないですしね? スキンヘーッド!」
言って、僧侶はその頭をギャルに向けた。どうやら持ちネタのようである。
ともあれ、気を取り直して、僧侶は受けたばかりの報告を、その場にいるメンバーに伝えた。
「組織としては、関与すべきか、無視してもいいか、微妙なところなんです。我々の求める『異本』でもないですし。しかし、強力なものではある。誰かが所有するというのは、好ましくないかと」
その発言は、相談じゃない。立候補を待つための要素だ。
そう。その組織の体面上。なにかを強制することは、あまり向かない。
「あたしが行こっかぁ? ぴかりん」
元気よく手を上げたのはギャルだった。
それを見て、その場がざわめく。
「アリスが? ……いえ、あなたが行ってくれるなら安心ですけど。……珍しいですね」
「ちょーっちね☆ 気になるやつもいるからさぁ」
「昔の相棒ですか? ハゲさん。アリスを行かせるのは反対です。ミイラ取りがミイラに……ってことも、なくもない」
と、手を上げたのは、毛並みの良い金髪の、優男。
「私が行きましょう。いつぞやのお礼もまだですから」
優男は気障にその美しい髪を払い、言った。
「ゼノでもいいんですけどね。……あなたはいま、相方がいませんから。……あとハゲじゃない、スキンヘーッド!」
僧侶はやはり、優男に頭部を向けた。
「エルファ――」
「わちきは行かないよ。疲れるもん」
手元にて、なにかをいじくる娘子に優男は声をかけるが、すぐに断られた。
ちっ、と、舌打ちをする。相方がいないと許可を得るのは難しいと悟ったのだろう。
「困りましたね。我々は基本、二人組での行動を主としますから。アリスなら……まあ、いいとしても」
僧侶は頬を掻く。だが、彼の目的はすでに達していた。場はすでに、行くか行かないか、ではなく、誰が行くかの議論に発展した。
「では、某らが行こう。主教」
ボケもせず、一人の屈強な大男が名乗りを上げた。
「よかろう!? ラオロン?」
暗闇に向けて、大男は叫ぶ。すると、闇の奥から、小柄な――というより、いまにも朽ち果てそうな老輩――いやむしろ、仙人のようないでたちの者が現れた。
「まったく……嫌だと言っても行くのじゃろう。カイラギ。なんぞ気になることでもあったのか?」
「いんや!」
大男は元気よく否定した。
「なにも気にならん! ゆえに気になる! まったく見知らぬ、興味のかけらもないものほど、体感しておくに越したことはなかろう!」
ふう……。老輩は息を吐く。それは聞くだけで洗練された、極めた者の呼吸法と解る……気がする、複雑ななにかを感じさせた。
「主教よ。少なくともこいつなら、なんの裏表もないじゃろう。そんで、俺も、べつに行くのにやぶさかではない」
隣の馬鹿は放っておいて、といったふうに、老輩はスキンヘッドの僧侶に告げた。
「まあ、お二人なら」
僧侶が言って、場も納得する。
こうして、一組二名が参戦した。
*
また別の地、別の者のもとにも、同じ報告は届いていた。それを受けて、ある者に、ある指令が下される。
とある国、とある町の、とある高層ビルディング。
外側から見れば、それはそのように見えるだろう。しかし、内側はもっと複雑で、単純だ。
世界最高規模の図書館。いや、正確には、書庫。地上三〇階建てのほとんどの部屋に、所狭しと、世界中のありとあらゆる本が収められている。ビルディングの中央には、一〇階までの高さに至るまで、巨大な大木がそそり立っている。もちろん、その大木自体も、あらゆる――特に重要な本が収められている、書庫である。
(あのー――)
その大木の受付、階層的には一階に属する、一つの根本に一人の若い学者が訪れていた。
(すみませーん)
声を上げる。とはいえ、彼の見た目通り、その声は控えめだ。むしろ控えすぎて発声すらしていないほどである。
学者は忙しそうに駆け回る司書たちを眺めて、「出直そうかな」、と考え始める。
「いやいや、今回ばかりは、緊急を要する事態だ。思い切って声を張らないと」
学者は思う。考え事に集中すると声が出てしまう。その癖を知らないのは本人だけだ。
すううぅぅ。意を決し、息を吸う。
(す――)
「はいはーい! はいはいはいはいっ! お、お待たせしておりますっ!」
結局声は出なかったが、受付にて待ち続ける学者を見かねて、あわただしい司書が一人、いまにも転びそうな勢いでやってきた。
女性だ。年齢は二十前後か。だが、背は低く、そこだけ取ってみれば中学生くらいにも見える。
オレンジのミディアムヘアは癖があり、さして手を尽くして整えてもいないのだろう、どこか犬耳が生えているふうな髪型だ。服装は特別な指定がないのだろう。膝を十分に覆い隠すロング丈のフレアスカートに、上半身はTシャツのみというラフさだ。その、Tシャツの前面には『お仕事中』と、でかでかとプリントされているが、内側に押し込んだ脂肪のせいで、その文字は見事に歪んでいた。
「やばい。可愛い。好みだ。結婚してえ」
学者は一瞬、仕事のことも忘れて心奪われた。
女司書は、その小ささゆえに相対的に重そうにも見える大きい丸メガネを盛大に傾げていた。それをあたふたと直しながら応対する。
「はい? すみません、もう一度よろしいですかっ? ああ、じゃなくてっ。こちらの書物はすべて、『貸出許可証』を必要としますのでっ! お持ちでしたらご提示をっ!」
にっこりと笑って言う。
学者はまたも心を打ち抜かれるが、それはもはや、言語化できなかった。ともあれ、言われて気を取り直す。バックから指定のものを取り出した。
(失礼しました。こちらです)
学者は言われた通りのものを渡した。
やはり声が出ていないからか、司書はワンテンポ遅れて、差し出された紙を覗き込む。背が低いからと、受付の机が高いからだろう。司書はやや背伸びし、さらに前屈みに覗いている。その一所懸命さが、やはり学者のツボにはまった。
「仕事いつ終わるんだろう。ああ、もしよかったら、お茶でもご一緒したい」
「お仕事は18時までですっ! お茶もいいですけど、お腹空いてきました」
学者は(彼にとっては)唐突な言葉に驚愕する。
(エスパーっ!?)
ややおびえた様子で一歩後ずさる学者を見て、司書は首を傾げた。
「お腹空いてないですかっ? 私もうぺこぺこで……」
言って、司書は自身の腹部をさすった。
「言われてみれば、腹減ったな」
「ですよねっ! もうこんな時間ですしっ! じゃあ、近くに美味しいイタリアンがあるので、そこ行きましょうっ!」
学者にとっては不思議な展開だったが、なぜだかとんとん拍子で食事がセッティングされていった。
……いや、待て。と、そこで学者は思い出す。
「そうだ! 忘れてた! 今日はこの後すぐ、飛行機に乗らなきゃならんのだ!」
そう、思い起こす。そして頭を抱える。
「どうすればいい! 仕事か! 彼女か! くそう、究極の選択!」
「いや、お仕事してくださいっ」
司書は書類に判子を押し、笑顔でそう言った。
「はいっ! 書類に問題はありませんっ! メイリオさん……ですよね? こちらが、お求めのものですっ」
そう言って、いつの間にか手にしていた一冊の本を、司書は机に置いた。
「お仕事が終わったら、お食事に連れてってくださいねっ!」
司書の笑顔に、学者は決意を新たにする。
少々危険で、面倒で大変な仕事だが、必ず生きて帰ろう、と。生きて帰ったら、彼女を食事に誘い、告白するのだ。
(もちろんです!!)
学者は力強く言った(つもりだった)。
「おっしゃあぁ!!」
内心でそう、ガッツポーズを決めながら叫ぶ。
こうして、一人の学者が参戦した。
死亡フラグを抱えながら。
*
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とある青年が電話をかける。三度目のコール音の後、長い静寂。
「……依頼の電話ですが」
青年は先に口を開いた。
何度かは使ったことのある相手だ。職業柄、自分から口を開くことはない。それを解っていても、無言の相手に語りかけるというのは、どうにも落ち着かない。
どこか上の空で、青年は目標と目的地、日時を指定する。必要事項を話し終えても、まだしばらく返答がない。それもいつものことだ。しかし、こう長く黙られたままだと不安になる。
「引き受けていただけますね。ルガーシさん」
だから、やや語気強めに言う。必要な用心なのかもしれないが、クライアントをないがしろにするかのような態度は癇に障る。そもそも青年は気が長い方ではない。
『あー、おー、うー』
擬音のような呻きが鳴った。それは肯定のようで、少なくとも否定ではないが、なにか引っかかる擬音だ。
『ちょっと確認なんだけどよー。標的には連れがいるんだよな?』
ようやく言語を発した相手。気だるげ――というより、寝起きのような声だ。
『そいつらは標的に含めていいわけ? 知ってると思うが、俺は一人いくらの仕事人なんでね。人数、重要』
「構いませんよ。情報によると、連れを含めて三人です。ゆえに三人分の料金をご用意します。だが、殺すのは一人で構いません」
『おいおい、殺すとか物騒なこと言うなよー。それじゃ、まるで、俺が殺しの依頼を受けてるヒットマンみたいじゃねーの』
あくびを漏らして、緊張感もなく、相手は言った。もちろん、それはその通りなのだが。
「くれぐれも回収品だけは損ねないようにお願いしますよ。こちらにとって重要なのは、標的の命ではなく、その回収品ですから」
『オーケーオーケー。話は聞いてた。理解してる』
声の後ろから、衣擦れのような、家鳴りのような音。雰囲気から、体を起こしたのだと把握する。つまり、ここまで横になったまま、本当に特段の危機感もなく応答していたということか。……いや、まあそれはいい。
それだけ命のやり取りに慣れている相手だからこそ、信頼できる。
『ではいつも通り。依頼料は前金で振り込みを。回収品をこちらで回収した場合は、その引き渡しに、上乗せで一人分の金額を別途要求する』
「ええ、それで構いません」
言って、青年は通話を終えようとした。そのとき。
『最後に』
と、相手方から、これまでの気だるげなものとは違う、芯の通った強い重さで、声が投げられる。
『言うまでもないことだが、以前のように、仕事の邪魔はするなよ。この業界は、信用がすべて。解るね?』
どこか子どもをあやすような言い方だが、青年は怒りを飲み込んだ。いまこの場でこのようなやつと言い争っても意味がない。
「ええ、それではよろしくお願いします」
やや強引に、青年は通話を切る。舌打ちをし、そばの椅子に乱暴にもたれかかる。
やはり自分は気が短いようだ。と、再認識。悪いことだとは思わないが、いいことでもないだろう。このあいだの戦闘も、もっと冷静でいたのなら、違った対処もできたのかもしれない。そう思うと、自然と青年の口元がほころんだ。
そうだ、まだ、自分には成長の――努力の余地がある。それは、未来への可能性だ。自分自身を高められる伸びしろ。
「さて、身共もまた、次なる努力を続けましょう」
息を吐き。気持ちを切り替える。
かたわらに置いた本を一度、撫でた。
さらに、一人と一人が参戦。
*
そして。
最後に、とある国の、とある古城。
「機は熟したようね」
空間の無駄遣い。その、小さな体育館くらいありそうな大部屋の中ごろに、五メートル四方ほどのレッドカーペット。そしてその上に、一脚の絢爛豪華な玉座。それだけだ。強いて言うなら、天井にかかったシャンデリアには明かりが灯っておらず、数百本の蝋燭で、その部屋は照らされていた。それもまた、照明の無駄遣いといえよう。
だが、無駄を遣えるということは、それだけで、その者の身分の高さを物語っていた。
「ナイト」
その、部屋の広さから比べれば、極小すぎる声に、瞬時に対応し、一人の若い執事が玉座のかたわらに傅いた。
「準備はできてるわね。あたくしたちも向かうわよ」
椅子に腰かけた令嬢は、ペットにするように、執事の首元を撫でながら言った。
「……畏れながら、お嬢様。御身にもしものことがあれば大事です。ここは私にお任せいただけませんでしょうか?」
令嬢を見上げ、執事は懇願する。その、本当に彼女を傷付けまいとする、悲壮な目で、令嬢を見て。
「だったら、あなたがあたくしを守りなさい。その程度のこともできないで、あたくしの望みを叶えられると思わないことね」
首元を撫でていた手は、徐々に上がり、執事の頬を撫でていた。令嬢は自分を見つめるその相手を、愛おしそうに見つめ返す。
「はい。……この命に代えましても」
言って、執事は地につくほど深く、首を垂れる。
そんな執事を見て、令嬢は立ち上がり、その顔を蹴飛ばした。
呻き声もない。執事は床を転がり、それでもなお、すぐに姿勢を整え、再度傅く。
「いいこと? あなたの命はあたくしのもの。勝手に死ぬことは許さないわ」
そばに寄る。腰を落とし、令嬢は執事の顎を引いて、無理矢理顔を上げさせた。
「あたくしのためを思うなら、生きてあたくしを守りなさい。その程度のことは、やってもらうわよ」
言って、蹴られて腫れた部分を強く抓る。執事はわずかに顔を歪めたが、まっすぐ令嬢を見て、応える。
「はい。必ずや。……ミルフィリオお嬢様」
その言葉に満足したのか、令嬢は笑みを見せ、「いいこ」、と一言。そして、小さく、優しく、執事の唇に、自身のそれを合わせた。
こうして、参加者は出揃う。世界が、動き始める。
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灰かぶりの姉
吉野 那生
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