箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
57 / 385
チチェン・イッツァ編

40th Memory Vol.11(メキシコ/ユカタン/9/2020)

しおりを挟む
 妹との夜更かしの後、少年は勢いよく目覚めた。瞬間、焦燥を感じる。ゆえに、その勢いのまま、上体をも起こしたかった。だが、唯一残った左腕には、現在、愛する妹が寝息を立てている。

「カナタ……カナタ?」

 躊躇われたが、優しく揺り起こす。眠っている時間は、もうない。

 2020年、九月二十二日、火曜日。時刻は午前六時過ぎだ。

「ううん……『兄上』? おはようなのです。むにゃむにゃ……」

「起きろ、カナタ。時間がない」

 起床時の挨拶を呟きながら、微塵も目を開けない妹へ、やや声を張って、少年は言った。

「ぎゅーってしてくれたら、きっとカナタは起きるのです。むにゃむにゃなのです」

「……起きてるみたいだから、わたしは姉さんを起こしてくる。出かける準備をしておきなよ、カナタ」

 少年は言って、女児の首元から腕を引き抜いた。むーん。と、不機嫌に唸る声が、置き去りにしたベッドの上から漏れた。

        *

「姉さん!」

 部屋のドアを叩き、内側へ声を張る。当然の用心だが、ドアには鍵がかかっている。こんなことなら同じ部屋で眠るのだった。と、少年は少しだけ後悔した。

「朝から騒がしいのじゃ。むにゃむにゃ……」

 ドアを開け、眠そうに瞼をこすりながら、女が現れる。……全裸で。
 少年はとりあえず部屋に入り、素早くドアを閉めた。

「姉さん! 外に出るときはなんか羽織って……って、そんなことはこの際いい! 時間だ!」

「ううん?」

 女はまだ寝ぼけているのか、要領を得ないといったように唸るだけだ。

「もう六時過ぎてる。確か『鍵本かぎぼん』の発動は、午前七時だったはずだろう?」

「ううん? うん?」

 まだ瞼は閉じている。というより寝ているといってもいいほど反応が薄い。夢遊病なのかもしれない。そう思うほどだ。

「バカねえ! とっとと起きろ!」

 もはやこの女にはなおざりくらいでちょうどいい。少年は強い言葉遣いにも慣れ始め、その勢いで女を揺り動かす。

「むにゃ……ぎゅーってしてくれたら、きっとわらわは起きるのじゃ。むにゃむにゃなのじゃ」

「この……バカ姉! 起きろ! あとでいくらでも抱いてやるから!」

「んなっ! 『抱いてやる』など、そんなふしだらな! ヤフユにはまだ早い! お姉ちゃんは許さんぞ!」

 女は完全に覚醒した。というか、狸寝入りをやめた。少年はため息を吐く。

「いいから、早く準備しなよ。本当に時間がないから」

 少年は言うと、部屋を出ようとドアノブに手をかける。自分自身もまだ、準備をまったくしていないことを思い出したから。

「……なにを言っておるのじゃ、ヤフユ。……七時は七時でも、午後じゃろうが」

 呆れた口調に、少年は振り向く。

「そうだっけ?」

 そういえば、なんとなく午前だと思っていたが、ちゃんと確認していないような気もした少年だった。首を捻る。……うん。そういえば記憶にない。

「そうじゃ。それに、どうせ時差がどうとか、そういうアレで、厳密に同時刻とか無理じゃろうし。最悪、先に地下世界に到達した者が待っておればいいだけじゃろ」

 そもそも時間はともかく、同座標に転送されるとも限らん。と、確かにもっともらしいことを女は言う。

 ただし、女のこの記憶は間違っていた。実際は、午前七時が予定の時刻なのである。その点、重要事項を適当にしか聞いていない女には、正確な記憶がなされていなかった。

「そうか……じゃあ、まあ、いいんだけど」

「そうそう。だから、お姉ちゃんと一緒に二度寝じゃ! カナタも呼ぶぞ!」

「じゃあゆっくり朝食でもいただこうか。わたしは着替えてくるから、姉さんも準備しなよ」

「ドスルーなのじゃ! なんだかお姉ちゃんの扱いが酷いのじゃ! 昨日から!」

 そんな女の叫びなどどこ吹く風で、少年はそそくさと部屋を出て行った。

 女の瞳からは自然と、涙が溢れだした。

        *

 ゆったりと朝食を食べ、ゆったりと準備をし、ゆったりと出かける。今回の目的地であるチチェン・イッツァ遺跡へ。昼前には到着した。

 チチェン・イッツァ。マヤ文明、後古典期の遺跡。その名が示すは『魔法使いイッツァ人の泉の入口』という意味だ。中心に今回『鍵本』を発動する目的地、『エル・カスティージョ神殿』――別名、『ククルカンの神殿』があり、その東西南北に泉がある。

 泉。つまりはセノーテ。それは、カルスト地形――つまり石灰岩でできた大地が雨水などで浸食され陥没した穴に、地下水が溜まった天然の井戸。マヤ時代の人々の生活に欠かせない水を供給する井戸であったと同時に、巡礼や供物をささげる場として崇拝されてもいたらしい。現在でも観光地の一つとして、シュノーケリングやダイビングを楽しむ場として用いられている。

 実はユカタン半島。約6550万年前に小惑星が衝突したと言われており、このセノーテの多くは、その小惑星衝突が原因でできたとも言われている。、確かに神聖さすら感じる。もちろん、せいぜい千数百年前に栄えたマヤの人々には、そんな事実、知る由もなかったはずであるが。

「すごいのです……すごい、人なのです」

 込み合った遺跡群の中、女児は言った。

 この日は年に二回の、『ククルカンの降臨』が見られる日だ。目的地であるククルカンの神殿において、日暮れ時、その日差しによって作られる影が、神殿を降るククルカン羽毛の蛇を浮かび上がらせる。そういう古代遺跡の神秘を垣間見れる特別な日。当然、それを一目見たいと観光客が押し寄せている。

 押し合いへし合い、人ごみに飲まれるほどの混雑ではないが、古代遺跡という厳かな雰囲気とはかけ離れ、お祭り騒ぎのように賑わっていた。

「まあ、だからこそこの日を選んだのじゃ。……仕方がない。まだ時間もあることじゃし、いろいろ見て回るか」

 女が言う。チチェン・イッツァは一つの都市だ、それなりに広い。いまでは多くの建造物に立ち入ることが禁じられているが、それでも、見るものは多いと言えよう。

 まずは、さきほど紹介したセノーテ。東西南北、それぞれ、ククルカンの神殿からだとやや遠いが、散歩がてら一つ、見に行く。澄み切った地下水、鍾乳洞の穴。自然にできたにしては、生活する人々に都合がよすぎる。いや、正確には都合よく泉があるから、それを頼りに都市を形成したのだろうが。

 そして、いくつもの神殿を見学。ワシとジャガーの基壇。金星の基壇。戦士の神殿。千手の回廊。
 この戦士の神殿にはチャックモールという像がある。これは当時のマヤにおいて、生贄の心臓をささげていたとされる像だ。仰向けに寝そべった人間の姿で、両手は腹部に添えられている。この部分に数多の心臓が供えられてきた。そう思うと、なんともおどろおどろしい像である。

 続いて、エル・カラコル。尼僧院。赤い家。鹿の館。エル・オサリオ神殿。と、ククルカンの神殿を中心に時計回りに進む。

 そして、ジャガーの神殿と球戯場。どうやらチチェン・イッツァでは、というより、マヤ時代では、球技が盛んだったようである。

 とはいっても、この球戯場にあるパネルに描かれる、ボールのような絵には頭蓋骨が彫られている。もしかしたら切り落とされた首をボールとし、行われていたのかもしれない。一説には、負けた側のプレイヤーが生贄にされ首をはねられていたとも言われるが、逆に、勝った側が首をはねられていた、という説もあるらしい。現代の感覚とは違い、生贄になることが名誉であった、ということらしいが、真実は解らない。

 そして、この球技で生贄にされた者の首は、球戯場の横、ツォンパントリという場所に置かれたと言われている。

「広かったのじゃ。ちょっと休憩なのじゃ」

 唯一、大人である女が、率先して球戯場の芝生の上に寝ころんだ。観光客は多いが、球戯場は開けており、休息するにスペースは事欠かない。

「確かに疲れたのです。休憩休憩なのです。ねー、ヤキトリ」

『グワッ』

 疲れたとはいえ、楽しめた様子で、笑顔で女児は座り込んだ。その肩に、灰色の鳥が留まる。

「……カナタ。今日も自然にヤキトリ出してるけど、……気を付けないといけないよ?」

「だいじょうぶだいじょうぶ、なのです。遺跡にも鳥のレリーフがたくさんあったし、この地域では鳥がいるくらいの方が自然なのです」

「それはさすがに、この現代社会では通じないと思うけれど」

 ぼやきつつも、少年は女児の笑顔を見ると、無理にヤキトリを『異本』に還そうとは思わなくなっていた。

「へいきへいき。ほら、あそこにもレリーフでよく見た動物がいるのです。ふつうなのです」

 女児はそう言って、おもむろに指をさす。

        *

「ちょ……あれは!?」

 少年は驚愕した様子で、女児が指さす方へ駆け出した。「うん?」と、女も寝転げた上体を上げる。見ると、一匹の猛獣が、小さな童女に襲いかかる寸前だった。

「ヤフユ!」

 女は咄嗟に、赤い装丁の『異本』を投げ渡す。問題ない。ちゃんと少年は、

 少年は走りながら、それを受け取る。紙幣を用意。それを『異本』に差し入れる。だが――

「くそっ! 間に合わない――」

「ヤキトリ!」

『グワアアァァ!』

 女児の言葉に、灰色の鳥は翼を広げ、飛ぶ。初速から全速に、空を切るほどの速度で。

 体長は二メートル近くあるかもしれない。しなやかな肢体には野生動物ながらの美しい筋肉。獰猛な牙や爪。その体表を覆うは、淡黄色に、黒い斑点。
 確かに女児の言う通り、それは、遺跡のいたるところに彫刻された、

『クカアアァァ!』

『グルワアァァ!』

 竜虎相打つ。とはいかないが、聖鳥と猛獣が、そのくちばしと牙をぶつけ合う。その様子に驚愕し、襲われかけていた童女は声を上げた。

「テス! 危ない!」

 童女は、女児と同じくらいの年齢だ。日焼けした女児よりも濃い、黒肌。銀というほど美しくない、くすんだ白髪。質素な衣服。だが、そのセミロングの白髪には、色とりどりの髪飾りがなびく。あらゆる色に染められた、エクステのような飾り。ゆえに、その毛先は、カラフルに複数の色に染め上げられ、現代的でアバンギャルドな様相を呈していた。その双眸に光るはルビーのように燃える深紅。あどけない面持ちは、それでも勇壮に、どこか力強さに強張っている。

 そんな童女が、澄んだ声で叫んだ。その小さな手に提げていた、深緑色の装丁の本を広げ、ジャガーへ向ける。

「戻って! 早く!」

 語る言葉は、意外なことに流暢な英語。メキシコで主に使われるスペイン語とは異なっていた。観光客だろうか? いや、いま、そんなことはどうでもいい。

 童女の言葉に呼応し、ジャガーは再び、童女に飛びかかった。かと思うと、その顔面から徐々に、すぼんでいき、そのまま幻のように、開かれた本に

「これは……」

 少年はようやく童女のもとへ辿り着き、見下ろす。怯えて本を抱き締める様子に、膝をつき、目線を合わせた。

「もしかして、それは、『異本』?」

 妹と同じ、具象化系の『異本』だろうか? なんの気なしに思って、ちらりとその本を見遣る。その、表紙に綴られたタイトルを見て、驚愕する。

 遅ればせながら、女と女児も追い付いてくる。女児はヤキトリを腕に留まらせ、その労をねぎらった。だが、女は怒りにも似た驚愕の色を、その幼い顔に張り付ける。

「『』……じゃと?」

 タイトルを読み上げる。あり得ないはずの、を。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜

美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊  ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め… ※カクヨム様にも投稿しています ※イラストはAIイラストを使用しています

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...