箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 本章

信用と信頼

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 グラ――っときた。忘れていたことを思い出す。毒だ。が、しかし、これほどまでに急激に頭にくるはずがない。

「――はっ……!?」

 と、意識を取り戻す。ほんの一瞬、。そうだ、カウンターを喰らったのだ。思い至り、震える足に力を入れ直す。膝をつく前に立て直し、まだ繰り出されるであろう追い打ちに備えなければ。
 執事は、思うでもなく経験から、体を動かした。

「……くそっ」

 改めて、思い知る。そうだ、我々を育て上げたあの女性は、こんな好機を絶対に見逃したりしない。

 膝こそつかなかったものの、前傾していた体で、自分より小さいはずのブロンドメイドを――好機を見逃さず追撃に迫った彼女を、見上げる。

 やるしかない、と思った。これは、危険な博打だ。本来、一人でいるときにしか発動すべきではない。自分自身で制御が利かないから。彼のうちにある、禍斗かと極玉きょくぎょくの、完全なる解放は。
 ともに戦う、姉と慕うほどの者を思い返す。いや、それだけではない。いまこの場所には、味方と呼ぶわけにはいかなくとも、現状、共闘関係にある者が他にもいた。男や、もう一人のメイド。彼や彼女をも巻き込むかもしれない。

 そう思い返して、執事は、少し笑った。
 いや、大丈夫だろう。仮にもEBNAのメイドが、少し制御の利かなくなった仲間と共闘するくらい、さして苦難とも思うはずもない。それに、あの男なら、……大丈夫だ。理屈などはないが、大丈夫なはずだ。

「なあ、おまえは応えてくれないのか?」

 自分自身に言ってみる。メイドのように、自分の中の極玉と和解することはできないだろうか? 一縷の望みをかけて。しかし予想通り、返答はない。
 まあ、どちらにしたところで、気持ちは固まったのだが。おまえが応えてくれないなら、明け渡した心と体は、力ずくで取り戻す。執事はそう、心の中に宣言して、そして――

「『完全開放』」

 禍斗に体を明け渡す。全身が燃えるのは、一瞬。その炎は、内に燃える闘志のように、身を焦がすだけ焦がして、内在するエネルギーへ変貌する。

        *

 EBNAにおいて、極玉に体を――精神を明け渡して戦闘することは下策中の下策、と教育される。それは、言うまでもなく、せっかく多大な時間を費やして鍛え上げた頭脳――戦略を無為にする行為だからだ。

 EBNAのメイドや執事が強いのは、むしろそこである。極玉による特異な力。その、人知を超えた身体能力と、人間には扱えないはずの、他の生物の力。確かにそれは扱いきれれば強力なものとなるだろうが、事実、それを扱いきれるというメイドや執事はほとんどいない。

 なればこその、頭脳である。人間が他の生物より優れる、もっとも大きな要因。それこそが、考える力。それが、矮小な肉体でありながら、現代の世界を支配するにまで至った、、『極玉』の力なのである。
 だから、それを投げ打ってまで暴力や、残忍さ、特異な力に頼るのは愚の骨頂だ。だがもちろんそれも、使い方次第である。

「ウ、オオオオォォォォ――――!!」

 間一髪。ブロンドメイドの追撃に間に合った。それだけで十分。でなければ、その一撃で戦闘不能に追いやられた可能性も高かったのだから。

 赤く滾る全身。もはや人間では触れるだけで、運がよくとも大火傷の、超高温。
 それでもブロンドメイドであれば、特別に高耐火性の樹木でその身を覆い、打ち合うこともできただろう。しかし、、ブロンドメイドはいったん、退いた。

「ニガ、スカ――!」

 攻防一転。執事の方から追撃する。
 単調。だが、強力に高速。そのうえ、圧倒するほどの気迫と、そう易々と触れることすらままならない肉体。

「本当に、第六世代以降は」

 厄介ですわね。という言葉を、ブロンドメイドは飲み込んだ。

 神話時代の極玉。と、呼ばれる。この現実に存在しないはずの極玉。人間の空想が生んだ、ファンタジー世界の生物。魔物、悪魔、聖獣、天使、あるいは、神の力。その実験が始まったのが、EBNA第六世代以降なのである。

 その超人的な性能は、それ以前のものに圧倒的な差をつける。決して戦闘能力が特別に評価されるわけでもないEBNAの順位付けにおいて、第六世代以降の首席は全員、この神話時代の極玉をその身に宿していることからも、こと戦闘に関しては圧倒的なのだ。

「それでも――」

 部屋中に木々を張り巡らし、視界を奪い、動きを制限し、自らは飛び、空間的に移動して、人間の知恵で躱しながら、ブロンドメイドは、口元をほころばした。

 それでも、神話時代の極玉は、リスクが大きい。まだ、その極玉自体が生みだされたばかり。この世に自然と存在する極玉であろうとも、まだまだ人間に投与するには未解明な部分が多いのだ。ましてや、実験が始まったばかりの神話時代の極玉なら、なおさらである。
 精神を奪おうとする力も、植物の比ではない。いまはまだ、メイドも執事も大丈夫なのかもしれない。だが、次の瞬間も自我を保っていられるかは解らない。そんな世界だ。

 だが、その程度、ある意味EBNAの誰もが持つリスクである。神話時代の極玉が使用者に与える本当のリスクは、むしろ肉体面。

「グ、ウウ、ウウウウ……」

 ひび割れ、剥がれる、表皮。そして赤い、蒸気。滴る、どす黒い血液。
 それに、執事の動きは瞬間、鈍った。

「ここですわ」

 ブロンドメイドは見定め、打ち込む。極玉に肉体を蝕まれ、動きが鈍った。それに連動して、瞬間、肉体の一部の温度が下がった。それを、経験と観察眼から理解して、的確に、そして、一撃必殺に、溜めていた力を、ぶつける。

        *

 男には切り札があった。それを一度、使う。

 極玉を解放した執事の猛攻を躱すブロンドメイドだったが、もちろん、執事以外からも目を離したりなどしない。

 とくに、メイド。この場でもっとも警戒すべき相手。特異な力こそさほど強くはないとはいえ、アルミラージの極玉は、とりわけ身体能力強化に特化したものだ。その弱点と言えば、特別に知能が低いこと。しかし、その極玉と和解した彼女ならば、知能の方は自力で補える。これは戦闘力として、メイドの力は一気に跳ね上がったとも言えよう。

 そのメイドが、執事の暴走中とはいえ、戦闘から一歩引いている。なにかを狙っている? そう警戒するのは当然の判断だった。
 が、動きはない。二人で一人を相手取るときの定石。互いに相手を挟み、反対側に位置取る。その基本に忠実に、執事とブロンドメイドの位置を観察し続け、自らも位置取るだけ。決して攻撃を仕掛けようとはしなかった。

 執事が意識を取り戻すまで、様子を見るつもり? そう、ブロンドメイドは考えた。が、それはきっと、ない。なぜなら、彼女は執事の極玉による副作用の強さを知っているのだから。その解放状態が、そうそう長く続かないことも。

 だとしたら、執事のフォロー、だろうか? その解放状態が切れるころ、当然自分は隙を見逃さず、彼に一撃を――あわよくばトドメを刺す。それを妨害する? あるいは、逆にこちらを仕留めに?

 ブロンドメイドは。理性的に、正確な判断を。

 そして、そのときはきた。執事の隙を見付け、そこへ渾身の一撃を。もちろん、メイドの方をも限界まで警戒して――?
 メイドは、まさしくメイドのように、うやうやしく扉を開けた。扉? あの扉は……次の部屋への?

「いってらっしゃいませ。ハク様」

 メイドは優雅に扉を開け、主人を導いた。

「ここは任せたぞ。メイ」

 男も口元で笑って、応える。

 ……おかしい。いくら特段に警戒していなかったとはいえ、男がいま、そんなところにいるわけが、ない。これじゃあ、まるで、瞬間移動!

 予定外の光景に、ほんの少し冷や汗をかいて、ブロンドメイドはそれでも、まずは目前の執事に、必殺の一撃を向けた。


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