箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
151 / 385
パーマストンノース編

4.220112×10e-105立方メートルの委託

しおりを挟む
『異本』にするということは、その『異本』に対して、それだけの『因果』を持つということ。これには、その人間が持つ、『異本』全般に対する親和性の高さは関係ない。自分以外の全人類に扱えない『異本』に適応しようが、全人類が扱うことの可能な『異本』にまで適応するかは解らないのだ。逆に、すべての人類が扱える『異本』が自分にだけ扱えなくとも、全人類の誰も扱うことのできない『異本』に適応することはある。

『適性』と『適応』は、その『異本』の性能をどれだけ引き出せるか、という点においては完全な上下関係だ。しかし、ある『異本』に対して『適性』を示すかどうかはその人間の『親和性』に依存するのに対し、『適応』に関してはそうではない、ということである。

 つまり、いくら『異本』全般に対する親和性が規格外に高い若者――稲雷いならいじんといえど、総合性能が最低ランクのEである『虎天使R』にできるわけではない。

 だが、『虎天使R』のように、自律して行動する、あるいは、外部になんらかの影響を及ぼす『異本』は数あれど、適性もしくは適応する人間が扱うことで、かの『異本』も、扱われることにより発動する別の力が必ず内在されているのだ。

 たとえば、メイド――アルゴ・バルトロメイが持つ『異本』、『ジャムラ呪術書』。これは、ただそこに存在するだけでも、本が閉じられてさえいれば『存在の消滅』という、周囲へ対する認識操作の効果を及ぼすが、適性もしくは適応する者が扱うことで『腐敗進行』、あるいはそれに随する『微生物操作』の性能を発揮することが可能だ。

 では、『自律行動』の能力を持つ『虎天使R』が人間に扱われることで発揮する性能とは……?

『とうりゃああああぁぁ!!』

 掛け声を上げ、『虎天使R』はロリババアの足へ突撃した。少し前に性能を引き出された、落書きが。

「痛いっ! 脛は弁慶の泣き所っ!」

 引き出されし性能は、彼、『虎天使R』の肉体強化――いや、紙面強化。
 その程度だ。ロリババアの脛を強打して、わずかに足元をふらつかせるだけの、その程度。

        *

 だが、超重量の斧を振り回している現状、彼女はとても足元が覚束ない。だからその程度・・・・で、完全に攻撃を止められずとも、十分すぎる隙くらいは生み出せる。

「ちょわああああぁぁぁぁ――――!! ……っとと! なん……とか……!!」

 体制を立て直そうと努力する。しかし、そのために先の一撃は空振りし、若者の前髪を、少しだけ掠めた。
 そしてその勢いのまま、二十四時間で三回までの攻撃を、その最後の一振りを、これまで以上の速度と力強さで、振るう。

「転移の二」

 そのわずかながらも確実な間隙に、若者は抜かりなく宝創ほうそうを発動させた。
『転移の二』。空間に穴を空け、ワームホールを繋げる一本。だが繋ぎ続けられる時間は短く、また繋げられる距離もさほど遠くはない。せいぜいが数十キロ程度だ。
 それでもぎりぎり、ワンガヌイの街までは届く。

「さあ、シロ。先にお帰り」

 言うと、彼にしては珍しく、女の子の背を押し、催促するように歩ませた。「ちん?」。女の子は若者を見返り、不安そうな顔をするが、やはり珍しいことに、若者は相手を安心させるような笑顔で、女の子を見下ろしている。

 だから、だろう。

 女の子はそれが若者との、になるとも知らずに、安堵してその空間へ、消えた。

「ム、オ、ネ、ル、ナ、……! 異本をっ!」

 完全破壊の一振りが、もう加減も思いやりもなく、若者の頭上に迫っている。力だけでなく、その、感情もろとも、本気で。

『兄さん! 避けろ!』

 言われるまでもなく、若者には解っていた。女の子を見送るため、敵に背を向けていた。それでも、背後から迫るその攻撃は、馬鹿の一つ覚えに単調だから。

「……『草薙剣くさなぎのつるぎ』。……より硬質に、より鋭利に――」

 しかし、肉体的にはあまりに虚弱すぎる若者に、それを回避する瞬発力はない。だから、仕方がなかった。女の子を送るついでに、から彼女と、彼女の持つ一冊を取り寄せることは。

「滑らかに、力強く。……さあ、これで問題ない。悪いが受けて――受け流してもらおう、

 そう言う若者の影から、「ちっ」という舌打ちとともに、すでに全身を異形に作り替えた女性が、ひとり。これまでになく『異本』を輝かせ、これまでになく破壊的な姿で、迫りくる超重量の一閃を、受け――流した。

        *

 、彼女の持つ肌色の『異本』は、その輝きをやや減衰させた。まるで、若者がその『異本』の力を増幅させていたかのように。

「ジン……てめえ……」

 彼女――自宅警備員の稲荷日いなりび春火はるかはご立腹だった。自らの父親とも言うべき相手を呼び捨てにするのは、2026年現在では普通のこととなっていたけれども、それを差し引いても怒りが表出しすぎている。

「まだセーブしてないんだけど。つか、いきなりこんなとこに呼び出しやがって、日の光が、眩しい……。だめだ、ふらついてきた」

 彼女は地に伏し、当然のように嘔吐した。いちおう言っておくが、彼女に肉体的な欠陥は特にない。これは精神的なものである。

「……稲雷くん。あなた自分がなにをやったのかは、解ってるよね?」

 伏せる自宅警備員を無視して、ロリババアは言った。これまでにない、神妙な面持ちと、声質で。

 超重量の斧は地面に突き刺さったまま、もはや手を触れようともしない。当然だ。彼女にすらもう、先二十四時間はそれを扱えない。だから代わりに取り出す、一冊の『異本』。

「解っているさ。この時代を生きる人間に当然と与えられた、財産権や所有権を守っただけだよ。もちろんそれが、きみたちの邪魔になっていることも、重々とね」

 その言に、ロリババアは天を仰ぎ、静かに目を瞑る。頭を抱えたりなどしない。ただ小さく、「事故だもん、仕方ないよね」と、呟く。だから、茶髪のポニーテールが、これまでよりも静かに、感情の波のように、ふわりと揺れた。

 そうして、その、正方形の形をした、濃緑色の装丁の『異本』を持ち上げ、若者へ突き立てる。天から降ろした視線をも、まとめて。

「『グリモワール・キャレ』」

 彼女がそう言うと、その声を中心に、世界は漆黒に飲まれた。

        *

 距離感が解らない。どこまでも広大なようで、ものすごく狭くも思える、漆黒だ。一点のムラもない。であるのに、そこに存在する者たちは互いを知覚できていた。

「稲雷くんはワタクシの――というより、この『異本』を知っているのよね? もうどこにも逃げられないことも、あなたが死ぬしかないことも」

 若者は把握する。自分、と、『虎天使R』。そして、稲荷日春火。この三人――二人と一枚が、ここに飲まれている。……ああ、あと、使用者であるロリババアも。

「総合性能Bランク。『グリモワール・キャレ』。『空間作成』と『空間操作』。おそろしく簡略に言ってしまえば、作り上げた空間内では、使用者の思い通りのことが起こせる。たとえば――」

「たとえば、こんなふうに!」

 ロリババアが引き継いで、声を上げた。
 すると、漆黒でしかなかった空間が、突如、超高高度の空へ投げ出され、果て無く地面へ向かって落下し始める。

『うぎゃああああぁぁ! なんじゃこりゃ! 落ちる!』

「落ち着きなよ。きみは紙だから落ちても大丈夫だろう?」

『そうだった!』

 平静でいるのは若者のみ。自宅警備員もゲロから立ち直り――というより、立ち直るしかない、こんな状況では――なんとか右往左往、落下速度を減衰させようともがいている。

 いや、もうひとり、冷静な者がいた。この状況を作り上げた張本人の、ロリババアが。

「そうか。『虎天使』は紙だからね、落ちるだけじゃだめなんだ。……じゃあ、こうする?」

 言うと、落下先が茶色い大地から、ぐつぐつとマグマが煮えたぎる、火口になった。まだ落下まで時間はあるだろう。しかし、その熱は、その距離でも十分に感じられた。

『こ、これ、幻なんだろ? なあ、兄さん!』

「確かに幻だ。が、この空間内ではその幻は、実体を伴う」

「つまり?」

 自宅警備員が、もう少し簡単な言い回しを期待して、問い質す。

「まあ、落ちたら死ぬね。普通に」

 ふう。と、落下中にもかかわらず、若者は優雅に足を組んだ。その姿は、これから死ぬ人間の挙動ではない。

『ぎゃああああぁぁぁぁ!!』

「うわああああぁぁぁぁ!!」

 落書きと自宅警備員は声を揃えて、現状をようやく、理解した。

        *

 ふわっ……と、あと数秒で火口に飲まれる段になって、彼らの体は空に、浮いた。

「いい感じに、状況は解ってもらえたみたいだね。まあ、稲雷くん以外は少なくとも、抵抗しないなら殺しはしないから、安心して」

 にへらっと笑って、ロリババアは特に、自宅警備員へ向けて、そう言った。

「で、問題は稲雷くんだね。……ねえ、ワタクシだって、こんなことはしたくないんだよ? それは、解ってもらえるよね?」

「ああ、十分伝わってくるよ」

「だったら――」

「嫌々でも、その選択肢を選んだ、きみの負けだ。ぼくなんかに好かれたくはないだろうが、それでも、ぼくはきみが、嫌いになったよ」

「…………」

 ロリババアは黙った。べつに若者に好かれたかったわけでもないだろうが、それでも誰かに否定されるというのは、人間誰しも、幾分かものはあるだろう。

「……2022年、二月」

 だから若者が、次の言葉を先んじる。

「ベテルギウスが超新星爆発を起こした。幸いにも地球への被害はゼロ。その数週間前には、楕円銀河M87のブラックホールが消滅している。……いや、これは一般には公表されていない情報だったかな? そして2026年七月――」

「……なにを、言っているの?」

「べつに、ただの記録だよ。2026年七月に、なにがあったか、きみは知っているかな?」

「知らない、そんな宇宙規模の話。ワタクシたちにとってなにかがあったとするなら、その年のその月には、ベリアドール・ジェイス・ダイヤモンドと、ネロ・ベオリオント・カッツェンタとの決闘があって、ベリアドールの方が敗北。『災害シリーズ』の『凝葬ぎょうそう』がネロの手に渡ったってことくらいかな」

「きみにしてはちゃんとした記憶だ。だが宇宙規模では――いや、地球内部では、解明不能な力により突如、地球の核の30パーセント弱が失われている。唐突に、その原因も、まったく解らないままに」

 まあ、これも公表されていない事実か……。と、若者は肩をすくめた。

 その言葉と態度に、ロリババアは地面を踏み鳴らし、睨みつけた。いつのまにか彼らが浮いていた場所は、しっかとした地面に変わっている。地に足がつき、重力への反発を返せることがこれほど幸せなのかと、特に自宅警備員は感じた。

「なにをごちゃごちゃ言ってんの!? まだ自分の立場が解っていないようだね! 稲雷くん!」

 彼女がそう言うと、宝斧ほうふ、『グランギニョルの錬斧れんふ』がいきなり現れ、若者の足を一本、あまりに的確に切り落とした。

 彼女が扱ったならこうもうまくいかないだろうという、精密さで。

 だから、重力が苦しくなり、若者は地面へ、不格好に倒れる。

「ジンっ!!」

 自宅警備員が彼に寄り添う。本当に、思ってもいなかった。まさか、いくら『異本』を持っていないとはいえ、あの、自分たちの父親とも言うべき彼が、こうもあっさり肉体を損傷するなど。

 彼女はそう思いながらも、まだどこか、若者を信頼しているようだった。これは幻覚。あるいは、式神? あの式神を扱う『異本』は失ったと少女――ノラから聞いていたけれど、しかし、失われる前に生成しておいた式神がまだ、残っている、とか?

「ハルカ……」

 しかし、その苦痛に歪む顔が、自宅警備員の希望を断ち切った。

 逃げなければいけない。なんとしても、ここから。

 まだ彼が、生きているうちに。

「……イラッとして、ついやっちゃったじゃん。稲雷くん。……でも安心して。『異本鑑定士』としてのお仕事は、腕一本――いや、稲雷くんクラスになれば、五感のどれかひとつと、脳と心臓さえあれば、きっとできるよね?」

 移動はワタクシが担いでいくから、安心だよね。ロリババアはそう言って、もう一度、肉体を微塵も使うことなく、あの超重量の斧を――その実態を伴う幻覚を、持ち上げる。

「ハルカ……」

 そんな言動をすべて無視して、若者は自宅警備員長女へ、なにかを囁いた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~

たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。 だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。 世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。 「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...