箱庭物語

晴羽照尊

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コルカタ編 終章

遠い昔のマザーグース

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 ひとしきり嘆こうと、残された者には先へ進んでいかねばならない義務がある。かといって、人間の感情には、人間の身体などという脆弱な器官では、完全に抗いきれるものでもない。
 男は、やけに冴える頭でいろんなことを考えてはいたが、うなだれたまま、わずかも動くことができずにいた。嗚咽や、涙すら、漏らすこともなく。ただ投げ渡された彼女の『異本』、その場違いにファンシーで、絶妙に下手くそな表紙を、見続けるしかできなかった。

 まったくもって似ていないそのイラストに、ギャルの面影を重ねながら。

「とにかく、出ましょう。あの大狐、暴れすぎでいまにも施設が崩れ落ちそうだ。……ええと――」

 優男が仕切った。本来仕切るはずの僧侶は、男ほどではなくとも、ギャルの突然の退場に気持ちの整理がつかずにいたからである。
 そして、本当にいまにも、施設は全体として崩れかけていた。もっとも奥深く、もっとも低くに位置していた『女神さまの踊り場』から、その巨体を昂ぶらせながら、大狐にしては狭い道を進んできたのだ。それも当然の帰結であろう。

「エルファの娘たちは?」

 優男が把握している限り、いまだ施設に残っていて、その場に集っていないふたりの娘の安否を気遣った。とにかく全員が集まるのが先決だ。施設内は込み入っている。現状どこにいるかを把握して迎えに行かねば、すれ違いにもなりかねない。

「問題ない。ここに、いる」

 大男が言った。彼も、友人でもあったギャルのことで心を痛めてはいたが、それでも、僧侶や男ほど憔悴しているわけではない。娘子や大男を含めた五人が初期メンバーとはいえ、その中でもあの三人は、まだわずかに先んじてつるんでいた者たちだから、その気落ちはひとしお、違っているのだろう。
 ともあれ、大男は、結局ギャルだけは守りきれずに終わってしまったことを悔やんではいたが、強く自戒する程度で、まずは理性的に、場の収拾に動いた。残してくるにも、連れて来るにも危険性はあったが、今回は娘たちを連れて来ていた。そして、その子たちは、戦場となるこの部屋には立ち入らず、外の通路で待たせていたのである。

「おじちゃーん!」

 娘のひとりは、もう堪えきれないと言ったように駆け寄った。その後に、もうひとりの娘が控えめに着いて来る。

「カイラギのおじちゃん。エフは……?」

「ううむ……」

 大男はまっすぐな視線に、いたたまれない気持ちで晒された。目を逸らし、機械生命体の方を慮る。

『自動修復システム 起動. エラー エラー エラー ―――― 破損部位ノ修復二 必要ナ情報ヲ 解析. エラー エラー エラー ―――― 』

 煙を上げ、バチバチと漏電し、人型の姿はむごいことに、不気味な方向へひしゃげて折れている。機械である体は、それだけでは修復不能とまで追い詰められてはいないだろう。だがそれでも、完全に壊れてしまう寸前であろうことは見て取れた。

「すまん、ふたりとも――」

 大男は、口下手だ。だから、現状をありのままに伝えるしか、言葉を選べなかった。しかし、その言葉は、途切れる。遮られる。

「――!! 話はあとです! とにかく逃げましょう!」

 優男が察知して、焦った口調でそう、言った。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ――――!!

 懸念していた通りの、施設の崩壊が、始まる。

        *

 その部屋は、まだ、施設の中ごろだ。地下に深く広がる、『本の虫シミ』の施設。それが崩壊するとなれば、その中にいる者たちはもれなく、アリの巣に水を流し込まれるがごとく、全滅しか辿る道が残されないだろう。

「走れますね? カイラギさん! エルファの娘は任せます! 『EFエフ』は私が運ぶ!」

 優男は『本の虫シミ』のメンバーに指示を出した。僧侶は自ら逃げられるだろう。悪人顔は、……うん、どうでもいい。そう、判断。それにあの悪人顔は、しぶとく悪運の強い男でもあった。自分が心配するような相手ではない。そう、優男は判断していた。

 他のメンバーは、先に施設を出たはず。全員にすでに声をかけている。妖怪による、本格的な侵略が始まったときに、優男自身が全員に言い含めていた。それで逃げていないのなら、もう、知ったことではない。それにもう、施設全域を探索する時間など、ないのだ。

 指示を出し、男たちを見遣る。女傑は、まあ、大丈夫だろう。おそらくこの中では一番速い。そのうえ、生き埋めになったとしても死ぬ気がしない。それに、彼女は『本の虫シミ』としては敵である。むしろ死んでくれて問題ない。
 だが、その他はどうだ? 男とは、もはや友好的な関係でいる……つもりだ。その男は、いまだうなだれて、すぐ動けるかは疑問である。が、手を貸すのも違う気がした。ギャルのことを立ち直らせる言葉を吐くのは、きっと、自分の役回りではない。そう、優男は判断して、男のことは放っておく。

 また、彼の仲間――『家族』たち。そちらも一瞥する。女流や幼女、あるいは紳士は、どうやら特段に大怪我もなく、動けそうだ。手を貸す必要もないだろう。そして、少女。彼女ももう、瀕死にまで追い込まれていた傷が完治している……ように見えた。傷は塞がっても、その衣服を染めた血液量は尋常でなく、外面にはまだ、痛々しそうに見えるが、その顔には生気が蘇っていたのだ。

 その少女が、不安そうな顔で、周囲を一瞥する。それから、なにかを決心するように、きっ、と、優男を見る。

「動かないで! ……わたしが、なんとかするわ!」

 そう、その場の全員へ向かって、言った。

        *

「一刻の猶予もありません! 大丈夫なんでしょうね!?」

 優男が、全員を代表して声を上げた。それでも、いちおう、少女のことを信じ、動きは止めている。とはいえ、いつでも動けるように、『大蝦蟇之書』によって、大きく両足を肥大させてはいるが。

「どうせもう、走っても間に合わないわ。……大丈夫。任せて」

 表情はこわばっていたが、少女はそう、告げる。

「……ノラ。うちはええよな?」

 女傑がそう、口を挟んだ。

「ええ。パラちゃんのスピードなら容易に間に合うわ。好きにしなさい」

「じゃ、先行ってるで」

 そう言って、女傑だけは動き、瞬時に、消えた。

「おねえちゃん? だいじょうぶ? 顔色が、まだ悪いよ?」

 そう、幼女本人も顔色を青ざめさせて、問うた。少女が言うのだ、走ってももう間に合わないことは確実なのだろう。それゆえに、『死』を目前に捉えて、幼女も恐怖してはいたのだ。
 それでも、病み上がりの少女に無理をさせたくない。そういう気持ちをも込めた、問いでもある。しかし、是非にがんばって状況を打破してほしいとも願う。相反した気持ちをも込めた、言葉でもあった。

「…………。だ、だいじょうぶ」

 ……大丈夫ではなさそうに、少女は言った。「それより、『異本』を回収しておいて」、と、そう幼女には指示を出した。跡形もなく消えた妖怪が、その痕跡を残すように、二冊の『異本』を落としている。幼女は少女の言葉通り、急いでそれらを回収に向かった。

 少女は、深呼吸して、決意する。

「大丈夫だからね。ハク」

 まだ魂が抜けたようにうなだれる、男の元へ寄り、そこに受け継がれた、薄い本を持ち上げた。ギャルの扱った『異本』。『きゅるん☆ 魔法少女 マジカル・レインボー☆』を――。

        *

 ――弾けた。爆発ほどに破壊的ではなくとも、強風にあおられる花弁のように、千々に千切れた衣服が、血を吸ってぼろぼろだった衣服が、弾けて、光となって消えていく。

 そうして、生まれたままの姿になった少女の姿を、謎の光が走り、まばゆく隠した。

 その隙に、少女の肢体には、新しい装飾が施されていく。

 純白の、ドレス。――花嫁衣装にも似た、煌びやかでありながら気品があり、着る者を引き立てる、衣装。魔法少女の、衣装だ。

 フリル付きのグローブ。膝まである編上げのロングブーツ。そうして、表面積広く美しい脚を覆ってもなお、ドレスの前面を大きく開いたその衣装は、白い少女の太腿を、扇情的に引き立てた。

 全体として、純白。しかし、そこに虹が射すように、七色のグラデーションが、ところどころのフリルの隙から漏れ出ている。それにより、ただただシンプルで、真っ白なだけではない遊び心が生まれ、衣装の華美さを仕立て上げていた。

 少女は、新しい衣装に身を包み、最後に、空に向かって手を伸ばした。なにもない空間を掴むと、そこには、示し合わせていたように白いステッキが握られ、魔法少女を体現する。七色の宝石をキラキラと輝かせた、ステッキ。それで頭部を少し小突けば、最後の仕上げとばかりに、花輪の頭飾りが少女を彩った。それで、すべての変身が、完了する。

「雨降って地固まる! 曇天突き抜け、みんなに、夢と希望を届けるわ! 魔法少女、マジカル・レインボー!!」

 横ピースにウインクを添えた決めポーズで、決めゼリフ。絹のようなを煌めかせた少女は、満面の笑みでそう、高らかに自己主張して、……刹那、次の瞬間から、みるみると口元から崩壊していった。

 怒りか、後悔か。あるいは、極限の恥辱に、歪む。

「――ってえ! なんなのよこれっっっ!!」

 少女は、魔法少女のステッキを、思い切り床に、叩き付けた。


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