箱庭物語

晴羽照尊

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フランス編

世紡ぎの亡言

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「こう――糸があるんじゃよ」

 老人は言った。自身の身幅より、わずかに広いくらい。それだけ、その、両腕を広げて、なにかの幅を――広さを、測るように。

「世界を手繰り、繋ぐ、糸が。……それは、意図と言ってもよい。人間の意志が――意図が、この世界を変えるように、糸は、そこかしこを漂い、浮遊し、物語を編む」

 ぐっ……と、広げた腕の先、両手を、握る。そこにある『糸』を、掴むように。

「織物を編むなら、糸という語彙を使えばしっくりくるじゃろう。人間だけではない。あらゆる生物、無機物。世界をかたどる、あらゆる事象が――この、宇宙すべてが、意図という糸を持って、世界を形成する」

 瞬間、茫然となる。それから老人は、握り締めた拳を、開いて、また、握り返した。意識して力を抜いたように、少しだけ、肩が下りる。

「……その糸を編み、一編の書物とする。じゃが、ただの織物と違い、その糸には意図がある。その流れに逆らわぬように、儂らは結わねばならぬ」

 かつて――聞き慣れた声だ。淑女は、老人の言葉というよりも、その思いに耽っていた。子に言い聞かせるようでいて、ただの独白のような。確認作業のような、言葉。
 それは、幾年を経ても、いまだ幼い、子どものような。無邪気な憧れに――世界への憧れに、満ちた、ひとりごと。

 世界を形成する、ひとつの、糸だ。

「――さて、準備はよいか? ルシア」

 名を、呼ぶ。それだけはちゃんと、頭を撫でるような、くすぐったくも愛情にあふれた、声で。

 だから、淑女も、応えた。

「『おじいちゃん』――」

 ――――――――

 わずかな時間で、唐突な来訪者、WBO『特級執行官』、コードネーム『モルドレッド』は、去っていった。体調がよくなったのかは――やはり表情を隠していたので、読み取れなかったが。

「っしゃあ! 気分上々アゲアゲ! バイブスアゲてゴー! フウウゥゥ!」

 うむ。問題ない様子である。

「朝はガチな絶起だったけど、やっぱまっちゃんすげえわ! あとは帰ってほかってチルって寝よ~! ……あ、先行かせてもらってありー。お邪魔ったわ。『パーシヴァル』と、……えっと、たしか、『司書長室管理員』のルシアっち? ふうん――」

 ちょっとなに言ってるか解らないことを言いながら、パリピが淑女ににじり寄ってきた。座布団に座っていた淑女は立ち上がり、ほぼ同じくらいの背丈の、彼女に対面する。
 フードとマスクによって、本当に目元以外は隠れている。ギリギリ鼻梁のつけ根やまなじりの皴などが見える程度。そのわずかな肌も、暗く影が落ちていて、やはりよく見えはしない。そしてその色は、改めて見ても濃くくすんだ青や、紫のように見えた。

「前の子と比べたら、どんくさそうでワロチ。そんなんであの『司書長ドジっ子』たんのお世話できてるぅ?」

 身をかがめ、下から見上げるようにして、パリピは言った。装着しているマスクに皴が寄るから、その下では大きく口元を歪めているのだろう。そう、淑女は思った。
 こういう、初対面から距離感近く接してくる相手を、淑女は特段に苦手としている。ゆえに数秒、どぎまぎと思考を挟んだ。

「……えと、まあ、それなりに?」

 いまだ仕事には慣れない。というより、職場での人間関係に慣れていない。仕事に関しては、正直、やることがなさ過ぎて、できているのかいないのかすら解らない、というのが本音ではあるが。しかし、まだ慣れなくとも、『司書長』が社交的な人間だから、彼女との交友は思ったよりか早く進んでいる。
 と、それらを流暢に答える対人スキルは。やはり淑女にはなかったので、どうとでも取れる程度の返答にしかならなかった。

「そかそかぁ~。まあ、ルシアっちの仕事なんてたかが知れてるもんなんだから、適当に流しときゃおけまるでしょ。あの『司書長おっぱい幼女』さえいれば『世界樹ここ』はどうとでもなるし~。くれぐれもあの『司書長おこちゃま』だけはちゃんとお世話してあげて、どうぞ。『執行部うちら』がせっかく集めた書籍も、管理がずさんじゃ浮かばれねーし。よろ~」

「……はあ」

 多少、棘のある言い回しには、淑女は気付かなかった。しかし、やはり口数多く、距離感近く絡まれるとうまく対応できない。そういう意味では、そこでしかめた顔をしている学者に対応するのは、比較的楽なことだったのだと自覚する。

 淑女の――返答というにもお粗末な相槌に、じっくりと、続きを期待したのか、間を開けてから、パリピはマスクの皴を消して、軽く首を振った。

「ルシアっち無口だね。まあいいけど。……じゃ、帰るわ」

 言うと、パリピはどこぞかへ、おもむろに電話をかけ始めた。なにごとかを話し、「じゃ、よろ~」と、通話を終了する。

「んじゃ、がんば~。うちはこれでドロンしま~す」

 気軽に片腕を――長すぎる袖をぱさぱさ振って、パリピは部屋を出て行った。彼女といると、目の錯覚を幾度も経験する。

 だって、『世界樹』の光合成のために、おもいきり太陽光を取り込めるよう、高層階の大部分を透明な強化ガラス張りにしているはずなのに、彼女が廊下に出るとき、ふと見えたその先の空間が、一片の乱れもなく真っ黒に見えてしまったのだから。

 それが、さきほど彼女が電話した相手、WBO『特級執行官』のコードネーム『ガウェイン』の『異本』、『グリモワール・キャレ』により生成した漆黒の空間だとは、もちろん淑女は知らない。学者ですら、高位の『執行官』である彼女らの扱う『異本』については知らないほどだ。
 そしてそれによって、台北にあるWBO本部へと、瞬間で移動できることも。あるいは、そのときに限って外部的要因により、その瞬間移動が失敗して、別の空間に強制移動させられたことも、淑女は知らないし、そして、知らなくてもいいことだった。

 それに、パリピの悪意ある言葉には、鈍感に気付けなかった淑女にも、単純にうまく会話ができなかったことにつき落ち込んでいる暇すら、やはり、今度こそないのだから。

「まったく、口の悪いクソガキじゃ。……じゃあ、今度こそ、ルシア。おまえの――テスの、番じゃの」

 少しだけ、奥の扉が開き、しわがれた手が淑女を呼んだ。

 こうして、冒頭のシーンへ戻る。かつて自らを救い、育ててくれた老人との、感動の再会だ。だが、大切なジャガーテスの身も案じている現状、淑女は、喜べばいいのか不安がればいいのか、不思議な感情でその、再会に挑んだのだった。

        *

 さして薄くなってはいない総白髪を、肩ほどまで伸ばしている。整えられているとは言いがたいが、特段に乱れているというほどでもない。ベージュ色の作務衣をゆるりと纏って、端々から、年齢とともに刻んだだろう皴を覗かせる。

「久しぶりじゃな。ルシア」

 その変わらなさに、淑女は目を剥いた。間違いなく、彼女が幼いころ、短い期間とはいえともに過ごした、もうひとりの親のような――祖父のような、老人だ。

 そしてそれは、少女に聞き及ぶところの、少女の父代わりでもある男、メキシコで出会った女、麗人たちの父親でもある若者、彼らの親でもあるという、老人。



 憂月うづき。あるいは、理紫谷りしたに久弧きゅうこ。その人である。



 ……はずだ。少なくとも、淑女の視点としては、自身の知っている老人と、彼らが言うところの老人が、同一人物だと断定できる要素はやや足りていない。せいぜい、あの少女がそうだと断定した程度。……まあ、それこそが、十分すぎる証拠だと思えば、それはその通りとも思えたが。

「ふむ。『テスカトリポカの純潔』――テスも、元気そうじゃ」

 おまえに任せたのは、悪くない選択だったようじゃ。そう、続けた。
 そうして、安易に、ジャガーテスに近付く。それを彼女も、学者に対するのとは対極的に、穏やかな様子で、受け入れた。

「なんとなく察しておるじゃろうが、呼び立てたのは、テスに関することじゃ」

 その話に入って、淑女は小さく、身震いした。『虎天使R』の変貌を、想起する。

「とにかく、いくらか説明が必要じゃな。どこから、どう伝えたものか――」

 老人は、種明かしを行うマジシャンのように、楽し気に笑い、語り始めた。

 この世界。という名の、物語を――。



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