箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
367 / 385
台湾編 本章 ルート『正義』

落月に立つ花

しおりを挟む
 この世界には、『答え』などない。
 数多の『選択』が『現在』をかたどっている。それだけが『真実』だ。

 あのときこうしていれば――。そんな『たられば』の空想は意味を持たない。こうして『今』が確定しているから。――ではなく。『あのときこうしていたら』の『世界』も、すでに『ここ』に、あるからだ。
 すべては『我ら』の手のひらにある。『可能性』よりも確実に、極小のこの一点に、あらゆる『現実』は内包されている。

 だが、『物語』は、ひとつの道筋しか描けない。それは、『あなた』が選択した――『わたし』が選択した――その、重なり。

 もっとも鮮明で、もっとも肉感的な、交わり。『主観』と『主観』の、『妥協点』。

 我々は、『正義』を束ねて生きている。
 我らの『正義』を押し付けて。彼らの『正義』を受け入れて。

 掲げ。叫び。信じ。頼り。縋り。認め。許し。取り。選び。捨て。探し。思い。忘れ。零し。揺れ。握り。紡ぎ。削ぎ。磨き。知り。解し。

 どうしようもないことをどうにかして、やっとの思いで、立っている。
 必ず、『他人』が存在する世界だから。『自分』を殺して、生きている。

 だけどどうしても、譲れぬ『正義』が、人にはある。
 誰かの『正義』を歪めても、語るべき『言葉』が、あるものだ。

 これが、世界に蔓延する、『不条理』。

 人類に科せられた、『罪業』だ。

 ――――――――

 痺れるような感覚がして、若女は跳ね起きた。

 周囲を検分するに、寝室だった。眠っていた。隣には、愛する男性が、まだ寝息を立てている。
 穏やかな表情で。安心しきった表情で。
 すべてを安堵したままの、緩みきった表情で、そこにいる。

「このまま……このまま……」

 その平穏を守るように、若女はベッドを出る。それから、そばにあるベビーベッドに向かった。だいぶ落ち着きを得てきた息子に、やはり癒される。

 できることなら、この時間を永遠に……。若女にだって、そのような願望はある。愛する家族たちと、ずっと、一緒に――。だが、終焉は、待ってくれない。

リュウくんお父さんをお願いね、ジャーくん」

 そう告げて、彼女は息子に、キスをした。

        *

 外に出る。街は静まり返っていた。
 深夜三時だ。人っ子ひとりいない。

 誰もが明日を――新たな今日を、迎えられると、信じて疑わず、眠っているのだろう。
 そしてそれ自体は、さして

「みんなみんな、安らかな気持ちでおねんねちゅう。世界はすてきに、とばりを降ろした」

 両手を広げて、天を抱えるように、仰ぐ。
 そのとき、まるで、それを合図としたように、

『わっ――』と、小さな阿鼻叫喚が、瞬間だけ、聞こえる。眠らずにいた者たちか、あるいは、夢の中から引き戻された幾人かが、世界の変容に、怯えたのだ。

 だが、それも束の間。たしかに、おかしな感覚があった。地割れに飲まれたような、身体が――世界が、傾いた感覚はあった。しかし、過ぎ去ってみるに、世界はなにも、変わっていないような気さえする。
 ゆえに、街は、また静寂に落ちた。改めて眠りに誘われた。誰もがなにも知らぬまま、世界の終焉は、まだ、続く。

『終焉のときが来た』

「うるさいうるさい。うるさいの、イシちゃん」

 広げた腕を引き戻し、その勢いで、頬を叩く。だが、彼女の行動を予期していた『意思』は、醜態をさらすまえに、彼女のうちへ引っ込んでいた。

『もはや世界の『振れ』は止まらぬ。人類はこれより、『箱庭』から解き放たれる』

 その瞬間、また、転びそうになるほどの、世界の傾きが、平衡感覚を狂わせた。

「うん……知ってる。でも、イシちゃん――」

「なにを知っているんだ、シンファ」

「――――っ!!」

 振り返ると、そこには、息を切らした若男がいた。その腕には、愛する息子を抱いている。

「おまえ、またひとりですべて、抱えていたな。……そんなに俺は頼りないか?」

「……早すぎるよ、リュウくん」

「俺は――」

 若男が言いかけたそのとき、また、世界が振れる。それは、地震のようで、まったく違った。
 そしてこの三回目の『振れ』で、若男にもその異様が、わずかに理解できてきた。

「月が――割れている――?」

 天に煌めく満月が――言葉通りだ、。ふたつの半月に砕け、わずかにずれて、見える。満月の写真を半分に切り、ずらしたかのようだ。世界の次元が、ぶれている。

「リュウくん。時間がない。もう少しで、『箱庭』は、ひっくり返される」

「『箱庭』とはなんだ? 解るように言え。おまえは、なにをしようとしている」

『人類の解放』

「うるさい。イシちゃんは引っ込んでて」

 若女は、思い切り両頬を叩こうと――して、静かにやめた。そのまま、自身の頬を優しく包み、気持ちを鎮める。

「人類の……解放だと――」

「……人類は、この世界を追い出される。。神が創ったこの肉体箱庭から、私たちの魂は、あるべき場所へ、還される」

「な……ん、だと……?」

「人類は、過ちを犯しすぎた。もはや世界を任せるには、及ばない。……それが、世界の判断。イシちゃんを遣わした、『神』の、意思」

 このとき、四度目の、傾き。また月は――天は割れ、空間が、砕けていく。

「でも、だいじょうぶ。だいじょうぶなの、リュウくん」

 大地は、安泰に思える。たしかに、まだ、立てている。だが、地面は確かなまま、天が、空間が、震えて――振れている。

 後にして解ることであるが、これが、『幾何金剛きかこんごう』に封じられる以前の、『天振てんしん』の影響。遮られることのないそのエネルギーは、空間を、引き裂く。

「大丈夫……大丈夫、だと――?」

 バランスを崩しながら、その埒外の天変地異に慄きながら、若男は、唇を噛む。
 この、理不尽な災厄に、圧倒的な再編に、無力な己を――人類という存在を、悔やんで。

「こんなものが、大丈夫になって、たまるかっ――!!」

「――――っ!!」

 いまだ揺れ、震え――振れ続けている世界を見、若男は叫んだ。愛する彼女へ向かい、覚束ない足で、詰め寄る。

のために、おまえは、なにを犠牲にする気だ!? 大丈夫だと!? これを『大丈夫』にするために、おまえはこれまで、これから、なにをするというのだ!!」

「私は――」

「俺を見ろ!!」

 憤怒に近い。その怒号に、若女は委縮した。それでも、言われるままに、彼を見る。怒りを返すように、睨む。

「俺がいる……。俺と、この子が――ジャーくんがいる。これだけでは足りないのか? おまえがおまえを犠牲にすることをためらわせるのに、俺たちでは、足りないのか?」

「…………」

 夫を見、子を見、そうして下がった視線は、さらに、下がる。自分自身を見るように、うつむく。

「私は――」

 幾度目かの振れに、若女は気持ちを持ち直す。

「犠牲になんかならない。あなたと――あなたたちと、ともにいる。だいじょうぶ。……だいじょうぶ、だから――」

 それは、言い聞かすような言葉。愛する家族へ。夫へ。子へ。そして――
 自分自身へ言い聞かす、言葉のようだった。

 振れる世界の中、震える自分に、諭す声。
 母が子に言い聞かせる、優しさの音。

「リュウくん。ジャーくん。よく聞いて」

 彼の――彼らの肩を掴み、その目を見つめ、若女は語る。

「『異本』は、人類私たちの代わりにこの世界に立つ、新しい生命体。だけど決して、敵なんかじゃない」

 自分の胸に、その奥にいまだいる、存在。それに意識を向けて、手を当てて、思う。

「私たちは、解り合える。共存できる」

 空間が、振れる。この世のすべてが引き裂かれて、そのうちにいる、魂が、取り出される感覚。
 それを感じて、若男は、彼らの子は――

「……きっと、また、会えるから――」

 そう言って、満面に笑う彼女を、最後に見た。その姿を焼き付けたまま、すっ――と、意識を、失う。

 ――――――――

 ガラス細工のように砕けていく世界を見上げ、彼女はひとつ、呼吸する。
 持ち出してきた『物語』を、その胸に抱き、自らの、内側へ。

「イシちゃん。聞こえる?」

『是』

「あなたの意思は、完遂された。そうよね?」

『正しく。我が存在意義は、滞りなく』

「だったら、もうあなたは自由なはず。好きに生きて、いいはず」

『…………』

「人類の魂は、肉体を失う。私たちは、あるべきところへ、順当に、還る。悪いことじゃないわ。それは、いつか人類が迎えるべき、終焉。神を模して生まれた私たちは、いつか、『神になる』ことを宿命づけられている。。だけど――」

『…………』

「だけど私は、まだ、このままがいい。触れて、熱をもって。痛くて、愛おしい。この息苦しさを抱えて――人間として、生きていたい」

『もはや、解放は止まらぬ。人知の及ぶ事象では無い』

 自身の口から放たれる、別なる者の言葉に、若女はひととき、間を開けた。
 終わりゆく世界に、見惚れて。それでも、人の世に、焦がれて。

「これから、。『私たちの魂は、人体という箱庭を、神の意思により追い出される』。――この物語を、『因果』を、ぜんぶ虚言に変えちゃうの。……でも、私にはできない。を扱うには、あなたの力が、必要」

 強く言って、彼女は自ら描いた物語を、握り締める。
 それは、『ずっとそばにいる』、『あなたたちを見守っている』、だから、『あなたはひとりじゃない』、という思いを込めた、物語だ。
 彼女が伝えたかったことを、世界に抱いた思いを、家族を愛する気持ちを、懸命に込めた、一冊。



 いずれ、『啓筆けいひつ』序列一位として、すべての『異本』を統べることとなる、言葉の束。

 この世のすべてを受容した彼女から、愛する世界へと捧げる、色とりどりの、花束だ。



『……理解しているか、人間。我をということは、汝は――汝だけは――』

「解ってる」

 彼女は、最初から、解っていた。

「私の魂は、あなたと結ばれる。あなたとともに、天に還る」

『…………』

 長い時間を、彼女たちは過ごした。ずっと変わらず、その『意思』は、若女の中に住んでいた。
 だから、その間、彼女がなにを考え、なにを思い、なにを決意してきたかを知っている。矮小な人間が、それでも懸命に、なにを信じてきたかを知っている。



 心などない、ただの、『意思』。神に遣わされた、ただの、『意思』。

『……よかろう。汝の物語に、付き合おう』

 ただそれだけの『意思』が、いま、こうして、一個の人格となった。



バイ心花シンファ

 そしてその自我で、友の名を、呼んだのだ――。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜

美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊  ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め… ※カクヨム様にも投稿しています ※イラストはAIイラストを使用しています

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...