箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
368 / 385
台湾編 本章 ルート『正義』

万丈落

しおりを挟む
「こうして、世界の因果は立て直された。あいつの犠牲によってな……」

 その日のように、空に浮かぶ満月を見上げ、壮年は言った。その背に、哀愁を漂わせて。

「はあ……」

 男は、ため息に近い感嘆を漏らした。

「……長話だったか?」

「いや、まあ、そりゃそうなんだが……」

 ちらりと振り向く壮年に、男は、奥歯にものが挟まったような物言いをする。ボルサリーノを一度脱いで、小さく頭を掻いた。

「なんつうか……いろいろ言いたいことはあんだよ。話が壮大過ぎて理解が追い付かねえとか。半分くらいのろけ話じゃねえかとか。それと――」

 それと。どうしても引っかかる思いが、男の中にあった。それがいったいなんなのか、彼は即座に想起できない。どこか既視感がある、壮年の物語。

「いや……それと、一個、確認したいんだが」

 そんな自分のデジャヴなどは置いておいて、男は、どうしても腑に落ちない一点を、追及する。

「いまの話、一部、あんたが知るはずのない情報も語られてたろ。あんたの嫁の、内心の話とか。なにより、あんたが最後に気を失った――魂が抜けたのか? そのあとの、シンファの行動。一番重要なその時点で、あんたはもう、意識を保ってないはずだろう?」

 男は、一体全体、結局、なにがどうなって世界は危機に陥り、それが救われたのかを理解していない。とにかくなんだか人類の危機があり、とにかくどうやってか若女が世界を救ったのだ。それくらいの理解である。
 というか、理解が曖昧すぎて、ただの作り話にさえ思える。いや、現状では完全に、現実味はまったくない。

「あいつの、その時々の感情は、一部、日記に残っていた。そして、最後にあいつが、世界を救った場面については――」

 躊躇うように壮年は、やはり空を見上げる。緊張をほぐすように肩を落として、わずかの時間を溜めた。

「現実的に言うなら、結果論だ。あの災厄を乗り越えるには、その手法しかなかった。のちに、あいつが描いた『異本』。『啓筆けいひつ』序列一位のそれを見つけ、その力を理解したときに、すべてが繋がったのだ」

 だが――。と、壮年は続ける。

、私はあのとき、その場面を、直に見ていたのだ。神とでも呼ばれる者のそばで、とともにな」

 極めて真剣な声音で、壮年はそう、言い切った。冗談を言っている様子など、微塵もなく。

「はあ……」

 だから男は、もう一度、疑問のような、嘆息のような、相槌を打った。

        *

 日はとっぷりと暮れ、街は光を、自然物から人工物へと乗り換える。どうあがいても、かりそめでしかない。人は夜を克服してはおらず、そのくせ世界を、我が物顔で闊歩する。
 まるで自分たちを、この世界の支配者だとでも、言わんばかりに。

 だからだろうか。気温が下がってきたというのに、男は少し、汗ばんできていた。やはりボルサリーノを脱いで、さきほどより少しだけ強く、また頭を掻いた。

「あのな、リュウさんよ」

 ほぼ、初対面だ。そういう要因もある。それでなくとも年長者だ。いくら男とはいえ、少しの気くらい遣う。

「あんたの話は、なんつうか、空想混じってねえ?」

 気は遣った。だが、はっきりと、男は言った。その言葉に、また少しだけ、壮年は首でだけ、振り向いた。片目だけが、月の光を反射して、わずかに銀かかって光る。

「いや、べつに疑ってるわけじゃねえよ。だが、脚色……そう、脚色だ。空想っつうのは言い方が悪かったが、脚色されてんじゃねえかと。たぶん無意識的にな」

 フォローを入れながら、男は早口で、そう、まくし立てた。やはり、気を遣っている。特段に壮年を恐れているわけじゃない。だが、初対面だし、年長者だし、たぶん、社会的地位も、彼が上だ。その彼のを突くのだから、いたたまれないのである。

「ふ……」

 そんな男を見たからか、あるいは自嘲であるのか、壮年は小さく、鼻で笑った。

「おまえの言う通りだ。こんなものは、私が見た、ただの空想であり、たしかに多くの脚色を含んだ、物語でしかない」

 そう言うと、壮年は再度、「ふふふ……」と、鼻を鳴らした。こちらはたしかに、ただの自嘲であったのだろう。

「だが……おまえは優しいやつだな。空想か現実かそんなことなど、どちらでもいいのだ。おまえの目的は――すべきことは、決断することであり、私がすべきことは……そうだな――」

 一度、振り返る。男と面と向かって、視線を交差させる。
 男から見て、壮年の姿は、逆光に沈んでいた。間接照明しかない暗い部屋。一番の光源は、夜空に爛々と輝く月。その満月を背にすれば当然のことで、壮年の様相は、男にはうまく読み取れない。

「ただ、私の意思を――『正義』を、語ること」

 だから、その言葉の真意も、曖昧だ。ただ真剣に言っているのか。あるいは、怒りすら孕んで吐き捨てたのか。ともすれば、うす笑いで男をおちょくっていたのかもしれない。
 その真実を隠したまま、壮年はまた、満月へ向き直ってしまった。壁一面のガラス窓から、食い入るように、空を見る。

「私にとっては、あいつ――シンファ以外のすべてが、取るに足らない、どうでもいい事柄だ。世界が滅ぼうと、人類が神になろうと。ましてや『異本』の良し悪しを問う気もない」

 後ろ手に組んだ彼の片腕が、こぶしを握り締める。歯を、食いしばるように。

「あいつが、『異本』とは共生できる、と、言った。だから私は、おまえとは相容れない。すべての『異本』を封じるなど、間違っている。だが、だって、どうでもよいのだ」

 諦めたように、肩の力を抜いた。したがって、握りこぶしも、ほどける。

「あいつがなにを思っていたかすら、どうでもいいのだ。いまとなってはな。私は私を憐れんでいるだけで、あいつのことなんてこれっぽっちも考えていない。生きているなら、気を引くために気を遣いはするだろう。同調して、気に入られようと、甘い嘘もつくだろう。だがもう、あいつはいない」

 それは、感情的であるのに、やけに虚無的な声だった。最新のロボットが話す、人間を模した言葉のよう。感情があるように振る舞っているだけの、空っぽで、無機質な、声だ。

「あいつが、どれほどの苦悩を抱えていたか、まったく解らんのだ。その絶望の中、世界に、人類に、家族に――あるいは息子に、どんな希望を見出していたかも、な」

 男と同様、暑かったのかもしれない。あるいは息苦しかったのか。
 だから、壮年は少し、よろめくようにしてガラス張りの壁に手をついた。すると、狙いすましていたのだろう、なんらかのスイッチを入れたらしく、そのガラス壁の一部が開き、外の空気が取り込まれた。

「私は、落ちこぼれだ。誰よりも劣った、人類としてすら不完全な、欠陥品だ。世界で一番大切な、愛する者の気持ちすら、理解できない」

 ――いいや、違う! 男は思った。壮年の言葉にではない。自身の理解についてだ。
 壮年の前に広がる、ガラス張りの壁。。一部じゃない、すべてだ。壁一面が、舞台の幕を開くように、上へ上へ、上がっていく。

「そんな私は、あいつの言葉に操られる糸人形マリオネットでしかなかった。自らの意思などなく、ただ、神のごとく崇める者に、迎合するだけ。あの、彼女の中に取り憑いた存在ですら、最後は自我を持ったというのに。私はいまだに、彼女の残響を追っている」

 そんな言葉など、聞いていない。いや、物理的に、よく聞こえない。
 徐々にせり上がる壁の外から、気圧の違いか、強風が部屋に、舞い込んでいる。男はボルサリーノが飛ばされないように押さえて、なんとかそれに耐えていた。

、心無い信念とともに、言うだけ言っておこう」

 その言葉の、最初の単語は、男には聞き取れなかった。それでも、この状況がどういう未来を描くかは、理解できている。

「我々人類は、『異本』と共生できる! 『異本』は決して悪いものじゃない! 正しい人間が正しく使えば、世界をもっと、素敵に変えられるはずだ!!」

 かき消されないほどの大声で、壮年は語った。男に背を向けたまま、強風に立ち向かいながらもぐっと耐えて叫ぶ姿は、男へというより、世界に向けて演説する、頭のネジが飛んだ、愚者のようだった。

「おい……解ったから、少し、待て――!!」

 向かい風に逆らい、男は、歩を進める。耳をつんざく風切り。いくらか部屋にあった資料が舞い、視界を奪う。そんな、まどろみにすら似た極限状態の中――。

 ――男は、やっと真実に、行きついた。

「あとは、おまえが決断しろ」

 そうして、最後に振り向いた彼の顔。
 その、、表情に――。



 日本語で言われた、その発音に、耳が反応する。

「待てよ――この――」

 クソ野郎が――!!

 その、最後の一声が叫ばれる前に、壮年はもう……落ちこぼれていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...