箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『正義』

『正義』の結末

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 バキッ――! と、怒りを踏みしめるような音が、聞こえた。

「……ノラ――?」

 腕の痛みに目を細めて見るに、幻想のように美しいが、自分に手を伸ばしている。だがそのつま先は、ほぼビルの壁に埋まっていた。さきほどの、怒りを体現するような音は、それが原因か。と、男は思うでもなく思った。

 彼は彼女を見て、ふと、己が娘を想起した。あの少女が立派に成長すれば、きっとこんな、美しい姿になるだろう。と。

 それは、死を目前に見る走馬灯のようで、あるいは、天国へ誘う天使の姿のようにも、男には感じられた。腕の痛みも遠のき、瞬間、安らかに死を受け入れる。

「――痛っ――!!」

 だが、そんな夢うつつも、即座に醒まされた。最前ぼろぼろにされた腕を、また掴まれ、全身に痛みが巡る。その痛みは、男を目覚めさせることだけを目的としたように、気付いたら消えていた。まるですべてが、夢だったかのように。

ふいふいむふいあきれてものも――」

 その天使は、唸る声で語った。どうやらその唇に、なにかを咥えているようである。その後ろに、月光に輝く、美しすぎる銀髪をなびかせて。その中に、満月よりも煌々と煌めく、宝石のような緑眼を携えている。
 なめらかな肢体を包む、白を基調としたチャイナドレス。人体美の極致を超越した姿に血を通わせるように、赤く、牡丹柄があしらわれている。そんなが、肌と同化するように白いオペラグローブを纏った腕を伸ばし、男の千切れかけた腕を、掴んでいた。

 男は、瞬間で悟った。
 腕はもう、完治している。

 まだ幻肢痛のような痛みを感じる気はするが、完全に治っていることを直感的に理解した。それを、いつの間にか彼女に、治してもらったのだということも。

「言えないわっ!!」

 少女は、そこでようやく、咥えていたボルサリーノを吐き捨てた。罵倒の言葉と同時に。

 ぐっ、と、男は近く、少女のもとへ引き寄せられる。顔と顔がぶつかるほどに――いや、実際、両者のおでこはぶつかった。そんなことくらい当然と予期していた少女は、苛立ちを向けるように、そのおでこに勢いを混ぜ込んでいる。軽い、頭突きだった。

「ぐあっ――!」

 それに男は、だらしのない叫びを上げる。だが、反射的に叫んでみただけで、特段に痛みは強くない。
 それよりも、よっぽど近くにある少女の整った――汗と涙でぐしゃぐしゃに歪んでいるうえで整っている、その表情に、黙らされる。

「ぎゅってして!」

 擬音を含めて、少女がなにかを言っている。

「はあ――?」

 この状況と、その言葉と。なにもかものわけが解らなくて、男は疑問だけを吐いた。

「――――!」

 まあいいわ。と、少女は自己解決する。男の腕を掴み上げ、自身の方へ引き寄せた。

 もちろん、さきほど女傑がしたように、ただ無暗に力任せに引っ張り上げたりなど、しない。男の腕を引きながら、逆の手で、男の腰に手を回す。空中で舞うワルツのように、彼を引き寄せ、そのままくるっと半回転。

 少女は、男を庇うように、互いの位置を入れ替えた。自分を下敷きに、男を受け止めるように――。

「ノラ――!」

 その意図に気付いて、とっさに男は、少女の身体を抱き締めた。
 まず、空いていた片腕で少女の頭を自身の胸元に抱き留める。その瞬間、彼女の身体からわずかに、力が抜けたと感じた。

 その隙をついて、掴まれていたもう片腕も振りほどき、そのまま少女の腰を抱く。抱き締め、抱き寄せ、今度は男が、最前の少女と同じように、彼女を庇う。空中で身を捻り、やはり、半回転。少女の下敷きになるよう、自身の身体を挟み込む。

 そのとき、少女は、ふと、安堵してしまった。不甲斐なくとも、頼りなくとも、精一杯に抱き締められた。その、ぬくもり。男は無意識な行動でしかないだろうに、それでも、目いっぱいに庇ってくれた、その、行動に。

 これはこれで、いいかもしれないわ。と、肩の荷を降ろそうとする。彼に守られたまま落下して、ともに死ぬのも、素敵な完結エンディングだと。
 ほんの一瞬だけ、そんな馬鹿な考えが、頭をもたげた。

 でも、まだ――。
 心で自分に言い聞かせて、目を見開く。

「がんばらなきゃ、いけないわっ!」

 そうして、改めて身体に力を入れる。自分を庇おうとした男を、また庇い返して、自分が下敷きに。その行動を男は阻もうとするけれど、少女が本気を出せば、男に抗えるすべなど、なかった。

 こうして彼らは踊りながら、最後の落下を庇い合った。
 そして次の一瞬。とうとう彼らも、地面へ到達する――。

        *

「せーのっ!!」

 掛け声とともに、少女は男を、蹴り飛ばす。蹴り上げる。

「うげぇ……」

 呻いてみたが、痛みは、苦しみは、ほとんど感じていない。おそらく、少女は蹴り上げると同時に、治癒の力を行使したのだ。
 そしてその蹴り上げで、落下の威力を相殺。男は再度、浮遊感に襲われた。

 この高さなら、もう、落下しても命にはかかわるまい。それだけ地面に近くまで迫っていた。これまでの落下分の威力が残っていては死ぬしかなかったが、それも、少女の最後の蹴りで相殺リセットされている。つまり、男はもう、大丈夫。

 だが、男を蹴り上げるために力を使った少女は、そのままでは地面に叩きつけられ、無事では済まない。そのことを男も感覚的に理解して、手を伸ばすけれど、もう、男にできることは、なにもなかった。

 いくら身体能力に優れ、たいていの大怪我も即座に治せる少女とはいえ、地上300メートルからの落下を一身に受ければ、即死だ。彼女の自己治癒能力はあまりにけた違いな速度で発揮されるとはいえ、それでも数秒くらいはかかる。その数秒を生き残らなければ、蘇生は不可能だ。つまるところ、このままただ落下したのでは、いくら少女とはいえ、絶命する。

 そんなことなど、当然と少女は、織り込み済みだ。
 だから、まず――

「――――っ!!」

 痛みに耐えながら、ビルの壁を思い切り、蹴った。その反動で片足が折れる。だが、そのおかげで、いくらか落下の威力を軽減できた。折れた足の治療はすぐに始めるが、やはり、数秒はかかる。だが、地面に到達するまでには、もう一秒もかからない。

「また、痛いわっ!」

 大声を上げて、自分を奮い立たせる。壁を蹴った勢いで身体は捻った。天を向いていた姿勢から、地を見るように、半回転。そのまま右腕を思い切り、地面に叩きつける。

 ――――っっ!! 痛みとともに、振動が身体を駆け巡る。だが、その殴りで、残りの威力もほとんど、相殺できた。ぐちゃぐちゃに潰れた、右腕を代償に。

 最後に、そのまま、大きく身体を回転させ、残りの威力も殺していく。地面に到達した少女は、殴り飛ばされたように地面を転がり、数メートルを移動した。その回転の勢いで、全身の骨が、ところどころ折れ、筋肉はずたずたにはち切れる。

 だが、全身を犠牲に、脳や心臓、人体が生きるためのあらゆる器官を守り抜いた。痛みに耐えながら、それらをすぐに、治療していく――。

「ノラっ――!!」

 そんな少女に、は駆け寄った。

「『ファナ調合研究』――」

 紳士は、少女のかたわらに追い付き、治癒の『異本』を――。

「いらない」

 その発動前に、少女は、手早くその『異本』を取り上げた。紳士が持っていた、赤色の『異本』、『箱庭百貨店』を。強い強い、否定とともに。

「ノラ! まだ動くな――」

 起き上がろうとする少女を慮り、丁年も声を荒げる。だが、そんな心配などお構いなしに、少女は半身を持ち上げた。

「だいじょうぶ。すぐ、治るから」

 そんなふうには、見えない。いや、そう見えなくとも、少女は数秒で、その傷を治すだろう。だが、それでもまだ、数秒は横になっておくべきだ。そう、丁年は判断する。少女の特異さを考慮したうえで、彼女はまだ、焦っている、と。なにかを警戒している、と。

「あなたの腕も治すから」

 そう言って、少女はまだ青い顔で息を荒げたまま、丁年の腕を乱暴に引き寄せる。ぐっと近くなった彼女にどぎまぎしながら、丁年は、少女になにかを、言われた。

        *

「ハク様っ!」

 一方、男の最後の落下は、無事にメイドに抱き留められていた。少女の献身により、男はそのまま地面に叩きつけられても、さして大過ないように威力を失わせていた。それでも、わずかな傷すらいとうように、メイドはしっかと、彼を受け止めたのだ。

「メイ……」

「ハク様……! ご無事で、なによりです……」

 瞬間で、男の肉体を検分。その後、メイドはあまりの安堵により、膝から崩れた。そのまま、男に覆いかぶさるように、彼を抱き締める。

「おい、メイ……」

 俺の貞操が危うい。愚かながら男は、そんなことを瞬間、考えた。それを抜きにしても、わずかの恥ずかしさもあったし、メイドを押し退けようとする。

「本当に……本当に……よかった……」

 だが、メイドはただ、安堵に伏していた。無理に押し退けようとしたところで、まだ彼女は、起き上がれもしないかもしれない。
 男ですらそう理解できた。だから、少しの間、好きにさせておく。

 それに男も、さすがに動けない。身体は問題ない。だが、あまりに精神的に、参ってしまっていた。己が馬鹿さ加減も含めて。

 だが、しかし――。

「……おまえは――」

 倒れる男のもとへ、先に落ちた壮年が、歩み寄る。
 経緯は、思惑は、ともあれ。男は――彼の行動は、この結果を、生んだのだ。

「本当に、……馬鹿だ」

 自嘲のように、壮年は、言った。

 己が、息子へと――。


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