箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 終章

いつかの答え

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「おまえは、本当に、馬鹿だ」

 面と向かって、壮年は改めてそう、言った。一言一言を、噛み締めるように。

「繰り返すんじゃねえよ。気分悪いぜ」

 男はそう、返す。不思議な感覚だった。こそばゆいようで、心地よいような。相手が血の繋がった父親だと認識したから、なのかもしれないが。

「……すまない」

 小さく言うと、壮年は空を見上げてしまった。もはや癖なのかもしれない、彼にとって、空を――月を見上げるのは。

「…………」

 会話が続かない。考えてみれば当然だ。仮に本当の家族だとしても、これまで交流などなかった。血が繋がっている。ただそれだけだ。そんなもの、まったくもって不必要なのだ。『家族』として、そばにいるには。
 そのことを、男は、痛いほどに理解していた。これまでの、多くの旅路で。

「……あー」

 男は、意を決して、声を上げた。このままでは埒が明かない。

「俺はよ。どちらかというと感謝してるぜ。あんたには」

 そんな言葉では救われないだろう。しかし、それが男の本心だった。
 男の言葉に、壮年は視線を戻した。男を見るその瞳には、やはり、救われた様子はない。

「結果論だがな。ガキのころは、その日食うもんにも困ったし、毎日凍えながら過ごしてた。その日々が、辛くなかったとは言えねえ。でも、結果的に俺は、多くの、大切な『家族』に出会えた。あんたのもとで育ってりゃ、きっと一生、出会えなかった。そう思うと、

 できるだけ軽い口調で、男は語る。相手を慮った。というよりは、自分自身に言い聞かせるように。

「あんたの境遇は解った。俺の……母親のことも。だったらなおさら、きっと誰も、あんたを責めねえ」

「いや――」

 気を遣う男の言葉に、壮年は声を上げかける。

「みんな責めてましたよ。ヨウ――あなたの、お父さんのこと」

 壮年の背後から、小さくて、豊満な姿が顔を出し、そう言った。

「ちゃんと叱ってあげてよ、この馬鹿。じゃないと、きっと、自分を許せないんだと思う。……許されることじゃ、ないんですけどね」

 自分自身すら加害者であるように、司書長は目を伏せて、声のトーンを落とした。首を垂れるように、俯いた。

「…………?」

 彼女の言葉に、男は首を捻る。彼は困惑していた。まあ、叱ってくれと言われてもなかなか、心がついていかないのだろう。本心でもないのに叱れと言うのも、酷なものだ。

「……ああ、あんたあれだな。こいつの後輩」

 を指差し、男は言った。どうやら彼が困惑していたのは、そっちのことだったらしい。
 ゆえに、次は彼女が困惑する番である。

「間違ってはないですけど、それ重要ですか? それに、あなたとはフランスで一度、この間、会ってますし。はあ……」

 シリアスな雰囲気がぶっ壊れて、司書長は大仰に、嘆息した。
 それから、少しだけ、笑う。救われたかのように。

「完全に、あなたの息子だよ、ヨウ。そして……シンねえさんの――」

 邪魔しちゃいました。そう言って、司書長は少し、彼らから距離を取った。いまさらながら、久しぶりの親子の再会に水を差したと、内省したのだろう。
 それを見送って、そうしたら、少しだけ視界が広がった。よく考えれば、いまの自分たちは大変な状況である。そう、男は思った。

 壮年の飛び降りに、男の飛び降り。それを助けるために、多くの者が手を貸し、心を折り、集った。彼ら彼女らの視線が、いま、男と壮年に向けられている。そのことに、いたたまれなさを感じた。

「おまえは、本当に、馬鹿だ」

 直前の会話の、どこに対しての感想か解らないが、壮年は三度、その言葉を繰り返した。
 それに、男も返答しようとする。だが、今回は、壮年の次の言葉の方が、早かった。

「そして私も、本当に、馬鹿だ」

 一歩だけ近付いて、壮年は直視する。
 もはや面影などまったくない、自分の息子を。いいや――。

 彼女の、子を――。

        *

「私は、自分のことしか考えられない、ただの落ちこぼれだ」

 それは、壮年がずっと思っていたこと。しかし、彼はここで、そのことをようやく、本当の意味で自覚した。言葉に出して、懺悔して、ようやく。

「おまえがであって、心から安堵している。ああ、あの日の私の行動は、やはり、間違いではなかった。と」

 面影などない。だが、たしかに司書長の言う通りなのだ。
 完全に、自分の子。完全に、彼女の――シンファの、子だと。

「おまえとともにいては、どうせどちらも不幸になっていた。……これも、結果論だがな。だから、救われたよ。おまえが、幸せになっていて。口先だけでも、思い込みでしかなくとも、そのように言ってくれて。シンファの半分を受け継いだおまえが、幸福でよかった」

「おかげさまでな。……あんたも、幸せそうでなによりだぜ」

 男の言葉に、壮年はふっと、肩を落とした。

「いいや、私は不幸だ。だが、それでいい。あらゆる間違いを――罪を犯した私が、幸福になっていいわけがないからな。……それにどうせ、シンファのいない世界に、私の幸福などない」

「それは――」

 違う。という言葉を、男は吐けなかった。わずかなら、その気持ちも理解できたからだ。

 もし――。少女が、いなくなったら。そんな世界に、自分は耐えられるだろうか? そう、男は自問する。

 恋とは違う。だが、間違いなく、愛だ。
 男は、少女を愛している。娘として。

 その愛は、壮年が、彼の愛する者へ向けるものとは質が違うかもしれないけれど、おそらくどちらも、同じく壮大な感情だ。

 少女が、もしもいなくなったら――。男だって、死を選ぶかもしれない。死ぬべき場所を、探してしまうかもしれない。

 少女だけではない。メイドも、女傑も、幼女も。もう、いなくなったら死を選びたくなるほどに、大切な『家族』たちだ。

 紳士は、丁年は、どうだろう? 同性ということもあり、親近感を覚えるし、それなりの付き合いもある。彼らがいなくなるのも、相当に辛い思いを抱くだろう。

 他の『家族』たち――佳人や麗人や淑女や、男の子に女の子、あるいは、女か。彼と彼女らは、そのほとんどは、どちらかというと少女の『家族』だ。男からしては、親戚の子たち、みたいな関係性である。それでも、彼らがいなくなるのは、でき得る限りに避けたいと思ってしまう。

 思えば、少女たちとは、さして長い付き合いでもない。それでも、男にとってはすでに、大切な大切な、『家族』だ。それは、ともに多くの劇的な物語を、紡いできたからなのだろう。だが、たとえそれが大きな要因であろうと、その大切な気持ちに変わりはない。人を思うのに、時間の長さは関係ない。

 いいや、関係はある。長い時間を過ごすことこそが、相手への思いを募らせるに、もっとも大きな要因だ。ただ、それはひとつの要因でしかない、というだけのこと。

 そのもっとも大きな要因を、壮年は積み重ねてきた。彼は彼女を、きっと誰よりも長く、思ってきた。その大きさを軽んじるつもりはない。

 それでも、男はそれと同じほどに、少女を、『家族』を、愛していると思えた。それだけの自負があった。だからやはり、言葉は紡げない。

 愛する誰かのいない世界に、かけらも価値を見出せない。その気持ちを、きっと男は、理解しているから。

「それでも――」

 だが、言わないわけにもいかないだろう。ただの、自分勝手エゴだとしても。

「おまえは――俺たちは、幸せにしてなきゃいけねえだろ。俺たちは、人を思うことを知ってるんだから。大事なやつがいる幸福を、知ってるんだから。……おまえがいて、幸福を得たやつがいる。おまえを失えば、生きてけねえほど、おまえを思うやつがいる」

 壮年に言い聞かせ、それから男は、少しだけ目を逸らした。壮年の後ろ。彼を思う者たちを、見る。

「暗い顔すんじゃねえよ。どうせ過去は変わんねえ。未来は解らねえ。どうしようもねえことに悩むのは――」

 ふっ、と、男は少し、笑った。

「馬鹿のすることだ」

 滑稽だった。馬鹿と馬鹿の会話に、その言葉を吐くのが。

「俺は馬鹿だ。おまえは馬鹿だ。俺たちは、馬鹿だった。間違いを犯したし、失敗ばかりだった。落ちこぼれだった。だけど絶対に、その人生は間違ってねえ」

 格好をつけるように、男は両腕を広げた。ああ、こんな『いま』も、いつか思い出して後悔するだろう。そんなことはとっくに、解っていた。

 だけど、間違っていないということもまた、確信している。

「これだけの仲間に――『家族』に恵まれたんだ。愛するやつらがいる。こんな馬鹿を、愛してくれるやつがいる。俺たちの馬鹿を、命を懸けて助けてくれたやつがいる」

 まったく、青臭い。自分の言葉に、鳥肌が立つ。しかしそれは、男の、本当の、心の底からの、本心だった。

 ――きみは、こんなことをしていて幸せかい――

 いつか、義兄である稲雷いならいじんが言った言葉を思い出す。人は、幸せになるために生まれてきたのだ。そのようなことを彼は、続けた。
 あれは、いつだったか。老人のもとへ拾われて――いや、勝手に住み着いて、すぐのころ。どこかへ出かけた帰りの、飛行機の中だ。

 そんな幼い記憶を思い出し、男はまた少し、笑った。

 あの日、彼は、最後にこう、言っていた。『きみは向き合わなければならないね』。自分自身に言うように、そう言った。その意味はまだ、解らない。いや、あの義兄の言うことだ、たいした意味などなかったのかもしれない。だが、いまならこじつけでも、そこに意味を見出せる。

 こんないびつな家族関係を、寄せ集めでしかない、ぎくしゃくした共同生活を、どう受け入れるか。
 きみはこんな『家族』を、幸福だと思えるか。という、問い。それは、どちらにしたところで、当時の男には、答えを返せなかった問いだ。だが――。

「俺たちは、幸福だ」

 いまならちゃんと、自信を持って言える。男はそう、天に向けて意識を飛ばした。

 が天国に行けたとも思わねえが、まあ、いないならいないで、転送してもらえるだろう。それくらいなら神様も、やってくれるさ。

 そんな馬鹿馬鹿しい空想を、空へ投げる。いまは亡き義兄に、届くように。


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