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第7話 セフレ(1)同期

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 何もないまま一ヶ月がたち、あの夜のことをすっかり忘れた頃、早苗は加世子かよこと二人で飲みに行った。

 職場の近くの居酒屋だ。全席が半個室になっていて使いやすい。

 まだ水曜日だったが、仕事の都合もあり、二人が時間が合わせられるタイミングがここしかなかったのだ。

「かんぱーい」
「かんぱーい」

 幹事に気遣う必要もないので、「とりあえずナマ」ではなく、最初からカシオレとレモンハイだった。

 一口飲んで、お通しを食べる。キュウリとタコの酢の物だった。

 こういうのにはビールの方が合う。

 それでもいいのだ。飲みたい物を飲む。

「あの後どう?」
「あの後って?」

 キュウリを口に入れながら、早苗は聞き返した。

「彼氏と別れてから。もう一ヶ月たつでしょ?」
「別に? 何もないよ?」

 いて言えば、早苗が仕事に行ってる間に、部屋から元彼の荷物がごっそりとなくなっていた事だろうか。

 合鍵あいかぎはベタにドアの郵便受けに入っていた。

 元彼が買った家電もあったが、それは残していってくれた。突然洗濯機がなくなったりしたら困ってしまう。

 家の中のあらゆる所に、朝まではあったはずの物がなくなっていて、ぽっかりとあいたその空間は、そのまま早苗の心にも穴を開けた。

 しかしそれもあっという間に忙しさの中に埋もれていった。

 家に帰っても別々の時間にコンビニ弁当を食べて、別々のことをして、眠るときだけシングルベッド二台に並ぶ。始業の時間も別だから、朝ご飯も別々だった。

 セックスどころかキスもしばらくしていなかった。

 同棲というよりは、同居人ルームメートでしかなかったのかもしれない。

 そりゃあ――浮気はともかく――他に好きな人ができてもおかしくないな、と思う。

「もう未練はないの?」
「ないない」
 
 早苗は苦笑して否定した。

 愛情はあった。今もたぶんある。

 けど、それは長く一緒にいた事への情であって、きっと恋愛的な意味ではなかったのだ。

「別れて正解だと思ってる。長く続けても、いつかは駄目になってたよ」
「まあ、早苗に尽くすことを求めるのは無理があるよねぇ……」

 加世子は早苗の上半身をじろじろと見た。

「何よぅ」

 見た目の地味さと尽くすかどうかは別だと思う。

 だが、その加世子の手は焼き鳥をくしから外していて、「はい、どうぞ」と二人の間に置いてくれるものだから、早苗には何も文句は言えなかった。

「でも私も、どっちも仕事してるなら、家の事は分担するべきだと思うよ。男だとか女だとか関係ないでしょ。どっちも大変なんだから、協力するべきでしょう。それが一緒にいるっていう意味だよ。早苗の場合は同じだけ稼いでるんだから尚更だよ」

 自分で外した焼き鳥ではなく、ぷちぷちと枝豆を食べ始める加世子。

「だから、私も別れて正解だと思う。早苗は仕事バリバリやりたいんだから、やらせてくれる人と一緒になった方がいいよ。あーあ、私もそろそろ誰か探さないとなぁ」
「加世子はモテるじゃん」
「駄目駄目。寄ってくるの既婚者ばっかだもん。本気じゃないだろうし、本気だと困る。不倫は勘弁。慰謝料とか無理」

 うげぇ、と加世子が顔をしかめた。

  誰かの幸せを壊したくない、と言わなかったのは、加世子の優しさだろう。

「リスク大きすぎるよね」
「そうそう。私の事が本気で好きなら離婚してから来いっての」
「それで好みじゃなかったらどうするの」
「たぶんそこまでされたら好きになる」
「加世子は愛されたいタイプだもんね」
「そういう早苗だって愛されたいでしょ?」
「うーん……」

 愛されるということがどういうことなのか、早苗はもう忘れてしまった。

 好きだと言われて、キスをして、体を求められて。

 そんな甘い時間は長く続かないと知ってしまったから。

 だからといって、相手を愛し甘やかしたいという気持ちも特にないから、恋愛に向いていないのかもしれない。

「でさ、未練がないって言うならね、相手のこと、聞きたい?」
「相手って?」
「元彼の相手。今の彼女」
「え、知ってるの?」
「そりゃ同期だし」

 元カレは早苗の同期だから、加世子も同じく同期だった。

 だが直接の繋がりはなかったはず。

 大手企業なので、同期だけでも数百人いる。伝手つてをたどるにしても、なかなか大変だったと思うのだが、そこはさすがコミュ力の高い営業なだけはあるということか。

「聞きたい」

 早苗は迷ったが、相手のことを聞くことにした。

 尽くされたいと言った元彼が、どういう相手を選んだのか興味があったからだ。

 早苗に似ても似つかない人物であれば、すっきりとした気持ちになれるだろう。

 もしも同じタイプだったらへこむだろうが、それなら加世子が言い出すわけがない、と思った。

「派遣さんだって」
「美人な人?」
「美人っていうか、お母さん系。そこまで年上じゃないみたいだけど」
「お母さん系」

 面倒を色々見てくれるということだろうか。それとも、色々と気遣った言葉をかけてくれるということだろうか。

 あったかくして寝なさい、とか?

 派遣会社から派遣されてくる社員は、協力会社とはまた別の雇用体系で、指揮系統が違う。仕事も技術系ではなく、経理処理などの事務系がほとんどだ。

 だが、同じ職場で働く点は変わりなく、早苗たちはどちらも仕事を共にする仲間として接している。

 どうしても男性が多くなりがちな会社において、女性が多い傾向にある派遣社員との結婚の話はわりとよく聞いた。

「お母さん系を求めてたなら、早苗じゃ無理だね。早苗は面倒見はいいけど、自分でできることはちゃんとやれってタイプだもん」

 言われてみると、知り合った新人の頃は、何かと世話を焼いていたような気もする。研修で出された課題を一緒にやったりだとか。

 だが寝るときに、温かくして寝なさい、なんて声かけはしない。

 眠っている間に寒がっていたら布団を掛けてあげることはあっても、眠る時には、外気温を考えて自分で布団を選べ、と思っている。

 でも、言って欲しかったのなら、言ってあげたのにな、とも思う。

 そのくらいはできた。一言そう言ってくれれば。

 まあ、足りなかったのは言葉だけじゃないのだろうけど。

「早苗には、一緒に並んで歩いてくれるパートナーが似合ってる。そういう人を探しなよ。あ、今度、コンサル会社との合コンあるけど、行く?」
「行かない」
「だよね、言うと思った」

 早苗は合コンに行ったことがない。

 知らない人とその場で仲良くなるということができない。

 あがり症なのもあるし、合コンのゴールである「連絡先を交換して次につなげる」まで到達しなければ、と意気込みすぎてしまうだろう。

 そして、交換できたらできたで、メッセージが来た時にどうしていいかわからなくなるに決まっているのだ。

「合コン嫌なら職場恋愛しかないじゃん。うちの社員なら安泰あんたいだろうけどさ」
「友達に紹介してもらう、とか」
「それ、結局合コンと変わらないから」
「そんなことないでしょ」
「異業種交流会なら行く?」
「それこそ合コンの別名じゃん」
「バレたか」

 二人のジョッキが空になり、加世子が店員を呼んだ。

 加世子は二杯目にして日本酒を頼む。早苗はカルーアミルクにした。

 注文したのと別の店員さんが二人の飲み物を持ってきて、加世子の前にカルーアミルク、早苗の前には日本酒を置いた。

 店員さんに軽くお礼を言ってから、飲み物を交換する。

「早苗は顔に似合わず甘いの好きだよね。飲めそうなのに」
「加世子も顔に似合わずからいの好きだよね。弱そうなのに」

 ふふっと二人で笑う。

「割り勘なら飲んだ方が得だもんね。私はたくさん飲ませて頂きます」
「なら私は食べるよ」
「どうぞどうぞ」
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