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第26話 リリース(8)彼女
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帰宅後メイク落としと着替えだけして爆睡すること数時間、夕方前に早苗は目を覚ました。
顔に涙の跡がついている。
悲しい夢を見ていたような気がしたが、何も覚えていない。
ピカピカ光っているスマホの通知履歴を見れば、桜木からメッセージと着信が入っていた。
『帰宅しました。待ってます』
『今日は本当に来てくれないんですか?』
『迎えに行ってもいいですか?』
『待ってます』
最後のメッセージはつい五分前だった。
会社から支給されているスマホの方には、何の連絡も入っていない。
こちらはトラブル時の緊急連絡が入るので、着信音を鳴らすようにしてあったが、さすがに桜木も公私は弁えているようだ。
あまり寝過ぎると夜に眠れなくなる。この土日を挟んで次の日には仕事なのだ。それまでにリズムを整えなければならない。
腹の虫が空腹を訴えてきたのだが、買いに行くのも面倒で、早苗はカップラーメンを食べた。
月曜の朝、生活リズムを戻し切れていないまま、早苗は重たい体を引きずって出社した。
「おはようございます」
「おはようございます」
他のメンバーと挨拶を交わすと、みな疲れているような顔をしていた。夜勤隊は早苗と同じだし、日中隊も休日出勤をしたので、それなりに疲れは残っているようだ。
「皆瀬さん、朝一で申し訳ないですけど、今からいいですか」
「あ、はい、レビューですね」
奥田に言われて早苗が席から立ち上がると、ちょうど桜木がオフィスに入ってきた。
顔を見るだけで、ズキリと胸が痛む。
「先輩、あの――」
「ごめん、桜木くん、これから奥田さんと打ち合わせなの。急ぎじゃないなら、メールにしてくれるかな?」
早苗は桜木のことを見ずに言った。
「……はい。じゃあメールします」
目線を下げる桜木の横を通り過ぎ、早苗は会議室へと向かった。
廊下に出た途端、はぁ、とため息が出る。
先週末サービス開始を終えたので、今日から早苗は要件定義工程に合流する。
今はなんとかやり過ごしたが、これから先、桜木とは何度も顔を合わせることになる。
というか、会わない日はないだろう。
顧客との打ち合わせは必ず同行するし、そのための資料のレビューなどにも出席するのだ。毎日何かしらの接点はあった。
「お疲れのところ、すみません」
「え? いえいえ、今のは疲れてるとかじゃないんで、気にしないで下さい」
奥田に誤魔化したあと、早苗はまた小さくため息をついた。
午後、桜木も出席する会議に参加する前、早苗は気合いを入れるために、ノートパソコンを手に、休憩室の自動販売機に栄養ドリンクを買いに行った。
ボタンを押してスマホをかざすと、ガコッと音がしてビンが落ちてくる。
最近は缶タイプの栄養ドリンクもはやっているが、早苗は古き良きサラリーマンの味方のビンタイプのドリンクが好きだった。
めったに飲むわけではないが、夜勤の時や、気合いを入れたいときは力を借りる。
「お、桜木、お疲れー」
「お疲れ」
身をかがめてビンを取り出した早苗は、聞こえてきた声にギクリと体を強ばらせ、飲み物を落としそうになった。
見ると、座っている桜木に、他の男性が話しかけている。どちらもタメ口ということは、同期なのだろう。
早苗は思わず自販機の陰に隠れた。
「何スマホでニヤニヤ見てるんだよ」
「んー、彼女の寝顔」
彼女、という言葉にドキリとした。
「うわ引くわ。てかおま彼女いたのかよ。聞いてないぞ」
「わざわざ言わねぇよ」
「だから合コン来ないのか!」
「そういうのはもうやめたって言っただろ」
「見せろよ」
「見せるわけない」
休憩室に入ってきた人が自販機の陰にいる早苗に変な目を向けたので、慌ててプシュッとビンの蓋を開けて口にし、今ここで飲んで行くんです、という顔を装った。
桜木たちの会話は続いている。
「お前の彼女ってことは、相当な美人?」
「んー……美人っていうか、かわいい。超かわいい」
「うっわー。惚気をどうも」
「どういたしまして」
可愛い彼女――。
真奈美で間違いない。
やはり真奈美はセフレの一人ではなく、本命の彼女だったのだ。
「紹介しろよー」
「駄目。彼女そういうの嫌いだから」
早苗はつらさを紛らわすように、ごくごくとビンを飲み干した。
炭酸に焼けた喉が痛くて、じんわりと目が熱くなった。
「やべっ、打ち合わせだ」
桜木がガタリと立ち上がる。
こっちに来る……!
早苗は自販機から姿を現し、その場にあるゴミ箱にビンを捨てると、逃げるようにして休憩室から出て行った。
「あ、せんぱ――」
その姿を桜木に見られて後ろから声を掛けられるが、早苗は廊下を半ば走る勢いで移動し、女子トイレに駆け込んだ。
洗面台に両手をつき、ふーっと息を漏らす。
泣いちゃだめ。泣いちゃだめ。
鏡の中の自分をにらみつけて、何とか目に涙をためないように我慢する。
できることなら水でバシャバシャと顔を洗ってしまいたいけれど、メイクをした状態ではそうもいかない。
代わりに手を流水にさらして気持ちを落ち着かせた。
「会議に行かないと……」
さっき露骨に避けてしまったのもあって、桜木に会うのはとても気まずいが、仕事なのだから、そんな私的な理由が許されるはずもなかった。
早苗はハンカチで手を拭くと、洗面台に置いていたノートパソコンを抱え、戦場に向かうような気持ちで会議室へと足を向けた。
部屋に到着してみれば桜木は既に着席をしていて、早苗に何か言い足そうな目を向けてきたが、何も言わなかった。
奥田の議事進行で会議が始まれば、早苗も桜木も普段通りの態度で質疑を交わした。
その間に、早苗は気持ちの整理を終えた。
元彼に振られた時も早々に落ち着いたように、恋愛に対して薄情なタイプなのだろう。
本命がいるのなら、いつまでもセフレを続けていくのはおかしい。
浮気の片棒を担ぐのはごめんだ。
早苗はこの関係を終わりにすることに決めた。
顔に涙の跡がついている。
悲しい夢を見ていたような気がしたが、何も覚えていない。
ピカピカ光っているスマホの通知履歴を見れば、桜木からメッセージと着信が入っていた。
『帰宅しました。待ってます』
『今日は本当に来てくれないんですか?』
『迎えに行ってもいいですか?』
『待ってます』
最後のメッセージはつい五分前だった。
会社から支給されているスマホの方には、何の連絡も入っていない。
こちらはトラブル時の緊急連絡が入るので、着信音を鳴らすようにしてあったが、さすがに桜木も公私は弁えているようだ。
あまり寝過ぎると夜に眠れなくなる。この土日を挟んで次の日には仕事なのだ。それまでにリズムを整えなければならない。
腹の虫が空腹を訴えてきたのだが、買いに行くのも面倒で、早苗はカップラーメンを食べた。
月曜の朝、生活リズムを戻し切れていないまま、早苗は重たい体を引きずって出社した。
「おはようございます」
「おはようございます」
他のメンバーと挨拶を交わすと、みな疲れているような顔をしていた。夜勤隊は早苗と同じだし、日中隊も休日出勤をしたので、それなりに疲れは残っているようだ。
「皆瀬さん、朝一で申し訳ないですけど、今からいいですか」
「あ、はい、レビューですね」
奥田に言われて早苗が席から立ち上がると、ちょうど桜木がオフィスに入ってきた。
顔を見るだけで、ズキリと胸が痛む。
「先輩、あの――」
「ごめん、桜木くん、これから奥田さんと打ち合わせなの。急ぎじゃないなら、メールにしてくれるかな?」
早苗は桜木のことを見ずに言った。
「……はい。じゃあメールします」
目線を下げる桜木の横を通り過ぎ、早苗は会議室へと向かった。
廊下に出た途端、はぁ、とため息が出る。
先週末サービス開始を終えたので、今日から早苗は要件定義工程に合流する。
今はなんとかやり過ごしたが、これから先、桜木とは何度も顔を合わせることになる。
というか、会わない日はないだろう。
顧客との打ち合わせは必ず同行するし、そのための資料のレビューなどにも出席するのだ。毎日何かしらの接点はあった。
「お疲れのところ、すみません」
「え? いえいえ、今のは疲れてるとかじゃないんで、気にしないで下さい」
奥田に誤魔化したあと、早苗はまた小さくため息をついた。
午後、桜木も出席する会議に参加する前、早苗は気合いを入れるために、ノートパソコンを手に、休憩室の自動販売機に栄養ドリンクを買いに行った。
ボタンを押してスマホをかざすと、ガコッと音がしてビンが落ちてくる。
最近は缶タイプの栄養ドリンクもはやっているが、早苗は古き良きサラリーマンの味方のビンタイプのドリンクが好きだった。
めったに飲むわけではないが、夜勤の時や、気合いを入れたいときは力を借りる。
「お、桜木、お疲れー」
「お疲れ」
身をかがめてビンを取り出した早苗は、聞こえてきた声にギクリと体を強ばらせ、飲み物を落としそうになった。
見ると、座っている桜木に、他の男性が話しかけている。どちらもタメ口ということは、同期なのだろう。
早苗は思わず自販機の陰に隠れた。
「何スマホでニヤニヤ見てるんだよ」
「んー、彼女の寝顔」
彼女、という言葉にドキリとした。
「うわ引くわ。てかおま彼女いたのかよ。聞いてないぞ」
「わざわざ言わねぇよ」
「だから合コン来ないのか!」
「そういうのはもうやめたって言っただろ」
「見せろよ」
「見せるわけない」
休憩室に入ってきた人が自販機の陰にいる早苗に変な目を向けたので、慌ててプシュッとビンの蓋を開けて口にし、今ここで飲んで行くんです、という顔を装った。
桜木たちの会話は続いている。
「お前の彼女ってことは、相当な美人?」
「んー……美人っていうか、かわいい。超かわいい」
「うっわー。惚気をどうも」
「どういたしまして」
可愛い彼女――。
真奈美で間違いない。
やはり真奈美はセフレの一人ではなく、本命の彼女だったのだ。
「紹介しろよー」
「駄目。彼女そういうの嫌いだから」
早苗はつらさを紛らわすように、ごくごくとビンを飲み干した。
炭酸に焼けた喉が痛くて、じんわりと目が熱くなった。
「やべっ、打ち合わせだ」
桜木がガタリと立ち上がる。
こっちに来る……!
早苗は自販機から姿を現し、その場にあるゴミ箱にビンを捨てると、逃げるようにして休憩室から出て行った。
「あ、せんぱ――」
その姿を桜木に見られて後ろから声を掛けられるが、早苗は廊下を半ば走る勢いで移動し、女子トイレに駆け込んだ。
洗面台に両手をつき、ふーっと息を漏らす。
泣いちゃだめ。泣いちゃだめ。
鏡の中の自分をにらみつけて、何とか目に涙をためないように我慢する。
できることなら水でバシャバシャと顔を洗ってしまいたいけれど、メイクをした状態ではそうもいかない。
代わりに手を流水にさらして気持ちを落ち着かせた。
「会議に行かないと……」
さっき露骨に避けてしまったのもあって、桜木に会うのはとても気まずいが、仕事なのだから、そんな私的な理由が許されるはずもなかった。
早苗はハンカチで手を拭くと、洗面台に置いていたノートパソコンを抱え、戦場に向かうような気持ちで会議室へと足を向けた。
部屋に到着してみれば桜木は既に着席をしていて、早苗に何か言い足そうな目を向けてきたが、何も言わなかった。
奥田の議事進行で会議が始まれば、早苗も桜木も普段通りの態度で質疑を交わした。
その間に、早苗は気持ちの整理を終えた。
元彼に振られた時も早々に落ち着いたように、恋愛に対して薄情なタイプなのだろう。
本命がいるのなら、いつまでもセフレを続けていくのはおかしい。
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早苗はこの関係を終わりにすることに決めた。
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