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 かすかな衣擦れの音がした。心地よい気だるさを纏う華奢な身体が、気に入りの場所を探すように擦り寄る。ふわりと香るのはミハエルの大好きな香りだ。それと、ほのかに汗の匂い。ぺたりと頬をつけた所は、とくとくと規則正しい音がして、ああ、これは心音だとようやく気づいて、微睡みを引きずりながら睫毛を震わす。

「…起きた?」

 掠れた声で、耳朶をくすぐる低く甘い声。吐息がミハエルの髪をかすかに揺らすと、ゆっくりと瞼を開いた。

「っぅ…?」
「起きたな、」

 小さく笑う声が聞こえた。目の前に広がった肌色に、とくんと心臓を跳ねさせる。じわりと頬を赤らめると、もぞもぞと身動いで枕に顔を埋めた。ああ、そうだ、ミハエルはサディンに抱いてもらったのだ。その記憶は寝ぼけを治すには特効薬過ぎて、頭の中で津波に飲み込まれたかのような激しい快楽のひと時が何度も巡ってきて情報がいつまでも完結しない。
 サディンはミハエルを覗き込むようにして上半身を起こすと、長い髪に隠れたミハエルの顔が見たくて、そっとその髪を耳にかける。細い背中に覆いかぶさる様に後ろから抱きしめると、そっとその耳に口付けた。

「おはよ、つっても、昼だけど。」
「ぅ、ぅわ、ぁ、あわわ…」
「‥‥ふは、」

 ミハエルがどぎまきましているのが面白くて、その原因が自分だというのが何とも満たされる。サディンはこれが欲しかったのだと思った。腕の力を強め、晒された白い項にべろりと舌を這わせる。ぴくんとはねたミハエルの反応に満足すると、がじりと舐めた其処を噛む。

「さ、サディ…んくっ、」
「サディン。」
「さ、さ…さで、サディン…」
「ん。」
「うぅぅ…っ…」

 満足そうに頷くサディンに、ミハエルは胸を締め付けられる。大変だ、恋って忙しい。胸がばくんと大きく跳ねて、サディンがかわいいせいで顔が熱い。こころなしか、吐息に色がついてしまったような気すらする。ほんのりピンクで、きっと嬉しいという気持ちがひと目でばれてしまうような、そんな色。

「ミハエル、こっち向いて。」
「や、あ、あの、い、いま、はっ」
「なんで。見せてよ、顔見ておはようって言いたい。」
「で、でもっ…は、はず、かし…」

 消え入りそうな語尾に、ミハエルの感情のすべてが詰まっているような気がする。サディンは、とくんと胸を甘く鳴かせると、熱くなった額をミハエルの背中にこつんとあてた。

「……?」

 大人しくなったサディンが気になったらしい。ミハエルがそろりと振り向いた。

「…だめだな、なんか、駄目になりそうだ…」
「あ、あの…」
「…お前とこうしてたいな、なんも、考えないでさ。」
「サディン…?」

 ミハエルの心配そうな声色に、サディンはゆっくりと顔を上げた。少しだけ困ったように微笑むと、ミハエルを後ろから抱えあげるように起き上がる。

「わ、っ!」

 ミハエルは、胡座をかいたサディンの足の間に収まると、肩口に顔を埋めたサディンの腕によって後ろから拘束された。とくんとくんと跳ねる心臓の音が、自分だけじゃなくて嬉しい。熱い腕が嬉しい。こんなに嬉しくて、自分は死んでしまうんじゃないかと思った。もぞりとうごいて、そっと右手で柔らかな赤毛を撫でる。くしくしと手ぐしで整えるかのようにすると、頬を染めたサディンが、ゆるゆると顔を上げた。

「ミハエル、」
「おはよう、ございます…」

 ようやく言えた。素肌を隠すように寝具を引き寄せると、ゆっくりとサディンの顔が近づいて、ちぅ、と可愛らしい音を立てて唇に吸い付かれた。こんなに、こんなに甘いのか。ミハエルは目をつむってそれを受け取ると、その細い指先を握り込んだ。
 唇が離れて、互いの瞳が熱を持つ。駄目なのに、一度だけなのに、その先を期待してしまう。サディンが顔を離すと、不意に扉の方を見た。

「ああ、やっぱそうだよな。」
「へ、」
「ミハエル、これ着てベッド入ってろ。」
「わ、っ」

 サディンは小さくため息をつくと、脱ぎ散らかしたシャツの一枚を、ミハエルに頭から被せた。下着にボトムスだけを履くと、ミハエルの髪を優しく撫でてから、邪魔そうに髪をかきあげて扉の前で指を横に振った。認識阻害と擬態の術を解いたのだ。
 サディンのすることがわからなくて戸惑っていたミハエルは、だんだん慌ただしい足音が近付いてくるのを耳にした。なんだろう、と思ったのもつかの間。ジェスチャーで寝ていろと合図をされたので言うとおりにすると、サディンが指を弾いて部屋に結界を施した、その時であった。
 まるで部屋で爆発が起こったかのような勢いで、扉が破壊された。木の扉が引き千切られるように宙を舞う。ミハエルが呆気にとられた様子でそれを見ていれば、突然高速で発射された闇魔法が結界の上を滑って、ミハエルの寝ていたベッドの横の壁に風穴を開けた。

「ひぇ、」
「…はあぁ…。」

 頭の痛そうな顔をして、サディンがため息を履く。鷹のようなひゅるりとした鳴き声がしたかと思うと、父親であるダラスのハルピュイアがサディンに向かって突っ込んできた。

「っ、サディンく、」
「ミハエル!!!」
「っ!」

 がしりと腕を掴まれたサディンが、ハルピュイアによって外につまみだされたかと思うと、次いで髪を乱しながら入ってきたダラスによって、ミハエルは名を呼ばれた。

「ミハエル、っ…お、まえ…」
「サディン!!サディンくん!!ハルちゃんやめて!!」

 あられもない息子の姿に、ダラスは目を見開いた。サディンに向けてはなった術で開けた大穴に取り縋って、ミハエルが泣きそうな顔で叫んでいたからだ。サディンはハルピュイアの足を掴んだまま腹筋の力を使って体制を入れ替えると、そのまま魔物の体を地面に向けて落ちていく。

「っ、サリエル!」
「な、」

 その腕を掴んで引きずり出そうとしたダラスを避けて、ミハエルは目の前で大穴から一気に飛び降りた。それにはダラスも、空中戦をしていたサディンも、大いに驚いた。

「ミハエルーーー!!」

 空に飛び出したミハエルに、大人達の悲鳴が重なった。途端に真っ黒な炎が勢いよくミハエルの身体に纏わりついたかと思うと、黒い炎をまとったサリエルがミハエルを抱き上げた状態で空中に浮かび上がるかのようにして、姿を表した。

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