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兎にも角にも
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突如巻き起こった旋風が、森の広範囲を大きく揺らした。フォレストフォールを見下ろすように上空へと飛び上がったイザルは、体を捻るようにして火炎を纏う。
大きな地響きとともに、森の一部が盛り上がった。木の根ごと地べたを突き破るように姿を現した巨大なワームが、すりこぎ状の口を開くようにしてイザルへと狙いを定める。
気味が悪いほど肉付きのいい体が、体節を収縮させる。真上にいるイザルを捕食するつもりだろう、巨躯は落下するイザルを飲みこべく勢いよく体長を引き伸ばした。
「働け糞犬……‼︎ 何している‼︎」
苛立ったイザルの声が、隷属させたフォレストウルフの首輪を締め付ける。恫喝じみた鋭い声に、黒い毛並みを膨らませ大きな咆哮を放った。
恐怖の状態異常は、正しくワームの動きを止めることに成功した。体格の差から、持って数秒程度のわずかな制止力だろう。しかし、それがイザルの狙いであった。
イザルの体が、炎を纏ったままワームの中へと落ちていく。終わりの見えない暗闇の中に吸い込まれて入った途端。ワームの長い胴体の一部が鮮烈に光った。
眩いばかりのオレンジ色の光が踊る炎のように揺らいだかと思うと、魔力で圧縮された高火力の火炎が柔らかな体を内側から破裂させた。
危なげなく地上へ降り立ったイザルは、頭上に結界を展開させると、降り注ぐ肉塊から自らを防ぐ。戦いは終わりに思えた。しかし、イザルの静かな銀灰の瞳は、まだ点在する敵意を見逃しはしなかった。
「何つったってんだ。てめえが使えるかどうかはてめえが示せ」
仲間殺して戻ってこい。冷酷な言葉は、隷属させたフォレストウルフへと向けられていた。
黒い毛並みが大きく震えて、グボリと血液を吐き出した。隷属魔法への抵抗が見られる限り、響くような不快は続くのだ。イザルが放った魔法は禁術の一つだ。魔王城の書物庫から奪い取ったそれは、死霊術師が書いたものだという。
幻惑魔法と服従魔法の重ねがけ。それが、フォレストウルフへとイザルの放った隷属魔法の正体である。
森中に轟くような咆哮が木々を揺らした。それが、二度目の戦いの合図であった。
イザルが地べたを蹴ったと同時に、黒い魔物は大きな体で走り出した。木々が孕む闇の隙間から、溶け出すように次次とフォレストウルフが姿を現す。襲いかかってくる何匹もの魔物たちを、黒い魔物はイザルを守るように巨躯で弾き飛ばす。
「無駄吠えはするな。生きたかったら、根性見せてみやがれ!」
イザルの蹴りが、木の根元をへし折った。耳障りな音を立てて倒れた幹が、フォレストウルフの足を留まらせる。
倒木を飛び越えた一頭の首根を、鋭い牙が貫く。毛を逆立てながら次々と仲間を討つ黒い魔物の働きに、イザルは口元を釣り上げて笑った。
腕を振りかぶって投擲したのは、倒れた木の枝の一本だ。しかし、それはイザルによって針としての役割を持たせるように鋭く強化されている。
「焼けろ」
イザルが指を弾いた。木に突き刺さった枝を避雷針にするかのように、紫の稲妻がを攻撃を仕掛けようとした木型の魔物の体を貫く。鋭い電流は魔物の体を焼き、閃光は枝葉を伝うようにあたり一体の魔物を巻き込んだ。
イザルに抗議するように唸る黒い魔物は、危機を察知するように跳躍しことなきを得た。
このフォレストウルフは特殊な変化を遂げたユニーク種なのかもしれない。イザルは黒い毛並みを撫でるように褒めると、隷属魔法を解いた。
「やりゃあできるじゃねえか」
焼けこげた地べたの匂いが不快だ。黒い魔物、基フォレストウルフの変異種だろう獣の瞳がイザルを見つめる。性質上、狼型の魔物は力を示せば忠誠を尽くすものが多い。赤い瞳に小さく頷くと、イザルは大きな体に跨った。
「俺のいうことを聞け。そうしたら活かしてやる」
隷属術を通して、イザルの魔力が馴染んだのだ。黒い毛並みは元の色に変わることはなかった。大きな鉤爪を、地べたを抉るようにめり込ませる。足元に施されたのは、強化魔法の一つだ。抵抗なく纏うのを確認すると、イザルの手が魔物の首の横を叩いて合図する。
「シグムントには俺の魔力が宿ってる。俺をその場所に連れて行け。そうしたらお前を強い獣に育ててやる」
赤い瞳がちろりと背に跨ったイザルを見やる。その口吻を吊り上げるように犬歯を見せつけると、しなやかな体は一気に駆け出した。
「あんたマジで何にもできないんだな⁉︎」
「うむ、その言葉には語弊がある。俺にもまだ伸び代がある、というのが正解だ」
「自己肯定感だけは一丁前かよお‼︎」
アルベルの情けない声が、地下の遺跡に響き渡った。二人は今、黄土色の土壁が乱立する迷宮のような遺跡の中を駆けずり回っていた。理由は簡単で、今まさに小型の魔物に追われている状況なのである。どうやらヴィホルダーが捕まえたらしいゴブリンが、あろうことか遺跡の中に放たれたのである。
一体何を考えているのかはわからない。ただまずいのは、へなちょこであるシグムントを連れて逃げるのが戦闘経験の少ないアルベルであるということだ。
「投げ入れるならゴブリンじゃなくて食料にしてくれよう!」
「そうだなあ、俺もお腹が空いた。今はりんごの気分だ」
「嬢ちゃんはもちっと危機感を持てえええええ‼︎」
逃げるアルベルの横の壁を、投げられたゴブリンの棍棒が粉砕する。小さく、知能が低くても魔物は魔物だ。アルベルはシグムントの手を引くと、大慌てで背後へと回した。ちんたら走っていては埒が開かないと思ったようだ。どうやら応戦する決意をしたらしい。
長い眉毛の隙間から見えるアルベルの瞳が、きらりと光った。己の筋肉を見せつけるかのように意気込むと、向かってくるゴブリンを前にインベントリからツルハシを引きずり出した。
「あってよかった属性武器‼︎」
「なんだそれは」
「くらえ氷塊の一撃いいいい‼︎」
ブォン!と空を鳴らす勢いで振り下ろされたツルハシが、硬い音を立てて地面へと突き刺さった。その先端が瞬く間に凍りつくと、突進してくるゴブリンへと氷の棘が向かっていく。子供の背丈しかない小さな魔物が、あっという間に氷づけだ。
目の前で見ていたシグムントはというと、まるで幼子のように興奮した目をアルベルに向ける。
「うわあ‼︎ なんだそれかっこいいな! 俺もブォンってしたいなあ、アルベル‼︎」
「だめだあ‼︎ こんな貴重なもんを任せられるかあ‼︎」
コレクター垂涎の属性武器は、その貴重さから市場には出回らない。武器そのものに宿る魔力を使うため、使用者の体の魔力を減らさないことが魅力的な武器の一つである。ただし、使える回数には縛りがあるので、なんの属性も持たない武器に魔力を宿して使う方がよほど使い勝手が良い。
「あと三回しか使えねえからな! 俺ぁこの間これで作った氷溶かして水確保しちまってっから‼︎」
「また氷魔法を宿せばいいだろう」
「できるかあ! 俺は火と風属性しかもってねえもの!」
ツルハシの鋒をゴブリンへと向けて牽制をするアルベルの佇まいは、なんとも頼りない屁っ放り腰である。
そんな様子を馬鹿にしているようだ。ゴブリンたちは凍りついた仲間には見向きもせずに、再びジリジリと詰め寄ってくる。
アルベルがここに立っているのは、もはや意地のようだった。しかし、なけなしの男気を最後まで見せつけることは叶わない。
「お、おい! あんた何やってんだ!」
「まあ待て、俺に時間をくれ」
アルベルの悲鳴混じりの声を背に受けたのはシグムントだ。堂々たる振る舞いでゴブリンの前に出る。何か算段があるのだろうか、その口角は緩やかに持ち上がり、穏やかな眼差しをゴブリンたちへと向けている。
戸惑いは、アルベルだけではない。ゴブリンにも伝染したようだ。緑色の短い手で握る棍棒を、危害を加えるように振り上げる。
「待ちなさい」
緊張感が滲む空間で、シグムントの声だけが明瞭だった。ゴブリンに対して話しかけただけではなく、攻撃の手をも止めて見せたのだ。アルベルの喉が上下する。読めぬ展開を視線で急かすように見つめた薄い背中は、あろうことかゴブリンと目線を合わせるかのように屈んでみせた。
「言葉を解するものはいるかな、俺はシグムント、……訳あって女のふりをしている」
「え、あんた女じゃねえの⁉︎」
「すまんアルベル、これは君にも秘密なんだ。口外はしてくれるなよ」
頓珍漢なことを抜かすシグムントを、アルベルはまじまじと見つめている。妙な状況になった。シグムントと意思疎通ができないのは、ゴブリンだけではなくなってしまった。
静かに顔を青くするアルベルの姿を気にもとめず、シグムントが真っ直ぐに視線を向けたのはひとまわり大きなゴブリンだ。
どうやら一番頭がいいらしい。この小さな群れの年長者なのだろう。深く刻まれた顔の皺を開くようにして、金色の瞳をシグムントへと向ける。その醜悪な顔は、意味ありげに笑みを浮かべていた。
小さな手が、赤紫色のキノコを差し出した。一口齧るだけで死に至る、ヒドクラタケという危険なキノコだ。
「クエ、話シシテヤル」
「し、シグムント、やめろ。そのキノコは」
「ング」
「死んじゃうやつだか、あーーーー‼︎」
静止を待たずに、シグムントは差し出されたキノコをゴブリンの手ずから食らいついた。アルベルの悲鳴が響いた瞬間、ゴブリンは緑色の体を揺らし、シグムントの愚行を指を刺して笑い出した。
きっとキノコの効能を知らなかったのだろう様子に、アルベルは真っ青な顔でシグムントへと駆け寄った。食らったものが生きている話なんて耳にしたことはない。アルベルは震える手でツルハシを再び握りしめると、その切先をゴブリンへと向けた。
「お、お前らっ……?」
しかし、アルベルの勇気は急に黙りこくったゴブリンたちを前に萎んでしまった。
アーモンド型の大きな金色の目は、それはもう大きく見開かれていた。視線の先は目前のシグムントである。緑色の手が、プルプルと震えながら指を刺す。
「んん、ぅん、うん、うん」
「え」
「不味くはない」
「ええええ⁉︎」
ゲェエエ‼︎ アルベルとゴブリンたちの汚い悲鳴が同時に重なった。ゴブリンのうちの一匹が、ゴブリンの長が持つヒドクラタケへと手を伸ばす。確かめるようにバクリと喰らいつけば、短い呻き声をあげて魔素になって消えてしまった。
本物のヒドクラタケで間違いはないようだ。アルベルも、ゴブリンたちも、思わず同じような表情で絶句をしてしまった。シグムントだけは申し訳なさそうに、討伐部位として残ったゴブリンの耳を手に乗せている。
「これでわかったろう? 俺に毒は効かない」
「なにもわかってないんだけどお⁉︎」
間違いなく、状況を理解しているのはシグムントのみであった。置いてけぼりを食らったゴブリンとアルベルの心境は、奇しくも同じである。奇妙な一体感がその場に芽生えるかと思われたその時、しわがれた老人のような声がポツリと落ちた。
「嘘ダロウ……」
「なんだ、君が一番話が分かりそうだと思っている」
「嘘だろう⁉︎」
「アルベル。すまないが俺は今彼と話しているから、君は後でだ」
「う、うそだろう……」
アルベルの行き場のない問いかけは口の中に残されたまま、見事に置いてけぼりにされてる。
目前のゴブリンはというと、参ったと言わんばかりの顔でシグムントを見上げた。どうやら諦めたらしい。地べたに胡座をかくようにして腰を下ろした。
「オ前、何者ダ」
「シグムントだ」
「ナンデ毒、効カナイ」
「好き嫌いがないからかも知れん。多分、そう思っているんだがどうだろう……あ、でも虫は苦手だ! 君は虫が好きか?」
あまりにも頓珍漢な答えに、ゴブリンの目はバカを見るような目つきであった。無論、それはシグムントに庇われる形で固まっているアルベルも同じである。
「なあ、聞いても良いだろうか。お前はどうして俺たちを襲った?」
質問に質問で返したが、しかしながら誠意は感じられる。人にとっても魔物にとっても。よくわからない立場に収まってしまったシグムントはというと、相変わらずおっとりと首をおかしげる。
平和ボケしてなければ、出てこない愚かな質問だ。ゴブリンは醜い顔を歪めるように口端を吊り上げて笑う。
「ハン、ソンナモノ……オ前達ガ一番理解シテイルダロウ!」
「ううん……、おんもにはヴィホルダーがいるだろう。あれを説得するのには俺一人では骨が折れそうだ。だから君達に力を貸して欲しかったんだが……」
「殺サレルコトガ分カッテテ挑ム馬鹿ハ人間クライダ。俺達ハソンナ馬鹿ハシナイ!」
「お、おいシグムント、何普通に会話しちゃってんの……相手は魔物だぞ? ……まさか本気か⁉︎」
アルベルは、今すぐにでもこの場から離れたいようだった。人間の常識からすれば、魔物と協力関係を結ぼうとすること自体が異常だ。そんな、明確な嫌悪感はゴブリンへも伝わっていた。
「分カリヤスインダヨ。見下ス目デ全部分カル。オ前ノ背後ニイルジジイハ乗リ気ジャナイ」
「互いに知ろうとしないから齟齬が生まれる。人間が魔物に抱く畏怖は無知からくるものだ」
「俺達ハ馬鹿ジャナイ」
「無論分かっておるよ、すまないとも思っている」
アルベルは取り残されたまま、魔物と堂々と対峙するシグムントの姿に目を見張っていた。しかし、その会話の内容全てをなめらかに理解することは難しかった。
太陽の国としての当たり前。常識が冷静さを奪っていく。アルベルの瞳に映る真実は、シグムントが魔物と通じている可能性、ただ一つである。これは国家的に大問題であった。共にいるアルベルも命が危ぶまれるほどに。
太陽の国の国民なら、魔物と関わることはあってはならない。その当たり前が、シグムントには見当たらなかった。思考してたどり着いた一つのまさかに、アルベルは引き攣りえみを浮かべた。
「し、シグムント……お前、まさか半魔か?」
「え?」
「や、やっぱりな、へ、変だと思ったんだ! お前の容姿はそんなだし、魔物と歩み寄ろうともする! 堕界の半端者が、人のふりをしても人間様には分かるんだよ……‼︎」
「待て、堕界? 何をそんなに興奮しているんだアルベル……」
唐突な豹変に、シグムントは戸惑った。先程まで、普通を振る舞っていたはずのアルベルのツルハシが今、確かな殺意を持ってシグムントの命へと向けられている。
「ホラナ」
「あ、アルベ、ーーーーっ」
銀灰の瞳が見開かれたその時。轟音とともに周囲に砂埃が充満した。礫が飛び散り、突風に背中を押されるように膝を着いたシグムントが慌てて振り返ると、不明瞭な視界の中。丸く光る太陽のようなものが巨大な目玉が、巨体を揺らして姿を現した。
大きな地響きとともに、森の一部が盛り上がった。木の根ごと地べたを突き破るように姿を現した巨大なワームが、すりこぎ状の口を開くようにしてイザルへと狙いを定める。
気味が悪いほど肉付きのいい体が、体節を収縮させる。真上にいるイザルを捕食するつもりだろう、巨躯は落下するイザルを飲みこべく勢いよく体長を引き伸ばした。
「働け糞犬……‼︎ 何している‼︎」
苛立ったイザルの声が、隷属させたフォレストウルフの首輪を締め付ける。恫喝じみた鋭い声に、黒い毛並みを膨らませ大きな咆哮を放った。
恐怖の状態異常は、正しくワームの動きを止めることに成功した。体格の差から、持って数秒程度のわずかな制止力だろう。しかし、それがイザルの狙いであった。
イザルの体が、炎を纏ったままワームの中へと落ちていく。終わりの見えない暗闇の中に吸い込まれて入った途端。ワームの長い胴体の一部が鮮烈に光った。
眩いばかりのオレンジ色の光が踊る炎のように揺らいだかと思うと、魔力で圧縮された高火力の火炎が柔らかな体を内側から破裂させた。
危なげなく地上へ降り立ったイザルは、頭上に結界を展開させると、降り注ぐ肉塊から自らを防ぐ。戦いは終わりに思えた。しかし、イザルの静かな銀灰の瞳は、まだ点在する敵意を見逃しはしなかった。
「何つったってんだ。てめえが使えるかどうかはてめえが示せ」
仲間殺して戻ってこい。冷酷な言葉は、隷属させたフォレストウルフへと向けられていた。
黒い毛並みが大きく震えて、グボリと血液を吐き出した。隷属魔法への抵抗が見られる限り、響くような不快は続くのだ。イザルが放った魔法は禁術の一つだ。魔王城の書物庫から奪い取ったそれは、死霊術師が書いたものだという。
幻惑魔法と服従魔法の重ねがけ。それが、フォレストウルフへとイザルの放った隷属魔法の正体である。
森中に轟くような咆哮が木々を揺らした。それが、二度目の戦いの合図であった。
イザルが地べたを蹴ったと同時に、黒い魔物は大きな体で走り出した。木々が孕む闇の隙間から、溶け出すように次次とフォレストウルフが姿を現す。襲いかかってくる何匹もの魔物たちを、黒い魔物はイザルを守るように巨躯で弾き飛ばす。
「無駄吠えはするな。生きたかったら、根性見せてみやがれ!」
イザルの蹴りが、木の根元をへし折った。耳障りな音を立てて倒れた幹が、フォレストウルフの足を留まらせる。
倒木を飛び越えた一頭の首根を、鋭い牙が貫く。毛を逆立てながら次々と仲間を討つ黒い魔物の働きに、イザルは口元を釣り上げて笑った。
腕を振りかぶって投擲したのは、倒れた木の枝の一本だ。しかし、それはイザルによって針としての役割を持たせるように鋭く強化されている。
「焼けろ」
イザルが指を弾いた。木に突き刺さった枝を避雷針にするかのように、紫の稲妻がを攻撃を仕掛けようとした木型の魔物の体を貫く。鋭い電流は魔物の体を焼き、閃光は枝葉を伝うようにあたり一体の魔物を巻き込んだ。
イザルに抗議するように唸る黒い魔物は、危機を察知するように跳躍しことなきを得た。
このフォレストウルフは特殊な変化を遂げたユニーク種なのかもしれない。イザルは黒い毛並みを撫でるように褒めると、隷属魔法を解いた。
「やりゃあできるじゃねえか」
焼けこげた地べたの匂いが不快だ。黒い魔物、基フォレストウルフの変異種だろう獣の瞳がイザルを見つめる。性質上、狼型の魔物は力を示せば忠誠を尽くすものが多い。赤い瞳に小さく頷くと、イザルは大きな体に跨った。
「俺のいうことを聞け。そうしたら活かしてやる」
隷属術を通して、イザルの魔力が馴染んだのだ。黒い毛並みは元の色に変わることはなかった。大きな鉤爪を、地べたを抉るようにめり込ませる。足元に施されたのは、強化魔法の一つだ。抵抗なく纏うのを確認すると、イザルの手が魔物の首の横を叩いて合図する。
「シグムントには俺の魔力が宿ってる。俺をその場所に連れて行け。そうしたらお前を強い獣に育ててやる」
赤い瞳がちろりと背に跨ったイザルを見やる。その口吻を吊り上げるように犬歯を見せつけると、しなやかな体は一気に駆け出した。
「あんたマジで何にもできないんだな⁉︎」
「うむ、その言葉には語弊がある。俺にもまだ伸び代がある、というのが正解だ」
「自己肯定感だけは一丁前かよお‼︎」
アルベルの情けない声が、地下の遺跡に響き渡った。二人は今、黄土色の土壁が乱立する迷宮のような遺跡の中を駆けずり回っていた。理由は簡単で、今まさに小型の魔物に追われている状況なのである。どうやらヴィホルダーが捕まえたらしいゴブリンが、あろうことか遺跡の中に放たれたのである。
一体何を考えているのかはわからない。ただまずいのは、へなちょこであるシグムントを連れて逃げるのが戦闘経験の少ないアルベルであるということだ。
「投げ入れるならゴブリンじゃなくて食料にしてくれよう!」
「そうだなあ、俺もお腹が空いた。今はりんごの気分だ」
「嬢ちゃんはもちっと危機感を持てえええええ‼︎」
逃げるアルベルの横の壁を、投げられたゴブリンの棍棒が粉砕する。小さく、知能が低くても魔物は魔物だ。アルベルはシグムントの手を引くと、大慌てで背後へと回した。ちんたら走っていては埒が開かないと思ったようだ。どうやら応戦する決意をしたらしい。
長い眉毛の隙間から見えるアルベルの瞳が、きらりと光った。己の筋肉を見せつけるかのように意気込むと、向かってくるゴブリンを前にインベントリからツルハシを引きずり出した。
「あってよかった属性武器‼︎」
「なんだそれは」
「くらえ氷塊の一撃いいいい‼︎」
ブォン!と空を鳴らす勢いで振り下ろされたツルハシが、硬い音を立てて地面へと突き刺さった。その先端が瞬く間に凍りつくと、突進してくるゴブリンへと氷の棘が向かっていく。子供の背丈しかない小さな魔物が、あっという間に氷づけだ。
目の前で見ていたシグムントはというと、まるで幼子のように興奮した目をアルベルに向ける。
「うわあ‼︎ なんだそれかっこいいな! 俺もブォンってしたいなあ、アルベル‼︎」
「だめだあ‼︎ こんな貴重なもんを任せられるかあ‼︎」
コレクター垂涎の属性武器は、その貴重さから市場には出回らない。武器そのものに宿る魔力を使うため、使用者の体の魔力を減らさないことが魅力的な武器の一つである。ただし、使える回数には縛りがあるので、なんの属性も持たない武器に魔力を宿して使う方がよほど使い勝手が良い。
「あと三回しか使えねえからな! 俺ぁこの間これで作った氷溶かして水確保しちまってっから‼︎」
「また氷魔法を宿せばいいだろう」
「できるかあ! 俺は火と風属性しかもってねえもの!」
ツルハシの鋒をゴブリンへと向けて牽制をするアルベルの佇まいは、なんとも頼りない屁っ放り腰である。
そんな様子を馬鹿にしているようだ。ゴブリンたちは凍りついた仲間には見向きもせずに、再びジリジリと詰め寄ってくる。
アルベルがここに立っているのは、もはや意地のようだった。しかし、なけなしの男気を最後まで見せつけることは叶わない。
「お、おい! あんた何やってんだ!」
「まあ待て、俺に時間をくれ」
アルベルの悲鳴混じりの声を背に受けたのはシグムントだ。堂々たる振る舞いでゴブリンの前に出る。何か算段があるのだろうか、その口角は緩やかに持ち上がり、穏やかな眼差しをゴブリンたちへと向けている。
戸惑いは、アルベルだけではない。ゴブリンにも伝染したようだ。緑色の短い手で握る棍棒を、危害を加えるように振り上げる。
「待ちなさい」
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「言葉を解するものはいるかな、俺はシグムント、……訳あって女のふりをしている」
「え、あんた女じゃねえの⁉︎」
「すまんアルベル、これは君にも秘密なんだ。口外はしてくれるなよ」
頓珍漢なことを抜かすシグムントを、アルベルはまじまじと見つめている。妙な状況になった。シグムントと意思疎通ができないのは、ゴブリンだけではなくなってしまった。
静かに顔を青くするアルベルの姿を気にもとめず、シグムントが真っ直ぐに視線を向けたのはひとまわり大きなゴブリンだ。
どうやら一番頭がいいらしい。この小さな群れの年長者なのだろう。深く刻まれた顔の皺を開くようにして、金色の瞳をシグムントへと向ける。その醜悪な顔は、意味ありげに笑みを浮かべていた。
小さな手が、赤紫色のキノコを差し出した。一口齧るだけで死に至る、ヒドクラタケという危険なキノコだ。
「クエ、話シシテヤル」
「し、シグムント、やめろ。そのキノコは」
「ング」
「死んじゃうやつだか、あーーーー‼︎」
静止を待たずに、シグムントは差し出されたキノコをゴブリンの手ずから食らいついた。アルベルの悲鳴が響いた瞬間、ゴブリンは緑色の体を揺らし、シグムントの愚行を指を刺して笑い出した。
きっとキノコの効能を知らなかったのだろう様子に、アルベルは真っ青な顔でシグムントへと駆け寄った。食らったものが生きている話なんて耳にしたことはない。アルベルは震える手でツルハシを再び握りしめると、その切先をゴブリンへと向けた。
「お、お前らっ……?」
しかし、アルベルの勇気は急に黙りこくったゴブリンたちを前に萎んでしまった。
アーモンド型の大きな金色の目は、それはもう大きく見開かれていた。視線の先は目前のシグムントである。緑色の手が、プルプルと震えながら指を刺す。
「んん、ぅん、うん、うん」
「え」
「不味くはない」
「ええええ⁉︎」
ゲェエエ‼︎ アルベルとゴブリンたちの汚い悲鳴が同時に重なった。ゴブリンのうちの一匹が、ゴブリンの長が持つヒドクラタケへと手を伸ばす。確かめるようにバクリと喰らいつけば、短い呻き声をあげて魔素になって消えてしまった。
本物のヒドクラタケで間違いはないようだ。アルベルも、ゴブリンたちも、思わず同じような表情で絶句をしてしまった。シグムントだけは申し訳なさそうに、討伐部位として残ったゴブリンの耳を手に乗せている。
「これでわかったろう? 俺に毒は効かない」
「なにもわかってないんだけどお⁉︎」
間違いなく、状況を理解しているのはシグムントのみであった。置いてけぼりを食らったゴブリンとアルベルの心境は、奇しくも同じである。奇妙な一体感がその場に芽生えるかと思われたその時、しわがれた老人のような声がポツリと落ちた。
「嘘ダロウ……」
「なんだ、君が一番話が分かりそうだと思っている」
「嘘だろう⁉︎」
「アルベル。すまないが俺は今彼と話しているから、君は後でだ」
「う、うそだろう……」
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目前のゴブリンはというと、参ったと言わんばかりの顔でシグムントを見上げた。どうやら諦めたらしい。地べたに胡座をかくようにして腰を下ろした。
「オ前、何者ダ」
「シグムントだ」
「ナンデ毒、効カナイ」
「好き嫌いがないからかも知れん。多分、そう思っているんだがどうだろう……あ、でも虫は苦手だ! 君は虫が好きか?」
あまりにも頓珍漢な答えに、ゴブリンの目はバカを見るような目つきであった。無論、それはシグムントに庇われる形で固まっているアルベルも同じである。
「なあ、聞いても良いだろうか。お前はどうして俺たちを襲った?」
質問に質問で返したが、しかしながら誠意は感じられる。人にとっても魔物にとっても。よくわからない立場に収まってしまったシグムントはというと、相変わらずおっとりと首をおかしげる。
平和ボケしてなければ、出てこない愚かな質問だ。ゴブリンは醜い顔を歪めるように口端を吊り上げて笑う。
「ハン、ソンナモノ……オ前達ガ一番理解シテイルダロウ!」
「ううん……、おんもにはヴィホルダーがいるだろう。あれを説得するのには俺一人では骨が折れそうだ。だから君達に力を貸して欲しかったんだが……」
「殺サレルコトガ分カッテテ挑ム馬鹿ハ人間クライダ。俺達ハソンナ馬鹿ハシナイ!」
「お、おいシグムント、何普通に会話しちゃってんの……相手は魔物だぞ? ……まさか本気か⁉︎」
アルベルは、今すぐにでもこの場から離れたいようだった。人間の常識からすれば、魔物と協力関係を結ぼうとすること自体が異常だ。そんな、明確な嫌悪感はゴブリンへも伝わっていた。
「分カリヤスインダヨ。見下ス目デ全部分カル。オ前ノ背後ニイルジジイハ乗リ気ジャナイ」
「互いに知ろうとしないから齟齬が生まれる。人間が魔物に抱く畏怖は無知からくるものだ」
「俺達ハ馬鹿ジャナイ」
「無論分かっておるよ、すまないとも思っている」
アルベルは取り残されたまま、魔物と堂々と対峙するシグムントの姿に目を見張っていた。しかし、その会話の内容全てをなめらかに理解することは難しかった。
太陽の国としての当たり前。常識が冷静さを奪っていく。アルベルの瞳に映る真実は、シグムントが魔物と通じている可能性、ただ一つである。これは国家的に大問題であった。共にいるアルベルも命が危ぶまれるほどに。
太陽の国の国民なら、魔物と関わることはあってはならない。その当たり前が、シグムントには見当たらなかった。思考してたどり着いた一つのまさかに、アルベルは引き攣りえみを浮かべた。
「し、シグムント……お前、まさか半魔か?」
「え?」
「や、やっぱりな、へ、変だと思ったんだ! お前の容姿はそんなだし、魔物と歩み寄ろうともする! 堕界の半端者が、人のふりをしても人間様には分かるんだよ……‼︎」
「待て、堕界? 何をそんなに興奮しているんだアルベル……」
唐突な豹変に、シグムントは戸惑った。先程まで、普通を振る舞っていたはずのアルベルのツルハシが今、確かな殺意を持ってシグムントの命へと向けられている。
「ホラナ」
「あ、アルベ、ーーーーっ」
銀灰の瞳が見開かれたその時。轟音とともに周囲に砂埃が充満した。礫が飛び散り、突風に背中を押されるように膝を着いたシグムントが慌てて振り返ると、不明瞭な視界の中。丸く光る太陽のようなものが巨大な目玉が、巨体を揺らして姿を現した。
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こじらせた処女
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幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
親友が虎視眈々と僕を囲い込む準備をしていた
こたま
BL
西井朔空(さく)は24歳。IT企業で社会人生活を送っていた。朔空には、高校時代の親友で今も交流のある鹿島絢斗(あやと)がいる。大学時代に起業して財を成したイケメンである。賃貸マンションの配管故障のため部屋が水浸しになり使えなくなった日、絢斗に助けを求めると…美形×平凡と思っている美人の社会人ハッピーエンドBLです。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話
八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。
古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
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