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面倒臭い男
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アルベルを店に送り届けた早朝、依頼達成の報告がてら宿を取ったはいいものの、イェネドは困り果てていた。なぜかというと、三人が同じ部屋で寝泊まりするだなんて微塵も思っていなかったからだ。
「俺はどこで寝るんだ」
疲労感の滲む言葉がポツリと落ちる。イェネドだって疲れたから早く寝たい。けれど二台のベットをどう分けるか決めない限りは、質の良い睡眠にはありつけないだろう。しかし、シグムントはイザルの雌というのが認識だ。イェネドは絶対に間男にはなるつもりもない。寝床の選択を誤るくらいなら、いっそ獣化して床で寝ても構わないだろう。そんな心づもりで顔を上げた時。あろうことかシグムントはとんでもないことを宣った。
「イザル、俺はイェネドと寝る。イザルは意地悪をするからな。そっちの方がきっと具合がいいだろう」
「なんの具合の話してんの⁉︎」
不穏な単語に、長い黒髪を揺らすようにシグムントへと振り返る。しかし、悲しくもイェネドの焦りの発端は自覚がないようだ。呑気に腰掛けたベットをポンポンと叩いて手招いてくる。
しかし、イェネドがその誘いに素直に乗ることはなかった。なぜなら、イェネドの左側から感じる底知れぬ圧力に、命をおびやかされている。いわずもがな、イザルである。
「俺ぁ構わねえぜ、一人の方が気楽だしなあ」
イザルは己の感情を誤魔化す嘘が、ともかく下手くそであった。鼻が利くイェネドでも、目を瞑っても分かるほどの不機嫌を滲ませている。
そのせいで、ついイザルのこめかみの青筋をじっとみつめてしまった。余計なことをしたと自覚を持ったのはその後すぐだ。おかげさまで殺意高めの睨みをお見舞いされたイェネドはというと、ギュン! と勢いよく尻尾を股に挟む羽目になった。
「すまん、俺のボスはこの人だから、シグの言うことは聞けない!!」
「えー!」
「ガタイのいい男と寝る趣味はねえ」
「なら、ボスはシグと寝ればいい。俺はこの空いたベットを使わせてもらうから」
「ッチ‼︎」
無自覚の嫉妬に巻き込まれるつもりなどないイェネドの、機転のきいた提案だ。そして、イザルの舌打ちが、全ての答えとなった。
面倒臭い男。イェネドのなかで、イザルへの新たな評価が付け足された。
「くそが……」
イザルの悪態から、幾分か棘が取れた気がした。イェネドはイザルと場所を入れ替わるようにマットレスへと腰掛けると、パタリと豊かな尾を揺らした。
一方で、次に不服を現したのはシグムントであった。己の希望を汲んでもらえなかったことが不満だったらしい。何よりも、イェネドの被毛で暖をとる計画であったのだ。
目の前では、まさかそんなことを知る由もないイェネドが、獣の姿で腹天に寝転がっていた。不服ではあったが、シグムントも大人である。頬を膨らませたまま寝具にくるまると、ふて寝を決め込もうと丸くなる。
「おいこら、なんでてめえが全部使うんだ、よこせ」
「嫌だ! どうせまた俺のちんちんいじるんだろう!」
「おま、人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ! 誰が好き好んでてめえのちんこなんか」
「ならイェネドのちんちんいじればいいだろう! 俺のちんちんは閉店だ!」
「俺のちんちんも触れられたくはないんだけど……」
「誰が触るかァ‼︎」
イェネドからの批判的な瞳も、全てはシグムントが人聞きの悪いことをいうからだ。イザルが寝具の小山をベシンと叩く。
外はまだ昼間ではあったが、夜通し森を歩いて早朝に帰ってきた体には休息が必要だ。イザルは舌打ちをすると、日差しを拒むように部屋のカーテンを閉める。そのままシグムントを壁際に押しやって横になると、奪い取った寝具にくるまった。
「むうう!」
「ばっ、つんめてぇっ‼︎」
シグムントの体温が背中にくっついた。わかりやすい抗議とともに、イザルの腰の隙間に手を突っ込まれる。ヒヤリとした体温に思わず抗議の声を上げると、今度はイザルの腹で暖をとるように腕を回される。
「体が冷えるから、イェネドで暖をとりたかったのだ」
「…………」
勝手にイザルの服で手を包んで、素肌越しに暖をとる。普通なら振り払うだろう状況だが、ベットが狭くてそんな気も起きない。
むしろ、少しばかしくすぐったい感覚さえある。イザルは寝返りを打った。そのまま細い腰を引き寄せてやれば、腕の中のシグムントがおずおずと見上げてくる。
「寝辛えから大人しくしとけ」
「ぅ、む……」
とがり気味の耳の先が赤い。イザルは少しだけ胸が空くようだった。
心音を確かめるようにおずおずと胸元に頬を寄せるシグムントには、小動物を重ねてしまう。
静かな部屋に聞こえるのは、イェネドのかすかな寝息と時計の針の音。二人分の体温が、互いを優しく包み込んでいく。誰かと寝具を分かち合って寝ることに慣れていないのか、それとも意識をしているのだろうか。
一向に微睡む様子もないシグムントを気にかけたのは、果たして心からの気遣いか。それとも。
「寝ねえのか」
「……ね、寝れない」
「疲れてるって言ってたろ」
「それは、お前もだろう……?」
眠るイェネドを気遣ってか、ささやかな声で会話をする。
「……平気なのかよ」
「うん?」
「だから、……」
落ち込んでいただろう。本当は、そう素直に聞くのが一番に決まっている。しかし、今までイザルは他人を慮ることなどしてこなかった。故に、いざ口にしようとなると、妙に緊張を強いられる。
怒っているわけではないのに、いいあぐねて眉を寄せる。随分と怖い顔をして黙りこくるイザルを、シグムントはただ静かに見つめていた。
「……だから、あれだ。なんか……萎んでたじゃねえか」
結局、唸っても「大丈夫?」という言葉は出てこなかったイザルである。
「……もしかして、俺を心配してくれていたのか?」
「心配とか、そういうんじゃねえ」
間髪入れぬイザルの返答は、実にわかりやすい。
ぶっきらぼうな心配を、シグムントは正しく受け取ったらしい。まろい頬をじんわりと染め上げると、イザルの視線から逃れるように顔を隠す。
シグムントの呼気が胸元にあたって、少しばかしくすぐったい。珍妙な反応をされ、イザルは己が臭いことを言ったのかも知れないと気が滅入った。慣れないことなんてするもんじゃないと、ふて寝を決め込もうとしたときだ。
「お、落ち込んでいた、ほんの、ほんのちょみっとだぞ」
だなんて、シグムントはイザルよりも下手くそに吐露をする。
「ふぅん」
「わ、な、なんだ」
「黙れ、寝づらかったんだよ」
「なんと……」
頭の下に、イザルの腕が差し込まれる。距離が近づいて、シグムントの心臓がいっそう跳ねる。静かな部屋だからこそ、心臓の音まで聞こえてしまいそうだった。
「……なんか、あったんか。あそこで」
視線の行き場をなくしたのは、イザルもまた同じであった。自らの意思で距離を詰めたのに、どこまでも不器用極まりない男である。
しかし、シグムントはわかってしまった。イザルが下手くそなりに慰めようとしてくれることを。
尖り気味の耳がジワリと赤くなる。イザルの匂いを肺いっぱいに吸い込むと、いよいよ涙が滲んできた。
(やっぱり、イザルはずるい。普段はあんなに意地悪なのに、なんでこんな時だけは優しくなるんだ)
イザルの手の体温が、じわじわと強がりをとかしていく。シグムントは、何度もこの手のひらに助けられてきた。気持ち悪がられずに、受け入れてくれる大きな手。それは、いつかのシグムントが焦がれてきた、優しさそのものだった。
「や、やっぱり、ダメなのかなって思ったのだ」
「あ?」
「あんまり、イザルの側にいない方が、いいのかなって……」
それはささやかな声で吐露された、シグムントの本音であった。
イザルは眉を寄せた。小さな勇気を、決して馬鹿にしたわけではない。ただ、他に行き場もないシグムントが、何を思ってそんなことを言い出したのかが気になったのだ。
目の前の頭の悪い元魔王が、隠し事などできるような男じゃないことも理解してあまりある。目から滲む涙の原因は、きっとイザルの預かり知らぬところで生まれたのだろう。答えは自ずと見つかった。
「アルベルに、なんか言われたのか」
「や、ええと」
「お前は、一人に戻りたいのか」
息を呑むシグムントに、イザルは確信した。アルベルは太陽の国の国民らしく、魔物や半魔を嫌悪している。そして、この国では魔物に取り入るものは犯罪者のように扱われるのだ。
おそらく、シグムントがヘマをしたときに罵倒されたのだろう。そんな予測が、容易くできてしまう。
イザルの指摘に、いよいよシグムントは黙りこくった。イザルをまっすぐに見つめかえしたまま、ポロポロと涙をこぼす。
まさか、泣くとは思わなかったらしい。イザルの目が静かに見開かれると、シグムントの小さな手は、慌てて視界からイザルを遮った。
「そ、その、質問は、ず、ずるい……っ」
「な、何がだ」
「だ、だって、ひ、一人はもう嫌だ、っ……うぅ……っ」
だけど、イザルが俺のせいで悪者になるのは、もっと嫌だ。声を震わせて小さく呟いたシグムントの言葉に、今度はイザルが口を真一文字に引き結んだ。
少しだけ可愛いと思ってしまったのが、くやしかったのである。
イザルは、己の眼の前で顔を覆うシグムントの手にそっと触れると、手を握るようにして顔から遠ざける。涙と鼻水で、べしょべしょになるほど泣いていたらしい。せっかく可愛いと思ったばかりなのに、随分と締まらない顔だ。
イザルはそんなシグムントに呆れたような目を向けると、着ていた服を引っ張って顔を拭ってやった。
「ひ、一人、嫌だあ……っ」
「わーった、わかったからもう泣くなっつの」
「うぅ、えっえぇ……っ」
ちびっ子か。夜泣きか。イザルはシグムントの背に両腕を回すと、慰めるように頭を撫でてやった。胸元の生地がどんどんと湿ってくるのを感じながら、少しだけ気が抜けてしまった。
離すものかと言わんばかりに、ひしりとしがみつかれる。イザルが呆れ混じりの溜め息を吐けば、ガバリと胸元から顔を上げたシグムントが、再び目元を潤ませる。
戦慄く濡れた唇に、とろけた形のいい瞳。イザルは無骨な指でシグムントの目元を拭ってやると、後頭部に手のひらを回して、先程よりもキツく抱き締める。
「ぅ……、く、くるし、ぃ……っ」
「慰めんの、どうすりゃいいんだ」
「ヘぁ……」
「これで、泣き止むのかお前」
このままシグムントが泣き続けるのは、すごく困る。イザルが泣かせたわけではないが、原因が己のそばから離れたくないと知った今。いつもの調子で無碍に扱うことなどどうしてできようか。
シグムントの体温が熱い。嗚咽を堪える姿が、少しばかり可愛く思えてしまった。とろめくような銀髪越しに、額に唇を寄せる。体の輪郭を確かめるように求め合ったあの日の夜も、思えばこんなふうに抱きしめたっけか。
「ん?」
シグムントが身じろいで、小さな手のひらが、イザルの唇を遮るように己の額に触れた。
顔を覗き込めば、真っ赤に熟した顔で見つめ返してくる。
「お、おでこ……が、すきなのか」
緊張を宿す震え気味の言葉に、思わず固まった。
そんなの、まるで。……そういうことなのか。イザルは確かめるように、手をシグムントの頬に添えてみる。
すると、おずおずと手のひらに頬を寄せて下手くそに甘えてくる。なるほど、イザルは頭の中で最適解を導き出した。とはいってもシグムントに漬け込んだ、自己都合な答えではあるが。
「俺は、こっちの方が好きだ」
「ま、っんん」
ずるい大人と罵られても、いまなら素直に受け入れるかもしれない。
イザルは制止の声を飲み込むように、その濡れた唇を塞いでいた。
「俺はどこで寝るんだ」
疲労感の滲む言葉がポツリと落ちる。イェネドだって疲れたから早く寝たい。けれど二台のベットをどう分けるか決めない限りは、質の良い睡眠にはありつけないだろう。しかし、シグムントはイザルの雌というのが認識だ。イェネドは絶対に間男にはなるつもりもない。寝床の選択を誤るくらいなら、いっそ獣化して床で寝ても構わないだろう。そんな心づもりで顔を上げた時。あろうことかシグムントはとんでもないことを宣った。
「イザル、俺はイェネドと寝る。イザルは意地悪をするからな。そっちの方がきっと具合がいいだろう」
「なんの具合の話してんの⁉︎」
不穏な単語に、長い黒髪を揺らすようにシグムントへと振り返る。しかし、悲しくもイェネドの焦りの発端は自覚がないようだ。呑気に腰掛けたベットをポンポンと叩いて手招いてくる。
しかし、イェネドがその誘いに素直に乗ることはなかった。なぜなら、イェネドの左側から感じる底知れぬ圧力に、命をおびやかされている。いわずもがな、イザルである。
「俺ぁ構わねえぜ、一人の方が気楽だしなあ」
イザルは己の感情を誤魔化す嘘が、ともかく下手くそであった。鼻が利くイェネドでも、目を瞑っても分かるほどの不機嫌を滲ませている。
そのせいで、ついイザルのこめかみの青筋をじっとみつめてしまった。余計なことをしたと自覚を持ったのはその後すぐだ。おかげさまで殺意高めの睨みをお見舞いされたイェネドはというと、ギュン! と勢いよく尻尾を股に挟む羽目になった。
「すまん、俺のボスはこの人だから、シグの言うことは聞けない!!」
「えー!」
「ガタイのいい男と寝る趣味はねえ」
「なら、ボスはシグと寝ればいい。俺はこの空いたベットを使わせてもらうから」
「ッチ‼︎」
無自覚の嫉妬に巻き込まれるつもりなどないイェネドの、機転のきいた提案だ。そして、イザルの舌打ちが、全ての答えとなった。
面倒臭い男。イェネドのなかで、イザルへの新たな評価が付け足された。
「くそが……」
イザルの悪態から、幾分か棘が取れた気がした。イェネドはイザルと場所を入れ替わるようにマットレスへと腰掛けると、パタリと豊かな尾を揺らした。
一方で、次に不服を現したのはシグムントであった。己の希望を汲んでもらえなかったことが不満だったらしい。何よりも、イェネドの被毛で暖をとる計画であったのだ。
目の前では、まさかそんなことを知る由もないイェネドが、獣の姿で腹天に寝転がっていた。不服ではあったが、シグムントも大人である。頬を膨らませたまま寝具にくるまると、ふて寝を決め込もうと丸くなる。
「おいこら、なんでてめえが全部使うんだ、よこせ」
「嫌だ! どうせまた俺のちんちんいじるんだろう!」
「おま、人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ! 誰が好き好んでてめえのちんこなんか」
「ならイェネドのちんちんいじればいいだろう! 俺のちんちんは閉店だ!」
「俺のちんちんも触れられたくはないんだけど……」
「誰が触るかァ‼︎」
イェネドからの批判的な瞳も、全てはシグムントが人聞きの悪いことをいうからだ。イザルが寝具の小山をベシンと叩く。
外はまだ昼間ではあったが、夜通し森を歩いて早朝に帰ってきた体には休息が必要だ。イザルは舌打ちをすると、日差しを拒むように部屋のカーテンを閉める。そのままシグムントを壁際に押しやって横になると、奪い取った寝具にくるまった。
「むうう!」
「ばっ、つんめてぇっ‼︎」
シグムントの体温が背中にくっついた。わかりやすい抗議とともに、イザルの腰の隙間に手を突っ込まれる。ヒヤリとした体温に思わず抗議の声を上げると、今度はイザルの腹で暖をとるように腕を回される。
「体が冷えるから、イェネドで暖をとりたかったのだ」
「…………」
勝手にイザルの服で手を包んで、素肌越しに暖をとる。普通なら振り払うだろう状況だが、ベットが狭くてそんな気も起きない。
むしろ、少しばかしくすぐったい感覚さえある。イザルは寝返りを打った。そのまま細い腰を引き寄せてやれば、腕の中のシグムントがおずおずと見上げてくる。
「寝辛えから大人しくしとけ」
「ぅ、む……」
とがり気味の耳の先が赤い。イザルは少しだけ胸が空くようだった。
心音を確かめるようにおずおずと胸元に頬を寄せるシグムントには、小動物を重ねてしまう。
静かな部屋に聞こえるのは、イェネドのかすかな寝息と時計の針の音。二人分の体温が、互いを優しく包み込んでいく。誰かと寝具を分かち合って寝ることに慣れていないのか、それとも意識をしているのだろうか。
一向に微睡む様子もないシグムントを気にかけたのは、果たして心からの気遣いか。それとも。
「寝ねえのか」
「……ね、寝れない」
「疲れてるって言ってたろ」
「それは、お前もだろう……?」
眠るイェネドを気遣ってか、ささやかな声で会話をする。
「……平気なのかよ」
「うん?」
「だから、……」
落ち込んでいただろう。本当は、そう素直に聞くのが一番に決まっている。しかし、今までイザルは他人を慮ることなどしてこなかった。故に、いざ口にしようとなると、妙に緊張を強いられる。
怒っているわけではないのに、いいあぐねて眉を寄せる。随分と怖い顔をして黙りこくるイザルを、シグムントはただ静かに見つめていた。
「……だから、あれだ。なんか……萎んでたじゃねえか」
結局、唸っても「大丈夫?」という言葉は出てこなかったイザルである。
「……もしかして、俺を心配してくれていたのか?」
「心配とか、そういうんじゃねえ」
間髪入れぬイザルの返答は、実にわかりやすい。
ぶっきらぼうな心配を、シグムントは正しく受け取ったらしい。まろい頬をじんわりと染め上げると、イザルの視線から逃れるように顔を隠す。
シグムントの呼気が胸元にあたって、少しばかしくすぐったい。珍妙な反応をされ、イザルは己が臭いことを言ったのかも知れないと気が滅入った。慣れないことなんてするもんじゃないと、ふて寝を決め込もうとしたときだ。
「お、落ち込んでいた、ほんの、ほんのちょみっとだぞ」
だなんて、シグムントはイザルよりも下手くそに吐露をする。
「ふぅん」
「わ、な、なんだ」
「黙れ、寝づらかったんだよ」
「なんと……」
頭の下に、イザルの腕が差し込まれる。距離が近づいて、シグムントの心臓がいっそう跳ねる。静かな部屋だからこそ、心臓の音まで聞こえてしまいそうだった。
「……なんか、あったんか。あそこで」
視線の行き場をなくしたのは、イザルもまた同じであった。自らの意思で距離を詰めたのに、どこまでも不器用極まりない男である。
しかし、シグムントはわかってしまった。イザルが下手くそなりに慰めようとしてくれることを。
尖り気味の耳がジワリと赤くなる。イザルの匂いを肺いっぱいに吸い込むと、いよいよ涙が滲んできた。
(やっぱり、イザルはずるい。普段はあんなに意地悪なのに、なんでこんな時だけは優しくなるんだ)
イザルの手の体温が、じわじわと強がりをとかしていく。シグムントは、何度もこの手のひらに助けられてきた。気持ち悪がられずに、受け入れてくれる大きな手。それは、いつかのシグムントが焦がれてきた、優しさそのものだった。
「や、やっぱり、ダメなのかなって思ったのだ」
「あ?」
「あんまり、イザルの側にいない方が、いいのかなって……」
それはささやかな声で吐露された、シグムントの本音であった。
イザルは眉を寄せた。小さな勇気を、決して馬鹿にしたわけではない。ただ、他に行き場もないシグムントが、何を思ってそんなことを言い出したのかが気になったのだ。
目の前の頭の悪い元魔王が、隠し事などできるような男じゃないことも理解してあまりある。目から滲む涙の原因は、きっとイザルの預かり知らぬところで生まれたのだろう。答えは自ずと見つかった。
「アルベルに、なんか言われたのか」
「や、ええと」
「お前は、一人に戻りたいのか」
息を呑むシグムントに、イザルは確信した。アルベルは太陽の国の国民らしく、魔物や半魔を嫌悪している。そして、この国では魔物に取り入るものは犯罪者のように扱われるのだ。
おそらく、シグムントがヘマをしたときに罵倒されたのだろう。そんな予測が、容易くできてしまう。
イザルの指摘に、いよいよシグムントは黙りこくった。イザルをまっすぐに見つめかえしたまま、ポロポロと涙をこぼす。
まさか、泣くとは思わなかったらしい。イザルの目が静かに見開かれると、シグムントの小さな手は、慌てて視界からイザルを遮った。
「そ、その、質問は、ず、ずるい……っ」
「な、何がだ」
「だ、だって、ひ、一人はもう嫌だ、っ……うぅ……っ」
だけど、イザルが俺のせいで悪者になるのは、もっと嫌だ。声を震わせて小さく呟いたシグムントの言葉に、今度はイザルが口を真一文字に引き結んだ。
少しだけ可愛いと思ってしまったのが、くやしかったのである。
イザルは、己の眼の前で顔を覆うシグムントの手にそっと触れると、手を握るようにして顔から遠ざける。涙と鼻水で、べしょべしょになるほど泣いていたらしい。せっかく可愛いと思ったばかりなのに、随分と締まらない顔だ。
イザルはそんなシグムントに呆れたような目を向けると、着ていた服を引っ張って顔を拭ってやった。
「ひ、一人、嫌だあ……っ」
「わーった、わかったからもう泣くなっつの」
「うぅ、えっえぇ……っ」
ちびっ子か。夜泣きか。イザルはシグムントの背に両腕を回すと、慰めるように頭を撫でてやった。胸元の生地がどんどんと湿ってくるのを感じながら、少しだけ気が抜けてしまった。
離すものかと言わんばかりに、ひしりとしがみつかれる。イザルが呆れ混じりの溜め息を吐けば、ガバリと胸元から顔を上げたシグムントが、再び目元を潤ませる。
戦慄く濡れた唇に、とろけた形のいい瞳。イザルは無骨な指でシグムントの目元を拭ってやると、後頭部に手のひらを回して、先程よりもキツく抱き締める。
「ぅ……、く、くるし、ぃ……っ」
「慰めんの、どうすりゃいいんだ」
「ヘぁ……」
「これで、泣き止むのかお前」
このままシグムントが泣き続けるのは、すごく困る。イザルが泣かせたわけではないが、原因が己のそばから離れたくないと知った今。いつもの調子で無碍に扱うことなどどうしてできようか。
シグムントの体温が熱い。嗚咽を堪える姿が、少しばかり可愛く思えてしまった。とろめくような銀髪越しに、額に唇を寄せる。体の輪郭を確かめるように求め合ったあの日の夜も、思えばこんなふうに抱きしめたっけか。
「ん?」
シグムントが身じろいで、小さな手のひらが、イザルの唇を遮るように己の額に触れた。
顔を覗き込めば、真っ赤に熟した顔で見つめ返してくる。
「お、おでこ……が、すきなのか」
緊張を宿す震え気味の言葉に、思わず固まった。
そんなの、まるで。……そういうことなのか。イザルは確かめるように、手をシグムントの頬に添えてみる。
すると、おずおずと手のひらに頬を寄せて下手くそに甘えてくる。なるほど、イザルは頭の中で最適解を導き出した。とはいってもシグムントに漬け込んだ、自己都合な答えではあるが。
「俺は、こっちの方が好きだ」
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