20261月末に非公開予定 アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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健康診断の本当 

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「くっっっっさい‼︎」

 狭い部屋に響いたのは、イェネドの悲鳴だ。種族柄敏感な嗅覚が、部屋に充満する二人の匂いに耐えきれず、鼻を両手で塞いだのだ。
 
「うるせえ……朝からでけえ声出してんじゃねえぞクソ犬……」
「どんな繁殖をしたんだ一体! うわ、ゲロ‼︎」
「片付けりゃあいいだろうが、ったく……おらシグムント、起きろ朝だ」
「ううん……まだその時ではない……」

 どれだけ激しい繁殖をしたら、こんなにベットが汚れるのだとイェネドは思った。獣の巣穴のような惨状を、室内にいて体験するとは不思議なこともあるものだ。イェネドは大慌てで窓へと飛びつくと、換気を図るために窓を全開にした。

「シグムント」
「んん……」

 イェネドの背後で、イザルがシグムントを再び起こす声がした。二度目の忠告だ。いよいよ怒りだすのも目に見えている。イェネドはくるだろうイザルの怒声に耐えられるよう、大きなお耳をへたりと伏せる。しかし、いくら待てど、その怒声が飛んでくることはなかった。

「……仕方ねえな」
「……⁉︎」

 わずかに甘さを含む嘆息に、イェネドはギョッとして振り向いた。声の主が、本当にイザルであるかも確かめる必要があったのだ。
 大きな獣耳を研ぎ澄ますように、イェネドはくしくしと耳を刺激する。もしかしたら、聞き間違いかもしれないと思ったらしい。しかし自慢の耳は相変わらず、微かな生活音や小鳥の囀り。木々のさわめきなどをしっかりと捉えていた。

 (聞き間違いなんかじゃ、ないっ)

 イェネドは慌てて背後へと視線を向けた。赤い瞳がとらえたのは、イザルの無骨な手が優しく寝ているシグムントの頬を撫でる瞬間であった。
 何か見てはいけないものを目の当たりにしてしまったような、そんな心地を覚える。いつも顔に不機嫌を貼り付けているイザルだからこそ、浮かべる柔らかな表情にイェネドは戸惑った。

「……ボス」  
「ボスはやめろ」
「イザル。あんたたちは……水浴びをしてきた方がいい」
「……ああ、そうだな」

 素直に言葉を受け入れるイザルを前に、やはりイェネドは間違いないと確信した。ウェアウルフの雄が気に入りの雌を隣に置くように、イザルもまたシグムントを雌の位置に収めたのだと。そう思ったのだ。
 群れの強い雄は、隣を許せる存在がいるかいないかで影響力も変わってくる。イザルが小さな群れのボスであることを自覚したからこそ、唯一の雌であるシグムントを隣に侍らせることにしたのだろう。
 イェネドの尾が静かに揺れる。イザルへと向き直ると、己の寝ていたベットを指差した。

「俺のベットなら綺麗だから、そこを使うといい。どうせイザルが先に水浴びをしに行くんだろう」
「また寝やがったからな、こいつ」

 それは、ボスがそうさせたからだろう。思わず口に出そうになった言葉を、イェネドは慌てて堪えた。
 イザルはシグムントを綺麗なベットに移すなり、部屋の惨状を何事もなかったかの整えてしまった。清潔魔法とは実に便利なものである。結局、イザルはそのまま面倒をイェネドに押し付けて出ていってしまった。
 昨日の今日で、あからさまにシグムントへの扱い方が変わったイザルに対し、若干の呆れを覚えたらしい。イェネドは疲れたようなため息を吐くと、シグムントへと目を向けた。

「……イザルならもう行ったから、起きてもいないぞ」
「俺は寝ているぞ、イェネド」
「寝息までは上手かったけど、俺にはわかるぞ。しゃべってるし」
「なんと!」

 寝たふりをして誤魔化しても、騙せるのは寝ぼけたイザルだけだろう。薄目を開くように周囲を確認するシグムントの目元は、散々泣かされたせいだろう、赤くなっていた。
 シグムントに手招かれるまま、イェネドが床にあぐらをかく。その表情は、わかりやすく渋い顔をしていた。

「イザルが変だ、気持ち悪い。俺の知っているボスじゃない」
「ウンウン、お前は鼻が効くなあ。あいつは照れておるだけだよ、何も心配することはない」
「照れているだけ?」
「うむ、ほら、昨晩は俺が可愛がってしまっただろう?」
「可愛がられたのはシグの方だと、俺の鼻が言っている……」

 一体どんな勘違いをすればそんな解釈になるのだ。容赦なく訂正を入れたイェネドは、この数十分足らずでキチンと自分の意見が言えるようになってしまった。

「だっておしっこ漏らしたのもシグだろう」
「なんと!」
「あとシグからイザルの精液の匂いもするから、シグが雌だと思う」
「ええ、そんな匂いするかあ?」
「ウェアウルフだから、わかるんだそういうの」

 ふうん。気のない返事をしたシグムントが、いそいそと体を起こす。昨晩シグムントが粗相をする羽目になったのはイザルのせいだ。今だ認めたくない事実であるが、バレてしまったものは致し方あるまい。
 しかし、シグムントには一つだけイェネドに訂正を要求する必要があった。

「いいか、俺は雌ではないぞ。みまごうことなき雄だ。ちんちんも生えている」
「でも、シグはイザルと繁殖をしただろう。精液を受けとめた方が雌だというのが、世の中の常識じゃないのか」
「繁殖なんてしていないさ。あれは俺の体の健康診断だとイザルが言っていたからな」

 実に誇らしげに曰うシグムントを前に、イェネドは眉を寄せた。あの惨状を見せつけておいて、健康診断を受けただけだと。一体どうして言い逃れができると思ったのだろう。

「健康診断で、ゲロは吐かない」
「むう……」
「昨日、イザルになんて言われたんだ」
「うん?」

 イェネドの赤い瞳が、問い詰めるようにシグムントへと向けられる。もしイザルがシグムントを番いとして認めるのなら、イェネドはイザル以上にシグムントを気にかけなくてはけない。
 群れのボスを優先しすぎるが故に番いである雌を奪われることは、群れの存続に関わる。それがウェアウルフの常識であるからだ。
 生真面目な顔をして見つめてくるイェネドを前に、シグムントはゆっくりと首を傾げる。しばらく逡巡するかのような沈黙が続いたが、ようやく何かを思い出したらしい。ぽん、と手を叩いてシグムントは宣った。

「ああそうだ、いつか犯すと言われたなあ」
「雌じゃん‼︎ それはもう雌だぞシグ‼︎」
「ええ? 俺はちんちんも」
「ちんちんあるかどうかはこの際どうだっていいんだよ‼︎ やっぱり健康診断なんかじゃなくて、あれは繁殖だって‼︎」

 イェネドの自慢の狼の尾が、ブワリとふくらんだ。やはりイザルはイェネドにとっての最高の雄だということを噛み締めたのだ。唯一の雌がいる群れは、雌を守ることに注意を払うので連携も取りやすい。ウェアウルフとしての種族柄の忠誠心を存分に満たすことも、もちろん可能だ。
 イェネドはシグムントの手を握りしめると、ブンブンと尾を振り回して喜んだ。

「やっぱり、俺はイザルをボスにしてよかった。諦めていた今生だったが、上等な雄の群れに加わることができた俺は、なんて幸運なのだろう!」
「おお、やけにご機嫌だなあ、というか、雄同士では繁殖はできぬよ。そのくらいの常識は俺にもある」
「できるぞ。尻の穴を使うんだ。知らないのか?」
 
 イェネドの言葉に、今度はシグムントが呆気に取られた。二人揃って、同じ方向へと首を傾げる。互いに何がわからないのかがわからないと言ったところだろう。
 シグムントはというと、緩慢な思考を掻き分けるように、一つの記憶が主張をしてきた。それは、イザルの『いつか犯す』という言葉であった。
 犯すとは、もしかして本当の意味での犯すなのだろうか。能天気なシグムントからしてみれば、男の体を持つ己に向ける言葉ではないと、勝手に冗談扱いをしていたものだ。
 口を開け、首を傾げたままのシグムントを、イェネドはいい子におすわりをして見つめていた。きっと、意味はわかってないんだろうなあと、そんなことを思いながら。
 案の定、シグムントの復活には五分程度の時間を要した。そしてようやっと首の位置を戻すなり、寝起きのような緩慢な口調で、何かを確認するかのように言った。

「犯すというのは、……俺の領地を犯すという話か」
「シグムントの尻が領地だと当てはめるのなら、そうだな!」
「ほわぁ……なるほどなあ……」

 にこりと笑みを浮かべて元気に答えるイェネドに、容赦はなかった。
 シグムントの顔色が、首の根本からドンドンと真っ赤に染まっていく。どうやら今までイザルによって健康診断だと言われてきた行為が、繁殖行為の前段階のものであると理解したらしい。
 静かなる羞恥に煽られ、今にも狭い穴へと逃げ込みたいシグムントの様子を、イェネドは不思議そうに、先ほどとは反対方向へと首を傾げて見つめている。
 
「雌なら交尾は遅かれ早かれするだろ。何照れてん……む?」

 イェネドの大きなお耳がピクンと跳ねる。風呂から上がったらしい、さっぱりとしたイザルの匂いに勘付くと、イェネドは尻尾を振りながら立ち上がった。ベットの上でのたうち回るシグムントは全く持って気にしてもいない。優先順位で言えば、イェネドの中では群れのボスであるイザルがいつだって一番だ。

「シグの雄が戻ってきたぞ」
「ま、待て心の準備がっ」
「心の準備ってなんの話だ」
「ウワァーーーー‼︎」

 シグムントの制止も虚しく、イェネドは扉を開けてしまった。大きな声に、耳を抑えたイザルが顔を顰める。寝起きから元気なシグムントへと顔を向けると、いつもの調子で頭を叩いた。

「やかましいわ」
「ひゃいんっ」
「ね、閨教育などと、最初から言ってくれればよかったではないかあーー‼︎」
「うわうるさ」
「健康診断っていうのはダメだぞボス!」
 
 
 イェネドの言葉に、イザルはようやくシグムントがやかましい理由を理解した。余計なことをいうなと言わんばかりの視線をイェネドに向ければ、素早く顔を逸らされる。

「俺が俺のもんにマーキングして何が悪いってんだ。ああ?」
「治安の悪い顔でものすごく理不尽なことをいう」
「俺の尊厳もちんちんもイザルが握ってしまったから、って、そういことではないぞイザル……‼︎」

 新たな事実を知った上でシグムントが問いただしたいのは、なぜイザルがすぐバレるような嘘をついたかである。
 この際体に施された数々の悪戯は横に置いておくとしても、理由くらいは聞いてもいいだろう。シグムントは己の隣をバシバシと手で叩くと、イザルへ座るように促した。

「ちゃんと俺の目を見て、本当のことを言いなさい」
「なんで説教されてんだ俺は」

 渋い顔をしながらも比較的素直にベットへと腰掛けたイザルは、ここ数日で随分と丸くなった。
 小さな手が、イザルの手をぎゅっと握りしめる。諭すような口調で問いかけるシグムントの姿は、さながら子供の悪戯を咎める親である。

「いいか、かっこいい男は、嘘をつかないのだぞ」
「セックスさせろって言ったらヤらせてくれんのか」
「こ、子供がセックスとかいうな‼︎」
「この体格の男捕まえておいて子供とかいうなロリジジイ」

 イザルのあまりの言種に吹き出したイェネドとは正反対に、シグムントは声のない悲鳴をあげてしまった。己に対するロリジジイ発言も鼻持ちならないが、セックスという露骨な言葉に羞恥心を煽られたのだ。
 
「男の俺に情欲を煽られていたというのか。うう……なんてことだ、俺の魅力もついにイザルに状態異常として付与されてしまうとは……」
「なあもうこの話終わりにしていいか。こうなったらシグムントはしばらく戻ってこねえからよ」
「なんだかシグのことを可哀想な目で見てしまうな」
「そういう病気なんだ、仕方ねえだろう」

 可哀想なものを見る目をイェネドから向けられているシグムントは、全裸のまま打ちひしがれていた。そのくせ時折赤い顔でうんうん唸っている姿から察するに、求められることもやぶさかではないと言ったところだろう。
 しかし、イザルは随分と不機嫌な顔をしていた。シグムントによって子供扱いを受けたことを、腹に据えかねているらしい。魔物や魔族の年齢と人の年齢を比べる方が愚かだが、不機嫌なイザルにそれを指摘する勇気を持つ魔族はここにはいなかった。
 きっとイマカなら、やすやすと言ってのけただろう。この場にいない、新しくできたばかりの友人を思うイェネドの鼻が、不意に嗅ぎ慣れぬ匂いをとらえた。

「……ボス」
「ああ?」
「なんか、ボスみたいな匂いがする」

 イェネドの言葉に、イザルが眉を寄せる。言葉の意味を問いかけようとしたその時、部屋の扉が控えめにノックされた。
 
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