20261月末に非公開予定 アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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カルマイン編

不本意な事態

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 その頃オルセンシュタイン家の一室では、重々しい空気が流れていた。
 アデリーナが焼く菓子の匂いだけが、唯一主張を許されている。日を跨ぐまで残り一刻を超えた今、揃いも揃って治安の悪い風体のものが、胸高鳴らせて焼き菓子を待っているわけでは当然ない。
 指を組むように俯いていた、ルシアンの眉間の皺がより一層深くなる。そして我慢ならないと言わんばかりに立ち上がった。

「シグは可愛いから、もしかしたら誘拐されてしまったのかもしれない」
「普通に考えてそれはねえだろ。そんなことになったら、まずイェネドが真っ先に青い顔して取り返しに行くに決まってる」
「……そうかも。いやでもあいつ結構頭悪いからな……」

 イザルの言葉に納得してしまうあたり、じわじわ毒されてきている。口には出さなかったが、メイディアは少しばかし負けたような気分になる。
 しかし、お散歩はこうも長引くものなのだろうか。腹が空いただけで気持ち悪くなって、メソメソと泣き始めるシグムントだ。散歩よりも誘拐よりも、徘徊の線が濃いのではないかと思うなどした。何せ体力バカのイェネドがおともだ。シグムントが散歩と言ったら、イェネドはなんの疑いもなくついていきそうではある。
 しかしメイディアには一つの不安があった。それは、森の中の塔のことだ。長年使っていないが、あの場所はできるのなら近づいてほしくはない。何せ小さいが小動物の魔物が出る。何よりも、あの塔はこの屋敷と地下で繋がっているのだ。緑の強いヘーゼルの瞳がわずかに細められる。

「俺見てこようかな。この辺、魔物は出ねえけど獣は出るし」
「なら私も行こう。腹ごなしがしたいところだった」
「ありがてえですけど、森で暴れるつもりじゃないですよねセタンナ隊長」
「なら俺も……」
「でかい男を何匹も連れて歩くつもりはない。お前らは帰ってくる可能性を考えて待機しておけ」

 メイディアの質問を無視したセタンナがその場を取り仕切る。帰ってくる可能性は確かになきにしもあらずではあった。イザルは文句もないのだろう、片手をあげるだけを返事にした。不服そうなのはルシアンだけである。
 さて行くか。やる気のセタンナの背後でメイディアのため息が漏れる。苦労性の性を背負って覚悟を決めたのも束の間で、どこからか聞こえてきた慌ただしい足音に顔をあげる。

 バンバン! 壁を叩く音がして、思わず四人の動きが止まる。扉の外でアデリーナの声がして、近くにいたイザルが扉を開いた。しかし、その両手は軽食の乗ったトレイで塞がれていた。

「まさか壁は蹴らねえよな」
「まあ、私が? 嫌だわ、そんなことしませんよ」
「じゃあ、一体だ」

 誰が。その言葉を遮るように、今度はカリカリと壁を引っ掻く音がする。アデリーナも交えて、大人五人は顔を見合わせた。それぞれの顔に浮かんだのは、一つのまさかだ。
 壁を叩く音、そして、引っ掻く音。夜更け、古い屋敷の一角でそれは起こったのだ。もしかすれば、ゴーストの仕業かもしれない。問いただすような視線が屋敷の主へと向けられる。しかし、渋い顔をしたメイディアから帰ってきたのは否定だった。

「いやこれは」
「にゃあああああああ‼︎」
「うぎゃああああああ‼︎」

 メイディアが話し終えるよりも先に、壁を突き破ってイェネドが飛び出してきた。その首につながるリードには、情けない悲鳴をあげるシグムントがくっついている。
 細かな礫を撒き散らし、ハカハカと満足げに床の匂いを嗅いだイェネドが、その鼻先をメイディアへと向ける。シグムントはというと、両脇に手を差し込まれるようにして、ルシアンに持ち上げられていた。

「ちょっとぉ!  俺んちの壁なんですけどぉ⁉︎」
「きゃわん」
「かわい子ぶってんじゃねえ金玉引きちぎるぞ」
「ヴっゔっ……ご、ごわがった……っ」

 ルシアンにしがみついていたシグムントが、濡れた顔であたりを見渡す。どうやら自分たちが無事にメイディアのいる屋敷へと戻ってきたことを確認すると、くすんと鼻を鳴らした。

「なんだ。地下通路はここにつながっていたのか」
「地下通路……っておい! まさか塔の中にはいったのか⁉︎」
「メイディア怒るな。こうしてシグムントは無事だったんだ、よしとしようじゃないか」
「てめえいつの間に彼氏面してんだ、ああ?」

 シグムントを抱きしめたまま真剣な顔を向けるルシアンの頭を、イザルが強かに叩く。しかし、シグムントの口にした地下通路という言葉には、イザルも興味がないわけではない。
 突き破った壁の中を覗き込めば、確かに上り坂のようになっていた。おそらく空間魔法が施されているのだろう、かすかに魔力の残滓も感じる。
 壁の破片を塵取りで集めるアデリーナに珍しくイザルが謝罪すると、シグムントが意外そうな顔をした。

「イザルも人に謝ることがあるのか」
「てめえのやらかしを代わりに謝ってやったんだクソが」
「なんかそれって……いいや、なんでもない」

 イザルのその行動の方が、よっぽどルシアンよりも恋人面をしている。メイディアは出かけた言葉をなんとか飲み込むと、シグムントとイェネドに一発ずつ拳骨をお見舞いした。

「いだぃっ」
「ぎゃゎっ」
「お前らなんでお兄ちゃんのいうこと聞けないんだろうねええ⁉︎」
「し、仕方ないんだ、のっぴきならぬ事情というものが俺たちにはあってだなっ」
「ほー、ならそののっぴきならぬ事情というのをお聞かせ願おうじゃないの。イザル、あんたは魔法で壁の穴治して」
「通気性良くていいんじゃねえか」
「いいわけねえだろうがボケナスが」

 いうようになったものである。メイディアを前に、ルシアンは人知れず成長を感じていた。無意識にセタンナの方を見てしまったのは仕方がないだろう。
 シグムントはというと、まるで制止を求めるかのように両手を前に突き出していた。のっぴきならない事情というものはわからないが、確かに急いで逃げてきたのであろう風体であることは見て取れる。
 外套は埃まみれだし、ブーツからは土が溢れている。よくよく見れば、イェネドに至っては黒い毛のそこかしこに木っ端をくっつけている。アデリーナの顔が心なしか引き攣っているのも理解はできる。
 無骨なイザルの手が白銀の髪に絡まる葉を一枚取ってやるのとほぼ同時に、シグムントはとんでもないことを抜かした。

「俺、王様にあったんだ!」
「ぎゃわんっ」

 シグムントの声に同意するようにイェネドが吠える。
 頬をわずかに染め、やや興奮気味に宣ったシグムントの言葉は、室内に静かに溶け込んだ。その銀灰の瞳は、まるで他のみんなの反応を期待するようであった。
 しかし、いつまで経っても驚くような反応は見られない。その沈黙はおおよそ一分にもみたないひと時であった。不思議そうに首を傾げるシグムントを前に、イザルだけはその顔立ちを青ざめさせていた。

「あった……?」
「それ、どういうこと。王様に会うような場所に行ったってこと⁉︎」
「ひゃ、っ」

 ルシアンの大きな手が薄い肩を鷲掴む。焦りを如実に表した力の強さに、戸惑ったように顔を見上げる。
 何も悪いことはしていないはずだ。少なくとも、シグムントの中ではそうだった。共にいたイェネドも同じ気持ちなのだろう、慌てたようにルシアンの手を前足で退けようとする。

「ギャウンッ」
「シグムント、お前……姿を見られたのか」
「あ、い、いや……見られたというか……」
「俺は前に言ったよな。魔王を討伐していないことが知られたら、俺は殺されると」
「あ、えっと……」

 底冷えのするイザルの声に、シグムントは怯えた表情を見せる。アルガン王を見ただけで、こちらの姿を見られたわけでは当然ない。そう説明するだけで、幾分かシグムントの立場もマシになっただろう。しかし、王の側近であるジズに姿を見られたことが枷となって、シグムントの言葉を濁らせた。
 はっきりとしない物言いは、時として不本意な結果を生む。今の状況が、まさしくそれだった。

「み、見られてない、とおも、う……っ」
「イザル!」

 乾いた音と共に、イザルを窘めるルシアンの鋭い声が部屋に響いた。まるで、音を奪われたかのように静まり返った部屋。シグムントは気がつけばイザルから目を逸らしていた。己の意思ではないことは、ひりついた頬が示していた。

「ゥワンッ!」
「え……あ……」
「何度言わせりゃ、てめえは覚えるんだ。お前は殺される運命だった、それを、俺が命を拾ってやったんだ」
「おい、そんな言い方」
「いいかシグムント、てめえの迂闊な行動が、取り返しのつかねえことを招くんだよ」

 もし、王様を見たと口にしていれば、もっと結果は違ったのかも知れない。しかし、シグムントの足りない頭では、わずかな単語の違いが招く結果など、当然考えが及びもしなかった。
 胸の内側から苦しいほどの熱が込み上げ、それが伝播して目の奥をジリジリと焼き付ける。銀灰色の瞳が溶けるようにジワリと濡れ、感情の一粒が赤くなった頬を伝う。
 
「っ……ぁ、お、……俺、……」

 喉を震わせるようなシグムントの頼りない声に、揃いの銀灰の瞳がわずかに見開かれる。濡れた瞳に映るイザルの顔は、わかりやすく表情を失っていた。
 これ以上、無様を晒し続けることはできなかった。嗚咽を噛み殺し、長い髪のわずかな隙間から見える整った顔を、子供のように歪める。そのまま、シグムントはイザルに背を向けた。
 この場から、今すぐ大人じゃない自身を遠ざけたかったのだ。

「おい待て、どこ行く……‼︎」
「シグムント‼︎ 待って‼︎」

 制止の声は聞こえていた。けれど、止まることはできなかった。人の屋敷の中で、何をしているのかとも思う。しかし、イザルに本気で怒られたこと。何より、迂闊な行動と称されたことが、シグムントは悔しかったのだ。
 自分が何もできないことなんて、自覚している。だから、自分なりに気をつけて行動もして来たつもりだ。それでも、心の深い場所で、足手纏いという言葉がシグムントの矜持を傷つける。

(わかってる、自覚もしておる。でも、俺だって男だ……‼︎)
「ひ、っぐ……っ」

 闇雲に走って、シグムントは屋敷のエントランスへとつながる階段を降りた。背後を振り返る。追いかけてきてくれるのを期待したわけでは、当然ない。我慢しても肺を震わせる嗚咽は、己の意思を無視してシグムントを弱者にする。何が男だ。男らしいところなんて少しもないくせに。自嘲は己の足場を削るだけだ。
 降りた階段の死角には、随分と小さな扉がポツンとあった。しゃがみ込み、そっと触れる。魔力の類は感じられないことから、倉庫のような小部屋だろうと予測する。
 この大きさならギリギリ入ることができるだろう。何より、今は誰にも見つからない場所に行きたかった。それでも外は怖いから、こうして人様の家で結局かくれんぼだ。
 袖で涙を拭いても、そう簡単に止まりそうにはない。シグムントは床に膝をつくと、扉を開けて狭い中へと入っていった。ちょうど、階段の裏側の小部屋。埃臭くて仕方がなかったが、ここなら静かに気持ちを落ち着かせられると思ったのだ。
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