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きっかけ
しおりを挟む水瀬美樹は、自分の名前が嫌いだった。男なのに美樹だ。名前読みをされるとミキとよく間違えられるから、水瀬と言葉が続いた瞬間にヨシキです。と少々食い気味に口を挟むせいで、初めて顔を合わせるような場面では少々浮いていた。
中学校、高校、そして大学、就職後の配属先。大人の階段を上がる、そんなターニングポイントのたびに己の自己紹介で出鼻をくじかれ、貼られたレッテルは当たりが強い人。
そんなことを、休憩室で、しかも入社一週間後に耳にしてしまって、ちょっとだけ泣いた。
水瀬美樹は、面が良かった。いわゆる女顔だったというのも、己の人生を狂わされた要因なのかもしれないと思うほど、自分の面も気に食わなかった。
射干玉の黒髪、ツンと立った小鼻と、少しだけ厚みのある唇。幅広二重の猫のようなアーモンド型の目に収まった瞳は、隔世遺伝で狼の眼だ。水瀬の祖父がドイツ人なので、その瞳が映ったらしい。しかも、乳幼児の時は今よりももっと濃いグリーンで、大人になるにつれて、少しずつグレーに近づいてきた。それでも、虹彩をよく見ればまだグリーンも薄く残ってる。
男にしては薄い体も、男性の平均身長を下回る小柄な体も、貧弱すぎる体力も全部全部嫌いだった。その形でよくそこまで文句が出たなと、高校時代の友人である旭には言われたが、その時は大いに大演説をしてやった。
スーツの裾上げで、封筒くらいの残布を渡されたことはあるか。通勤の電車で、元気なのに体調不良扱いをされて椅子を譲られたことがあるか。好きだった女の子に告白をして、私よりもウエストが細そうだから無理と、訳のわからない振られ方をしたことがあるのか。酔っ払いに貧乳だなと言われたことがあるのか。その他諸々、出るわで出るわの作り話じみた本当の話。演説の後半から悔しくなって大号泣までかましてしまったせいで、サシ飲みをしていた中華料理屋の衆人環境の中で、背中に非難の視線が突き刺さってしまった旭は青い顔をしていた。
あれは少しだけ可哀想なことをした気がしないでもない。とは言っても反省もしないのだが。
「だとしても飲みのお誘い断られるほどのことを俺がしたか!」
「してない。してないけど今日はマジでいけないからさ、また次にしない?」
旭の働いている百貨店が見える位置で、美樹はスマートフォンを耳に当てたまま、スーツ姿でブスくれていた。
通勤電車の中で、ふともつ鍋が食べたいと思い立ち、飲みに行こうぜと旭に連絡をした本日。旭からの既読がつかないまま終業時間を迎え、まあいいかと自宅とは逆方向の電車に乗った。
そして、電車に揺られて数分後に届いた、行けません。の五文字。嘘だろうと絶句をしているうちに最寄りに到着して、今こうして粘り強く食い下がっている次第であった。
「俺、もう着いちゃったのに。」
「え?どこに?」
「お前の職場の近く。」
「マジで。あー、そっか俺が十九時くらいに返しちゃったから…」
「もつ鍋食べる…」
「行ってあげたいけど、今日棚卸しだから終わるの二十一時すぎるよ?それまで待ってられる?」
電話越しの旭の声が、申し訳なさそうなものになる。今日は、金曜日だ。そんな時間になれば店は空いていないだろうし、それに旭だって土日は出勤だろう。自分が予定を聞かずに勢いだけで行動してしまった為、断られた時の一人呑みパターンを想定いていなかった。
「旭、今何してんの…」
「俺今二番休憩だもん。仕事中に電話できないしさ、っと、そろそろ戻んなきゃだからさ。今度埋め合わせさせて。ね?」
「彼氏みたいなこと言うな。」
「あはは、確かに。美樹今一人でしょ?変な人に気をつけて、真っ直ぐおうちに帰るんだよ。ここらへんの夜は治安悪いからさ。」
今度は、母親のようなことを言われた。学生時代からのオカン気質は変わらないらしい。美樹は電話だというのに、ついこくりと頷いてしまった。多分、旭には呼気しか伝わっていないだろう。
こればかりは仕方がない。美樹だって事前の予定の確認を怠ったのだ。友達が少ない美樹にとって、旭は誘いやすい友人だった。だって、恋人いないし、多分自分と同じ童貞だと思うし、男友達として接してくれるし。
「………。」
ムン、と美樹の唇が尖った。スマートフォンを切ったのは自分からだ。その後、すかさず旭から、ごめんなマジでとうさぎのスタンプ付きでメッセージが飛んできたのだ。
スマートフォンをたぷたぷと操作して、買い物してから帰るとだけ返事を返す。もうここまで来てしまったし、何か意味のあることをして帰らなければ気が済まない。
本屋でも行くか、それとも、一人で牛丼屋でも入ってみるか?そんなこと、したことないけど。自分だって大人だ。夜の街に男一人、翌日休みでハメを外す人も少なからずはいるだろう。
大きな駅だ。皆、よくそのスピードで人とすれ違えると思う。美樹は社会人なのに、まだ人を避けるのが下手くそなのに。
自分よりも若そうな悪っぽい若い男が、やけに肌の露出が激しい女の子の肩を抱いて歩いている。いいなあ、俺もギャルっぽい女の子の腰に手を回して、颯爽と歩いてみたい。ああ、でもヒールとか履かれたら背が抜かされるだろうから、やっぱり奥手そうな女の子をリードしてあげるのもいいなあ。
そんな具合に、カップルの彼氏側に己を落とし込んで妄想に耽るのも板についてきた。
煌びやかなディスプレイが美樹の背を照らす。己が背にしている新設されたばかりの商業ビルは、外国のセレブブランドが幅を利かせているせいか、インバウンドの出入りも激しかった。
美樹の隣を、金髪ボインのグラマラスな外国人女性が通り過ぎる。己の目線の位置におっぱいが過ぎ去っていくのを、思わず口を開けて見つめてしまった。
足元を見れば、また随分と高いヒールを履いていた。なるほど、外国人女性が恋人なら、恋人の日本人男性が小柄でも許される気がしてきた。腰の位置が高い、足も長い。お尻もおっきくて、自分に自信があるような歩き方をしている。
頬を染め、キラキラとした眼差しで外国人女性を見送った美樹は、はたと閃いた。美樹は、祖父が外国籍のお陰で、ドイツ語と英語が喋れる。ということは、外国人女性をナンパして彼女を作ればいいのでは?と思ったのだ。
もしかしたら、自分が浮いているのは日本人の中だけかもしれない。とっつきにくいというレッテルをかっこいい印象に変える為には理由が必要だ。つまり、水瀬は彼女が外国人だから、俺らと住む世界が違うんだよ。みたいな具合に思われて仕舞えば、美樹だってクールな位置に収まるかもしれない。
ここは海も近い観光地、インバウンドも多い場所だ。となれば近くにバルだってある筈である。美樹は、にっこりと笑った。英語が通じない奴には美樹が何を言っているかわからないだろうし、堂々とナンパだって出来る筈。
フライデーナイトフィーバー、しちゃいたいお年頃だ。水瀬美樹、ワールドワイドに視野を広めて、童貞を捨てさせていただこうと思います。
ふんす、と意気込んだ。中性的な頬を赤らめ、期待に胸を膨らませた美樹は、早速スマートフォンで調べたバルへ向けて、一歩踏み出した。
そして、その踏み出した一歩が自身の性的嗜好を一八〇度変えてしまうきっかけになることを、この時の美樹は知る由もなかった。
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