なんだか泣きたくなってきた

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2章

自分の価値

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「あら?あらあら貴方、と片平くん?」
「すんません、ちょっとこいつ見てもらえますか。」

扉が開く音に反応した保健の先生が、俊くんの後ろにいる僕を見てぎょっとした。そりゃそうだ、だって削がれた手の甲から血が止まらないし、僕のメンタルもぼろぼろ。俊くんのおろしたてのシャツも、借りたカーディガンも僕の血で汚れている。

俊くんが促すように僕の手を先生に見えるようにして向けると、先生も眉間にシワをよせて痛そうな顔をした。

「あらぁ、これは痛いわ。手の甲は毛細血管が集まってるから血が止まりにくいのよ。」
「傷跡、残りますか。」
「絆創膏でも駄目ね…この大きさだから残ると思う。わかってると思うけど破傷風も怖いから、病院に行ったほうがいいわ、ここではかんたんな手当しかしてあげられないもの。」

先生が見ても割と酷いらしい傷跡は、僕のズボラがまねいたと言ってもいい。置き勉しなければこんな罠仕掛けなかっただろうし、悪意はあってもまさかここまで血が出るとは思わなかったんだろう。崎田も添田も奈良も、三浦くんとのやり取りでみた顔色は少しだけ悪かった。

「休みの日に…」
「今よ。先生から言っとくわ、というかもうなれてしまったもの。ガーゼ当てて固定しとくから、桑原くんも動かさないように掴んどいて。」
「はい。我慢しろ、な。」
「い、…っ…」

軽く消毒したガーゼを当てられてきつく巻かれる。心臓より高く手を挙げられると、そのまま先生は内線で職員室に電話をかけていた。

「…なんでこんなんなっちゃうのかな、」
「彼奴等がお前に八つ当たりしただけだろ。やり方は最悪だけどな。」
「ごめん、…」
「ちがう、謝るな…あぁ、くそ。悪い、ちょっとまだ興奮してる。くそ、くそが。」

酷く苛ついた様子の俊くんが、落ち着こうと深く呼吸をする。すり、と擦り寄るとそのまま首筋を甘く噛まれた。あぐあくと項や首を噛んでくるのは戯れているというよりは確認のようなものだ。
これで俊くんが落ち着くなら僕はなんでもいい。
ふるりと身を震わしてなんとか快感をやり過ごすと、そのまま近くの外科治療を行ってもらえる病院に向かうことになった。

幸い歩いても行ける距離だったのだけど、先生が貧血気味だからと車に乗せてってもらい、すぐに通してもらえた。幸い消毒した後に、ハイドロコロイドを貼る湿潤療法で傷を抑えるのみだったので、包帯で巻くような大袈裟な感じにはならなかった。

だけど利き手が怪我な上に、手の甲はテープで固定しているせいでひどく動かし辛い。先生が言うには、浸出液で白くなったら変え時、あとは残るけど10日もあれば治るらしい。
ただカミソリで削いだので抗生物質をもらって飲むようにと言われた。

保健の先生からは、カミソリで削いだという俊くんの話しに酷く驚かれ、やっていいことと悪いことがあると憤りを見せていた。

「きいち!」
「わ、…っ」

クラスに戻ってくると真っ先に学が抱きついてきた。わしわしと怪我をしてない方の手で撫でると、顔を歪めながら治療された手を見られる。

「肌色のぷよぷよテープだからあんまわかんないでしょ。そんな仰々しくなんなくてよかったよ。」
「うわ、でも利き腕だろ?俊くんこき使えよ。」
「始めっからそのつもり。」

学から離すように腰を引き寄せられると、ムスッとした顔で俊くんが言う。機嫌が少しだけ悪くてごめんよ、多分僕のせいなんだけど。

「三浦くんたち、あのあと大丈夫だった?」
「え、ああ…結局あの後添田達が仲間割れしてさ。収集つかなくなって、3人仲良くいまは生徒指導しつつ。三浦たちは、」
「おおおお!!おかえりきいち!!」

吹田くん木戸くん三浦くんがばたばたとユニフォームのまま駆け寄ってくる。ああ、そろそろ部活の時間か。泥がついて取れなくなった野球のユニフォームがすごく似合う。それぞれが手の傷に痛々しいものを見るような反応したあと、真剣な顔で木戸くんが口を開いた。

「あのさ、ごめんな。」
「え?」
「いや。俺たち同じクラスなのに、こうなる前に止めてやれなくてさ。」

ポリポリとバツが悪そうに頭をかく木戸くんの申し訳無さそうな顔に、僕自身もなんとも言えない気持ちになる。だって、むしろかばってくれたのは彼らだったからだ。

「俺らさ、あんなふうに泣くと思わなかったんだわ、すげぇ飄々としてんじゃん、いつも。」
「しかもなんだよ鼻血って!そんなとこまで笑い取りにいくなって、全然洒落にならなさ過ぎて血の気引いたわ!」
「ご、ごめん…」

吹田くんに突っ込むようにこのおバカめと怒られる、なんだかそのやり取りがくすぐったくてちょっとだけ照れた。

「こんの、もぉお!おばか!ほんとに!やめろっつのその顔!!」
「うぶ、っ!?」
「これに関してはきいちに躾が必要不可欠だということは理解した。」

謎に悶た三浦くんの反応をぽかんと見ていたら、何故か俊くんに後ろから大きな手で口を押さえられる。躾ってなに!助けを求めて学を見ると、諦めたように肩をすくまれた。

「あ、いた。きいち!生徒指導室来いって!今回の話聞くとか言ってたぞ。」
「あぁ…すごく行きたくない…」
「俺も行く。」

益子がクラスに戻ってくると、なんとも言えない顔で先生からの呼び出しを教えてくれた。教頭は出てこないらしいが、指導担当は後藤だ。担任とサッカー部顧問も話を聞くらしいけど、すごい気が重い。
途中まで益子たちも着いてきてくれるらしいが、入るのは僕だけ。頑張らないといけない。

「大丈夫、何もしてねぇんだから。今回は被害者、終わるまで待ってっから。」
「俊くんに勉強教えてもらいながら待ってるわ!頑張れ!」
「益子とそんな約束した覚えはねぇんだけど。」

三人に連れ添われ、職員室のそばにある指導室の前まで来るとドアをノックした。
後藤の声で入れと言われたので、ひどく重く感じる扉を開ける。胸の中はザワザワして、少し緊張のせいで気持ち悪い。

「失礼しま、す」

後ろ手に扉を締めると、8畳ほどの空間に長机とパイプ椅子、遮光カーテンが取り付けられたシンプルな部屋だった。そこにサッカー部三人と担任、顧問、そして指導担当の後藤が机を挟むようにしてサッカー部と向かい合って座っていた。え、僕どこに座ればいいのだろうか。状況に戸惑っていると、サッカー部の顧問である高橋先生が席を譲ってくれた。

「きいちここすわれ、おれコイツらの後ろにいるから。」
「え、あ…すんません。」

まさかのお誕生日席だったらどうしようかと思った。僕が高橋先生が座っていたところに腰掛けると、まだ少しだけ暖かかった。

「で、お前らのうちの誰がカッター仕込んだんだ。」
「添田だよ、こいつが脅かしてやれって言ったんだ。」
「奈良てめぇ!お前だって面白そうだとか言ったじゃねぇか!」
「言っただけで、まさかほんとにやるとは思わないだろ!?大体置き勉してなかったらそんなふうに怪我だってしねーだろうが!俺たちだけが悪いわけじゃねーし!」

もはや先程から話が進んでなさそうで、後藤も頭が痛そうだった。黙ったままの崎田だけは、僕のことをじっと睨みつけたままで、その視線から逃げるように思わず目をそらしてしまったのがちょっと悔しかった。

「傷、大丈夫だったのかよ。」
「えっ、」

じっと睨まれていたのは、傷が気になったからなのだろうか。思わず聞き返すような返事をしてしまった。ムスッとしたまま顎で支持されるままそろそろと手を見せると、貼られた肌色のシートに顔を歪めた。

「…悪かった。」
「あ、うん…治るし、いいよ。」
「ふん。」

もしかしてツンデレなのだろうか。崎田も二人とつるんで煽るようなこと言ってきた本人なので、少しだけ警戒してしまう。高橋先生は今だバチバチの奈良と添田の頭をベシリと叩くと、しっかりとした声で言った。

「見苦しい!高杉がやめたのも片平に対して行った事が原因だ!その後の試合が芳しくなかったのもお前らがあいつに頼りすぎてたからだろうが!何回言わせるつもりだ!」
「廃部の危機ってのも、一年生がやめたり来なくなったりしただけで、まだ危機の段階だ。今頼れる二年生がいないって思われてることを恥ずかしく思え!」

なんだか当事者のはずな僕が放置されている気がしてならない。崎田くんは以外とドライなのかぶすくれたまま話を聞いていた。

「あの、もういいよ。僕も最近不安定だったし…だけど、オメガのことで嫌なこと言うのだけはやめてくれたら。」
「大人ぶってんのか。マジお前のそういう話し方がきにくわねー。」
「…じゃあ好きにしたらいいけどさ、僕が嫌いってだけにして。僕以外のオメガもいるんだから、文句言うなら僕だけにしてオメガって言葉使わないで。」

これは思っていたことだった。添田くんたちが僕のことを嫌いでもいい、恨みがあってもいいけど、オメガのくせにじゃなくて、僕のくせにといってほしい。オメガが全部悪いように聞こえるその話し方だけは僕も嫌だったからだ。

「僕らがアルファのくせにっていっても僻みにしか聞こえないし冗談だと捉えられるだろけど、アルファがオメガのくせにっていったら自分たちの価値を下げることになるんだよ。それでもいいの。」
「片平、その言い方はあんま褒められないぞ。」
「わかってます。けど、世の中がそうじゃないですか。庇護される側って言われてる、世間が僕らをそうやってくくるんじゃないですか!」

後藤が窘めるように口を挟んできたけど、でも事実だ。僕たちにはヒートがある。男のくせにはらむ。世間はそれを建前では受け入れてるけど、優しい差別は未だに根強い。

語気を荒めた僕に、三人が押し黙る。静かになってしまった室内で、息を飲んだのは誰だったのか。



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