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2章

オレスイッチ

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「ひっ、」

パシンと振り上げた手が自分よりも一回りも大きな手に掴まれる。慌ててもう片方の手で横っ面を張ってやろうともしたのだが、まるで見越していたかのようにそれも見事に掴まれた。ノールックで両手を拘束された清水は、自分よりも背の高いきいちによって、校門の壁に体を押さえつけられた。

ーこの男、こんな女みたいな顔をして、ちゃんとした雄なのか。

両手を頭上で纏められ、手首が外壁に擦れて痛い。妊娠をしているくせに、なんでそこまで動けるのかがわからなかった。
ならば蹴り上げてやろうと足を振り上げようとして、ゴシックなロングスカートを纏う脚の間にきいちのスラリとした足が生地を縫い止める。
ここにきて、いともたやすく女子を一人拘束してみせたきいちは、周りから見たら完全に壁に押さえつけて今にも口付けをするのではといった体制だった。

ゴッ。

「い゛っ…」

鈍い音がした。野次馬も、まてといわれた俊くんも、そしていわく元彼の青木でさえ硬直した。
それくらい鈍い音を立ててきいちが清水に頭付きをしたのだ。無言で。

「いぃ、っ…たぁあ…」

じわりと涙を滲ませた清水は、鈍痛に顔を歪めながら睨みつけるべくきいちの顔を視界に納めた。

鼻先が触れ合うほどの近い距離だ。頭突きとはいえ、額を重ねて眠そうな二重の奥に隠した狼の瞳で冷たく無言で清水の瞳を見返す。
少し顎を持ち上げれば口付けができそうな至近距離に、顔のいい男が真っ直ぐと清水を見つめていた。吐息が互いの唇に触れそうな距離で、周りは固唾を呑み見守る。

気づけば清水の唇を、片手を開けたきいちの手が覆っていた。

「んむ、ぐっ…」
「一人遊びならかわいいものを、周りを巻き込むからこんなことになるんだよ?」
「んんん!」
「駄々ばっか捏ねてねぇで成長しろっつってんだよ、わかるぅ?」

まるで小さい子に言い聞かせるように、口から手を離すと拘束を解いたきいちは、顔を真っ赤に染め上げた清水が突き放そうとした腰に手を回して引き寄せると、がしりと顔を固定して目を合わせた。

「次、俺の俊に手ぇ出したらその口塞ぐからな。」
「ひぇ、」

何でですか。とは聞ける空気ではなかったと後に語る。体を離すとヘロヘロと腰を抜かした清水に、誰も助けようと駆け寄る者はいなかった。
それはそうだ。むしろその顔は血色が良くなり、ふわふわとした思考のままボケッときいちを見上げていたからだ。

清水は、静かに見下ろす冷たい目線のきいちを見上げながら、散々っぱら読んだ少女マンガを思い出していた。有りえないけどドキドキするというシチュエーションをなによりも好む清水は、きいちにされた壁ドンからの腰グイ顎クイ…正確にはほぼ掴まれていたと言っても過言ではない。のフルコンボにSAN値を見事に削られた。

そうだ、オメガだって男なのだ。

清水は何よりも俺様攻めが好きだった。乱暴に扱う癖に、たまに不器用な優しさをみせる王子様。今のきいちは不器用な優しさこそないものの、8割は当てはまっている。

ふと手を見たときに、壁に押し付けられたときにできた擦り傷と、自分の細い手首を掴んだ手の跡がかすかに残っていた。

「………、」

いけないことをして、本気で怒ってくれる俺様攻め。悪くない。そんなことを思いながらうっとりとして手首を擦る清水を、周りは奇妙なものを見るように遠巻きに見つめていた。
自分の世界に入った清水は、まるで目が離せないといった具合にきいちをゆっくりと見上げた。まるで当たり前に手を差しのべてくれるのだろうと疑わずに。

「なにしてんだよ。自分で立て。俺が優しくするのは俊だけだ。」

にべもなく扱われ、目を見開く。清水を気にせずに座らせていた俊くんのもとにきいちが向かうと、そのままぽかんとしにた顔の俊くんの手を取って立ち上がらせる。ふらついた俊くんの体を抱きとめると、まるで興奮を収めるかのように首元に顔を埋めて深呼吸した。

「ち、ちがう、ちがうちがう!」

急に慌てだした清水に、周りが冷ややかな目を送る。完全に立場は逆転していた。教祖のような心地の良い注目の目線から、今はただの面倒くさいやつという目線に。

「ちがうの、もうやだああー!」

急に自分の虚勢が恥ずかしくなった。間近で異性に、しかも自分がバカにしていたオメガの男に、自分の痛々しいハリボテを剥がされたのだ。
着飾って、特別な女として振る舞っていたのは独り善がりだと突きつけられた。 
思えば好意も一方通行ばかりだったのに、それすらも自分では見えていなかった。
恋愛脳のオナニスト、自覚した瞬間に自分がしてきた事に震えが止まらなかった。

「し、清水…」
「なんで誰も止めてくれなかったの!?」

なんで私の理想が間違っているって教えてくれなかったの。清水は声をかけた青木に詰め寄った。
あんたが一番近くでみていたくせに。そう詰るつもりで口を開こうとした。

「俺はお前と付き合ったのも全部、高杉先輩の為だ!!」
「い、意味わかんない。なんで高杉くんがでてくるのよ!」
「あー、もううるさい。」

二人の間に口を挟むようにきいちが割り込んだ。

「痴話喧嘩うざい。解散、もうお前ら帰れ。なんかあるなら後日にして。それと清水。」
「な、なによ。」
「傷残らないうちに消毒しな。じゃーね。ほらおわり!!野次馬も散った散った!!」

きいちはよほど面倒臭かったのか、パンパンと手を叩いて注目させたあと、普段のマイペースさは鳴りを潜め、雑な具合に場の空気を回収する。一方で俊くんの腰に手を当てて心配そうに見上げる顔には、先程の冷たさや乱暴な空気はなく、俊くんも俊くんできいちの頬を撫で、落ち着けと言わんばかりに額に口づけた。

「きいち、帰ろう。青木の顔も覚えたし、検診あるだろ。」
「うごける?病院いこ、傷になってたら僕が嫌だ。俊くん、俊、俊。」
「わかった、大丈夫だから落ち着け、な?もう大丈夫だから。」
「うぅ、むかつく、きらい。あいつ嫌いだ。」

生徒が少しずつ散り、ぐす、と小さく涙声で呟いたきいちは、少しずつ緊張はとれてきたのか口調も落ち着いてくる。きいちが俺というときは、大体余裕がないときに出ることが多いと理解してるので、俊くんはそっと背を撫でながら宥めた。

さっきの俺の俊という言葉を、きいちが周りに知らしめるように言った時。
俺の嫁がこんなにも可愛いというきもちと、かっこいいという気持ちが渋滞してて情緒が忙しかった。

再び俊くんの胸元にこつんと額をくっつけたきいちの頭を撫でながら、悔しそうに見つめる清水とかいう女に向かって、俊くんはきいちには見せられないような悪い顔で笑った。



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