慟哭のシヴリングス

ろんれん

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黎明F -審判編-

第11話 覚醒

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「うっ……ぉぇっ……」

 人間の悪意による猛攻から何とか脱出し、雷轟く土砂降りの中、俺は体温低下によって身体をブルブルと震わせ、更に吐き気に襲われながらアテもなく歩いていた。
 この気に入っていた服も、もうボロボロだった。この服だけは絶対に手放したくないと思ってずっと身につけてきたが……ここまでされてしまったら、もはや服としての役割を果たせていない。まぁダメージジーンズならぬダメージジャケットと言えなくもないが……そんなジョークを言える余裕は、俺にはもう無かった。
 ——もうこの服、もう修繕出来ないんだよな。

「うっ……うぅう……」

 力も失って、信頼も栄光も、気に入っていた服すらもボロボロに引き裂かれ、俺はその場に情けなく崩れてしまった。
 失って気づいた。英雄だなんて称えられるのは好きじゃないなんて言ってたが……本当は内心嬉しかったんだ。英雄になろうとも、感謝されようとも思って今まで生きてきた訳じゃない、国を救った訳じゃない。でも人から感謝されたり、称えられるのが当たり前になってしまって、ただ天狗になってただけだった。


「居たぞ! あそこだッ!」
「だいぶ弱ってるようだ……今なら俺達でも倒せるんじゃないか……!?」
「悪魔に慈悲無しッ、いくぞーっ!!」

 大勢の人間が、俺に向かって走ってくる。病院の時よりも人が増えている気がする。きっと俺という最低最悪の悪魔を探している道中で仲間を集めていったのだろう——全く、人間様の団結力は凄まじいな……こういう時に限って。

「ッ……」

 俺は冷め切った身体を無理やり起こして、ただひたすら逃げ続けた。道中、石や生ゴミを投げられたりもしたが、それでも絶対に人間に手を出さなかった。ただ惨めに、情けなく、哀れに、滑稽に。
 最終的に、俺は複雑になっている路地裏へと逃げ込み、何度も行ったり来たりを繰り返して何とか撒くことに成功した……が、俺はその場に座り込んでしまった。

「はぁ……はぁ……」
「——恐ろしいわね、裏切られた人間って」

 座り込んだ直後、休む暇なんて与えないと言わんばかりに、何処からともなくそんな声が聞こえてきた。

「アヴァリス……!」
「てっきり“自分はシン・トレギアスだ”と弁解すると思っていたけれど」
「……した所で、そう簡単に信じてもらえると思うか?」
「それもそうね……しかしどう? 当たり前だったものが当たり前で無くなって、全てを引き裂かれ何もかも失った気分は」
「……」
「こんなものではないわ……貴女にはこれが比にならない程の絶望が控えている。精々震えて待つといいわ」
「ま、待てッ……あれ……?!」

 俺は何としても一撃を喰らわそうと腰に携えていた短刀を引き抜こうとするが、俺の腰には何も無かった。
 心当たりがあるとするなら、病院で人に押し潰されそうになったあの時くらいしかない。いや、その前から持っていなかったっけか……駄目だ、何も考えられない。

「ふふっ……誰か助けてーって叫んでみたら? 飢えた男達が身体目当てで助けに来てくれるかもしれないわよ?」
「……ッ!!」

 俺は力を振り絞ってアヴァリスに向かって走り、拳を振りかぶった……が、アヴァリスは俺の背後に瞬間移動し、背中を蹴り飛ばしてきた。俺は成す術なく吹っ飛ばされてしまった。

「勇気と無謀は違うわ。何故拳で私に勝てると思ったのかしら?」
「確かに無謀だな……でも、勇気は……違う」
「何?」
「俺を動かすものは……勇気じゃない……世界を守るとかそんな大層な使命でもない……ただ人が意味も無く死んでいくのは嫌だから」
「へぇ……そんな思いがあるのね? でも貴女からしたら見ず知らずの人が死んだって、別に何も変わらないでしょう?」
「俺からしたらそうかもしれない……けど人ってのは皆一人一人が誰かの心を支えてたり、誰かを笑顔にするような、大切な存在なんだよッ……!」

 どんな悪人であろうと必ず大切な人が居て、そして大切に思われる存在でもあるのだ……例え、何十、何百、何千と人を虐殺した者であっても。
 死とは、どんなに本人が、周りが受け入れていても……やっぱり、悲しみを生むものだから。

「なッ……」
「人の幸福を意図して奪う事は……絶対に許されないんだ……例え相手がどんな存在であっても!!」
「黙れ……黙れ黙れぇッ!! 何も出来ない、変えられない、逃れられないくせにッ!!」

 俺の綺麗事みたいな言葉に苛立ったのか、アヴァリスは駄々をこねる子供のようにそう叫ぶと、前方に路地裏の道幅と同じくらいの大きな魔法陣を描き出し、更に星形を描くように五つの方向にも小さく魔法陣を描き出す。
 途端、空気中に漂う魔力マナがズシリと重くなる。これから放たれる魔術は、恐らく俺を跡形もなく消滅させるような強力な一撃だろう。
 しかしここは路地裏……一直線な道ゆえ、左右に曲がれる道は無く、避けられるほどの余裕も無い。受けて消滅するしか選択肢が無い。

「アンタ……何をそんなに怒ってるんだ……!?」

 俺はふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
 女に戻された時もそうだったが、どうしてアヴァリスは俺を……色欲の悪魔に対して怒りを憶えているんだろうか?

 “悪魔のくせに、人間に媚び売って縋って生きているのが見ていて不快なの……人間を騙し、共存しなければ生きていけない貴方が、私達と同格の悪魔として存在している事が気に食わない……!!”

 アヴァリスは以前そう言っていた。俺はこれを悪魔としての肩書きを誇りに思っているが故の発言だと思っていたが……果たして本当にそれだけなのだろうか?

「貴女の発言一つ一つが癪に障る……! 抗えないくせに知ったような事抜かして、主人公気取りかしら……貴女は悪魔!! 人から忌み嫌われ恐れられ、人の不幸を愉しむ悪者なの!! もう人間じゃないのよォオオオオオッ!!!」

 アヴァリスは言う事の聞かない息子に向けて暴力でわからせる母親のような口調で言い聞かせるように言うと、巨大な魔法陣から見た事もない緑色の炎を咆哮のように放つ。周りの5つの内2つの魔法陣からはそれぞれ水、雷属性の光線を、あと残りの3つからは属性魔術ではなく、何故か髑髏と骨の手が左右と飛び出してきた。

「くっ……」

 俺はどうする事も出来ず、ただ情けなく視界を両腕で覆う事しか出来なかった。結局口先だけで何も出来ず、最期は誰も見られず死んでいくのか。

「——吸収反射ドレクトッッ!!」
「……え?」

 そんな声が聞こえた。俺はゆっくりと視界を開くと、目の前には覚えのない黒紫色の魔法陣が俺を守るように描かれていた。
 何が起こったかはよくわからなかったが、とにかくアヴァリスの攻撃が俺に直撃することは無かった。
 そして黒紫の魔法陣が消えていった直後、目の前に何かが落ちてきた。それが人であるということはすぐに理解できた。

「やっと見つけましたよっ!!」

 目の前の人間は雨が降っている路地裏というジメジメした雰囲気には一切似合わない自信に満ちた元気溌剌な声で、アヴァリスに向かってそう告げた。ソイツはピンク色のショートヘアに、その手には刀身が神々しく光る……選ばれし者にのみ握る事を許された“選定の剣”を持つ少女であるということはすぐに理解できた。

「アリリ……!」
「チッ……これはこれは選ばれし勇者兼騎士団総団長様じゃない。貴女のような御方が、人々を騙した卑劣な色欲の悪魔を守るというのかしら?」
「守る? そんなつもりはありませんし、そもそも私は守りに来たのではなく……今回の事件の首謀者である貴様を倒しに来たんですッ!」

 そう言うと、アリリは選定の剣を横に一振りする。すると三日月の形をした3色の斬撃がアヴァリス目掛けて放たれた。

「選ばれしものといえど所詮は人間のっ……ぐぁああっ!!」

 アヴァリスはアリリが放った斬撃を軽く受け止める気で構えていたが、それは思いの外ダメージを負うようなものだったのだろう。人の攻撃では悪魔を倒すことが出来ないという法則により、アヴァリスは油断していたのだ。

「気付かないんですか? これは貴様が放った魔術ですよ」
「なんだと……?!」
「私はただ魔術を吸収して、私なりに形をアレンジしてお返ししただけです。それが吸収反射ドレクトという、私の魔術なんです」
「ふふっ……そう言ってられるのも」
「——私の頭上にこっそり氷柱準備してるのもバレバレですよ」

 アリリはそう告げて指をパチンと鳴らすと、何かが砕けるような音がした後にアリリの頭上から氷の破片が落ちてくる。

「なっ……流石ね、私のような下衆の考える事はお見通しという訳?」
「私の目は千里眼を備えています。どんな考えも隠し事もお見通しですよ」
「やっぱり貴女と戦うのは得策ではないわね……ここは素直にずらかるとするわ」

 そう言うと、アヴァリスは何か罠を仕掛けていく訳でもなくすんなりと姿を消した。
 俺は安堵のため息を吐くと、アリリに礼も言わず後ろを振り返ってその場から去ろうとする。

「——待ってください、

 アリリは俺の方を向いて、澱みのない真っ直ぐな瞳で見つめて俺をと……降り頻る雨の音に混じりながらも確かにそう言った。それは確信している瞳……きっと千里眼だろう。
 千里眼はありとあらゆるものを視せる。つまり彼女の前では嘘も強がりも全て無意味な抵抗という事である。

「あ、アリリ……わかるのか?」

 俺は嬉しくなって、思わずアリリの方に振り向いてそう返した。
 この世界では性別が変わるという事例が全く無い上、伝説や書籍にすらそういった設定は存在しない。故に性別が変わったと真実を告げたとしても信用されるのはなかなか難しい。目の前で見せられればいいのだが、生憎今の俺は魔力が殆ど無い状態故に実演不可なので尚更だ。
 だからどうせ、自分がシン・トレギアスだという事を弁解しても信じてはもらえないだろうと諦めていた。吸い取られた魔力が回復する様子もない、だったらいっその事色欲の悪魔……シン・トレギアスではない別人として生きようかとまで考えた。

「……世界中の人々の目は誤魔化せても、私の千里眼は誤魔化せませんよ」
「そ、そうか……俺は、まだちゃんとシン・トレギアスなんだな……」
「もうっ……何を変な事言ってるんですか。君はずっと、そしてこれからもシン・トレギアスですよ」

 アリリは優しく微笑みながら、そう告げた。
 俺は自分があまり好きではないが……でもやっぱり、俺を俺だとわかってくれる人が居るのは、嬉しいものだ。

「……ありがとうアリリ。お陰でちょっと元気出た」
「えへへっ……はぅっ?!」
「お、おいどうしたアリリ!?」

 俺は嬉しさのあまり思わず笑みを溢した直後、突然アリリが胸を押さえてその場にしゃがみ込んでしまい、俺はアリリの側に駆け寄る。

「わっ、わかりませんっ……何だか急に胸がっ、苦しく、なって……」
「えぇ……!? アリリ、実は持病を抱えてるとかそんなんじゃないよな」
「違いますっ……! も、もしかしてこれは……」
「何だ!? 何か心当たりがあるのか!?」
「心当たりも何も、この胸の感覚は……あっ……」

 すると、アリリは力が抜けたかのように首をかくんと下ろした。

「お、おい嘘だろ……そんな筈ないよな……!?」

 俺はまさかアリリが死んでしまったのではないかと焦り、動かなくなったアリリの胸に手を当てて心臓が動いているかどうかを確かめようとする。

「——あ~……ダメですよぉシンさん? 幾ら性転換したからって女の子の胸触っちゃ~……」

 すると突然アリリは目を覚まし、俺の手をぎゅっと掴んでそう告げた。しかし口調も相まって明らかに様子が変だ。

「アリリ……?」
「でもぉ……許しちゃいますっ。私もやり返しちゃいますからっ」

 アリリは焦点の定まっていない惚けたような表情でそう言うと、俺の身体をガッチリと……まるで逃がさないと言わんばかりに抱きついてきた。

「なっ!? ちょっとっ何!?」
「……シンさんが悪いんですよぉ? あんな悪魔的に可愛い笑顔見せられたらぁ、誰だって惚れちゃいますよぉ♡」
「なっ……!?」
「あはぁ……すきぃ……♡ こうやってずーっと一緒に居たい……離しませんからねっ、シンさん♡」
「……これは、まさか」

 俺は、アリリがおかしくなってしまった理由がわかってしまった。
 色欲の悪魔の魔力源は人間の精力。だから人を惑わし、精力を吸い取って生きていかなければならない。
 要するに何かがトリガーとなって、俺の色欲の悪魔の力が自分の意思とは関係なく発動し、アリリを魅了状態にしてしまったのだ。

 ——やっと……わかってくれる人が居たと希望を持てたのに。
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