憧れの世界でもう一度

五味

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18章 魔国の下見

極地の獣

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駆けだしたアイリスの出鼻を即座にくじくものとして、氷柱がさもそこに元からあったのだと言わんばかりに、舞台に不規則に並び立つ。

「これは。」
「私を祖と崇めるのは、何もあなたの部族だけではないのよ。」

何も、狐という獣は一種だけが存在するわけでは無い。謳われる神話にしても様々だ。分かりやすいもの、象徴として、最も力を発揮できる形として。それは唯一として持っているのだろうが、何も他が使えない等という話をされた覚えもない。元よりこの世界の神々は、主たる神からして全てを内包する言葉である創造以外は、二つの冠からなっている。それも、関係があると納得のできる物から、何故なのかと疑問を覚えずにはいられないものまで。

「ええ。部族として最も源流に近いだろうアイリスさんの得意が氷なのです。」

そして、真っ先に彼女の下に配置された人員は、一声吠えた上で己の爪を振りかぶる白い毛並みを持つ狐。

「ただ、五穀豊穣、この度勝ち取ろうと願う物、そことの関係は気になりますが。」

そして、そう言葉を作るオユキの背後からは、師の懐かしい叱る前兆の気配が膨れ上がる。

「余所事を考えている余裕が、あるのかしら。」
「ええ。丁度咎められたところです。」

そしてオユキは話しながらも、並ぶ氷柱からそれが当然とばかりに映り込む祖霊が振るう刃を躱す。胸像に過ぎない存在が、そこから飛び出し振るう刃については、仕組み、物理、色々と思うところが無いでもないが、その程度の法則なら用意された場であれば如何様にも作るからこそ神なのだと無理に飲み込む。これ以上気もそぞろ、集中を欠く振る舞いを続ければオユキの自己申告よりも早く、トモエの決断がなされるからと。

「オユキさん。悪癖はこの場では見過ごすのは一度だけです。」
「是非とも、常の事として咎めて欲しいものだがな。」

他方トモエはそれが当然と間合いの内にある氷柱は切り捨て、アベルは盾で斬撃を防いだと思えば、そこで仕組みに気が付いたとばかりに氷柱を砕き、そのままアイリスの盾と寝る事が出来る位置へと身を躍らせる。

「ニーナ。近衛足る者が護衛対象より有事に狼狽してなんとする。」
「至極もっとも。叱責は後程改めて。」

そして、アベルが声をかければ、相応の速度で応酬を行っているというのに、何のためらいもなくオユキが鏡像と遊ぶ場に身を割って入れ、アベル同様に防ぐついでとばかりに氷柱をただ砕く。

「もう少し、前置きがあるかとも思っていたのですが。」
「あら、時間が無いのは貴方でしょう。」

そして、氷柱ばかりに気を取られてよいのかと、それを示すように声が聞こえる場所とは異なり、突如頭上に気配がと思えば、そこから飛び込む金色に輝き、白く輝く燐光を纏う狐が得物を見つけたとばかりに飛び込んでくる。
しかし、それに対して対応を直接行うのではなく、打倒すべき存在へと近づきつつも有利となるだろう位置へとオユキは身を躍らせる。ニーナについては、加護を含めてしまえば笑うしかない差がそこにはある。本来であれば、互いにどう動くかの打ち合わせも必要だろうが、こちらもアベルやイマノル同様、オユキが、トモエが自由に動いて見せたところでどうとでも合わせる事が出来る相手だ。気を遣うという事、それ自体が一切の制限のない場における相手への侮辱にすらつながるような、それほどの物たちだ。

「化生の類、成程、まさに言葉通りですね。」

上空から躍りかかる幻とも思えぬ何かは、トモエが一太刀で調伏する。
トモエが今度ばかりは積極的に、本体と思える最初に降り立った場所でただ剣を手に取るだけの相手に近づいていない。つまり、背中は任せてしまって問題が無いという事だと、オユキはただトモエの斬撃から身をかわすことができる位置を考えるだけだ。

「トモエ卿。」
「加護もあるのです。私程度の一太刀を避けられぬのなら、未熟と反省されるのが良いでしょう。」

オユキはこれまでの経験で、水ともわかるのだが、生憎とこの場にはそうでは無いものもいる。オユキが場を開けたと考えて、守るためにと飛び込んだニーナの盾の端が少々切り取られ、悲鳴にも似た声を上げるが、トモエがそれに取り和う事は無い。そもそも、冗談からの一刀であり、薙ぎ払いではないのだ。それを避けられぬものが何か言ったとして、己の程度の低さを反省しろと、トモエから、戦場に立つトモエから返ってくると考えるのが思い違いでしかない。

「く。確かに、もっともな事ではありますか。」
「真に受けすぎるな。正直私の守りも抜けるほどの斬撃だ。戦と武技の神より、与えられた確かがそこにあるとしか考えられぬ。」
「加護の無い身で、剣を切り捨てる事が出来るほど、だからこそですか。しかし。」

そして、ニーナが改めて己の在り方を。

「我が身は主を守る盾。神国の誇る輝ける盾。守るべき相手から傷をつけられたとはいえ、そうでは無いものからの刃、その一切を間違いなく防ぎましょうとも。」
「ああ。どうにも我らの輝きが曇る事が並んでいる。しかし、磨き上げたのは何も異邦の物たちだけではない。我らとて、この世界で国の歴史と同じだけの年月を確かな物として来たのだ。恐れ多いこととは思いますが、神々とて遡れば我らの国と生まれてからの歳月は違いありますまい。」

そう、この世界には前提がある。神々が、初めから上位と定められた存在であろうとも、構造における疑問を無視してしまえば、発生から得る事が出来た年月は変わらない。単独の存在として、それとも種族として、組織として。その差はあるのだとしても。

「心地よい遠吠えね。さて、アイリス。裔たる貴女は、この場で何を己の爪と牙に誓うのかしら。」
「決まっています。この爪よりも、牙よりも。黒鉄の輝きがこの目に焼き付いたのです。」

祖霊を前にする、その経験を得てきたのだとアイリスは言外に示していた。だというのに、その心の向く先は薩摩隼人に憧れ、しかし門徒となるわけでもなく、独自に磨き上げたかつての何物でもない異邦人がひたすらに、がむしゃらに積み上げたものだ。伝えられている術理は最低限。最も分かりやすい流派の根底すら不確かな形でしか残せていない。だからこそ、名乗った流派は彼の憧れの先ではなく、己が憧れた形としてかつての己とも違う、幻想世界を駆け抜けた己の憧れを詰め込んだ形、それに与えた名前。

「私は、私に誓ってハヤト様の憧れを、焦がれた刃を軽んじる者達に、確かに思い知らせましょう。ハヤト様の願いは正しく、求めた道の先は確かであったのだと。」
「貴女程度が、よくも、まぁ。」
「私程度が、御身に確かに届く刃となったのです。」

そう、それはトモエがかつてシグルドたちに向けて語ったように。

「あまりにも隔絶している、だから何だというのですか。」

そして、ハヤトという異邦人は、人とは比べ物にならぬ身体能力を持つ者達の中、そこで生活していたのだ。だというのに、彼の名を冠する流派、その手ほどきを受けたという事が誉れとして通るというだけの物を示して見せたのだ。トモエは、流派という存在そのものに重きを置く。だからこそ、根底にある評価基準は正しく伝えられたかどうか、己の掌中にあるものをそっくりそのまま渡すことができたかどうか。そして、受け取った物が、そこに新たな何かを加える事が出来たのか。そういった項目を元に裁定がなされる。

「高々、祖霊、その一部程度。まだまだ未熟たる己の刃で着る事が出来た程度の相手です。」
「よくも吠えたわ。ええ、ならば存分に試しましょう。貴女達が、この場にいる私程度に試される。それを忘れさせないように。それでも踏破出来るのか分からない、そんなあまりにも小さきものであると思い知らせましょう。」

切り結ぶ刃、斬り、砕いたはずの氷柱は瞬きをすればいつの間にかさっきまであった場所に、離れた場所に林立し、そこから祖霊が顕れ刃を躍らせる。氷と、その冷たさを存分に湛える鉄の冷たさが躍る森の中。獣同士のじゃれ合いに、アベルが戦闘の最中というのに、今この場で頭を抱えたいとそのような様子を隠しもしない。彼にしても、以前の祭りの折からさらに磨きをかけたようで、それこそ当たるを幸いに守護を本分と言いながらも、荒れ狂う嵐のようにアイリスの周囲を薙ぎ払い続けている。竜巻の中心こそが無風であり、安全なのだと。だからこそそこに守るべきものを置くのだと言うかのように。

「オユキ様。くれぐれも。いいですか、くれぐれも王太子妃様の臨席を賜る場では。」
「そういったお話は後で聞きましょう。どうやら、アイリスさんの熱で、相手も思うところがあるようです。」

そして、アイリスがただ高く吠えれば、彼女に付き従う者達がそれぞれに異なる音を返す。生憎と遠吠えにどういった意味が込められているかなど、人の身では分かるはずもない。

「さて、今度ばかりは私もトモエさんに主役を譲れという気はありませんとも。」

しかし、意味が伝わらねども、そこに込められた物が感じ取れるという訳でもない。
そして、アイリスが己の連なる祖を誇るように、確かに焦がれる先は別にあるとしても飲み込んだうえでとするほどに大事と置いているものがある。オユキと同じように。

「冬と眠り、そして、先の事。」

そして、狐の祖が行う試しの形、それはいかにも分かりやすい挑発の形ではないか。

「ええ、トモエさんが確かな願いと共に用意した名前です。」

現れる形としては、冬と眠り。

「私の連なるものとて、ええ、相応に良く知られた伝承ですとも。」

相手がただ種族として存在するからと、その程度で誇るのであれば。
オユキとしても、名に込められた願いをもって示さねばならない。特に、その名が連なる伝承から近い場でもってトモエにまで危害を加えようとするのであれば。

「この名の示す場、それがトモエさんに牙をむくというのであれば、ええ。」

この後、そこに控えたものなど知ったことではないと。数度使った事がある物ともまた違う。ただ、ここに来て、どうにも実感に乏しかった周囲のマナ。無自覚に取り込んでいた、己にとって馴染みやすいそれが今は確かに他にひれ伏しているのだと分かるから。

「主導権争い、ええ。少なくとも望外程度はして見せますとも。」
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