手が招く

五味

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三章 

沼の底 8

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目を覚ました海斗は、動き回ったそのままだったせいか、それとも何ともないと、そう考えていた夢でも、寝汗を書いたからか。
やけに肌につく、衣服の感覚に不快感を覚える。
それを洗い流そうと、シャワー室へと向かうために立ち上がると、足首から痛みが走る。
見るまでもなく、あの夢、夢としか言いようのないもので、散々掴まれたせいだろう。
また、あの気味の悪い痣が広がっているに違いない、そう考えて脱衣所まで移動し、そこで改めて確認すれば、彼の想像よりも、かなりひどいものがそこに広がっていた。

これまでは、せいぜい打ち身、少々黒ずんでいるくらいだった痣は、特に痛みの走る足首当たりでは、赤黒く、血が固まったかのような色をしている。他の場所も、時折目にする、あの泥のような、そんな色合いがひざ下まで、それも両方に広がり、さらに腹のあたりにも、一つ手形がくっきりと残っている。
洗面台の鏡を使い確認すれば、腰回りにも、手形があるように見えた。
それを一通り確認すれば、彼はもうため息をつくしかなかった。
不気味だ、訳が分からぬ、そう恐慌状態に陥るものもいるだろうが、彼には夢の中で得た直感。
既に死んだ、未練を残し、正者にすがる、亡者としか言いようのないそんな抜け殻、それが彼自身をどうこうできるとは、考えられなかった。

「まぁ、こういうところは昔と同じか。」

そうして、そんなことをつぶやいて、さっさとシャワーを浴びる。
シャワーを浴びながらも、昔、それこそ不気味なあの男、普通なら眉をひそめて、見なかったことにする、そんな相手の後ろをついていき、襲われる誰かがいるのを見て、とっさにでも動く。
そういった紙一重の物が、彼をそれに対して怯えさせなかった。
これに怖がり、忘れようとしたところで、何も解決などしない。
時間は、いつまで残っているのかもわからないが、とにかく忘れてしまう、その前に、この件に何かの決着をつけなければならない、そんな使命感に似た物に、今はただ、突き動かされていた。

冷水で体と、頭を冷やした後、彼は真新しい服に着替え、仕事机にいつものように座る。
普段であれば、直ぐに連絡の確認を行うが、今はそれよりも、残したメモ書き、それが消えていないか、それの確認から行う。
やはりというべきか、メモ書きは既に何処かへと消えていた。
書き残したはずの文字だけが消えている物、そもそもそんなものは無かったと、メモ用紙自体が無くなっている物。
立ち上げたパソコン、そこに保存したはずのものも、それが当たり前と、そういうように消えている。
ただ、彼としてはうれしい発見が一つあった。
覚えようと、そう意識を強く持っていれば、消えた物に関しても、問題なく気が付くことができる。
それこそ、あの教師が、同級生が、それを突然思い出し、違和感を覚えだしたかのように。
そうであれば、まだ時間は、楽観的すぎるともいえるが、まだ残されてはいるのだろう、そう彼は考える。
そして、そこで大きくため息をつき、煙草を取り出し火をつける。

これまでで分かっていることは、大まかに二つ。
人が消え、関連する情報も、次々と消えていく。
あの泥まみれの手と関わると、それをきっかけに消える。
この二つ。
彼は、そんな訳の分からないものに関してて、どう調査をすればいいのかと、そう頭を悩ませる。
消えた人間は、恐らく、そう考えたくもないが、あの手に招かれて、あの沼の底へといったのだろう。
では、招いているのは誰だ。
調査対象の中村、依頼人の上沼、彼を手伝っていた伊澄。
この三人に共通点など存在しないはずだ。
年齢も大きく離れているし、しいて言えば、上沼の両親が居を構える場所が、花家の住んでいた場所とそう離れていないことくらい。
仮にそれが原因だというのであれば、それこそあの近隣の住民が無作為に消えるはずだろう。

そこまで、考えて、いや実際にそうであったとすれば、結局誰も気が付かくことなく、ただ人が消え、そして誰も気にすることもなく、違和感を最初の頃は感じながらも、次第にそれも薄れて、後は何事もなく、そんな人物は最初からいなかったものとして、生活を続けていくのだろうか。
それに気が付いた、あの依頼人が、彼が、特殊なだけで。

彼がそうして思考で遊んでいるうちに、煙草はずいぶんと短くなり、唇に熱さを覚えるほどになっていた。
それを適当に灰皿で潰すと、それでも日々の業務もやらなければと、切り替えきれない頭のまま、届いているメールや、留守番電話、そういった物を確認しながら、それぞれに対応をしていく。
その間も、どう探せばいいのか、何を探せばいいのか、ただ、それを考えながら。

そうして、淡々と手間のかかる事務仕事を彼が行っていると、突然彼の携帯が鳴りだす。
画面を確認すれば、それは彼が疑念を覚え始めている、そんな相手からの電話であった。
作業を進める手を止め、彼は電話を手に取る。
お決まりの言葉で、電話に出れば、電話先からは、これまでと変わらない、何処か怯える様な、おどおどとした相手の声が聞こえてくる。

「その、今、時間は大丈夫でしょうか。」

いわれて、彼が時計を確認すれば、既に夕方とそう呼ぶには少し遅い、そんな時間になっていた。
これまで、伊澄がいたことで、随分と楽になっていたのだなと、彼は改めてそれを感じる。

「はい、問題ありません。何か、ありましたか。」
「あの、美夜ちゃんの事なんですけど。」

そういって、電話先の相手はしばらく黙り込む。
促さなければ、口にしないかもしれない、そう感じた彼は、質問を投げかける。

「調査対象の上沼さんですね。彼女が、なにか。」
「その、言っても、信じてもらえないかもしれないんですけど。」

そういう依頼人の声は暗く、明るい話、ひょっこりと戻ってきた、そういうわけでもないだろう。
であればと、彼はそう考えて、口にしにくいだろうことを、先に聞く。

「夢の中で、訳の分からない場所。そこで声でも聞こえましたか。」

そう、彼が言えば、驚いたような、息を呑む音が聞こえ、そしてまた依頼人が黙り込む。

「私も、そういう夢を見ましたよ。
 そこで、花家の声が聞こえたりもしました。」

果たして、まったく関係のない人間が、同じタイミングで、同じ夢を見る、そんなことがあり得るのだろうか。

「起きたときには、痣がひどくなっていましたが、そちらは大丈夫ですか?」

そう尋ねて、しばらく待つと、相手がようやくしゃべりだす。

「はい。その、少し濃くはなっていますが、大丈夫です。」
「ならよかった。ひどくなるようでしたら、まぁ効果があるのかはわかりませんが、再度通院されるといいでしょう。お話は、そのことでしょうか。」
「いえ、それだけではなくて、その、その夢を見てから、美夜ちゃんと一緒に取ったはずの写真が無くなったりしていて。このまま、私まで忘れちゃうんじゃないかって。それで、川辻さんは、まだ覚えているのか、不安になってしまって。」

彼は、それに対して、ああ、と。
そう間の抜けた声を漏らしてしまう。それもそうだろう、昨日それまでに調べたことは、彼女にも伝えた。
そこには、忘れるはずのないだろう彼女の両親、それが家には今二人しかいないと、そう答えたことも書いてある。
そんな人物が忘れるくらいだ、彼女の依頼を受けただけの人間が、まだ覚えているのかどうか、それを気にするのは自然なことだろう。

「忘れてなどいませんよ。勿論、調査は続けます。
 いえ、隠し事なく言えば、行き詰っているのも、事実ですが。」
「その、ごめんなさい。」
「謝っていただくような事ではありませんよ。仕事として一度お受けしたわけですから。
 万が一、どうしようもないと、そう判断すれば、事前にお話ししたようにこちらから、違約金をお支払いさせていただきますので。」
「いえ、いいんです。その、無理なことを、お願いしているのは、私もわかっていますから。
 それに、その、花家さんまで。」

そう言われて、彼は、こぼれそうになったため息をどうにか飲み込み、言葉を作る。

「そうですね。ただ、関係はどうでしょうか。原因もわかっていないので、誰のせいと、そういう事はいいませんよ。花家も含めて、今後も調査は行います。」
「その、よろしくお願いします。」

そういう依頼人と、そのあともいくつか言葉をやり取りしてから、電話を切る。
それと同時に、彼は大きくため息をつく。
どうにも、彼女を疑う、その思考が頭から、完全に抜けていかない。
それでも、彼女は依頼人で、友人が消えた、その事件の被害者なのだ、そう何度か自分に、言い聞かせる。
彼女が消える前、二人きりであっただろう人物が、自分以外に、依頼人だけだとしても。
そもそも、こんなわけのわからない事態を、どうして誰かが引き起こせるというのだろうか。
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