手が招く

五味

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四章

沼の底から 4

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「まぁ、向こうも同じ。なるようにしかならないだろう。」

海斗がそう言えば、あきれたと、そういった感じで伊澄がため息をつく。

「その、もう少し、お客様に対してもそうなのですが、どうにかなりませんか。」

彼は、これまでで、初めて彼女から仕事に対する話を持ち掛けられたな、そう感じる。
それこそ、事務的な、書類であったり、処理の手順であったり、その確認は取られることはあったが。

「そんなにすぐには、変わらないさ。
 これでも、ここまでそれなりに、このままやって来たからな。」
「それで、どうするんですか。」
「話は聞くさ。ここに来る前にもそうしていた。
 それ以外に、出来ることもないしな。大体、こんなわけのわからない状況、どうにかできるわけもない。」
「それなのに、来たんですか。」
「来たというか、連れてこられたというか。
 まぁ、探しに来るつもりではいたさ。」

そんな話をしながら、こんな風に話すの初めてだなと、そう感じながらうずくまり、沼に捕らわれた依頼人に近づく。
先ほども驚いたように、既にこの空間で彼は重さを感じることもなく、動けるようになっている。
どういった状況か、見てわかる程度の距離、歩けばすぐにそばにたどり着く。

側に不細工な人型を侍らせた依頼人は、ただ俯いて、涙を流している。
泥人形の口が、ただ黒々と穴をあけている様子を見れば、恐らくそこから、何かの声が漏れているのだろう。
彼にはそれが届くことはないが。
知らないからだろう。彼が、調査対象、その人物を。
知らなければ、分からない。所詮ここはそういった場所なのだ。
彼女の両親が、彼女を引き込もうと、そうしたのかと彼もふと考えはしたが、知らなければ、元の形で見えないような、そんなまがい物の場所なのだ。
依頼人を引き込もうとしているのは、依頼人の友人である調査対象ではなく、ただ道連れを、未練を残した何かわけのわからない塊が、それを晴らそうと、慰めようと、新たな犠牲者を求めているだけ、そんな場所なのだ。
そんなことを考えながら、依頼人の隣に立つ。
さて、なんて声をかけようか、そう彼が考えていると、依頼人のほうから先に声が上がる。

「私は、このままここにいます。」

言われた言葉に、まぁ、そうだろうなと、そんな感想が浮かぶ。
それをそのまま口に出せば、後ろをついて生きている彼女から、またここ数日よく聞いた言葉を言われるのだろう。
そんなことを思い、なんといったものか、そう考える。
そして、その沈黙に、彼よりも先に彼女が口を開く。

「それで、いいんですか。」
「いいんです。だって、私が死ぬべきだったんですから。」

彼女は、泥の沼に涙を落としながら、ぽつぽつと話す。

「私より、きっと美緒ちゃんが生きていたほうが、みんな喜んだんです。
 私が一人で死んでいれば、きっとみんなもあんまり悲しまなかったし。
 私だったら、皆忘れても、納得したんです。」

だから、ここで、調査対象が望むなら、残るんです。
そう彼女はつぶやく。

「それでも、きっと。あなたの両親は悲しみますよ。」

そう、伊澄が声をかければ、その答えは簡単だ。
既にそうなると、わかっていることでもある。
依頼人だけが、一人で抱え込んでいたなら分からなかっただろうが、彼は報告したのだ。
記憶から、記録からも消えていくと。

「でも、忘れるんでしょう。
 だったら、いいじゃないですか。
 私みたいなのが、いなくなっても、きっと誰も困りませんよ。」

そういって、依頼人はただただ涙を流しながら話す。
彼は、思えば、ここまではっきり話す、そんな様子を見るのは初めてだな、そんなことを考える。

「両親だって、そうですよ。
 私のせいで、あんないい子が、そういっている人だっていたんです。
 そうですよね、こうやって、面倒な話を持ち込んで。
 花家さんも巻き込んで。
 川辻さんにだって、ひどいことを言いました。
 だから、私はここで、こうしているのがいいんです。」

その言葉に、伊澄がすぐに反応する。

「私は、巻き込まれたわけじゃないですよ。
 ここには、私の両親が招いたんです。いえ、両親のような誰か、ですね。
 結局、私も同じで、招いたのは切欠で、自分でここに来ることを望んだんですから。」

そういって彼女は、泥の中に座り、依頼人と目を合わせる。
そして、訥々と語る。
それは、彼から依頼人に話した事件の事もあれば、今、彼女が言ったような、そんな周囲からの仕打ち、それにつかれていたこと、そういった事を、ただ訥々と。

「辛いですから。向こうは。
 でも、ここにいても、きっと辛いですよ。
 だって、此処にいると、また、次に誰かを呼ぶことになるんですから。」

そう語る彼女に、依頼人は顔をあげて、鋭いまなざしを向ける。

「いいですね。あなたは。助けてくれる人がいて。」

そう言う彼女は、やはりずっと、涙を流しながら声を上げる。
その表情は、先ほどの彼女と、よく似た表情だった。
似ているからと、依頼人を狙った、そんな男の目が、悔しいが正しい、そう思うほどには、よく似た二人なのだろう。

「あなたにも、居たじゃないですか。」
「いたんです。もういないんです。」

そう、叫ぶように声を上げて、髪を振り乱す。

「私なんかを助けて、死んでしまって。
 じゃぁ、あなたは、あなたならどうしたんですか。
 あなたを助けた、川辻さんが死んでいたら。」
「さぁ、分かりません。その、友人というわけでもありませんでしたし。
 先ほどお話ししたように、それがきっかけで知った、本当にそれだけですから。」

依頼人の表情が見える、そこに立っている彼には、目線を合わせて話しかける彼女の表情が見えない。

「ただ、私も、私の代わりに両親が殺されました。」

そう、彼女が告げれば、依頼人は息を呑むような、そんな音をこぼして黙り込む。

「なんででしょうね。本当に。辛い事ばかりです。
 忘れてしまいたい、そんな事ばかりです。」

そういったきり、彼女もまた、黙り込む。
そのやり取りを聞きながら、さて、どういった言葉を彼から伝えられるだろうか、そんなことを考えて。
ようやく思いついた言葉を彼が告げる。

「まぁ、結局のところ、どうしたいのか、それは任せます。
 そこにまで、口を出せる様な関係ではありませんから。」

彼がそんなことを言い出せば、彼女がゆっくりと顔をあげる。
依頼人は、まだうつむいたままだが、そのまま待てば、また彼女から、聞き慣れてしまった言葉が出るのだろう。

「ただ、まぁ。上沼さん。あなたはそれでいいんですか?」

彼が気にするところは、結局一つだけだ。

「あなたが消えて、あなたの友人、中村さんを覚えている人が、誰一人いなくなって。本当にそれでいいんですか?
 今はあの両親も、亡くなった、そのことを覚えているようでしたが、当然今後はわかりません。
 それで、あなただけでなく、中村さん、あなたの友人を、本当にいなかったことにしてもいいんですか?」

そう、つまるところ、彼としては。
どんな形であれ、手の届くところであれば、出来る事であれば、手伝おうそういった考えでしかないのだ。
それこそ、彼女を助けに入った時も。
この依頼人から、依頼を受けたときも。
特に、深い考えがあるわけでもないのだ、困っている、だから助ける。
目の前で起きていることだし、彼でどうにかできそうな、そんな事だから。

「ご学友は、あなたが言ったように忘れているのでしょう。
 それとも、忘れることで、無かったことにして、悲しさから目を背けることを選んだのかもしれません。
 それこそ、本人に聞かなければわからないでしょうが。
 中村さんのご両親も、いつかはそうなるかもしれません。」

そして、誰も彼もが忘れてしまえば、その人物がいた、その証拠となる、今回であれば、メッセージのやり取りの記録、写真、そういったものが無ければ、探しようもない。
そんな人物はいない、依頼人の妄想と、初めから切って捨てて、依頼を受けないだろう。
それは彼の手に余るから。
また、知らないところ、彼の気が付かないところで事が起これば、やはり何もできないし、それに対して何かできたかもしれない、そんなことも考えない。そこには手が届かないから。
ひどい人、そういわれるのも納得せざるを得ないなと、彼は自嘲する。

「そして、結果として、誰もあなたの友人を覚えていない、そうなっても、構いませんか?」

彼がそう言って、振り向いた依頼人と目を合わせる。
何処にそれだけの水分があるのか、そう思いたくなるほどに、依頼人はずっと涙を流している。

「まぁ、無理に前向きになれとは言いませんよ。
 私も、辛くて、覚えておくことから逃げた口ですから。
 自分の事を棚に上げてと、そう思うのでしたら、それでもかまいません。」

それで、どうしますか。
そう声をかけて、彼は彼女の返事を待つ。
その最中、彼にも、泥の塊、その穴から洩れる声が聞こえ始めた。

お前のせいで死んだ。
お前なんか助けなければよかった。
お前がなにかすれば私だって助かった。
お前は助けられたのに助けない薄情者だ。
私が生きていたほうがみんな喜んだ。
悪いと思うならここにいろ。

そう、ただただ怨嗟の声を漏らす、そんな不細工な人型。
きっと、彼女にしても、依頼人にしても、自分を責めるように、そんなことを考えてきたのだろう。
彼女の両親が、それこそただの学生に、額に傷ができるほどに床にこすりつけて、謝ったように。
彼は当事者だが、立場が違う。
その彼には分からない、そういった感情が、確かに根深く渦巻いたのだろう。
ついた傷が、腐臭を放つ、それほどまでに長く癒えず、深い傷になるように。

「でも、どうすればいいんですか。
 みんな忘れて。伊澄さんだって、こっちに来たら、やっぱり私も忘れて。
 私が戻ったって、これは何も解決できていないじゃないですか。」
「まぁ、そうですね。
 正直、今でもこれは夢だったと、そういわれたほうが納得もできますね。
 ただ、まぁ、あなたがそうだったように、私がそうだったように。
 忘れないようにと、そうするしかないんじゃないですか、忘れたくない事なら。」

彼は、事ここに至っても、このわけのわからない事態、その解決の目途なんか立てられはしない。
これはやはり、彼の手に余ることで、同行しようとも思えない。
そもそも、今度は自分がここからどうやれば戻れるのか、それすらもわかっていないのだから。

「ほんとうに、ひどい人ですね。」

そう、もはやお決まりになったかのように、彼女が言う。
依頼人は、体の半分以上が沈んでいた泥から、既に出てきている。
なにがきっかけになったのか、彼には分からないまでも、そこから出てこようと、そういう思いは働いたのだろう。
立ち上がる依頼人は、泣きつかれたのか、彼女が手を引き立ち上がらせると、そのままもたれかかるような体勢になる。

「そう言われても、困る。
 正直、こんなものは初めて遭遇するし、これまでもないとそう思っていたんだ。
 さて、これからどうするか。」
「ほんとうに、何も考えずにここに来たんですね。」
「何か少しでも分かっていれば、相応の事を考えたさ。」

そんなことを話していると、泥の塊が、流れ落ち、そこからは彼も写真で見たことがある、そんな姿が現れた。

「心配だなぁ。ねぇ美夜ちゃん。私がいなくても、大丈夫?」

そして、その口からは、先ほどまでの怨嗟の声とは違って、本当に、心から心配そうに、依頼人を気遣う声がかけられる。

「別に、気に病むことなんてないんだからね。
 私が助けたくて、助けたんだし。まぁ、映画みたいに上手くは行かなかったけど。
 私だって、美夜ちゃんに死んでほしくないから、頑張ったんだから。」

そういって、依頼人に近づき、その頭を軽く数度叩いて、続ける。

「だから、ごめんなさいより、ありがとう、とか。
 褒めてくれたりするほうが、私は嬉しいな。」

それを聞く依頼人は、伊澄に抱き着くようにして、ただ泣きながら、何度も頷いている。

「ねぇ、おじさん。
 私が心配だから、様子を見てあげて、って言ったら、聞いてくれたりする?」
「いや。難しいな。仕事もあるし。」

彼が常の調子でそう答えると、そうかー、とさして期待もしていなかった風に、応える。
そして、横からは聞き慣れた声で、聞き慣れてしまった言葉が聞こえる。

「私が、気にかけておきますよ。同性ですし。よく似ていますから。」
「そっかー、じゃぁ、そのほうがいいかな。」

そうして話しているうちに、彼は夢から覚める、そんな感覚を覚え始める。
あたりからは、立ち込めていた腐臭も消え始め、周りを取り巻く泥も、ぼやけ薄れていく。

「じゃ、そろそろお別れかな。
 いい、美夜ちゃん。嬉しいことをしてもらったら、ありがとう。
 悪いことをしたと思ったら、ごめんなさい。
 これを言うだけで、友達だって簡単にできるからね。あんまり心配させないでね。」

そう、依頼人にかける言葉を聞きながら、景色に合わせて意識も薄れていくのをただ感じる。
その中で、どうにか見えた依頼人は、伊澄に抱き着くように、ただ涙を流しながら、何度も頷いていた。

「心配して、ここまで来てくれて、ありがとう。
 私ももっと生きたかったなって、どうしてもそう思ってしまうけど。
 それでも、美夜ちゃんを助けてよかったなって、そう思うんだ。」

その言葉を最後に、あたりが真っ白になる。
あとは、また、事務所で、いつものように目を覚ますんだろう。
そう彼がぼんやりとする頭で、そう考えていると、揃った男女の声で、娘を頼むと、何処かから聞こえてきた。
眠りから覚める直前の、ぼんやりとした頭では、彼がそれに何と答えたのか、彼自身にもわからなかった。

そして、目を覚ますと、彼の向かいで、机に伏せて静かに寝息を立てる依頼人と、彼にもたれるように、眠る伊澄の姿があった。
結局、何もわかってはいないけれど、ひとまず彼にとっての事件は、これで決着したのだ。
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