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中二病患者
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誰でも、とまではいかなくても、男子だったら十四歳頃にかかったことがあるだろう。
中二病。
思春期にありがちな病気だ。一度かかってしまうと、年齢を重ねた後にとても死にたくなるので、早期発見、早期解決が望まれる。
実を言うと俺も中学時代にかかったことがあるので、あまり思い出したくない記憶の一つとなっている。母親に急に冷たくなったり、好きでもないブラックコーヒーを飲んだりしたものだ。
しかし友人関係の経験から、中二病には色々な種類があるようだ。自分は特別なんだ、という根本的な概念は変わらないが。
まず、根は真面目だったり臆病だったりするのに不良ぶるやつ。喧嘩とか犯罪行為に対する虚言が多くて、反社会的な行動を好んでいた。いわゆるDQN。
ボクシングを本気で習っている友達は、「年上との喧嘩で勝ったことがあるけど、中二病って思われそうだから人には言えない」とその話題の時に笑いながら話してくれた。
あと、何でもかんでもマイナーな方へ走るやつ。特にそれが好きなわけではなく、ただ他人と違う自分を格好いいと思っているらしい。俺もこのタイプだった。こういうやつに限って洋楽を聴き始めちゃったりする。英語分かんないのに。
そして、キャラを作り出すやつ。アニメとかライトノベルとかに影響されて、不思議な、超自然的な力に憧れ、自分には得体の知れない何かに憑かれたことによる、発現すると抑えられない隠された力があると思いこむ。
怪我もしてないし痛くもないのに、包帯やら眼帯やらをつけたがるんだなこれが。そういうのがかっこいいと思ってる。
なんで改めて顧みたくもならない自分の黒歴史を掘り起こしながら、こんな思い当たる節があると耳を塞ぎたくなる話をしたのにはちゃんと理由がある。
あまり直視したくない強制成仏とやらを見た翌日、六時限目は体育だった俺は、体育館から教室へ戻るところだった。
そこで見つけてしまったんだ。
いや、幽霊なら体育見学してるやつもいたから、特別驚くことではないんだ。
気になるのは、俺のクラスの教室の前で、意味深な表情で窓の外を眺めていた青く、影のない透けている少年。恐らく同い年なんだろうが、身長は男子にしては小さい方だった。百六十くらい。
問題は見た目だ。左目には眼帯がしており、うっすら赤く滲んでいる。すぐ目を逸らしたが、あれはただの赤インクだったと思う。それから右腕。包帯がぐるぐると手首から間接の手前まで巻いてあった。
半袖のワイシャツを第三ボタンまで開けて、中からただの赤いTシャツが顔をのぞかせている。頭はワックスをつけて、カッコよく見せているつもりなのだろうが、残念ながら寝癖が酷いようにしか見えなかった。
この人、中二病だ。しかも、キャラつくるタイプの。
反射的にそう思ってしまった。幽霊じゃなくても関わりたくない。
外見が多少アレだが、何もしてないんだし、ソラに報告するまでもないだろう。
俺はそそくさと教室という名の安全地帯に入って行った。
六時限目が体育の日は、着替えに時間がかかるので、いつも帰りのホームルームが普段より遅く始まる。
女子の着替えが遅いんじゃない。男子の着替えが遅いのだ。
この学校では、男子は教室、女子は女子更衣室で着替えることになっているのだが、男子はのろのろと体育館から戻ってくる上に、ふざけながら着替えるので、担任が教室に入ってきた時にはまだパンツの生徒も結構いる。
加えて、早く着替え終わった女子が教室に入ろうとするなら、「見ないでー!」なんて甲高い裏声を出して茶化す男子がいるので、女子も迂闊には入れなくなっていた。
そんなわけで、運動部の中で「早く行かなきゃ」と焦るやつと「もう少しホームルーム長引け」と懇願するやつとでクラスメイトが二分されて少し面白い状況である。
まあ、帰宅部にはなんの関係もないんだけど。
掃除のために椅子を机に乗せて、後ろに下げる。後は自転車置き場に向かうだけだ。
友達に手を振って、一番乗りとばかりに、廊下へと続くドアを開け、一歩エアコンの効いていない空間に踏み出すと。
ざわめきが一気に消えた。
突然の静寂に驚いて、さっきまでいた教室を振りかえると、クラスメイトは誰一人としていなかった。
どういうことだ、少し前まで掃除をしようとするやつとか、机をまだ下げ切っていないやつとか、たくさんいたじゃないか。
「嘘だろ……?」
「嘘じゃねーよ」
教室を茫然と見つめる俺の背後から聞こえた声に、全速力で振り向くと、関わりたくない生徒が立っていた。
左目の眼帯、右腕の包帯、はだけたワイシャツに赤いTシャツ。
中二病の、アイツだった。
「お前、オレが見えるんだろ?」
そいつはニヤリと口角をあげた。背中にある両手で持っているらしいナイフが、窓からの日光を受けて、キラリと鋭利に輝いた。
まずい、と本能が反応した。生命の危機を感じる。
右肩にのみ重さを与えるスクールバックを、どすんとその場に落とし、俺は駆け出した。
「そうそう。その顔が見たかったんだよ」
背中に笑い声を受けながら、やっぱりこいつは中二病だと再確認。
だが今はそんなことを思っている場合じゃない。
俺はとりあえず校舎を出ようと、正門に向かっていたが、どこの教室の前を通っても、人が見当たらない。
「なんで誰もいないんだ!」
後ろを見ると、眼帯寝癖野郎が追いかけてきていた。右手にはナイフ。
こんな無駄にスリルのある鬼ごっこなんて求めてない!
ポケットからなんとか笛を出した時、足元を見ていなかったため、トイレの前に置いてあった、「清掃中、足元注意」の看板に躓いてしまった。
俺は盛大にこけてしまい、床に顔面から激突。
笛は見事に手から離れ、廊下をからからと滑って行った。
まずい、と焦って、笛を取ろうと顔を上げたが、立ち上がれなかった。
眼帯が馬乗りになってきていたのだ。
「オレさぁ、自分が死んでるって、知ってるんだ」
目に映るのは中二病の狂った笑顔。その奥には天井。
左手が俺の首を握りしめて、だんだんと気管を狭めていく。
「か……っ!」
「だからぁ」
右手が高く振り上げられた。刃が鋭く俺の喉元を見つめてくる。
俺はやつの左手を必死に掴むが、力は緩まない。
「今生きてる人間、殺してみてもいいよな」
よくねぇ!!
右手が振りおろされる前に、そいつの左頬に拳を叩きこんだ。一瞬生まれた隙を見逃さずに、俺は中二病をどんと突き飛ばし、腹を蹴っ飛ばした。鳩尾に入った感触があり、小柄だったせいか、軽く吹っ飛んでくれた。
「げほっ! がはっ!」
取っ組み合いの派手な喧嘩なんて人生でしたことがなかったから、人を殴ったり蹴ったりするのなんて初めてだった。
お互いせき込みながら、俺ははいはいで進み笛を拾い上げて、全身全霊を込めて吹く。
早く来い!!
「くそがぁぁあああ!」
ソラが来る前に、また襲いかかって来そうだったので、俺は慌てて立ち上がり、再び駆け出した。
走りながらどこへ逃げようか考える。
今まで学校外で幽霊を見たことはまだない。恐らくこいつも学校の外までは来れないはずだ。
とにかく学校から出よう。
しかしここはあいにく四階だった。一階を目指して階段をがたがたと下っていると、上からひゅっと音がして、何かと思ったら複数のコンパスが針を下に向けて舞い降りてきていた。どっから持って来やがった。
「うおっ!!?」
がががっ、とコンパスが手すりに突き刺さる。手すりを滑っていた右手が危うくコンパスの餌食になるところだった。
どうやら武器はナイフだけじゃないらしい。
なんとか一階にたどり着いた。近くの教室に入り、黒板消しを二つほど拝借し、反対側にあるもう一つのドアからすぐ出ていく。
追いかけてくる包帯男も一度同じ教室に入り、ガタゴトと何か音をさせてから出てきた。
走りながら、距離を確かめようとちらと後ろを振り向くと、なんと椅子を振りかぶっていた。
そのまま投げ飛ばしてくる。
「マジかよ!?」
かなりの勢いで飛んできた椅子を間一髪で避ける。
標的に当たらなかった椅子は、ガランガランと派手な音を立てて廊下を転げ回った。
それを横目に、俺は曲がり角を曲がって待機。大きく落ち着きのない足音と、荒げた息が近づいてくるのを聞きながら、タイミングを見計らって、二つの黒板消しをばんと突き出した。
「うわっ!」
見事に中二病の顔面にクリティカルヒット。掃除前の黒板消しは、大量のチョークの粉を吸い込んでおり、力いっぱいはたかれたそれらは、もくもくと白い煙を巻き上げていた。
「げほっ、がはっっ!」
相手がせき込んでいる腹を思いっきり蹴飛ばす。さっき同様、やはり軽く後ろへ吹っ飛んでくれた。
俺は今度こそ校門へと走る。最早ソラは期待できないとすら思い始めていた。
足遅いんじゃないのかアイツ!?
「てめぇぇええええ!」
涙目で目をこすりながら怒号を上げる少年。すぐにでかい足音が近づいてきた。
「殺す殺す! 絶対殺す!!」
言動だけならまだ可愛い中二病なんだが、本当に殺されかけているだけに洒落にならない。
額に汗とわずかな風を感じながら、廊下を人生最高速度で走りぬける。
しかし、所詮帰宅部。中学時代にバスケ部で鍛えていた筋肉は半年以上におよぶ受験勉強でとっくに衰えていた。
襟首を後ろからぐんと引っ張られ、俺は背中から床にダイブした。
「っだ……っ!」
どん!と廊下の冷たいタイルから与えられる鈍痛に堪え、上体を起こした俺の頬に、包帯を巻いた拳がクリティカルヒット。
一瞬頭が真っ白になり、目が少しちかちかした。
争いを好まず、平和に生きてきた俺が顔面を殴られたのは生まれて初めてだ。
しかし目の前の眼帯男は殺すと言いつつ、ナイフで腹を突き刺さないで殴っただけ。
やっぱり中二病なだけだから、殺人には多少の抵抗があるのだろうか。
「ぶっ殺す!!!」
相手の良心に少しだけほっとしていたら、気性の激しい少年が俺を押し倒そうとしていた。特別良心なんてもんはなく、単に刺しにくかっただけのようで、確実にジ・エンドとなる体勢で今度こそ仕留めにかかってきた。
俺は、左頬の痛みに耐えて、至近距離にある寝癖頭に、勢いをつけて頭突きを食らわした。
「ぐがっ!?」
怯んだ相手を突き飛ばし、校門を目指す。額がずきずきと苦しむが、気にしている場合ではない。
「だぁぁぁあああ!」
背後から、大きな奇声が聞こえてきた。あの声に追いつかれたら、十六年の人生に幕を閉じることになってしまう。
まずいな、と疲労が溜まり始めた足を無理矢理動かして、一センチでも距離を取ろうとしている時。
目の前を弾丸がチュン! と通り過ぎて行った。
嫌な汗をかいたのち、弾が飛んできた方向に恐る恐る顔を向けると、得意げな顔のソラが銃を片手に立っていた。
「お待たせー」
「殺す気か!」
呑気な声をかけてくるソラに俺は怒鳴りつける。
救世主となるはずだった味方に殺されかけては、文句の一つも言いたくなるというものだ。
ソラは悠々と歩いてくる。中二病は、ナイフを片手に猛進して来ていたが、ソラの存在に気付くと、途端に足を止めた。
「だからノーコンって言っただろ」
ソラはだるそうに銃をくるくると指でもてあそぶ。
ナイフより強そうな飛び道具を持った相手を発見してしまったせいか、小柄な少年は虚勢を張りながら震え始めた。
「何だよお前!」
始めから知ってたくせに、叫んだそいつにようやく気付いたような顔で、会話を交わすソラ。
「お前こそ何だよ。顔真っ白だぞ。舞妓さんでも目指してんのか? 似合ってるぜ」
「うるせぇよ! そいつにやられたんだ!」
「え? お前?」
心底びっくりした表情で俺を見てきた。
その白いのは白粉じゃない、全部チョークの粉だ。
「やるなー、つぐ。何したのかいまいちわかんねーけど」
ソラは視線を俺から眼帯少年に戻すと、こつこつと革靴で床を鳴らしながら、近づいて行った。
包帯少年は、ナイフを両手で構えて、小刻みにぶれながら少しずつ後ろへ下がって行く。
「こっちくんな!」
「あ、これが怖いのか?」
そう言って、ソラは薄く笑いながら右手のハンドガンを顔の横でゆらゆらと振った。
「大丈夫だ、近距離戦なら飛び道具よりナイフの方がよっぽど有利だぜ。それにさっきも見ただろ?」
「黙れぇぇええ!」
ナイフを前に突き出したまま、少年はソラへと突っ込んでいく。
ソラは慌てるでも避けるでもない。
「オレ、ノーコンだからさ」
下から、ソラの長い足が的確にナイフを捉え、確かな衝撃を与えた。
ナイフは少年の手から離れ、空中を泳いだのち、カランカランと廊下を流れる。
武器を失い呆然と立ちすくむ彼の額に、黒のハンドガンが無情にも突き付けられた。
「肉弾戦の方が得意だったりするわけよ」
ソラが苦笑いしながらトリガーを引くと、
「やめっ」
少年は、やっぱり一瞬にして霧になって、さらさらとどこかへ散って行った。
翌日の朝。頑張って早起きしたおかげで、俺は誰もいないに教室にいることができた。隣にはソラ。
「昨日のことについて聞きたいことが割とあるんだけど」
俺が話を切り出すと、ソラは意外、という顔をした。
「人のいない教室に呼び出されたもんだから、告白の一つでもされんのかと思ってたぜ」
生憎俺にそんな趣味はない。
ソラの冗談を軽く受け流して、本題に入る。
「なんで、昨日のあいつはいきなり誰もいない空間を作り出せたんだ?」
昨日はソラがハンドガンを撃った瞬間、いなくなっていたはずの生徒や先生が、ぱっと出てきて、何事もなかったかのように、自分の日々を過ごしてしていた。
さっきまで危険なやつがいた所に長居して、また生命の危機に晒されるのもごめんなので、俺は気になったことを全て残してさっさと帰ったのだ。
そのため今、最寄り駅から出る電車でうたた寝している時間に、俺は教室で自分の机に寄りかかっているのだ。
「あー、それな。幽霊って、自分が死んでるって自覚すると、特異な力が使えるようになるんだよ。使える力の大小は発毛みたいなもんらしいが」
個人差があると言え。
「天使とかはあの空間入れるんだぜ? それくらいできなきゃ平和なんて保てねえしよ」
すごいだろ? とでも言いたそうなソラの顔はとても子供っぽかった。
俺は冷静に聞きたいことを口に出す。
「わざわざあんな空間を作り出した意味は?」
「さぁ? それこそ本人に聞けって。今頃地獄だろうけど。大方、人が大勢いると、殺しにくいからじゃねぇの? お前自身をさ」
幽霊が見えるってだけでこんなにピンポイントに命狙われんのか。理不尽な話だな。
ソラから目を逸らした俺に、ソラは話し続けた。
「死んだ人間が、生きた赤の他人を殺す理由なんて、逆恨みか好奇心ばかりだ。意味なんてないに等しい。三時限目に数学があるからとか、午後から晴れるからとか、なんだっていいんだよ。今回はお前が『オレが見えるから』ってところか?」
オレの仕事が増えて、全く迷惑な話だ、とソラは一日に三回以上は確実ついているだろうため息をついた。
俺は自分の足を見つめて、昨日のことを思い出す。
「俺だって好きで見えているわけじゃないのにな」
そう呟いた俺は鏡を持っていなかったので、自分がどんな顔をしていたのか分からない。ソラは俺の表情を塗り替えるように、上から大きな手で頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。
「確かにこれからもまた何かと絡まれるだろうが」
ソラの手をどかして、目を合わせると、ソラはにやりと笑っていた。
「また笛吹けよ。すぐ助けに行ってやる」
俺よりもがっしりとした体格、大人びた顔のつくり。笑顔。声。
「誰かを助けるのに、それこそ理由なんていらねーからな」
そんなソラを見て、俺はほんの少しだけ、本当にちょびっとだけ。
安心してしまったんだ。
中二病。
思春期にありがちな病気だ。一度かかってしまうと、年齢を重ねた後にとても死にたくなるので、早期発見、早期解決が望まれる。
実を言うと俺も中学時代にかかったことがあるので、あまり思い出したくない記憶の一つとなっている。母親に急に冷たくなったり、好きでもないブラックコーヒーを飲んだりしたものだ。
しかし友人関係の経験から、中二病には色々な種類があるようだ。自分は特別なんだ、という根本的な概念は変わらないが。
まず、根は真面目だったり臆病だったりするのに不良ぶるやつ。喧嘩とか犯罪行為に対する虚言が多くて、反社会的な行動を好んでいた。いわゆるDQN。
ボクシングを本気で習っている友達は、「年上との喧嘩で勝ったことがあるけど、中二病って思われそうだから人には言えない」とその話題の時に笑いながら話してくれた。
あと、何でもかんでもマイナーな方へ走るやつ。特にそれが好きなわけではなく、ただ他人と違う自分を格好いいと思っているらしい。俺もこのタイプだった。こういうやつに限って洋楽を聴き始めちゃったりする。英語分かんないのに。
そして、キャラを作り出すやつ。アニメとかライトノベルとかに影響されて、不思議な、超自然的な力に憧れ、自分には得体の知れない何かに憑かれたことによる、発現すると抑えられない隠された力があると思いこむ。
怪我もしてないし痛くもないのに、包帯やら眼帯やらをつけたがるんだなこれが。そういうのがかっこいいと思ってる。
なんで改めて顧みたくもならない自分の黒歴史を掘り起こしながら、こんな思い当たる節があると耳を塞ぎたくなる話をしたのにはちゃんと理由がある。
あまり直視したくない強制成仏とやらを見た翌日、六時限目は体育だった俺は、体育館から教室へ戻るところだった。
そこで見つけてしまったんだ。
いや、幽霊なら体育見学してるやつもいたから、特別驚くことではないんだ。
気になるのは、俺のクラスの教室の前で、意味深な表情で窓の外を眺めていた青く、影のない透けている少年。恐らく同い年なんだろうが、身長は男子にしては小さい方だった。百六十くらい。
問題は見た目だ。左目には眼帯がしており、うっすら赤く滲んでいる。すぐ目を逸らしたが、あれはただの赤インクだったと思う。それから右腕。包帯がぐるぐると手首から間接の手前まで巻いてあった。
半袖のワイシャツを第三ボタンまで開けて、中からただの赤いTシャツが顔をのぞかせている。頭はワックスをつけて、カッコよく見せているつもりなのだろうが、残念ながら寝癖が酷いようにしか見えなかった。
この人、中二病だ。しかも、キャラつくるタイプの。
反射的にそう思ってしまった。幽霊じゃなくても関わりたくない。
外見が多少アレだが、何もしてないんだし、ソラに報告するまでもないだろう。
俺はそそくさと教室という名の安全地帯に入って行った。
六時限目が体育の日は、着替えに時間がかかるので、いつも帰りのホームルームが普段より遅く始まる。
女子の着替えが遅いんじゃない。男子の着替えが遅いのだ。
この学校では、男子は教室、女子は女子更衣室で着替えることになっているのだが、男子はのろのろと体育館から戻ってくる上に、ふざけながら着替えるので、担任が教室に入ってきた時にはまだパンツの生徒も結構いる。
加えて、早く着替え終わった女子が教室に入ろうとするなら、「見ないでー!」なんて甲高い裏声を出して茶化す男子がいるので、女子も迂闊には入れなくなっていた。
そんなわけで、運動部の中で「早く行かなきゃ」と焦るやつと「もう少しホームルーム長引け」と懇願するやつとでクラスメイトが二分されて少し面白い状況である。
まあ、帰宅部にはなんの関係もないんだけど。
掃除のために椅子を机に乗せて、後ろに下げる。後は自転車置き場に向かうだけだ。
友達に手を振って、一番乗りとばかりに、廊下へと続くドアを開け、一歩エアコンの効いていない空間に踏み出すと。
ざわめきが一気に消えた。
突然の静寂に驚いて、さっきまでいた教室を振りかえると、クラスメイトは誰一人としていなかった。
どういうことだ、少し前まで掃除をしようとするやつとか、机をまだ下げ切っていないやつとか、たくさんいたじゃないか。
「嘘だろ……?」
「嘘じゃねーよ」
教室を茫然と見つめる俺の背後から聞こえた声に、全速力で振り向くと、関わりたくない生徒が立っていた。
左目の眼帯、右腕の包帯、はだけたワイシャツに赤いTシャツ。
中二病の、アイツだった。
「お前、オレが見えるんだろ?」
そいつはニヤリと口角をあげた。背中にある両手で持っているらしいナイフが、窓からの日光を受けて、キラリと鋭利に輝いた。
まずい、と本能が反応した。生命の危機を感じる。
右肩にのみ重さを与えるスクールバックを、どすんとその場に落とし、俺は駆け出した。
「そうそう。その顔が見たかったんだよ」
背中に笑い声を受けながら、やっぱりこいつは中二病だと再確認。
だが今はそんなことを思っている場合じゃない。
俺はとりあえず校舎を出ようと、正門に向かっていたが、どこの教室の前を通っても、人が見当たらない。
「なんで誰もいないんだ!」
後ろを見ると、眼帯寝癖野郎が追いかけてきていた。右手にはナイフ。
こんな無駄にスリルのある鬼ごっこなんて求めてない!
ポケットからなんとか笛を出した時、足元を見ていなかったため、トイレの前に置いてあった、「清掃中、足元注意」の看板に躓いてしまった。
俺は盛大にこけてしまい、床に顔面から激突。
笛は見事に手から離れ、廊下をからからと滑って行った。
まずい、と焦って、笛を取ろうと顔を上げたが、立ち上がれなかった。
眼帯が馬乗りになってきていたのだ。
「オレさぁ、自分が死んでるって、知ってるんだ」
目に映るのは中二病の狂った笑顔。その奥には天井。
左手が俺の首を握りしめて、だんだんと気管を狭めていく。
「か……っ!」
「だからぁ」
右手が高く振り上げられた。刃が鋭く俺の喉元を見つめてくる。
俺はやつの左手を必死に掴むが、力は緩まない。
「今生きてる人間、殺してみてもいいよな」
よくねぇ!!
右手が振りおろされる前に、そいつの左頬に拳を叩きこんだ。一瞬生まれた隙を見逃さずに、俺は中二病をどんと突き飛ばし、腹を蹴っ飛ばした。鳩尾に入った感触があり、小柄だったせいか、軽く吹っ飛んでくれた。
「げほっ! がはっ!」
取っ組み合いの派手な喧嘩なんて人生でしたことがなかったから、人を殴ったり蹴ったりするのなんて初めてだった。
お互いせき込みながら、俺ははいはいで進み笛を拾い上げて、全身全霊を込めて吹く。
早く来い!!
「くそがぁぁあああ!」
ソラが来る前に、また襲いかかって来そうだったので、俺は慌てて立ち上がり、再び駆け出した。
走りながらどこへ逃げようか考える。
今まで学校外で幽霊を見たことはまだない。恐らくこいつも学校の外までは来れないはずだ。
とにかく学校から出よう。
しかしここはあいにく四階だった。一階を目指して階段をがたがたと下っていると、上からひゅっと音がして、何かと思ったら複数のコンパスが針を下に向けて舞い降りてきていた。どっから持って来やがった。
「うおっ!!?」
がががっ、とコンパスが手すりに突き刺さる。手すりを滑っていた右手が危うくコンパスの餌食になるところだった。
どうやら武器はナイフだけじゃないらしい。
なんとか一階にたどり着いた。近くの教室に入り、黒板消しを二つほど拝借し、反対側にあるもう一つのドアからすぐ出ていく。
追いかけてくる包帯男も一度同じ教室に入り、ガタゴトと何か音をさせてから出てきた。
走りながら、距離を確かめようとちらと後ろを振り向くと、なんと椅子を振りかぶっていた。
そのまま投げ飛ばしてくる。
「マジかよ!?」
かなりの勢いで飛んできた椅子を間一髪で避ける。
標的に当たらなかった椅子は、ガランガランと派手な音を立てて廊下を転げ回った。
それを横目に、俺は曲がり角を曲がって待機。大きく落ち着きのない足音と、荒げた息が近づいてくるのを聞きながら、タイミングを見計らって、二つの黒板消しをばんと突き出した。
「うわっ!」
見事に中二病の顔面にクリティカルヒット。掃除前の黒板消しは、大量のチョークの粉を吸い込んでおり、力いっぱいはたかれたそれらは、もくもくと白い煙を巻き上げていた。
「げほっ、がはっっ!」
相手がせき込んでいる腹を思いっきり蹴飛ばす。さっき同様、やはり軽く後ろへ吹っ飛んでくれた。
俺は今度こそ校門へと走る。最早ソラは期待できないとすら思い始めていた。
足遅いんじゃないのかアイツ!?
「てめぇぇええええ!」
涙目で目をこすりながら怒号を上げる少年。すぐにでかい足音が近づいてきた。
「殺す殺す! 絶対殺す!!」
言動だけならまだ可愛い中二病なんだが、本当に殺されかけているだけに洒落にならない。
額に汗とわずかな風を感じながら、廊下を人生最高速度で走りぬける。
しかし、所詮帰宅部。中学時代にバスケ部で鍛えていた筋肉は半年以上におよぶ受験勉強でとっくに衰えていた。
襟首を後ろからぐんと引っ張られ、俺は背中から床にダイブした。
「っだ……っ!」
どん!と廊下の冷たいタイルから与えられる鈍痛に堪え、上体を起こした俺の頬に、包帯を巻いた拳がクリティカルヒット。
一瞬頭が真っ白になり、目が少しちかちかした。
争いを好まず、平和に生きてきた俺が顔面を殴られたのは生まれて初めてだ。
しかし目の前の眼帯男は殺すと言いつつ、ナイフで腹を突き刺さないで殴っただけ。
やっぱり中二病なだけだから、殺人には多少の抵抗があるのだろうか。
「ぶっ殺す!!!」
相手の良心に少しだけほっとしていたら、気性の激しい少年が俺を押し倒そうとしていた。特別良心なんてもんはなく、単に刺しにくかっただけのようで、確実にジ・エンドとなる体勢で今度こそ仕留めにかかってきた。
俺は、左頬の痛みに耐えて、至近距離にある寝癖頭に、勢いをつけて頭突きを食らわした。
「ぐがっ!?」
怯んだ相手を突き飛ばし、校門を目指す。額がずきずきと苦しむが、気にしている場合ではない。
「だぁぁぁあああ!」
背後から、大きな奇声が聞こえてきた。あの声に追いつかれたら、十六年の人生に幕を閉じることになってしまう。
まずいな、と疲労が溜まり始めた足を無理矢理動かして、一センチでも距離を取ろうとしている時。
目の前を弾丸がチュン! と通り過ぎて行った。
嫌な汗をかいたのち、弾が飛んできた方向に恐る恐る顔を向けると、得意げな顔のソラが銃を片手に立っていた。
「お待たせー」
「殺す気か!」
呑気な声をかけてくるソラに俺は怒鳴りつける。
救世主となるはずだった味方に殺されかけては、文句の一つも言いたくなるというものだ。
ソラは悠々と歩いてくる。中二病は、ナイフを片手に猛進して来ていたが、ソラの存在に気付くと、途端に足を止めた。
「だからノーコンって言っただろ」
ソラはだるそうに銃をくるくると指でもてあそぶ。
ナイフより強そうな飛び道具を持った相手を発見してしまったせいか、小柄な少年は虚勢を張りながら震え始めた。
「何だよお前!」
始めから知ってたくせに、叫んだそいつにようやく気付いたような顔で、会話を交わすソラ。
「お前こそ何だよ。顔真っ白だぞ。舞妓さんでも目指してんのか? 似合ってるぜ」
「うるせぇよ! そいつにやられたんだ!」
「え? お前?」
心底びっくりした表情で俺を見てきた。
その白いのは白粉じゃない、全部チョークの粉だ。
「やるなー、つぐ。何したのかいまいちわかんねーけど」
ソラは視線を俺から眼帯少年に戻すと、こつこつと革靴で床を鳴らしながら、近づいて行った。
包帯少年は、ナイフを両手で構えて、小刻みにぶれながら少しずつ後ろへ下がって行く。
「こっちくんな!」
「あ、これが怖いのか?」
そう言って、ソラは薄く笑いながら右手のハンドガンを顔の横でゆらゆらと振った。
「大丈夫だ、近距離戦なら飛び道具よりナイフの方がよっぽど有利だぜ。それにさっきも見ただろ?」
「黙れぇぇええ!」
ナイフを前に突き出したまま、少年はソラへと突っ込んでいく。
ソラは慌てるでも避けるでもない。
「オレ、ノーコンだからさ」
下から、ソラの長い足が的確にナイフを捉え、確かな衝撃を与えた。
ナイフは少年の手から離れ、空中を泳いだのち、カランカランと廊下を流れる。
武器を失い呆然と立ちすくむ彼の額に、黒のハンドガンが無情にも突き付けられた。
「肉弾戦の方が得意だったりするわけよ」
ソラが苦笑いしながらトリガーを引くと、
「やめっ」
少年は、やっぱり一瞬にして霧になって、さらさらとどこかへ散って行った。
翌日の朝。頑張って早起きしたおかげで、俺は誰もいないに教室にいることができた。隣にはソラ。
「昨日のことについて聞きたいことが割とあるんだけど」
俺が話を切り出すと、ソラは意外、という顔をした。
「人のいない教室に呼び出されたもんだから、告白の一つでもされんのかと思ってたぜ」
生憎俺にそんな趣味はない。
ソラの冗談を軽く受け流して、本題に入る。
「なんで、昨日のあいつはいきなり誰もいない空間を作り出せたんだ?」
昨日はソラがハンドガンを撃った瞬間、いなくなっていたはずの生徒や先生が、ぱっと出てきて、何事もなかったかのように、自分の日々を過ごしてしていた。
さっきまで危険なやつがいた所に長居して、また生命の危機に晒されるのもごめんなので、俺は気になったことを全て残してさっさと帰ったのだ。
そのため今、最寄り駅から出る電車でうたた寝している時間に、俺は教室で自分の机に寄りかかっているのだ。
「あー、それな。幽霊って、自分が死んでるって自覚すると、特異な力が使えるようになるんだよ。使える力の大小は発毛みたいなもんらしいが」
個人差があると言え。
「天使とかはあの空間入れるんだぜ? それくらいできなきゃ平和なんて保てねえしよ」
すごいだろ? とでも言いたそうなソラの顔はとても子供っぽかった。
俺は冷静に聞きたいことを口に出す。
「わざわざあんな空間を作り出した意味は?」
「さぁ? それこそ本人に聞けって。今頃地獄だろうけど。大方、人が大勢いると、殺しにくいからじゃねぇの? お前自身をさ」
幽霊が見えるってだけでこんなにピンポイントに命狙われんのか。理不尽な話だな。
ソラから目を逸らした俺に、ソラは話し続けた。
「死んだ人間が、生きた赤の他人を殺す理由なんて、逆恨みか好奇心ばかりだ。意味なんてないに等しい。三時限目に数学があるからとか、午後から晴れるからとか、なんだっていいんだよ。今回はお前が『オレが見えるから』ってところか?」
オレの仕事が増えて、全く迷惑な話だ、とソラは一日に三回以上は確実ついているだろうため息をついた。
俺は自分の足を見つめて、昨日のことを思い出す。
「俺だって好きで見えているわけじゃないのにな」
そう呟いた俺は鏡を持っていなかったので、自分がどんな顔をしていたのか分からない。ソラは俺の表情を塗り替えるように、上から大きな手で頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。
「確かにこれからもまた何かと絡まれるだろうが」
ソラの手をどかして、目を合わせると、ソラはにやりと笑っていた。
「また笛吹けよ。すぐ助けに行ってやる」
俺よりもがっしりとした体格、大人びた顔のつくり。笑顔。声。
「誰かを助けるのに、それこそ理由なんていらねーからな」
そんなソラを見て、俺はほんの少しだけ、本当にちょびっとだけ。
安心してしまったんだ。
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