やちよ先輩

風宮 秤

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2:濃密接触

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 ついに、社内で感染者が出てしまった。残念な事にやちよ先輩の部下からだった。感染した彼女はカラオケに行った訳ではなく、居酒屋に行った訳ではなく、飛沫が充満するような環境にいた訳でも家族が感染していた訳でもなかった。感染経路不明に分類される事例だった。しかし、うちのぬりかべ課長はここぞとばかりにやちよ先輩の管理責任を追及していた。
 まぁ、部下の私が言うのもあれだけど、同じ課長でもやちよ先輩と比べれば・・・比べる事自体がやちよ先輩に失礼なくらいに差があるんだよ。ぬりかべ課長の右往左往に付き合わされた挙句、私たちが尻拭いをしているのに気づきもしない。そんなぬりかべ課長にやちよ先輩は、勤務時間外の上に業務とは関係のない事に口出しをするのは筋違いな事、そもそも部下は会社の所有物ではないと、きっぱりと言っていた。うんうん。
 そんな事もあり、テレワークに戻す部署が増えていった。陽性反応でも無症状なら実働に問題はないと会社の思惑もあったようだ。これで、実家に戻って生活をしているやちよ先輩がまた居ついてくれるかな? なんて思ってみたりして。

『ところでさ、やちよ課長のとこの感染者って印象薄いんだけど誰だっけ?』
 社内のチャットで隣りの席の子が訊いてきた。
『そう言えば印象薄いね。でも仕事は出来る人だよ』
 何回かメールでやり取りした事があった。的確な受け答えに二手三手先まで見ている配慮のある文面だった。たぶんやちよ先輩のお気に入りだと思ってしまうと嫉妬心がないとは言えない。
『実は、他の部署でも陽性反応が出たって知っている?』
 彼女の情報通ぶりは社内一だと常日頃から思っているよ。冠婚葬祭の情報は総務部より早いし誰と誰が付き合っているとか、どの営業マンが何処に行ったとか特に男性社員が絡む事は彼女の右に出る者はいない。幸い私とやちよ先輩の事は何も知らない様だからね。ガードは崩さないけど。
『いえいえ、ご教授を賜りたいです(顔文字)』
『スメイル課長のとこの女子。名前は・・・まだない』
『いまの、なんかのパクリ? ひょっとしてさつき係長?』
 もし、印象薄い人なら彼女しかない。たしかやちよ先輩と同期だったはず。
『詳しいね。印象薄いと感染しやすいとか?』
『ウイルスに人の性格は分からないよ。それより一人暮らしだと大変だよね』
『さつき係長って一人暮らしなの?』
 一人暮らし? なんで私は知っているんだろう・・・。やちよ先輩から聞いた事があったからだ。迂闊な事を言って変に探られるのも困る。
『え? 教えて貰ったでしょ? うちのぬりかべ課長は感染しないのかな?』
 話題を変えておかないと、何を探られるか分からない。
『え? うちの課長が感染するはずないでしょ。社内では孤立。家に帰ればボッチ(顔文字)半径二メートルに近づく人はいないからね』

「アハハ! みんな、良く知っているね」
 やちよ先輩が画面を覗き込んでいた。
「先輩、いつの間に来たんですか? 言ってくれれば買い物しておいたのに」
「ほら、チャットが呼んでいるよ」
 画面上に表示されているメッセージを指さしているやちよ先輩。でも、パソコンの画面を閉じるとそのまま押し倒した。
「毎日、死にそうなくらい寂しかったんだから・・・」
 抱きしめる両腕に力が入る。頭を撫ぜてくれる先輩から仄かに香水の臭いがする。うちの部署の奴と一緒だ・・・・。彼女も無口で仕事ができるタイプだった。お昼ご飯の時も聞き役に回って頷いている。話しを振られた時も当たり障りがない様に言っている。普段からガードが堅いタイプだ。三人とも無口だけど仕事ができる、生徒会の時と同じパターンになっている。
「私も同じさ。寂しいから会いに来たんだよ」
 嘘だ、行く場所がなくなっただけで実家に戻っていたのも嘘だ。
「私も感染したい・・・」
 先輩の胸に顔を押し当てたまま言った。
「昔から勘は鋭いよね・・・」
 少し意地悪に先輩は言った。


 生徒会役員になって迎えた夏休み、私は中二でやちよ先輩は高二だった。生徒会には代々受け継がれる活動とは別に会長の采配で行う活動があった。やちよ先輩は教材を使う生徒側の意見を学校側に反映させるためのアンケートを実施していた。その集計が生徒会メンバーの夏休みの活動だった。
 私が生徒会室に呼ばれた日は、先輩と二人きりだった。
「一学年分ずつ集計していくので、みさきさんは中等部一年の分をお願いしますね」
 二人きりで集計をするには広すぎる生徒会室、二人きりで集計するには分量が多い作業だった。
「他の学年の集計は・・・」
「他のメンバーにやってもらったよ」
 生徒会への登校日はクラス前の廊下で直接言われた事を思い出した。私が最後の担当で他のメンバーは既にやちよ先輩と二人で集計をしていた・・・・。
「私も、やちよ先輩の事が好きです」
 気がつくとやちよ先輩に抱き着いていた。ただただ、他の生徒会メンバーに負けたくないと思った。一瞬、驚いたやちよ先輩だったが、生徒会室の鍵は閉められていた。
 それから、夏休みが終わるまで生徒会室に呼ばれる事が何回かあった。でも、やちよ先輩が毎日登校しているのは先生から聞いて知っていた。だから、呼ばれた日は必ずシャワーを浴びてから学校に行った。私の精一杯が先輩に伝わるようにと。


 今にして思えば、私がそう思ったのか? そう仕向けられたのか? 生徒会の顔合わせの時からやちよ先輩は私たちを魅了する事ばかりをしていた。そして総仕上げの集計作業だった。今にして思えば、あのアンケートも個別に生徒会室に呼び出す口実で始めたように思う。
「今日の先輩はいつもより意地悪・・・」
 私の首筋を人差し指で弄んでから、思い出したようにやちよ先輩は言った。
「勘の鋭い子は、昔から嫌いなんだよ」
 あの時も意地悪だった。誰にも気づかれない様にシャツの襟を立てて帰ったのを憶えている。
「でも、私の傍にいてくれる?」
 今日だって、やちよ先輩から家に来てくれた。
「お人形さんは飽きるんだよ」
 不機嫌そうにやちよ先輩は言った。

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