京都市左京区下鴨女子寮へようこそ!親が毒でも彼氏がクソでも仲間がいれば大丈夫!

washusatomi

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第5話 五百キロ離れて解毒せよ

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 炭川さんが「こっわ」と呟いた。筧さんが「なんかサイコパスみを感じる」と眉間にしわをよせ、新市さんも厳しい顔つきでテーブルを拳で叩いた。

「別に北村さんは悪くなんかないよ! そのいきさつで小さい子どもが重病かもしれないって泣いて怖がるのは当然だって!」

 美希は「でも……」と首を振る。

「それに、私は妹と違って顔も醜いから僻んでて、それで妹の肌荒れを思いやることができないんです」

 炭川さんが「北村さんだって可愛いよ」と言ってくれるが、美希は苦笑するにとどめた。この文脈で相手に面と向かって「そうだね、ブスだね」と言う無神経な人はいないだろう。

「母方の祖母の葬儀の席で、母の姉に言われました。あ、その人も美人です。若い頃は母と一緒に美人姉妹だって近所で評判だったそうです」

「母の姉、つまり叔母さんが何を?」

「妹を見て『妹の聡子ちゃんは美男美女の両親の良いとこ取りをしたのね。でも、このまま成長しちゃうとお姉さんみたいな顔になっちゃうのかしら。残念ね』って……」

 由梨さんが静かに確認する。

「聡子というのが妹さんの名前なのね?」

「はい。勉強ができてもブスの私が美希で、美人だけど勉強できない妹が聡子で逆なんです」

 新市さんがトントンと指で机をたたく。

「あのさ、別に社交辞令じゃなくて。北村さん普通に可愛いよ。そりゃ正統派美人女優レベルとまでお世辞は言わないけど、庶民派を売りにしているアイドルグループに混じっててもおかしくはない程度ではある」

 筧さんも現実的だ。

「親と妹が凄く美人で姉だけが極端に容貌が劣るなんて、そんなドラマみたいなことはそう起こらないよ。日常ってのは平凡なものでさ。貴女を見て母と妹が美人だって言われても納得するよ。そりゃ家族なんだから似てるでしょ。多分その二人は貴女の顔立ちを派手にした感じなんじゃない?」

 炭川さんが何かを紙に描いてから、「うん、地味だけど整ってる。ほら」と美希に見せてくれた。似顔絵だ。確かに美希に似てはいる。

「でも、その絵、写真や鏡で見る私の顔より可愛くなってます」

 河合さんが覗き込んだ。

「いや、特徴を上手くとらえていると思う。さすが漫画学部、上手いね」

「似顔絵描きバイトでお金貰ってますもん」と炭川さんはちょっと鼻を高くする。

「顔の印象って肉体的な顔の造形だけで決まらないんだよ。何て言うのかな、表情とか顔つきとかで決まる。北村さんはとっても柔らかいから可愛く見える」

 新市さんが腕組みをしていた。

「ここにいる人間の総意として貴女は別にブスじゃない。和風の顔立ちだから、いわゆる『バタ臭い』顔と比べて物足りないと言う人もいるかもしれないけど、それは単なる好みだと思う。それより私が問題だと思うのは、その叔母さんが貴女の容貌を『残念』よばわりしたことだよ」

 河合さんも顔をしかめる。

「ねえ、お母さんは叔母さんに何か言わなかったの?」

「いえ……何も」

 筧さんがため息をついた。

「あのさ、貴女の母親は貴女を冷たいとか責める前に、娘のために自分の姉に何か言うべきだと思うよ!」

  炭川さんは自分の絵を机に広げ、上から指さした。 

「貴女はそんなこと言われるような顔立ちじゃない。私の漫画の腕を賭けてもいい!」

 新市さんが「もう一度言うね。貴女はブスじゃないし、心が冷たいなんて全く思わない」と念を押し、その他の皆も「そうだよ」「うんうん」などと首を縦に強く振る。

「それなのに、白河さんとの電話では、母親は西都大学で弁護士を目指したい貴女を偏差値至上主義に毒された冷酷な子どもだって責め立ててる」

 美希の背後から、女性にしては低めの声が降ってきた。

「毒親ってやつだよ」

 見上げると金田さんが立っていた。由梨さんが静かに声を掛ける。

「お帰り、金ちゃん。私もそう思う。というか、ここにいるみんなそう思ってるんじゃない?」

 全員が揃って頷いた。
 
 しんと静まり返ったところで、美希はカバンの中のスマホがブーブーと震えているのに気が付いた。父からだ。ひょっとしたら何度も掛けてきたのに今まで気づかなかったのかもしれない。

 美希は「父から電話なので出ます」と断り、部屋の隅で電話に出る。スマホから弱々しい声が聞こえてきた。

「美希。お父さんの看病に戻ってきてくれないのか」

「ゴメンナサイ……」

「美希はしっかり者だから頼りにしていたのに。ママが美希の結婚相手を見つけるためだと言うから仕方ないが……。じゃあお父さんも闘病頑張るよ」

「うん、負担かけてゴメンね」

「京都の学生寮は偏った思想にかぶれた人の活動拠点なんだろう? 変な思想に影響されたらダメだぞ」

 父はひとしきり昔の学生運動の危険性を説いた。

「ママも言うように女の子が偏差値主義なのは良くない。いい男性が見つからないな
ら変な思想に洗脳される前に東京に帰って来なさい」

 変な思想……。父も母も「毒親」とか「アダルト・チルドレン」「親ガチャ」とかいう言葉が嫌いだ。親の恩を軽視し環境のせいにする甘えだという。

 電話を終えた美希に、河合さんがとがめるように尋ねてきた。

「北村さん、なんでお父さんに謝ってるの?」

「だって……看病もせずに一人で闘病させて……」

 新市さんがばしっとテーブルを叩く。

「だから! ここの大家の白河さんは身近な医療や福祉の制度を使って自力で闘病してるって! 家にはお母さんや妹がいるんでしょ? それなのにどうしてで貴女だけが頼りにされてて、それを果たせないからって罪悪感を持たなきゃいけないの!」

 筧さんも「娘の大学進学をサポートできないことを向こうが謝ってもいいくらいだよねえ。お金の面なら、この寮で過ごすなんて凄く親孝行なんだし」と困惑した顔をしている。

 由梨さんがふうと息を吐いた。

「お祖父さまが亡くなって何年も遺産相続を先延ばしにしてきただけあって甘えたところがある人みたいね。だからお母様もお父様を頼りにできず、しっかり者の長女をあてにする……」

 河合さんが吐き捨てた。

「大学を辞めさせてヤングケアラーにしようとするのは常軌を逸しているよ!」

 金田さんも「貴女が謝ることなんかない」と憤り、炭川さんも隣で頷いた。

「漫画とかでもさ、毒親は巧妙に相手に罪の意識を植え付けるんだよ。それがホラーでさあ」 

 毒親という言葉で美希は顔を上げた。

「あ、あの。父が寮生活で変な思想にかぶれちゃ駄目だと言ってます」

 新市さんが眉根を寄せる。

「変な思想って?」

「毒親とか考えちゃいけません。今の日本人は、自分が上手く行かないのをすぐ親や他人のせいにして甘えていると親は言います」

「いやいやいやいや、貴女が自分の実力で合格した大学を辞めさせられるのは、親のせい以外の何物でもないから」

 河合さんの声がますます尖る。

「せっかく獲得した学歴は捨てさせて、それで上手く行かなければ自己責任。でも実家にパラサイトするな、自立しろ。それでも仕事にかまけて親の面倒を忘れるようなキャリア志向も駄目。北村さんの親は勝手すぎる!」

 今度はフンっと背もたれに身を預けて腕を組んだ。

「確かに臨床心理学でも、毒親やサイコパスとかアダルト・チルドレンとかは厳密な学術用語ではないわ。でも、貴女のとこの親子関係が正常だとも思えない」 

 新市さんも同調する。

「私も心理学っぽい言葉が次々に流行語になって消費されるのはどうかと思うけどさ。でも、その言葉で何かを訴えたい人がいるから流行するんだよ。子どもの人生に毒になる親って社会にいるんだって」 

 炭川さんも「漫画や小説のエンタメでも毒親ものって一つのジャンルだよ。読み手が多いってことは、リアルにそういう親が多いってことだよ」と口にし、筧さんも「お金がらみでも親子のいがみ合いって壮絶だからねえ」と加える。

「母親は看病や介護の労働力を娘から巻き上げたいが娘の面倒は見たくない。向こうの利益を満たしながら娘の利益を最大限に追求するなら……」

 由梨さんが頬に指を当てて考え込んでいた。

「白河さんの話の持って行き方は上手いわね。向こうの利益になるよう『西都大学で専業主婦させてくれそうな未来の夫を捕まえる』という名目を立てて、それでとりあえずは進学を認めさせる」

 金田さんが唸る。

「さすが年齢を重ねた京女。したたかだ」

 美希も当面は退学しなくて済んで助かったと安心できた。だけど……。

「あの、でも、私に男の人を捕まえるなんてことできるでしょうか?」

 新市さんが初めて美希にも非難がましい顔を向けた。

「専業主婦をさせてくれる男が欲しいの?」

 美希は結婚どころか彼氏だって諦めている。

「私はブスで冷たいから好きになってくれる男の人なんていないと思います。だから西都大学できちんと勉強して、法曹資格を取って、結婚できなくても自立して働けるようになりたかったんです」

 新市さんは自立心を褒めてくれる。

「将来計画があって偉い!」

 炭川さんと筧さんも続く。

「そこで西都大に合格できちゃうところが優秀なんだよねー」

「そのせっかくの高学歴、捨てるのは勿体ない。ここは何としても卒業して法曹資格も取ろう!」

 ただ、由梨さんは少し改まった声を出した。

「もちろん自分のキャリアのために法曹資格目指すべきだと思うわ。ただ、貴女がブスで冷たいから男性に選ばれないだろうという考えは捨てていいのよ」

 筧さんが当然だと言う。

「さっきから私たちはブスでも冷たくもないって言ってんじゃん」

 河合さんが軽く横に首を振った。

「いや。親から刷り込まれた『認知の歪み』は今日会ったばかりの私たちが何か言ったからってすぐには消えないよ」

「そう? 北村さん」

「皆さんが私に親切でおっしゃってくださるのは分かります。でも、私なんかに恋人や結婚相手ができるとはとても……」

 あのさ、と声を上げたのは炭川さんだった。

「京都で勉強できるよう親を説得するために必要なだけでしょ。美希ちゃんに本当に彼氏ができるかどうかって問題は別に今考えなくてもさ、当面は『偽装彼氏』でもいいわけじゃん」

「偽装彼氏?」

「うん、漫画のネタでよくあるでしょ。偽装彼氏、偽装婚約者、偽装結婚……」

「はあ……」

「ね? 三カ月くらいしてそろそろ新入生に彼氏ができそうな頃にさ、親には彼氏が出来たって言っておけばいいじゃん。もし会いたいとか言ってきたら……そうだなあ、河合さんの彼氏を貸してあげれば?」

 あ、河合さんには彼氏がいるんだ。

「彼氏を貸す? ちょっとそれは……」

 新市さんが苦笑する。

「何も北村さんにずっと彼氏ができないってわけじゃないじゃん」

「それもそうだね」

 筧さんも「そうそう」と首を縦に振った。

「北村さん可愛いんだし。性格だって冷たいどころか大人しくて優しそうだもの。絶対ギオンサンまでに彼氏できるって! どうしても出来なければその時は河合さんの彼氏を借りて親を誤魔化せばいいし」

 知らない単語が出てきた。

「ギオンサンて何ですか?」

「七月に祇園祭って大きなお祭があるからさ。その宵山を一緒に見に行くために恋人をゲットしようとする動きが学生の間で活発になるのよ。北村さん可愛いから声がかかるよ、きっと!」

 金田さんが「待って」と固い声を出した。

「可愛くても性格良くても、恋人ができるかどうかはご縁、偶然、時の運」

 由梨さんは静かな、だけど力のこもった声で言った。

「焦らないで。いずれいい人が見つかるってのんびり構えておいた方がいいわ。自分を安売りしてはだめよ」

 安売り……。美希が今まで考えたことのない発想だった。ブスで心が冷たいと散々言われてきた。値段をつけるなら自分は相当な安物だろう。買い手が見つかるだけでもありがたいことのように思えるのに……。
 
 皆が神妙な顔になったところで、新市さんがバタンとノートPCを閉じた。

「ま、北村さんにご縁があって彼氏が出来ることを祈りつつ、当面は偽装彼氏で乗り切りますか。まずは京都での生活をつつがなくスタートさせよう」

 河合さんも「そうだよね」と同意する。

「今まで親元で十八年間生きてきたんでしょ。五百キロメートル離れた京都で学生生活を送ってみようよ。別の生活圏で暮らすことで視野も広がるし。そして『認知の歪み』を取って行けばいい」

 由梨さんはやはり静かで、そして奥深い響きの声で語る。

「『変な思想』にかぶれるなんて心配しないで。人生の正解は自分で見つけるしかないの。私たちは貴女の親を毒親だと思ってるけど、そうでないと結論を出すのも貴女の自由」

 そして自分に言い聞かせるように続けた。

「親元を離れた学生生活はとても自由よ。自分が何者なのか、自分の価値って何なのか。それを自分で見つけていかなければいけないの。少し怖いくらいに私たちは自由よ」

 金田さんが由梨さんに答えた。

「それでも、私たちは人の決めた価値観に振り回されるべきじゃない。きちんと考えて納得しながら生きていくしかない」

「うん」

 金田さんがお箸を取って、ご飯に「いただきます」と一礼した。意外と古風な礼儀を重んじる人なのかもしれない。そしてお椀を持ちながら美希に言う。

「ま、今日はこれくらいにして。当分、この京都で親の影響から離れてゆっくり過ごしなよ」 

「よし、決まり!」

 新市さんが皆に目配せした。 

「それでは、我々から歓迎の言葉を。寮委員長として音頭を取らせていただきます」 

 委員長以外の人も声を合わせる。声がきれいに揃うのだから、新入寮生への儀式として定着しているのかもしれない。 

「京都市左京区下鴨女子寮へようこそ!」

 そして全員が美希に拍手を贈ってくれた。
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